落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

One for all, all for one.

2015年01月25日 | movie
『60万回のトライ』

授業料無償化からの排除、補助金の凍結、ヘイトスピーチなど日本国内の保守化に揺れる朝鮮学校。
韓国のジャーナリストが大阪府代表として日本一を目指す大阪朝鮮高級学校ラグビー部に3年間密着、怪我やアクシデントを乗り越えてラグビーへの情熱を燃やす子どもたちの姿を描く。
韓国全州国際映画祭でドキュメンタリー作品としてコンペ最高賞にあたるCGV配給支援賞を受賞。

アムネスティ・フィルム・フェスティバルでの鑑賞。劇場公開時から観てみたかったんだけど、やっと観れました。
噂に違わぬ傑作。超感動したよ。
いやースポ根・青春、テッパンだね。間違いない。めっちゃ泣けるよ。なんかわかんないけどずっと号泣です。
なんでだろうね?ただもうかわいいのよ。高校生が。ピュアで、まっすぐで、素直で、明るくて、健気。それだけで泣けちゃう。トシのせいでしょうか。

3年生が北朝鮮を旅する修学旅行の間に、監督が1~2年生相手に講義をする。「スポーツを通じて社会を変えるのが君たちの使命だ」と。
朝鮮高校は長い間、公式戦に出る資格をもたなかった。OBや教職員たちの粘り強いはたらきかけによって、90年代にやっと念願かなって出場資格を得た。協力したのは在日コリアン社会だけではない。日本の普通の学校の教職員や市民の力もあった。スポーツが社会を変えた。
大阪朝高ラグビー部は、そうして支えてきた多くの人々の心の拠りどころでもある。だから、彼らはあくまでもどこまでもフェアプレーを追求しなくてはならない。少しでも卑劣にみえたり、卑怯にみえたり、卑屈にみえるような挙動があってはならないのだ。おそらくは彼らを指導する教職員にも同じことがいえるだろう。どの学校の先生よりも先生らしさを要求される、過酷な職務だ。
大阪朝高だけではない。日本全国の民族学校に通う在日コリアンの子どもたち全員が同じプレッシャーと使命を背負っている。日本社会から在日コリアンがどう捉えられているか、それを抜きにして朝校生活を語ることは不可能だ。
いうまでもないが彼らはただの高校生。まだ十代の子ども、KーPOPやJーPOPをこよなく愛し、学園生活を謳歌し、チームメイトと勝利を夢見て厳しい練習に明け暮れる、そこらへんにいるのと同じごくふつうの子どもたちだ。
でも彼らには使命がある。日本のふつうの高校生のうち、どのくらいの子どもが「使命」を実際に背負っているだろう。どのくらいの子どもが、自分の「使命」を意識しているだろうか。

そのせいか、画面に出てくる朝高生に派手な外見の子はひとりもいない。以前観た『ウリハッキョ』もそうだったけど、ギャルやヤンキーどころか茶髪もいなければパーマやピアスの子もいないし、眉毛を整えた男の子や化粧をしている女の子すらいない。どの子も清潔感があって態度や言葉遣いも丁寧で、見た目には品行方正な優等生タイプばかり。それでも堅苦しいばかりではなく、ひょうきん者がいたりお調子者がいたり、純朴な子がいたり寡黙な子がいたり、一方で弁のたつ子や熱血漢もいて、それぞれに豊かな個性に溢れている。どの子も生き生きとして高校生らしく、普遍的な十代の若者らしさがほほえましく、それと同時に痛々しくもある。
映画を撮った監督が韓国の人なので、子どもたちは作中では基本的にウリマル(朝鮮語)で話している。朝鮮学校の多くは国語学校としてスタートしたルーツを持ち、校内ではウリマルで話すように指導しているため生徒は全員バイリンガルである。だが彼らの母語は日本語なので、ウリマルが得意な子もいれば苦手そうな子もいる。得意な子のウリマルも完璧ではない。在日コリアン独特の訛りがあるし、どうしても日本語まじりになってしまうことも多い。
国際交流試合で韓国から来た高校生選手に「こいつは本物のコリアンじゃない」といわれて傷ついていた子どもたち。「同じ民族なのに」と苦笑いを浮かべて嘆いていたけれど、日本でも韓国でもその存在を受け入れられない在日コリアンである以上、どこにいっても私たちは「本物の朝鮮人」にも「本物の韓国人」にも「本物の日本人」にもなれはしない。だからといってニセモノでもない。どこの誰であっても彼らは彼ら、むしろ「本物」ではない、誰でもない自分自身であることそのものに誇りを持てるようになってほしいと思う。
これから社会に出ればもっともっとしんどいことがたくさんたくさんある。だけどすべてを乗り越えられるだけの強い気持ちと自信をもって生きていってほしいと、心から願わずにはいられない。
彼らこそが誰にも住みやすいアジアを築く最大の鍵を握る、世にも稀なる存在なのだから。

上映後に監督の挨拶があり、「カメラがゆれゆれでごめんなさい」と謝っておられたが、編集のせいか見苦しく感じることもなく、全編快適に鑑賞することができた。
青春ドラマとしての完成度も高く、できるだけ多くの人に観てほしい、優秀な作品だと思う。
特に若い人に観てほしい。同世代の高校生なんかはどんな風に感じるんだろうね。聞いてみたい。



関連記事:
2013年3月1日「落ち着けよ」
『ウリハッキョ』
『朝鮮の歴史と日本』 信太一郎著
『裁判の中の在日コリアンー中高生の戦後史理解のために』 在日コリアン弁護士協会著

That's marriage.

2015年01月15日 | movie
『ゴーン・ガール』

5回めの結婚記念日、ニック(ベン・アフレック)が自宅に戻ると室内は荒らされ、妻エイミー(ロザムンド・パイク)の姿が消えていた。不審に思ったニックは警察に通報し、著名人を両親に持ち子どものころから名前を知られていたエイミーの失踪は瞬く間にメディアを巻き込んだ大騒動に発展。捜査に協力的なニックには当初同情が寄せられるが、なんの手がかりも見つからない中で人々の感情はコントロールを失い・・・。
全米でミリオンセラーとなったギリアン・フリンの同名小説を『ソーシャル・ネットワーク』『ベンジャミン・バトン』『ゾディアック』のデヴィッド・フィンチャーが映画化。

おもしろかったです。
エンドロールが流れた瞬間、座席でガッツポーズしたくなったくらい。たぶんここ数年で観たミステリーではナンバーワンじゃないかな?下馬評通り、期待以上の傑作。大袈裟にいえばもう一回観てもいいくらい。今回はひとりで観たので、次はできれば誰かといっしょに観て、終わったらあーだこーだ語りあってみたい。個人的には男性の感想が気になる。どっちかといえば女性向きの映画だとは思うけどね。原作も今度読んでみよ。
この原作は2002年に起きたスコット・ピーターソン事件を基にしている。小説はフィクションなので、結末は事実とは異なるようです。

ネタバレになるのであらすじについては触れないが、簡単にいえばタイトルになっている妻エイミーの失踪そのものは物語のほんの序の口に過ぎない。そしてこの物語はミステリーであると同時に、“リレーションシップ”の困難さを強烈に皮肉ったブラックコメディでもある。
たとえば人は誰かを好きになると、相手に自分のことをよく見せようと意識し、少しでも優位にたとうとする。相手のことを何でも知りたいと願うようになり、逆に自分の都合の悪い部分は隠そうとする。相手をいったん手に入れるとどこまでも支配したくなるが、自分は支配されたくないと考える。だが、人はどこまでいっても相手のことを完全に知りつくすことはできないし、完全に人を支配することもできない。その壁を乗り越えるのが愛情なのだろう。生まれ育った環境も違う赤の他人が結婚して家族になる。わからなくて当り前、愛があるからわからなくても信じられるのではないのか。それができないのは愛ではなくただの自己愛、恋をしている自分に酔っているだけである。つーてもぐりは結婚したことないからあんましわかんないんだけど。
残念ながらニックとエイミーはいいトシをして己の精神的な未熟さに対してあまりにも無意識過ぎたし、互いに敬意をもつことの大切さを知らな過ぎた。美男美女で仲睦まじいプチセレブ夫妻というパブリックイメージは虚構だが、まるで思春期の子どものようなめんどくささに関していえば、まったくお似合いな似たもの夫婦である。

でももしかすると、大人になりきれずいつまでも不器用な「学園祭の人気者」気取りのニックと、美人で恐ろしいほど頭はきれるが主体性はもたないエイミーの人物造形は、どこかで現代アメリカ人の持つコンプレックスをそのままカリカチュアライズした狂言廻しで、この映画のほんとうの主人公はマスメディアに狂乱しロクに名前すら出てこないオーディエンスの集団心理なのかもしれない。
主人公たちが巻き込まれていく事件ももちろんすごく怖いんだけど、会ったこともない誰かを勝手に知ったつもりになって無責任にいいたいことを口々にいいあい、時によって同情してみたり疑ってみたり憎んでみたり許してみたり、そんな感情をぶつけあっては天災のようなカタストロフを巻き起こす怪物の恐ろしさほど制御不能なものはない。
ニックと妹マーゴ(キャリー・クーン)はエイミーの頭脳と人格に戦慄するけど、ほんとうに恐れるべきなのは彼女の向こうにいるオーディエンスなんじゃないかと思う。劇中でエイミーがニックの前にいるときと完全に別の顔を見せるパートがあるのだが、オーディエンスに対して無防備な彼女はとくに恐れなくてはならないような特異なキャラクターではないし、愛すべき人間らしさもある。あるいはこちらの彼女の方が真の姿ではないかと思えるくらいである。それを思えば、名もない“その他大勢”にただただちやほやされるためにひたすら血道を上げなきゃいけない生き方も相当しんどそうなんだけどね。
しかし観ていてマーゴがとにかく可哀想で仕方なかった。似たもの夫婦が互いをドツボにハメあう茶番に、双子だからというだけで引きずりこまれてどんどん抜け出せなくなっていく。こういうドツボの中毒性みたいなものもあるのかなあ?

ところでアメリカでも大ヒットして各映画賞でも有力候補になってるこの映画、なぜか主演のベンアフはぜんぜんノミネートされてないみたいで残念です。ものごつ天晴れな抜け作ぶりが素晴らしいんですけど。ロザムンド・パイクの演技が強烈過ぎて霞んじゃったのなら気の毒です。
ぐり的にはニックの教え子・アンディ役のエミリー・ラタコウスキーのウルトラボディに完璧ノックアウトでした(爆)。だってあのロリ顔であの巨乳・・・ビックリですってマジで。すいません。
あとコレ、戯曲で観てみたいと思いました。日本でだったら菅野美穂と香川照之とかどうでしょうかね。真木よう子と西島秀俊でもいいな。深津絵里と堺雅人でもおもしろいかも。いかがでしょう。

強制寝正月地獄

2015年01月09日 | 復興支援レポート
年末年始に東北に行ってきた。
7月以来だから5ヶ月ぶり。

今回は何か予定があったわけではなく、実家の方に戻る用があって、その後少しの休暇をのんびりさせてもらおうかと思って訪問したのですが。
着いて数日はいつもお世話になっている民宿に泊りながら、地元の忘年会にお邪魔したり、厨房やお掃除をちょこちょこお手伝いしたりお客さんと震災のころの話をしたり、神棚の松飾りや鏡餅をあげたりして過ごした。
大晦日には失礼しようかと思っていたのだが、ご家族で用意する晩ご飯を食べていけばと勧めてくださったのでご厚意に甘えることにしたその夜遅く、いきなり体調を崩してしまった。

深夜から朝まで激しい嘔吐が止まらず、飲んだ水も吐き、水のような下痢までする。
腹痛はもちろん、筋肉痛のような痛みで全身ズキズキする。あとから思い出せば極度の脱水症状で熱も相当出てたんだろうと思う。
東北の大晦日の夜、外は雪が降っていてとても寒かった。トイレの前に座っていられればよかったのだが寒さに耐えきれず、何度も階段を上がったり下りたりしているうちに間に合わなくて粗相をしてしまったこともあったのだが、宿に泊まっている客はぐりひとり、誰の助けも呼べず、自分で床や壁を掃除しながらまた吐く、というかなりといえばかなりな元旦を迎えた。
それからまる2日間ぴくりとも動くこともできず何も食べられずただただ寝たきり、3日になって起き上がれるようになったのをこれ幸いと、スタコラ東京に戻って来た。東京でも毎日寝てばかり、今日になって嘔吐と下痢はどうにか治ってきて、あとは熱が出なくなれば完治である。湯たんぽは手放せないし、食欲がなく固形物がほとんど食べられないので、毎日薄めたホットミルクやらプリンやらリンゴやらスープやら甘酒やら、液体に近い離乳食みたいなものばっかり食べて暮している。お陰様でお餅もお雑煮もお節も食べてないし、初詣にも行っていない。これぞ寝正月である。

休み明けに病院で検査をしたら「ウィルス性胃腸炎」と診断された。おそらく原因はロタウィルスだということだが、これは子どもにとっては非常に危険で死ぬこともある病気ではあっても、ほとんどの人が5歳までにかかっていて大人なら抗体があるからふつうなんともないはずだという。
推測するにぐりはこの抗体ができない体質ではないかと思う。似たようなシチュエーションで似たような症状を起こしたことがこれまで何度かあるからだ。
ロタウィルスはヒトからヒトへの経口感染がよく知られているが、アサリやシジミ、カキなどの二枚貝からも感染することがあるらしい。ぐりはもともと貝類にあたりやすいので極力生では口にしないように、火が通っていても量を摂り過ぎないように注意していたのだが、どこかでうっかり食べ過ぎていたのかもしれない。なにしろこの季節の三陸では三食カキが提供されるのだから。
とはいっても大人なら感染しても何ともないはずのウィルスなのに、子どもと同じ症状でここまで七転八倒しなくてはならないとは情けないものである。

ところでこのロタウィルスは子どもが感染する非常にポピュラーなウィルスで、いまは乳児期に予防接種を受けることが推奨されている(任意接種)。全国の保育園や幼稚園では毎年のように大流行していて、園児とその家族を媒介してたった10~100個のウィルスが口にはいるだけで簡単に感染する。このウィルスを殺す特効薬はまだなく感染しても対症療法しかないため、手当が遅れるととても危険である。
しかし周りで聞いてみるとこのウィルスのことを知っている人はほとんどいなかった。乳児のいるぐり妹はもちろん知っていて子どもがワクチンを受ける前にけっこうナーバスになっていたのでぐりにもたまたま予備知識はあったけど、まさか自分がこんなひどい目にあうとは思っていなかった。
それにしても世界では年間180万人の子どもが死ぬ病気だというのに、子どもを持つ親以外にはあまり知られていないというのはいかがなもんかと思う。ぐりみたいに抗体のない大人はレアといえばレアなんだろうけど。マジきつかったよ・・・。

ロタウイルス感染性胃腸炎とは 国立感染症研究所 感染症疫学センター


宮城県気仙沼市唐桑半島の夕陽。
更地のように見えるのは津波で家屋が流失したところ。道路の拡張工事が始まっていて、ここにも防潮堤ができる予定である。この宝石のような光景もしばらくすれば見られなくなる。
4年前の瓦礫撤去をしていたころから通って勝手に第二の故郷のように思っている身からすればせつない話ではあるが、だからどうすればいいという単純な話でもない。