落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

9月、横浜の丘で

2023年10月04日 | book

『それは丘の上から始まった』後藤周著/編集:加藤直樹

関東大震災直後の朝鮮人虐殺事件に所縁の場所をまわるフィールドワークに初めて参加したのは6年前だ。
横浜でのフィールドワークが終わった後、悲惨な虐殺事件が多発したという平楽の丘をみたくて主催の研究者グループのひとりに地図を確認したところ、連れていってくださるという。暗くなりかけた狸坂を上って、活動家の山口正憲がおよそ3万人もの避難民に演説をしたという辺りや、朝鮮人が暴行されている現場が目撃された植木会社の辺りを案内していただいた。

どこで何が起こっていたか、半日かけて現場を歩きまわるうち、二度とこんな過ちを繰り返さないためにほんとうに大事なことが何か、明瞭にわかってきたような気がした。

震災当時に殺害された朝鮮人はおよそ6,000人以上に及ぶという数字がある。公的かつ包括的な調査が行われていないため、正確なところは誰にもわからない。
殺され方はもういちいち酸鼻を極めるというか何というか、まあいうたら無茶苦茶なわけです。細かいことは各々なんか資料とか読んでください。今年発生からちょうど100年で本がいっぱいでてますし。

その話を聞きにくる人、フィールドワークや勉強会にくる人の動機はそれぞれだと思うんだけど、私は在日コリアンでどっちかといえば被害者側の立場でもあり、日本人参加者の心情に対してどうしても穿った見方をしてしまう。

歴史を繰り返さないために、事実をよく知って周りにも伝えていかなきゃいけない。
こんな負の歴史を学ぼうとしてる私は、ネトウヨなんかとは一段違う人間だ。
どんだけ惨たらしいことが起きたのかを詳しく知りたいという好奇心が辛抱堪らん。

性格悪くてごめんなさい。

でもね。虐殺の現実がホントに信じられないぐらい無残過ぎて、ホラーというかスプラッターとかそういう変態的に暴力的なコンテンツを愛好する人々に「消費」されてるんじゃないかという気がしてしょうがないんですよ。
感じ方は人それぞれだから、そういう「消費者」がいてもいなくてもどっちにしろ私個人にはどうしようもないんだけど。
それに、悲惨な事故や事件をコンテンツとして消費するのはいまに始まったことでもないし、ターゲットも朝鮮人虐殺だけに限らない。

とすれば、事件の暴力性をひろく伝えていくだけじゃダメだと思うわけです。

震災当時、大勢の日本人がデマに惑わされて凶器を手にしたけど、中には「そんなことがあるわけない」と朝鮮人たちを匿ったり、助けたりして必死にまもってくれた日本人もたくさんいた。
彼らがなぜそうしたのか。どんな人たちだったのか。そして何ができたのか。それをこそしっかり伝える必要があると思ったのだ。

なぜなら、災害時に必ず氾濫するデマに流されることなく、冷静に対処できる精神を広めていくには、実際にそう行動できた人たちの存在を知ることの方がずっと有効だと思う。
殺された人たちの無念に思いを馳せることもたいせつだけど、祖先たちが犯した罪にただ項垂れるだけでは、正しい未来を手繰り寄せることなんかできない。

この話をすると、ジャーナリストの加藤直樹さんは「そんなことで日本人が犯した罪は相殺されない」と答えてくれたけど、勿論その通りなんだけど、事件の酷たらしさを知ることも重要なんだけど、それと同じぐらい、非常時にこそマイノリティの立場に立ってものを考え動ける人を育成するには、ロールモデルがどうしても必要だと私は思う。

この本は横浜のフィールドワークでスピーカーをつとめてくださった後藤周先生が書いて、加藤直樹さんが編集して、今年9月に刊行された。
お世話になった6年前にも「本を出してください」とお願いしていた、待望の著書。やっと手にすることができて、感無量です。

読んで感動したのは、いわゆるロールモデルとなる大川常吉氏の「都市伝説」を詳しく調べた章があったことです。
大川氏は震災当時、いまの横浜市鶴見区にあった鶴見警察署の署長だった人だ。デマによって迫害される朝鮮人400人以上を署内に匿い、怪我人の手当てを手配した。
暴徒と化した群衆が署をとりかこみ「朝鮮人を出せ」と口々に叫ぶのを宥めたとき、大川さんが「朝鮮人を殺す前にこの大川を殺せと啖呵をきった」「朝鮮人が毒を投げこんだという井戸の水をもってこさせて一気飲みしてみせた」とかなんとかいういかにもドラマチックな美談がまことしやかに伝えられている。

後藤さんはこの美談の背景を詳しく調べ、当時の鶴見になぜ朝鮮人がたくさんいたのか、彼らはどうして鶴見署に匿われることになったのか、彼らの命をまもるために大川さんが何をしたのか、保護された朝鮮人たちがその後どうなったかを、記録をもとにひもといている。すごく客観的に。
すると大川さんはとくにとりたてて「正義のヒーロー」ではなかったことがわかってくる。
彼はただ警察官として、暴力をやめさせ、人の命をまもるという当たり前の職務をまっとうしようとしただけであって、逆に、他の警察ではこんな当たり前のことができていなかったという事実が見えてくる。

「当時、日本人が韓国朝鮮の方にあまりにひどいことをしたため、当たり前のことが美談になってしまった。だから私が日本人としてみなさんに申し上げる言葉は、これしかない。『ミアナムニダ』(ごめんなさい)」
先年、大川さんの事を知った病院長の招きでソウルを訪れた孫の大川豊さんは、集まった人々にそう告げた(ソース)。

確かに大川さんは立派な人だった。
ただ、非常時において平静を失わず、己のなすべきことに忠実でいることこそ、国家権力の当然の義務だ。
それが、あのときはほとんどできなかった。
けど、大川さんにはできた。
そういうことです。

この本にはどこでどんなことが起こっていたか/起こっていなかったのか、そこにはどんな背景があったのか、以後どんな経緯をたどったのかを、すべて記録にもとづいて丁寧に綴っている。憶測は一言も挟まれていない。無茶苦茶リアルです。
あまり話題にされない中国人虐殺についても、市民活動家たちの活躍についても、記録とともにまとめてあります。

6年間待ち焦がれた後藤さんの本、ひとりでも多くの人に読んでほしいです。
これはもう、ホントにすごくいい本です。
読めばとりあえず「朝鮮人虐殺の規模」がどれほどのものだったか、肌感はわかると思います。

関連記事:
『羊の怒る時 ――関東大震災の三日間』 江馬修著
『福田村事件』
『関東大震災』 吉村昭著
『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』 加藤直樹著
『虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか』 森 達也著
加藤直樹さんと一緒に、埼玉から関東大震災・朝鮮人虐殺を考える(フィールドワーク)
著者・後藤周さんといっしょに関東大震災時の朝鮮人虐殺地をまわったフィールドワーク

外部リンク:
9月、東京の路上で

「つまずきの石」
関東大震災直後に日本全国で起きた朝鮮人虐殺事件の発生地をまとめたGoogleマップ


羊たちの暴走

2023年09月03日 | book

『羊の怒る時 ――関東大震災の三日間』 江馬修著

関東大震災当時、東京・代々木に在住していた作家・江馬修が体験した被災の日々に起きた朝鮮人に関する流言蜚語と目撃談を記録した「小説」。作家本人は小説としているが、中身は地震発生後の数日間を時系列で描いたノンフィクション。

関東大震災の際の朝鮮人虐殺を書いたノンフィクションは何冊か読んだし、フィールドワークにも参加してきた。どんな流言蜚語が拡散してどこでどれだけの人が殺されたとか、軍が混乱に乗じて朝鮮人や中国人や活動家を殺戮したといった断片的な「情報」には触れてきた。
でもずっと、重要なピースが足りない気がしてきた。
一次資料だ。

犠牲者の数は当時の調査で6,000人以上とされている。
避難中や収容された警察署の中での集団リンチだったり、収容所から引きずり出されて処刑されたり、朝鮮人たちが殺害された状況は千差万別だが、そこには必ず加害者と目撃者がいたはずだ。それもたくさん。
その目撃者の声が聞きたかった。
横浜では震災後に子どもたちが書いた作文が残されている(関連記事)。東京でも約1,000点の作文が新たに見つかり、そこにも朝鮮人が殺害される現場を見たという体験が書き残されている。
それはそれとして、民衆が集団ではたらく暴力になす術もない子どもではなく、大人の視点から書かれた真実が読みたかった。

震災前から高く評価され、社会的弱者に注目する作風から人道主義作家とよばれていた江馬修のことはつい最近知った。それもそのはず、この『羊の怒る時』は1925年の発表当時ろくに顧みられず、1989年の復刻を経て、震災から100年になる今年文庫化された。
100年といっても事件の全容が明らかにされないままの通過点でしかないけど、各地で講演会や慰霊祭など事件を回顧する催しがあったり、本書のような関連書籍が何冊も発刊されたり、それはそれで事実に少しでも近づくきっかけになればいいと思う。
その中で本書に出会えたことは、個人的に嬉しかった。

江馬さんが住んでいた代々木でも家屋の倒壊などの被害はあったが、火災はなかったらしい。だが神宮の森の向こうの猛火が夜空を照らす明かりで、この地震が只事ではないことを知る一方、通信網も流通網も途絶え、確実な情報は何も伝わってこない。
これからどうなるのかも、東京市内で暮らす家族や友人たちの安否もいっさいわからないという不安の中で右往左往する江馬さんが見聞きしたことが、まあびっくりするぐらい事細かに書かれている。読んでて映像がくっきり浮かんでくるぐらい細かいです。なので、だんだん著者が自分の知ってる人みたいに感じられてくる。だから江馬さん。

江馬さんが最初に流言蜚語に接したのは、2日の午後3時ごろと書かれている。情報源は隣家の軍人で、「何でもこの混雑に乗じて朝鮮人があちこちへ放火して歩いていると言うぜ」という噂話だった。軍人は続けて「日頃日本の国家に対して怨恨を含んでいるきゃつらにとっては、言わば絶好の機会というものだろうからね」という。
映画『福田村事件』でもいつもいじめられている朝鮮人が仕返しをしてくるだろうという表現があったが、冷静に考えれば、食べるものも着るものも眠る場所さえない未曾有の災厄の最中に、日本人と同じように被災している外国人に犯罪を目論む余裕があるとなぜいえるのか、簡単に想像がつくはずだと思う。『羊〜』には朝鮮人が避難者に化けて悪事をはたらいているとふれまわる人物も登場するけど、朝鮮人も被災すれば避難するのに、化けるも何もない。控えめにいってちょっと頭おかしいです。

そもそも井戸に投げこむという毒や爆弾を朝鮮人がどうやって入手するというのか。集団で人々を襲うとか強姦するとか、それは朝鮮人ではなく、日本人が朝鮮でしてきたことに違いなく、となると流言蜚語の出所は「自分たちがしてきたことをそのままやり返される」という、罪悪感がそのまま警戒心に変換された単純な被害妄想ではないだろうか。

江馬さんはその直後に軍人の息子から、新宿で朝鮮人が追い回されていたという目撃談を耳にする。「朝鮮人を見たら片っぱしから殺しても差し支えないという布令が出た」と発言する者までいる。
海軍省船橋送信所が朝鮮人を取り締まるよう各地の地方長官に向けて打電したのは3日午前8時だ。ということは、それ以前に流言飛語はすでに広範囲に流布していて、ほぼ同時に虐殺が始まっていたことになる。

江馬さんは1日から3日の間に被災地を歩きまわる道中、あらゆる場所で見聞きする朝鮮人に対する流言蜚語と自警団の検問に閉口するが、朝鮮人の犯罪の現場をその目で見たという人には一度も会っていない。
当然だ。そんな朝鮮人はいなかったのだ。それは、朝鮮人を虐げてきた日本人の心の中にいた悪魔だった。その悪魔が、罪もない朝鮮人を殺したのだ。

江馬さんは本郷の壱岐坂付近で、10人ほどの群衆が若い朝鮮人留学生たちを取り囲んで暴行しているところに遭遇し、どうにかして助けてやりたいと思いながらも、何もできずにその場を立ち去る。
内心で自分を「卑怯者」と罵りながら。

私が読みたかったのは、この一節だったのだと思う。
いくら非常時とはいえ、日本人の全員が流言蜚語を何の疑いもなく鵜呑みにし、朝鮮人なら誰でも捕まえて殺してしまえばいいと思いこんでいたわけではないはずだと思う。
だけど、集団の狂乱に正面きって異を唱え暴力に抵抗するほど人は強くない。そして、すでに起こってしまったこと、犯してしまった過ち、主張できなかった正義を省みることは簡単なことではない。
江馬さんは自らそれを素直に「卑怯者」と書いた。
そのささやかな良心に触れることができただけで、この本を読んでよかったと思った。

江馬さんは浅草区長だった兄に同行して悲惨な被災地を見て回るんだけど、その間の兄と区役所職員たち周囲の人々との会話が無茶苦茶強烈です。
浅草区は現在の台東区の東部にあたり、地震後の火災で実に96%が焼失、死者行方不明者は約3,600人にも及んだ。なかでも、堀で囲まれた敷地に3階建の遊郭がひしめくように密集していた吉原では500人以上が亡くなっていて、火から逃れようと大勢が弁天池に飛びこんでそのまま焼死してしまった。
そうした犠牲者の遺体を収容する厳しい作業を、彼らは笑い話にしていた。
惨状があまりにも酷すぎて笑うしかないのだろうか。彼らの表現が具体的(かつ江馬さんの記憶力が驚異的)なせいで情景がありありと想像できてしまうのだが、もし自分がその場にいてそれを笑えるかと問われるとちょっとそこは想像が追いつかない。
東日本大震災のときの遺体捜索に従事していた方々の体験談と似てはいるけど、東北の皆さんは決して笑ってはいなかったし。

全体にわたって描写がとにかく細かくてすごくリアルです。
震災の被害を大局からまとめた吉村昭の『関東大震災』と、ミクロで記録したこの本は、いい対になると思います。
題材が題材だから重くて読みづらかったらどうしようと思ったけど、杞憂でした。読んでよかったです。

関連記事:
『福田村事件』
『関東大震災』 吉村昭著
『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』 加藤直樹著
『虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか』 森 達也著
加藤直樹さんと一緒に、埼玉から関東大震災・朝鮮人虐殺を考える(フィールドワーク)
関東大震災時の朝鮮人虐殺地のフィールドワーク

外部リンク:
9月、東京の路上で


殺してもいいとき

2023年01月20日 | book

『虐殺のスイッチ 一人すら殺せない人が、なぜ多くの人を殺せるのか』 森 達也著

読んでてずっと、脳内に繰り返し再生されてた映像がある。
『蟻の兵隊』というドキュメンタリー映画で、日中戦争で大陸に派遣された旧日本軍兵士の奥村和一氏が、自らも上官の命令で中国の民間人を殺害した体験を語るくだりがある。奥村氏はかつての戦友を訪ね、自分も戦友もそうした罪を犯したことを話そうとする。彼は中国共産党軍の捕虜となった矯正教育の過程で、その罪を告白して文章に書いたものを中国まで探しにいって見つけた。その文章に戦友がどんな体験を書いたか奥村氏が問い直すと、彼は事実をまったく覚えていないという。
奥村氏が60年以上の間、良心の呵責に苛まれ続けたのと同じように残虐な行為を、戦友は完全に記憶の中から消し去っていた。画面に映っていた彼の表情からは、自分で文章にして中国共産党軍に提出したことが、ほんとうにその脳裏に微塵も残っていないことがありありと見てとれた。

撮影当時80歳代だから、年齢的に仕方がないことなのかもしれない。だが誰もがその戦友のように、戦闘行為や軍の戦争犯罪に加担させられた過去を綺麗に忘れられるわけではない。だからこそ戦争のたびに多くの兵士が、肉体のみならず精神をも蝕まれ、苦しみ、人によっては命を落としたり、生きていても健全な社会生活が送れなくなってしまうという悲劇が世界中で起きているのだろう。
とはいえ、その戦友のように、戦時中の体験から自分を切り離して生きていけるのも、ある意味では人間の強さなのかもしれない。

本書では、関東大震災直後の朝鮮人虐殺やホロコースト、クメール・ルージュの大量虐殺やルワンダでのツチ族虐殺、地下鉄サリン事件など過去に起きた大量殺人事件を例に挙げ、ごく普通の善良な市民が残虐行為に及ぶメカニズムをごくパーソナルな視点で解き明かしている。
ノンフィクションなので過去のデータや学術的なエビデンスも引用してあるが、そういった資料的な話はむしろ大雑把な背景情報として、著者自身が何をどう読みとりどこへ考えつくのかというラインに重きを置いてある本だ。
なので扱っている題材はウルトラスーパーヘビー級なのに、読み物としてはすごく読みやすい。これだったら中学生が読んでも問題ないと思う。いやほんとに。

ホロコーストの最高責任者のひとりとして、戦後イスラエル政府の裁判で死刑を宣告されたアドルフ・アイヒマンも登場する。
世界的な注目を集めた彼の裁判で、オーディエンスは歴史的大量殺人の主犯のあまりの凡庸さに言葉を失う。何を訊かれても「命令されたから」と繰り返すばかりの気弱そうな男。その裁判を経て、アメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムは「人は命令されれば残虐行為ができるのか」を検証する実験をして、仮説を見事に証明してしまう。この実験は(ハンナ・アーレントと同じように)世間から猛烈な批判を買ったが、ミルグラムは最後まで自説を曲げようとしなかった。

アーレントやミルグラムが証明したように、おそらく人は、ある条件が揃いさえすれば、大量虐殺に加担してしまう生き物なのだろうと私も思う。
それゆえに、長い歴史の中で人は戦争を延々と繰り返し続けている。人を殺さなくても問題を解決する方法はあるのに、「殺してもいい」というコンセンサスが生まれてしまったら人はあっさりと己の意志を手放し、無自覚な殺人マシーンと化してしまう。人間はそれだけ弱く、愚かなのだ。そしてことが終われば、都合の悪いことに蓋をしたり、物置のようなところに隠したりしまいこんだりして目を瞑り、他人事にしてしまう。

それはそういうものだと片付けることを、私は受け入れることはできない。
せめて、自分がそんな不完全な存在なのだという自覚をもって、誰が何をいっていても、自分自身の頭で、心で、とるべき道を決められる人でいたい。
人の知性は、そのためにこそ与えられたものだと信じているから。
できることなら、人間はわずかなりでも歴史に学び、進歩できるはずだと思いたいから。

 

関連記事:
ルワンダ関連
『ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実』 フィリップ・ゴーレイヴィッチ著
『ルワンダの涙』
『ホテル・ルワンダ』

ホロコースト関連
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所訪問記
『ペルシャン・レッスン 戦場の教室』
『手紙は憶えている』
『サウルの息子』
『否定と肯定』
『ハンナ・アーレント』
『戦場のピアニスト』
『愛を読むひと』
『敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生』

『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』

南京事件関連
南京大虐殺78カ年 2015年東京証言集会
『南京の真実』 ジョン・ラーベ著
『南京事件の日々―ミニー・ヴォートリンの日記』 ミニー・ヴォートリン著 
『ザ・レイプ・オブ・南京─第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』 アイリス・チャン著
『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』 巫召鴻著
『「南京事件」を調査せよ』 清水潔著
『ラーベの日記』
『南京!南京!』

関東大震災直後の朝鮮人虐殺関連
『関東大震災』 吉村昭著
『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』 加藤直樹著
加藤直樹さんと一緒に、埼玉から関東大震災・朝鮮人虐殺を考える(フィールドワーク)
関東大震災時の朝鮮人虐殺地のフィールドワーク

アルメニア人虐殺関連
『アルメニアの少女』 デーヴィッド・ケルディアン著
『アララトの聖母』
『月の獣』

森達也氏関連
『FAKE』
『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。』 森達也著
『放送禁止歌』 森達也著
『ご臨終メディア ─質問しないマスコミと一人で考えない日本人』 森達也/森巣博著
『言論統制列島 誰もいわなかった右翼と左翼』 森達也/鈴木邦男/斎藤貴男著

『さよなら、サイレントネイビー 地下鉄に乗った同級生』 伊東乾著


拷問史の楔

2022年01月30日 | book

『蚕の王』 安東能明著



かつて多くの冤罪事件を生んだ静岡県警。
中でも、事件を担当した刑事が自身の職を擲って被告人の無実を訴え、ことの顛末を手記として出版したことで知られる二俣事件を題材に、地元の作家が往時を知る人を訪ねて取材したノンフィクション小説。

昨年秋に連続した電車内での暴力事件埼玉県で起きた立てこもり事件など、大きな犯罪が報道されるたびどこからともなく湧いて出てくる「凶悪犯罪が増えている」論。
実際には、犯罪認知件数は2002年の369万件(法務省)をピークに2020年の統計では61万件(警察庁)まで減少している。専門家の見解としても「犯罪は増えていて凶悪化している」というのは誤解(グラフ多数)だとされている。
これはいま急にそうなったというのではなく、私自身が人権問題に関心をもって積極的に調べ始めたころ(2006年)からそうだったので、「変な犯罪者が増えてる」「物騒だ」「外国人が増えて治安が云々」などという根拠のない世論は、こういう思い込みが広まることでトクをする何者かがつくり出して意図的にバラ撒いている、いわゆる流言蜚語の類いといっていいと思う。
犯罪認知件数の推移は素人があれこれいうのは危険なので詳細はリンク先をみて判断してもらいたいのですが、あくまで私個人が強調しておきたいのは、もしあなたがどこかで不用意に「変な犯罪者が増えてる」「物騒だ」「外国人が増えて治安が云々」などと軽々しく口にすると恥をかくこともあり得ますよ、の一言に尽きる。仮にあなた自身が「変な犯罪者が増えてる」「物騒だ」「外国人が増えて治安が云々」という考えをもってるとしたら、ちゃんと所管の省庁や専門家のデータ分析を見てほしい。

私がここまでいうのには理由がある。
私は1995年に発生した某テロ事件の捜査対象者になったことがあるからだ。
根拠は、私が在日コリアンで首都圏で一人暮らしをしていた、たったこの2点だけ。
当時、警察は現場から逃走した複数人の実行犯を血眼で捜索していた。彼らは単独では潜伏できないから協力者がいると踏んで、一人暮らしで犯罪者予備軍と目される人物をローラー作戦で調べていたという。この「犯罪者予備軍」に、在日コリアンが含まれている。いた、ではない。現在もおそらくそうなっている。
日本の警察とはそういう組織です。
ネットで検索すれば、在日コリアンだけでなく日本で暮らしている外国人の多くが、警察や入管のせいでどれだけひどい人権侵害に遭っているか、ちょっとした体験談なら簡単に見つかる。一度是非やってみてくださいませ。

私が捜査対象者になっている事実が判明したのは、事件発生の翌年の春、所轄の捜査員から妙な電話がかかってきたことがきっかけだった。詳細は省くが、そのときの先方の発言内容がかなり不自然だったので大元の省庁に問い合わせたところ、あっさり「これこれこういう事情でご迷惑をおかけして申し訳ない」とゲロってくれた。
当の捜査員は電話より前から私の行動を監視していたと考えることもできる。そのころ、連日夜遅くまで働き、日によっては職場で徹夜までしていた私の在宅中にキッチリ電話がかかってきたことからも(携帯電話はまだ一部にしか普及していなかった)この手の推測は成り立つ。だいたい所轄の刑事がなんでウチの電話番号知ってんの?その情報どっからパクったの?ゾッとする。
まあ先方は「ごめんなさい」で済むけどこっちはそうは問屋が卸さない。当事者として、ひとりでも多くの人に知ってもらうべきだと考えている。日本の警察は、勝手な「予断」で誰でも彼でも犯罪者扱いすることがありますよと。

そうでもしなきゃ犯罪捜査なんかできないでしょと、みんなはいうだろう。
確かに一理あるかもしれない。だがそれは、当事者になったことがないからこそ安全なところから何の責任も伴わずに発言できる、何ら中身のない妄言に過ぎない。
Wikipediaで「日本の冤罪事件」で検索すればまとめページが閲覧できます。そんなのどうせ科学捜査が発達する前の昔の話では?と思う人もいるかもしれないが、平成になってからも冤罪事件は続いている。中には冤罪の疑いが濃厚と目されていながら死刑が執行されてしまった例もある(知りたかったら検索してね)。

冤罪の多くはこの「予断」からスタートする。それを日本の警察の自白至上主義が補強している。
先進国の警察では捜査の可視化が1970年代に始まり、現在では警察官の装備にカメラが取り付けられ、彼らがどこでどう捜査にあたっているかが100%映像と音声で記録される。また、現場での捜査中の取り調べは禁止されていて、よしんば取り調べをしても裁判で証拠として認められることはない。逮捕もしくは任意同行での署内での取り調べが原則で、もちろんこれもすべて映像と音声で記録され、編集されることなく裁判に証拠として提出される。だから陪審員は捜査中の警察の様子や被告人の態度を自分の目で見て判断することができる。
この制度は日本でも3年前(!!)にやっと導入されたが、それでも他国と比較してまるまる半世紀ほども遅れをとっている。
かつ、多くの先進国では逮捕後24時間、最大で72時間で起訴できなければ、それ以上容疑者を勾留することはできない。だが日本では最大20日勾留できる(追加の容疑でもっと勾留日数を延ばすことも可能)。いくら可視化が進んだところで、これほど長期間にわたって未決の被疑者を劣悪な環境に閉じ込め、やったかどうかもわからない犯罪について問い詰め続けるなど、拷問以外の何物でもない。
ちな拷問は拷問等禁止条約で世界的に禁止されており、日本は1999年に加入している。

二俣事件は、静岡県二俣町(現在の浜松市)の住宅で一家4人が殺害された事件だが、警察は近隣に住む未成年の少年を容疑者として逮捕し、連日拷問を加えて無理矢理自白させた。
ところが事件を担当していた山崎平八刑事は逮捕そのものを疑問視し、捜査本部幹部が証拠を捏造していることや有力容疑者の家族から賄賂を受けとっていることから冤罪の危険性を察知、不正捜査の実態をマスコミに暴露し、裁判でも弁護側の証人として出廷している。この行動のせいで山崎さんは警察の職を追われ運転免許まで取り上げられ、その後も家族ぐるみであらゆる嫌がらせに遭うなど、とても「正義の人」と目された人とはいえないほど苦労されたという。
山崎さんは後年、事件の顛末を書いた「現場刑事の告発 二俣事件の真相」という手記を自費出版していて、以前からこれがとても読みたかったのだが何せ自費出版なので事実上すでに入手は不可能である。無罪確定直後に弁護人のひとりである清瀬一郎氏と共著で出版した「拷問捜査―幸浦・二俣の怪事件」は古書市場でプレミアがついていて、気楽に買えるような価格ではない。
その二俣事件を、昨年秋、二俣出身で地域の事情をよく知る作家が小説にして出してくれたので読んでみた。

本書は二俣事件だけでなく、戦時中に起きた浜松連続殺人事件にもかなりの紙数を割いている。両者には、多くの冤罪事件を生み出したことで有名な紅林麻雄刑事が捜査を主導していたという共通点がある。そしてもうひとつ、初動で重要な容疑者を目の前に、十分な捜査をすることなく捕り逃していた点も共通している。
紅林刑事は過去に凶悪犯罪を何度も解決に導き無数の表彰歴を誇ってきたが、裁判で次々と無罪判決が出たことで警察内部での地位を失い、最終的には自ら辞職、まもなく病死している。それでも、彼や彼の捜査方法を是として追従する捜査員の拷問によって、未決収容中に亡くなった人までいることを考えれば、紅林刑事の強引な捜査を野放しにした警察組織の責任はもっと追求されて然るべきなのではないかと思う。

浜松連続殺人事件のパートでは、紅林刑事が初動で重大なミスを犯したことで、その後の被害を未然に防ぐことすらできなかったという致命的な大失態が生じたにもかかわらず、そのミスがきちんと検証されないまま見過ごされた警察組織の穴が克明に描かれている。紅林刑事は名刑事などではなく、客観的なプロファイリング能力が著しく欠けていた。その点を、著者は彼の過去のキャリアから紐解いている。
あるいはこのとき、紅林刑事がやらかしたことがもっと重要視されていたら、その後に続く冤罪事件も防ぐことができたはずだ。冤罪事件は無辜の人を犯罪者と決めつけて有形無形の暴力に晒すという人権侵害だけでなく、本物の真犯人を放置し社会の安全を脅かすという、より広範な罪を伴う。
それが誰が見ても呆れるほど低レベルな失敗に端を発していることが、綺麗に整理されて記されている。

これは紅林刑事個人や、その時代の静岡県警だけの問題ではない。
そもそも警察の役割のトッププライオリティはあくまで「社会の秩序と安全を守ること」であって、「犯罪者を逮捕、送検する」のは単純にその目的のための手段のひとつに過ぎない。
私個人の目から見ると、このふたつの職務の関係性は日本だけでなくどこの社会でもあまり重視されていないように感じる。
無辜の人を犯罪者と決めつけて真犯人を捕り逃すなどということは、「社会の秩序と安全を守ること」という最重要任務のまったく逆で、断じて許されていいはずのない国家の犯罪にあたる。
日本のメディアは容疑者が逮捕された時点であたかも事件が解決したかのように、真犯人と決まったわけでもない容疑者のプライバシーまで蹂躙して騒ぎ立てるが、これも立派な「名誉毀損」という罪になる。容疑者が起訴されようが不起訴になろうが、彼らは反省したり謝罪したりなんかしない。警察の発表を素直に報道しただけで、自分たちには何の落ち度もないとしてけろっとしている。多くの視聴者も同様なのだろう。

でも、一度考えてみてほしい。
社会に冤罪がある限り、それは明日にでもあなた自身に降りかかって来るかもしれない。
身に覚えのない容疑で警察に連れていかれ、劣悪な環境に閉じ込められ、何日も家族にも友だちにも会うこともできず、隣近所や職場ではありもしない噂をたてられ、場合によっては仕事も家庭も失うことさえある。
それは誰の身にも起こり得ることなのだ。
避けようのないことだ。残念なことに。

二俣事件の容疑者となった少年は事件当時18歳。裁判で最終的に無罪を勝ち取るまで、7年もの歳月を要した。
10代後半から20代前半の青春真っ盛りの年代を、彼は「罪人」として生きることを強いられた。彼の家族もまた、犯罪者の家族として社会から孤立させられた。
真犯人は未だに見つかっていない。
こんなことは、これだけ科学技術が発達したいま、決して繰り返されるべきではない。
それは警察だけでなく、われわれ自身の問題でもあると、私は思っている。

しかしこの本の最後の最後の伏線の回収は凄いね。
主要登場人物のほとんどが仮名で書かれたノンフィクション「小説」だけど、後書きで著者本人が「(特定の箇所を除いて)すべて事実に即している」と書いているのがその通りだとするなら、この作品そのものが、著者・安東能明氏の手で「書かれるべくして書かれた」ものだということになる。
そんなこと、あるんだね。
事実は、小説より奇なり。


関連リンク
取調べの可視化(日本弁護士連合会)
えん罪は、 元から絶たなきゃダメ (日本弁護士連合会)

関連記事:
「院内集会:なぜ日本の刑事司法は国際社会から孤立しているのか ~ 取調べの可視化から代用監獄まで ~」
「海外の捜査官に聞く~取調べの可視化の意義~」院内集会
『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』  清水潔著
『冤罪 ある日、私は犯人にされた』 菅家利和著
『美談の男  冤罪 袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』 尾形誠規著
『それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』 周防正行著
『お父さんはやってない』 矢田部孝司+あつ子著
『冤罪弁護士』 今村核著
『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』 守大助/阿部泰雄著
『東電OL殺人事件』 佐野眞一著
『アラバマ物語』 ハーパー・リー著
『小説帝銀事件』 松本清張著
『日本の黒い夏 冤罪』
『それでもボクはやってない』
『デビルズ・ノット』


メビウスの輪の世界

2022年01月11日 | book

『魂を撮ろう ユージン・スミスとアイリーンの水俣』 石井妙子著



現在も活動家として活躍するアイリーン・美緒子・スミスと、フォト・ジャーナリストのカリスマ、ユージン・スミスの詳細な生い立ちから来歴、そして熊本県水俣市の歴史と水俣病の永く終わりのないたたかいを、『女帝 小池百合子』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した石井妙子が壮大な歴史絵巻として描いたノンフィクション。ユージンとアイリーンが戦後最悪の公害事件を世界に告発した写真集「MINAMATA」を原案とする映画『MINAMATA』の日本公開直前という絶好のタイミングで刊行された。
以前から石牟礼道子の『苦海浄土』を読もう読もうと思いつつ手にとる機会がなかったけど、こちらはある理由で「よし読もう」と気軽にめくってみた。

理由というのは、さる事情で私自身とアイリーンさん(と呼ばせてください)に一面識があるからです。
詳細は省くが、公的にも個人的にもお話ししたり連絡をとったりする機会がごくたまにあるという程度の間柄です。
アイリーンさんは、いつお会いしても清々しくて瞳がキラキラ輝いていて、感受性豊かで溌剌として元気いっぱいで、そしてとても綺麗な人だ。
一部の若い女性たちからは「いつかアイリーンさんみたいになりたい」と憧れられる、どこか雲の上の人のように神々しい人でもある。
私個人は、「アイリーンさんみたいになりたいか」と問われても、ごめんマジ無理。アイリーンさんのことはとっても好きだけど畏れ多過ぎてちょっと現実的にしんどいです。としかいえない。
そんな感じ。

そもそも私には、水俣病については小学校〜中学校の授業で習った程度の知識しかなかった。
『MINAMATA』のレビューでも書いたが、高度経済成長期に生まれた私の出身地は別の有名公害事件の発生地のひとつで、同級生たちの多くが、内海に面した沿岸地帯にびっしりとひしめき合って建ち並ぶ大企業の工場で働く人たちの子どもだった。
教科書に載っている歴史的事実を、その当事者ともいえる子どもたちに教えていた先生たちはどんな気持ちだっただろう。
まあフツー、根掘り葉掘り詳細を教えるのは気まずかったよねきっと。そこに書いてあるから読んでねテストに出るからねー。ぐらいのテンションでしか語れなかったんじゃないかと思う。

本書には、水俣という土地の歴史から紐解き、誰がいつ、どうしてチッソの工場を水俣に建てたのか、そこでどんなものが生産され、チッソの成功がどれだけ日本経済を潤したか、その副産物としてどんな有害物質が水俣湾に垂れ流され、誰がどんな病に罹ってどれほど苦しみ、どんな死に方をしたのか、のみならず患者の家族が誰からどんなに苛酷な仕打ちをうけていたか、患者や遺族らがチッソと国を相手にどうたたかったか、といった非常に長期間にわたりかつ異様にこみいった複雑なディテールが、見事に整理され誰にでもわかりやすく親しみやすい文体で綴られている。これだけぴったりとまとめるだけの稀有な筆力には畏れ入るしかない。天晴れです。
主要登場人物はユージン・スミスとアイリーンさんなのだが、それ以外にも多数の患者、その家族、活動家たち、チッソの現場責任者から経営陣、医師・研究者、行政などの水俣病をめぐる大勢の関係者たちがページに現れては消えていく。その一人ひとりについても、最低限の表現なのに、まるで読者の目の前に本人が立ち現れるような絶妙な匙加減のリアリティで描写されてます。
にも関わらず本全体としては全然重くなくて、さらっと読み通せてしまう。読み終わってつい、「こんなさらっと読めてしまっていいのだろうか」と不安になったくらい。

でも一呼吸おいて振り返れば、本書のいちばん大事なところは、ユージン・スミスやアイリーンさんや水俣病の患者たちやチッソという企業の在り方など、文字で直接的に描かれていることではないことに、はたと思い当たる。

明治維新を経ていきなり近代国家になった日本は、急激な変革の裏でありとあらゆるものを犠牲にしてきた。ただ国が豊かに、強く大きくなれば万事それでよくて、その大義名分のもとで流される汗も血も涙も、一顧だにされることがなかった。そうして日本は軍事国家として肥大化し周辺国を侵略し、その対価として国内外で2000万人以上が命を落とした。

戦争が終わったとき、もし、日本という国がそれまで犯してきた数々の過ちを、間違いを、自らきちんと総括し教訓として活かすことができていれば、戦後まもなく始まった経済発展によって引き起こされた公害の多くは、あるいは避けられたかもしれない。
歴史にたらればはない。かつ、歴史は簡単にあるべき道を踏み外す。
第二次世界大戦直後から始まった東西冷戦のために日本はさまざまな戦争責任を免れ、冷戦の代理戦争として同じ民族同士が血で血を洗った朝鮮戦争の恩恵で、飛躍的な復興を果たした。日本人の輝かしいばかりの不屈の精神の賜物の下で、すぐ隣国の人々がどれほど残虐な暴力の嵐にさらされていたか、当時の日本人は知っていたのだろうか。いまとなってはもうほとんど誰も知らないのではないだろうか。

だからこそ、日本経済は、戦中戦前から明治初期にまで遡る公害という負の歴史を、無反省に繰り返したのだ。
その犯罪行為はいまだに終わらない。そればかりか東京電力福島第一原発事故という史上最悪レベルの公害事件まで起こしてしまった。「起きてしまった」のではない。国も東京電力も、この国に暮らす人たちの健康と安全をまもるために払うべき当然の義務を怠っていた。その必然として多くの人々が故郷を追われ、一生拭うことのできない苦悩を負わされた。亡くなった人も大勢いるが、もちろん国も東電も因果関係なんか絶対に認めない。
ちなみに東日本大震災の死者行方不明者は福島県で1,993人(2021年3月10日現在・警視庁)。福島県の関連死はそれを超える2,329人(2021年9月30日現在・復興庁)。全国の関連死者数の6割以上が福島県の人だ。
いうまでもないが、福島の人は東京電力福島第一原発の電気をいっさい使っていないのに。

グローバル経済の発展は、同時に公害もグローバル化させた。富める国が貧困国の人々を平気で搾取し、環境を破壊し、彼らの命も暮らしも文化も蔑ろにしている。
その先にいるのは、グローバル経済でひたすら経済成長だけをまっしぐらに目指し続ける政府や、そのお溢れで巨万の利益を手にするエスタブリッシュメントだけではない。
ただただ便利な世の中を当たり前に生きている人─私を含めて─すべてが、世界中で複雑怪奇に張り巡らされた暴力的な経済のサイクルにつながっている。好むと好まざるとに関わらず、そのサイクルから誰も逃げることはできない。

であるならば、誰ひとり、水俣病を遠い過去の出来事として見過ごすことは許されないのではないだろうか。
少なくとも、世界はいままさに、破滅か存続かの分水嶺のど真ん中にはまりこんでいる。
これからどうしたいかという答えは、この世界に生きている人間一人ひとりの手の中にある。
この本は、過剰なまでに発達した近代社会が、いかにして人々と環境を蹂躙し続けたか、そしてそれらを償うことなく罪を重ね続けている、その責任の所在がどこにあるかを、読者一人ひとりの心に問うているのではないだろうか。

数年前にアイリーンさんと会ったとき、私はボランティアとして、全校児童108人中74人の命が奪われた石巻市大川小学校の津波被害のご遺族の活動にほんの少し関わっていた(過去記事アーカイブ)。
アイリーンさんはジョニー・デップとともに映画『MINAMATA』の準備中で、私は、水俣で起きたことと大川小で起きたことの原因はそっくりで、起きた後に国や企業がしたことも、地域社会で起きていることもよく似ているという話をした。
日本は、全然変わっていない。進歩なんかしていない。むしろ後退している。
それではいけない、ちゃんとまっすぐ前に進めるはずだと声を上げる人たちはいる。たくさんいる。その声に、もっと多くの人が真剣に耳を傾けてくれたらと、いつも願っている。




2020年12月6日放送「MINAMATA~ユージン・スミスの遺志~【テレメンタリー2020】」。
水俣病患者の中でも最もユージンの心をとらえた田中実子さんへの切実な思いを語る肉声を聞くことができる。必見。