引き続き断捨離の話題。
昨日、友人と夕食を食べに行った近くに、日本のハードオフのような店があり、ちょっと覗いてみた。
白黒の、ハワイの古い写真が額に入って100ドルとは、なかなかの値段じゃないか。
この数週間で私たちが寄付しまくったような物が、けっこう売られている。
ブランド品のバッグも、所せましと並んでおり、
「カルティエとフルラのバッグ、ここで売れたかも」
と私が言うと、
「え!!寄付しちゃったん??もったいない!それにしても、あんたがそういうバッグを持っていたとは知らんかったわー」
と友人。
今はブランド品などぜーんぜん興味ないけど、私にもそういうものを買っていた時代もあったのだ。
12年、屋根裏のコンテナの中で眠っていたそれらのうち、ロエベの黒いバッグだけは残して、全部寄付した。
ハードオフのような店で売ることもできただろうけど、ほかの友人が物を売ったとき、ものすごく安く値をつけられて憤慨していたことがあり、
思い入れのあるものを安くされて悲しくなるより、思い切って寄付してよかったと思う。
「あなたが物に執着しない人でよかったよ」
と夫が言った。
物が捨てられない典型のような母から、どうして私のような人が育ったのか。
いつか、使うかも。
その「いつか」が、5年になり10年になってもまだ来ないとなると、今から10年先のことを思うとき、果たして私は生きているんだろうか(ほぼピンピンしてると思うけど)という思いがよぎる。
いつか、着るかも。
そう思って残しておいた、昔日本で買ったスカートをはいてみたら、サイズはぴったりなのに、笑ってしまうぐらい似合わなかった。
私の何が変わったのか。(全部だよ・・・)
物は変わらないけど、自分が変わってゆく。
それを手に入れたときの高揚感はすっかり薄れているけれど、嫌いなわけじゃないから、それを誰かに値段をつけられるのはやっぱり嫌かな、と思う。
ハワイに引っ越してくるときに、箱詰めして船便で送れるものは送り、その他の家財道具は古道具屋さんに来てもらい、食器棚や自転車、ベッドからアイロンまですべて引き取ってもらった。
しめて2万円ちょっとだったと記憶しているが、全部運びだしてくれるし、日本は捨てるとなると面倒だし、買ってもらえるだけありがたかった。
食器棚もベッドも、それを買った時の思い入れはあるけど、引っ越しの期限は決まっており、やることは山ほどあったので、浸っている暇はなかった。
引っ越しというのは、最も断捨離がうまくいく機会に違いない。