太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

筒美京平さん

2020-10-13 15:40:33 | 日記
ドン・キホーテで入手した日本人むけの新聞で、筒美京平さんの死を知った。
歌謡曲の黄金時代に育った人で、その名を知らない人はいないと思う。
筒美京平さんが手がけた曲の一覧を見て、改めて、どれだけヒット曲をよばれるものを生み出してきたかを知る。

1988年ぐらいまでだったら、ほとんどの曲を知っている。
特に心に残るもの。

1969年、「サザエさん」の主題歌。

1971年 
 「また逢う日まで」尾崎紀世彦  歌詞の意味も知らずに歌ってた。
 「さらば恋人」堺正章    好きだったなあ、この歌。
 「17才」南沙織       シンシア、きれいだったー。
 
1972年
 「芽ばえ」麻丘めぐみ  デビュー曲。親友にそっくりだった。

1973年
 「赤い風船」浅田美代子 『寺内貫太郎一家』の中でへたくそに歌う

1981年 
 「ギンギラギンにさりげなく」近藤真彦 衣装が印象的

1985年
 「Romanticが止まらない」C-C-B あのサビがヘビーローテーション

これ以降になると、私はもう社会人になっていたから、題名を見ても曲が浮かんでこない。

総作曲数3000曲以上。
すごいなあ。みんなを楽しませてくれて、ありがとう。
カラオケに行きたくなる。

筒美京平さんのご冥福をお祈りします。
      


カニづくしが食べたい!と思う頻度で思うこと

2020-10-13 08:16:07 | 日記
ハワイの田舎に住んでいてよかったと思う。
家のまわりは自然だらけ。


近くにきれいなビーチがあり、

せいせいとした庭にも恵まれている。


毎日のように虹が出る。


でも時折、カニづくしのコースが食べたいなあ、と思うのに近い頻度で
オシャレ心を刺激してくれるものが恋しくなる。

それは別にたいしたことじゃなくてよく、むしろ、たいしたことじゃないほうがいい。
静岡市の繁華街でいいのだ。

静岡市は田舎の都市らしく、繁華街がひとつしかない。
駅から北に伸びた道を中心に、静岡のオシャレのすべてがそこにある。
だから「おマチに行く」といえば、とにかくそこに行けばよろしい。
これが東京だと、選択肢がありすぎて田舎者にはどこに行っていいのか迷う。
渋谷か新宿か、青山なのか銀座なのか、はたまた自由が丘なのか。


静岡市の繁華街でも、まあオシャレをして行こうか、という気持ちにはなる。
ウィンドウショッピングして、おいしいランチを食べ、東急ハンズでうろうろし、帰りにデパートの地下で買い物するだけで満たされる。

おマチでなくとも、郊外型の雑貨屋には、思わずほしくなるようなアクセサリーや、
ナチュラル風な洋服や、プレゼントによさそうなグッズや、使いたくなるような食器なんかであふれている。
辺鄙な場所にある雰囲気のいい喫茶店を目的に行くのも、また楽しい。



そういうたぐいの、うきうきするものが、まったくハワイにはないのである。



うちの村にある唯一のデパートMACY’Sが、年内で撤退する。
デパートといっても、日本の伊勢丹やパルコなどを想像してはいけない。
食料品部門がないジャスコやイトーヨーカドーだと思えばいい。
それだって、ないよかマシというものだ。


ワイキキやアラモアナには、高級ブランドの店はあっても、私が行きたいような素敵な雑貨屋とか喫茶店はない。
観光地だから仕方がないけど、旅行者向けの店ばかりで、45分以上かけてワイキキまで行こうとは思わない。

だから滅多に田舎から出なくなる。

店がないので、ネットで買い物をしても、品物より送料のほうが高いのはまだしも、
はなからハワイには送れない、というものもけっこうある。
義両親など、そういうものはシアトルに住む叔父叔母を届け先にし、
叔父叔母からハワイに送ってもらう、なんてまだるこしいことをしているのだ。


1年中、ビーチサンダルで過ごせるのは楽だ。
きれいな山や海に囲まれて暮らすのはしあわせだ。
私にとっての日常を体験しに、わざわざ飛行機に乗って来る人たちがいる。
それでも、たまにないものねだりをするのである。