続いて照厳寺という真宗系のお寺へ向かい、
車は長閑なあわら市を走る。
都会のゴチャゴチャした道路や、
大渋滞とは無縁の道を走るのは実に気持ちがいい。
やがてナビは細い道を誘導し本堂の斜め前に到着。
とりあえずそこに停めましたが、
山門近くに無料駐車場がありました。
所在地:福井県あわら市山十楽36-1-1
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:嘉暦元年(1326)
開山:行覚聖人
【縁起】
本願寺第三世覚如の直弟行覚聖人が、
越中国氷見に堂を建立したのが始まりと伝えられる。
第二代覚順上人は応安7年(1374)に善如上人の命により、
越前国吉田郡久末に移った。
一向一揆の拠点の一つとなったが、
永正3年(1506)8月の九頭竜川の戦いで朝倉貞景に敗北し、
越前を追われ加賀に逃れる。
第八代祐誓上人の代、大永の頃に加賀国江沼郡二ツ梨村に堂を再建。
慶長5年(1600)第十一代祐念は大聖寺城陥落の際に戦死し、
二ツ梨村の堂も焼失した。
第十二代祐慶上人は越前に戻り、
元和3年(1617)に柿原郷清王村に照厳寺を再建。
第十六代覚純上人が明和2年(1765)に現在の場所に移した。
本願寺及び照厳寺が従っていた超勝寺の分裂に際しては大谷派に帰参した。
【山門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/fe/eecf5ca3fca80eb86aa2381ef6d259d4.jpg)
境内を横切り立派な山門に行ってから参拝開始。
【石段】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/76/a6b3b3c994b21cd15fd618d797ad9e1a.jpg)
【境内】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/b4/adf9d8fc49c66922737d261e26356c4d.jpg)
とにかく本堂のデカさが目立ちます。
【庫裏】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/73/3c8369a4b1dbf7634cefefc963644a3a.jpg)
【大玄関】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/87/0e51638beedf01c8ec4217b3a717b18d.jpg)
この大玄関も大変立派なもので、
お寺の格式の高さを感じざるを得ない。
【本堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/fe/966f8565f339be482473a8895e6afac3.jpg)
これこれ、この本堂の威容は本当に凄い。
これほどの本堂を建立出来るとは、
さすが真宗王国だけありますね。
【蓮如聖人】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/9c/54cc9a7f7b274dec4946d9ec2c1695e8.jpg)
【本堂内陣・御本尊】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/3d/e5482449d50b0d0a7948737bbf33d634.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/65/f466191995635ac1fd263a4d7436e7da.jpg)
本堂内陣には入れませんでしたが、
外から内陣を見る事が出来て良かった。
いかにも真宗系の内陣と御本尊様でした。
【鐘楼堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/96/14167ed3d18ccbb3ba2ae6a5dc7591df.jpg)
これにて照厳寺の参拝終了。
やっぱり本堂はデカかった。
御朱印は授与されていません。
車は長閑なあわら市を走る。
都会のゴチャゴチャした道路や、
大渋滞とは無縁の道を走るのは実に気持ちがいい。
やがてナビは細い道を誘導し本堂の斜め前に到着。
とりあえずそこに停めましたが、
山門近くに無料駐車場がありました。
所在地:福井県あわら市山十楽36-1-1
宗派:真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:嘉暦元年(1326)
開山:行覚聖人
【縁起】
本願寺第三世覚如の直弟行覚聖人が、
越中国氷見に堂を建立したのが始まりと伝えられる。
第二代覚順上人は応安7年(1374)に善如上人の命により、
越前国吉田郡久末に移った。
一向一揆の拠点の一つとなったが、
永正3年(1506)8月の九頭竜川の戦いで朝倉貞景に敗北し、
越前を追われ加賀に逃れる。
第八代祐誓上人の代、大永の頃に加賀国江沼郡二ツ梨村に堂を再建。
慶長5年(1600)第十一代祐念は大聖寺城陥落の際に戦死し、
二ツ梨村の堂も焼失した。
第十二代祐慶上人は越前に戻り、
元和3年(1617)に柿原郷清王村に照厳寺を再建。
第十六代覚純上人が明和2年(1765)に現在の場所に移した。
本願寺及び照厳寺が従っていた超勝寺の分裂に際しては大谷派に帰参した。
【山門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/fe/eecf5ca3fca80eb86aa2381ef6d259d4.jpg)
境内を横切り立派な山門に行ってから参拝開始。
【石段】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/76/a6b3b3c994b21cd15fd618d797ad9e1a.jpg)
【境内】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/b4/adf9d8fc49c66922737d261e26356c4d.jpg)
とにかく本堂のデカさが目立ちます。
【庫裏】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/73/3c8369a4b1dbf7634cefefc963644a3a.jpg)
【大玄関】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/87/0e51638beedf01c8ec4217b3a717b18d.jpg)
この大玄関も大変立派なもので、
お寺の格式の高さを感じざるを得ない。
【本堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/fe/966f8565f339be482473a8895e6afac3.jpg)
これこれ、この本堂の威容は本当に凄い。
これほどの本堂を建立出来るとは、
さすが真宗王国だけありますね。
【蓮如聖人】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/9c/54cc9a7f7b274dec4946d9ec2c1695e8.jpg)
【本堂内陣・御本尊】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/3d/e5482449d50b0d0a7948737bbf33d634.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/65/f466191995635ac1fd263a4d7436e7da.jpg)
本堂内陣には入れませんでしたが、
外から内陣を見る事が出来て良かった。
いかにも真宗系の内陣と御本尊様でした。
【鐘楼堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/96/14167ed3d18ccbb3ba2ae6a5dc7591df.jpg)
これにて照厳寺の参拝終了。
やっぱり本堂はデカかった。
御朱印は授与されていません。