『60万回のトライ』
授業料無償化からの排除、補助金の凍結、ヘイトスピーチなど日本国内の保守化に揺れる朝鮮学校。
韓国のジャーナリストが大阪府代表として日本一を目指す大阪朝鮮高級学校ラグビー部に3年間密着、怪我やアクシデントを乗り越えてラグビーへの情熱を燃やす子どもたちの姿を描く。
韓国全州国際映画祭でドキュメンタリー作品としてコンペ最高賞にあたるCGV配給支援賞を受賞。
アムネスティ・フィルム・フェスティバルでの鑑賞。劇場公開時から観てみたかったんだけど、やっと観れました。
噂に違わぬ傑作。超感動したよ。
いやースポ根・青春、テッパンだね。間違いない。めっちゃ泣けるよ。なんかわかんないけどずっと号泣です。
なんでだろうね?ただもうかわいいのよ。高校生が。ピュアで、まっすぐで、素直で、明るくて、健気。それだけで泣けちゃう。トシのせいでしょうか。
3年生が北朝鮮を旅する修学旅行の間に、監督が1~2年生相手に講義をする。「スポーツを通じて社会を変えるのが君たちの使命だ」と。
朝鮮高校は長い間、公式戦に出る資格をもたなかった。OBや教職員たちの粘り強いはたらきかけによって、90年代にやっと念願かなって出場資格を得た。協力したのは在日コリアン社会だけではない。日本の普通の学校の教職員や市民の力もあった。スポーツが社会を変えた。
大阪朝高ラグビー部は、そうして支えてきた多くの人々の心の拠りどころでもある。だから、彼らはあくまでもどこまでもフェアプレーを追求しなくてはならない。少しでも卑劣にみえたり、卑怯にみえたり、卑屈にみえるような挙動があってはならないのだ。おそらくは彼らを指導する教職員にも同じことがいえるだろう。どの学校の先生よりも先生らしさを要求される、過酷な職務だ。
大阪朝高だけではない。日本全国の民族学校に通う在日コリアンの子どもたち全員が同じプレッシャーと使命を背負っている。日本社会から在日コリアンがどう捉えられているか、それを抜きにして朝校生活を語ることは不可能だ。
いうまでもないが彼らはただの高校生。まだ十代の子ども、KーPOPやJーPOPをこよなく愛し、学園生活を謳歌し、チームメイトと勝利を夢見て厳しい練習に明け暮れる、そこらへんにいるのと同じごくふつうの子どもたちだ。
でも彼らには使命がある。日本のふつうの高校生のうち、どのくらいの子どもが「使命」を実際に背負っているだろう。どのくらいの子どもが、自分の「使命」を意識しているだろうか。
そのせいか、画面に出てくる朝高生に派手な外見の子はひとりもいない。以前観た『ウリハッキョ』もそうだったけど、ギャルやヤンキーどころか茶髪もいなければパーマやピアスの子もいないし、眉毛を整えた男の子や化粧をしている女の子すらいない。どの子も清潔感があって態度や言葉遣いも丁寧で、見た目には品行方正な優等生タイプばかり。それでも堅苦しいばかりではなく、ひょうきん者がいたりお調子者がいたり、純朴な子がいたり寡黙な子がいたり、一方で弁のたつ子や熱血漢もいて、それぞれに豊かな個性に溢れている。どの子も生き生きとして高校生らしく、普遍的な十代の若者らしさがほほえましく、それと同時に痛々しくもある。
映画を撮った監督が韓国の人なので、子どもたちは作中では基本的にウリマル(朝鮮語)で話している。朝鮮学校の多くは国語学校としてスタートしたルーツを持ち、校内ではウリマルで話すように指導しているため生徒は全員バイリンガルである。だが彼らの母語は日本語なので、ウリマルが得意な子もいれば苦手そうな子もいる。得意な子のウリマルも完璧ではない。在日コリアン独特の訛りがあるし、どうしても日本語まじりになってしまうことも多い。
国際交流試合で韓国から来た高校生選手に「こいつは本物のコリアンじゃない」といわれて傷ついていた子どもたち。「同じ民族なのに」と苦笑いを浮かべて嘆いていたけれど、日本でも韓国でもその存在を受け入れられない在日コリアンである以上、どこにいっても私たちは「本物の朝鮮人」にも「本物の韓国人」にも「本物の日本人」にもなれはしない。だからといってニセモノでもない。どこの誰であっても彼らは彼ら、むしろ「本物」ではない、誰でもない自分自身であることそのものに誇りを持てるようになってほしいと思う。
これから社会に出ればもっともっとしんどいことがたくさんたくさんある。だけどすべてを乗り越えられるだけの強い気持ちと自信をもって生きていってほしいと、心から願わずにはいられない。
彼らこそが誰にも住みやすいアジアを築く最大の鍵を握る、世にも稀なる存在なのだから。
上映後に監督の挨拶があり、「カメラがゆれゆれでごめんなさい」と謝っておられたが、編集のせいか見苦しく感じることもなく、全編快適に鑑賞することができた。
青春ドラマとしての完成度も高く、できるだけ多くの人に観てほしい、優秀な作品だと思う。
特に若い人に観てほしい。同世代の高校生なんかはどんな風に感じるんだろうね。聞いてみたい。
関連記事:
2013年3月1日「落ち着けよ」
『ウリハッキョ』
『朝鮮の歴史と日本』 信太一郎著
『裁判の中の在日コリアンー中高生の戦後史理解のために』 在日コリアン弁護士協会著
授業料無償化からの排除、補助金の凍結、ヘイトスピーチなど日本国内の保守化に揺れる朝鮮学校。
韓国のジャーナリストが大阪府代表として日本一を目指す大阪朝鮮高級学校ラグビー部に3年間密着、怪我やアクシデントを乗り越えてラグビーへの情熱を燃やす子どもたちの姿を描く。
韓国全州国際映画祭でドキュメンタリー作品としてコンペ最高賞にあたるCGV配給支援賞を受賞。
アムネスティ・フィルム・フェスティバルでの鑑賞。劇場公開時から観てみたかったんだけど、やっと観れました。
噂に違わぬ傑作。超感動したよ。
いやースポ根・青春、テッパンだね。間違いない。めっちゃ泣けるよ。なんかわかんないけどずっと号泣です。
なんでだろうね?ただもうかわいいのよ。高校生が。ピュアで、まっすぐで、素直で、明るくて、健気。それだけで泣けちゃう。トシのせいでしょうか。
3年生が北朝鮮を旅する修学旅行の間に、監督が1~2年生相手に講義をする。「スポーツを通じて社会を変えるのが君たちの使命だ」と。
朝鮮高校は長い間、公式戦に出る資格をもたなかった。OBや教職員たちの粘り強いはたらきかけによって、90年代にやっと念願かなって出場資格を得た。協力したのは在日コリアン社会だけではない。日本の普通の学校の教職員や市民の力もあった。スポーツが社会を変えた。
大阪朝高ラグビー部は、そうして支えてきた多くの人々の心の拠りどころでもある。だから、彼らはあくまでもどこまでもフェアプレーを追求しなくてはならない。少しでも卑劣にみえたり、卑怯にみえたり、卑屈にみえるような挙動があってはならないのだ。おそらくは彼らを指導する教職員にも同じことがいえるだろう。どの学校の先生よりも先生らしさを要求される、過酷な職務だ。
大阪朝高だけではない。日本全国の民族学校に通う在日コリアンの子どもたち全員が同じプレッシャーと使命を背負っている。日本社会から在日コリアンがどう捉えられているか、それを抜きにして朝校生活を語ることは不可能だ。
いうまでもないが彼らはただの高校生。まだ十代の子ども、KーPOPやJーPOPをこよなく愛し、学園生活を謳歌し、チームメイトと勝利を夢見て厳しい練習に明け暮れる、そこらへんにいるのと同じごくふつうの子どもたちだ。
でも彼らには使命がある。日本のふつうの高校生のうち、どのくらいの子どもが「使命」を実際に背負っているだろう。どのくらいの子どもが、自分の「使命」を意識しているだろうか。
そのせいか、画面に出てくる朝高生に派手な外見の子はひとりもいない。以前観た『ウリハッキョ』もそうだったけど、ギャルやヤンキーどころか茶髪もいなければパーマやピアスの子もいないし、眉毛を整えた男の子や化粧をしている女の子すらいない。どの子も清潔感があって態度や言葉遣いも丁寧で、見た目には品行方正な優等生タイプばかり。それでも堅苦しいばかりではなく、ひょうきん者がいたりお調子者がいたり、純朴な子がいたり寡黙な子がいたり、一方で弁のたつ子や熱血漢もいて、それぞれに豊かな個性に溢れている。どの子も生き生きとして高校生らしく、普遍的な十代の若者らしさがほほえましく、それと同時に痛々しくもある。
映画を撮った監督が韓国の人なので、子どもたちは作中では基本的にウリマル(朝鮮語)で話している。朝鮮学校の多くは国語学校としてスタートしたルーツを持ち、校内ではウリマルで話すように指導しているため生徒は全員バイリンガルである。だが彼らの母語は日本語なので、ウリマルが得意な子もいれば苦手そうな子もいる。得意な子のウリマルも完璧ではない。在日コリアン独特の訛りがあるし、どうしても日本語まじりになってしまうことも多い。
国際交流試合で韓国から来た高校生選手に「こいつは本物のコリアンじゃない」といわれて傷ついていた子どもたち。「同じ民族なのに」と苦笑いを浮かべて嘆いていたけれど、日本でも韓国でもその存在を受け入れられない在日コリアンである以上、どこにいっても私たちは「本物の朝鮮人」にも「本物の韓国人」にも「本物の日本人」にもなれはしない。だからといってニセモノでもない。どこの誰であっても彼らは彼ら、むしろ「本物」ではない、誰でもない自分自身であることそのものに誇りを持てるようになってほしいと思う。
これから社会に出ればもっともっとしんどいことがたくさんたくさんある。だけどすべてを乗り越えられるだけの強い気持ちと自信をもって生きていってほしいと、心から願わずにはいられない。
彼らこそが誰にも住みやすいアジアを築く最大の鍵を握る、世にも稀なる存在なのだから。
上映後に監督の挨拶があり、「カメラがゆれゆれでごめんなさい」と謝っておられたが、編集のせいか見苦しく感じることもなく、全編快適に鑑賞することができた。
青春ドラマとしての完成度も高く、できるだけ多くの人に観てほしい、優秀な作品だと思う。
特に若い人に観てほしい。同世代の高校生なんかはどんな風に感じるんだろうね。聞いてみたい。
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