落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

法律が、兄を殺した(妹の証言より)

2018年07月25日 | diary
2015年8月24日、一橋大学法科大学院の敷地内で男子学生が転落死する事件が起こった。
その日からぴったり2ヶ月前、彼は恋愛感情をうちあけた同性のクラスメイトから、複数のクラスメイトで構成されるLINEグループに同性愛を暴露されたこと(アウティング)に非常にショックをうけ、以来著しく精神状態を害し、大学側に対応を相談し医療機関での治療も受けていたその矢先のことだった。
彼の死後に両親が一橋大学を相手に提起した損害賠償訴訟の証人尋問を傍聴してきた。

今日の証人尋問に出廷したのは、亡くなった男子学生の担当教授でもあった一橋大学法科大学院教授、ハラスメント相談室室長、保健センター医師、および男子学生の妹と両親。
最初の証人は教授だが、おそらく大学側として最初に男子学生本人から直接ことの次第を聞きとった人物だと思われる。証言で挙げられただけでも10件以上メールのやり取りがあり、男子学生の友人を交えて2度面談も実施したという。教授は男子学生本人に対して「(申し立てたアウティングが事実だとすれば)ひどいことだし、人権をたいせつにするべき法曹のたまごにあるまじき行為。法科大学院として恥ずべきこと」だという見解を伝えている。おそらくこれは教授本人の素直な感覚そのままだろうし、だからこそ男子学生本人の認識をある面で補強した見解でもあったのだろうと思う。研究者はしばしば、自らの影響力の大きさを必ずしも正確に捉え把握しコントロールしていないときがある。あるいは教授はそのつもりではなかったのかもしれないが、男子学生の首尾一貫した認識が教授のこの発言に基づいていた可能性は否定できないのではないだろうか。

一方で、教授はアウティングをした側の相手学生のクラス替えや、出席必須の刑事模擬裁判の授業への対応など、男子学生と相手側の直接的な接触を避けるための具体的な対応を積極的には実施していない。証言からは、あくまでも事態は男子学生と相手側との個人的な出来事としてのみとらえ、ハラスメント相談室など専門機関の対応を待っていた、消極的な姿勢がありありとみてとれた。
他のクラスメイトからはアウティングによってクラスの雰囲気が著しく悪化している事実を聞きとっており、そもそもの加害行為はアウティングをした学生本人の責任であることは把握していたにも関わらず、担当教授としてもっととるべき対応があったはず、己にその責任があったとはつゆとも思わないらしい。
それでも法科大学院教職員には「男子学生と相手側が接触すれば何が起こるかわからないから注意してほしい」と要請した事実は認めている。原告側代理人に「接触すれば何が起こると思っていましたか」と尋ねられ、「わかりません」といやにはっきり回答していたけれど、まあそんなワケないよね。ふつうに。

次の証人は一橋大学ハラスメント相談室室長。
この人の証言は完全に聞くだけ無駄でした。というかこのハラスメント対応制度にそもそも問題があったというのがわかっただけ。だって実際に相談を受けたその人本人じゃないんだもん。守秘義務の関係で室長は相談内容そのものは詳細には把握してないし、きまりとしては本人によりそう、委員会にはきちんと気持ちが伝わるように手助けするということになっているけど、とにかく手続きがビックリするぐらい煩雑なうえに規則で雁字搦め、大概のハラスメントはこういう専門機関に持ちこまれた段階で危機的状況に瀕していて当たり前なのに、いちいちまもらなきゃいけないルールが多すぎるし時間がかかりすぎている。意味ないやろ。
口では「あなたはひとりじゃない、力になる」といって励ますだけで何もしない担当教授から、手続き段階決まりごとでガッチガチのハラスメント相談室にパスされた人権侵害が、いったい何をどうすればするっと平和解決するなどと誰が考えるものだろうか。
ほんとうは実際に相談を受けた専門相談員本人が証言に出てくるべきだったと思うけど、事件後に退職してしまっているらしい。

午後の一人目はハラスメント相談室からの要請で性同一性障害の治療をするメンタルクリニックを紹介した保健センターの医師。このときは男子学生本人に会ったり、詳しい相談内容を聞いたわけではなく、ハラスメント相談室の専門相談員からの照会に応じる形での情報提供にすぎなかったという。理由は医師本人が同窓でよく知っている専門家だから信頼できると思ったからだそうである。
いうまでもないが同性愛は病気ではないし、同性愛と性同一性障害はまったくべつの問題である。そして男子学生がかかえていた問題は性的指向によるものではなく、あくまでもアウティングという人権侵害に端を発していた。その重大性がいかに見落とされ見過ごされていたかがよくわかる。ここでも、男子学生から相談を受けていた専門相談員その人の不在が、この訴訟のブラックボックスになっていると痛感した。

聞いていて胸が痛んだのは、8月24日、まさに事故のその当日、医師が男子学生本人を診察した前後のことを証言したくだりだった。
男子学生はその日、どうしても出席しなくてはならない刑事模擬裁判のために体調不良をおして登校したものの、パニックを起こして倒れ、保健センターの休養室で休んでいた。午後に医師が出勤し、看護師の申し送りを受けて診察、アウティング以降の経緯を聞きとった。服用している薬を確認し、状態が悪かったため出席を思いとどまるように勧めたが本人の意志がかたく、とりあえず午後の授業のために昼食をとるように促し、本人が買物に行っている間に「念のため」ハラスメント相談室に出向いて事情を説明、法科大学院にも電話で状況を伝えている。
保健センターに戻ってきて待合室でパンをひとつ食べた男子学生は、欠席すれば留年しかねない刑事模擬裁判に出るといって14時半ごろ保健センターを後にした。
彼が法科大学院の建物6階のベランダの手摺につかまってぶらさがっているのが救急に通報されたのが15時4分。堪えきれずに転落し、病院で死亡が確認されたのが18時36分だった。
医師は間違いなく、彼が最後に助けを求めた大学側の人間、それもプロの医療者だった。

医師の証言は控えめで冷静沈着ではあったが、医者として、最後に故人から心の重荷をうちあけられた人間として、ほんとうは助けたかった、助けられたかもしれないという悔恨が静かに伝わってきた。
言葉そのものには直接的にそうした表現はない。大学教職員として(一橋に校医はいない)慎重に言葉は選んでいたし、たった一度の診察で何ができたわけでもないかもしれないけど、少なくとも、この証人尋問に出廷した責任意識の重さは感じることができた。

そのあとは妹、母親、父親の証人尋問が続いたけど、正直な話、ちょっとここに詳しく書きたいという気持ちにはなかなかなれないです。ごめんなさい(いつか機会があれば書くかもしれない)。

しかし3人の証言を聞いていると、男子学生がどれほど家族に愛されたいせつにされてきたか、真面目で素直で勉強家だったか、その彼が亡くなり、大学や同級生たちの不誠実さにどれほど家族が深く傷ついたか、激しい怒りが胸に迫ってきた。
3人は口を揃えて、男子学生は「同性愛を苦にして死んだのではない」と力強く証言した。
男子学生はアウティングのあと都合2度帰省をし、その間に所用で家族も上京し、彼が一橋に進学して以来はじめてというほど密にコミュニケーションをとっている。そのとき彼の状態がふつうではないことを家族は危惧し、どうにかしてサポートしなくてはと強く決意していた。25日には母親が上京して保健センターの医師とともに面談することも決まっていた。
にも関わらず、男子学生は死んでしまった。

今日の証人尋問を聞いただけでも、転落事故は自殺などではなく、うつ病の症状が一時的に悪化した突発的な事故だったことがわかる。
男子学生は大学の建物から飛び降りたのではなく転落した事実があり、それは病院に搬送された際、まだ自ら痛みを訴えるだけの意識があったという彼の負傷の状態からも推察できる。
確かに彼は遺書を残していた。だが遺書があるから自殺と断定できるほど、人の死は単純ではない。
遺書を書いた一方で、彼は自ら事態を打開するべくあらゆる対策を講じようとしていた。その危機を、うけとめるべき人が危機感をもってうけとめていなかった。あるいはうけとめながら、自身の責任意識でもって積極的に状況改善のために行動しようとはしていなかった。そしてその経緯を、守秘義務を言い訳に家族にすら開示しなかった。
これを官僚主義・事なかれ主義・隠蔽主義といわずしてなんというのか。
これが、日本に冠たるエリートロースクールなのだ。

個人的な話になるが、一橋大学の正門の前に一時期住んでいたことがある。
といってもこのアウティング事件の現場になった国立キャンパスではなく別のキャンパスだったけど、駅名にも一橋の名が冠され、街の地名にも大学のお膝元であることがわかる表現が使われていて、地域のランドマーク、アイデンティティのひとつとして愛された学舎だった。
そこを離れてもうかなりになるけど、この事件が公になったとき、地域の人がどんなふうに感じているのかが気になった。
おそらく一橋大学は、それも人権をなによりも尊ぶべき法律家を育成する法科大学院でこうした人権侵害を引き起こした汚名を、未来永劫背負い続けることになる。そのことを、あの学園都市の人々はどう思っているのだろうかと。

次回口頭弁論(もしかして結審)は10月31日。都合がつけば傍聴したいと思ってます。


2016年8月9日ハフポスト日本版:一橋大学ロースクールでのアウティング転落事件〜原告代理人弁護士に聞く、問題の全容


関連記事:
2017年5月5日報告会:一橋大学アウティング事件裁判経過の報告と共に考える集い
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手摺の外で

2018年07月17日 | lecture
一橋大学アウティング事件 裁判経過報告と共に考える集い ─大学への問いかけ─

2015年8月24日、東京都国立市の一橋大学の敷地内で、ひとりの男子学生が転落死した。
全国で司法試験合格率トップを誇る法科大学院の学生だった彼は、そのちょうど2ヶ月前、想いを寄せていたクラスメイトに同性愛者であることを暴露され(アウティング)、以後、精神的に極度に追いつめられていた。その日は模擬裁判の授業があって、亡くなった彼のクラスは全員出席が義務づけられていた。その授業の間に、彼は同級生たちに別れのメッセージをLINEで送り、校舎の窓の手摺を乗り越えた。

わが子の最期に何があったのかを知りたいというのは、親なら誰もが抱く当然の願いである。だが一橋大学はそんな人として当たり前の思いすら一顧だにしなかった。
両親は、真面目で「人の役に立つ仕事を」と法律家を目指した息子の身に起きた事実を、何ひとつ知ることができなかった。手だては裁判しかなかった。
事件発生から1年ほど経って、両親は暴露した同級生と大学を相手に損害賠償訴訟を提起した。その後昨年5月の報告会から1年以上を経て、先月、同級生との和解が成立し(和解内容非公開)、今後は大学との裁判が続くことになった。

大学側は事件発生の翌日、うちひしがれた遺族に向かって「おたくの息子さんは同性愛者だった」と告げた(原告代理人の説明動画)。そして、彼が死んでしまったのは人知をこえた出来事であり、大学にはなすすべがなかったと主張し続けている。
つまり彼を死なせたのは、同性愛という彼の性的指向が彼自身を苦しめたことが原因だといいたいわけである。
これは私個人の勝手な考え方だが、それは完全に間違っていると思う。
人は性的指向が理由で死んだりはしない。
そこに無理解があり、偏見があり、差別がある。それが人の精神を蝕み、これ以上生きていられないという感情を抱かせ、生きる気力を奪うのだ。
彼は、同性愛者だから亡くなったのではない。
それだけは、絶対に違うと、私は思う。

亡くなった男子学生は確かに同性愛者だったし、そのことを家族にも周りの誰にもうちあけてはいなかった。
直接彼自身の口からその事実を告げられたのは、彼が愛した同級生だけだった。
他ならぬその相手から秘密を暴露された彼の孤独と絶望を、私自身は到底想像することができない。
どれほど苦しく、悲しく、寂しく、悔しく、情けなく、恐ろしかったとしても、その気持ちを理解することはもう誰にもできない。
ひとついえることは、彼はそれでも自分自身でできるだけのことはしていた。担当教授にも、ハラスメント相談窓口にも、保健センターでも、彼はしたくもないカミングアウトをして助けを求めている。
でも誰も、彼を助けなかった。
まさか死ぬとは思わなかった、というのが大学の言い分である。

報告会を聞いている限りでは、原告側は大学の性的少数者の人権に対する配慮義務を争点としているようだが、それで大丈夫なのか、正直なところ少し不安を感じた。
大学側が、同性愛者だから男子学生は死んでしまったのだと主張しているとしたら、性的少数者の人権に対する配慮義務への懈怠を裁判所に認めさせるのにはかなりのハードルがあるのではないだろうか。あるいは、裁判官にそうしたマイノリティへの見識があるとすればそれも期待できなくはないが、実際のところはどうなのか。
極論をいえば、男子学生が同性愛者であろうがなかろうが、彼の訴えをきちんとハラスメントとして大学が受けとめ、教育機関として備えておくべき行動原理をもって彼の命をまもるための対策を果たしていれば、彼は死ななくても済んだはずである。それができなかったから、彼は孤独と絶望のなかで死を選ぶしかなくなってしまったのだ。

それが、よりにもよって法科大学院で起こってしまったことの重大さを、おそらく一橋大学は骨の髄までよくよく認識しているに違いない。
だからこそ、彼らはわざわざクラス全員に緘口令を敷き、遺族に「おたくの息子さんは同性愛者でした」、だから死んだのだなどと言い放ち、見るも醜悪な事なかれ主義で遺族や、多くの性的少数者の心情を蹂躙し続けている。
繰り返しになるが、これが日本に冠たるトップエリート法律家を育成するロースクールのやることだろうか。

一審証人尋問は25日に行われる。傍聴にも行く予定です。入れたらまた何か書こうと思う。

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松竹熱血美男子図鑑

2018年07月09日 | movie
『空飛ぶタイヤ』

東京・世田谷で父から引き継いだ小さな運送会社を営む赤松(長瀬智也)は、自社のトレーラーが脱輪で死亡事故を起こすものの整備部の業務に不備がないことを信じ、事故原因を整備不良と結論づけたメーカー・ホープ自動車の巨大な陰謀に立ち向かう決意をする。
池井戸潤の同名小説を映画化。

池井戸潤といえば『半沢直樹』やら『下町ロケット』やら『民王』やら『陸王』やら、ガンガンにドラマ化されまくりの人気作家ですが。まあおもしろいと思うよ。おもしろいけど。毎度ジェンダーバイアスの著しい偏りとか、主役がピンチになると必ずいずこからともなく現れる救世主とか、いきなりそれまでの流れぶったぎるデウス・エクス・マキナ的なエンディングとか、テンプレ化した展開が気にはなるけど(さすがに全部は観てない)。
まあでも、それでもこれだけ熱い支持を集め続けまくるからには、そのテンプレもまた大多数に熱く求められているテンプレなのでしょう。弱者が巨悪に挑戦して勝つ、そのカタストロフは確かに心地よい。だって現実の社会ではまずもって起こりえないできごとだから。一種のファンタジーなんだよね。遠山の金さんとか水戸黄門的なものでしょうか。

この物語もそのテンプレど真ん中で、経営難でリストラさえ迫られるような弱小運送会社の二代め社長が、会社と従業員をまもるために額に汗して駆けずり回り、財閥系大手自動車メーカーに喧嘩を売りまくる。理不尽なものは理不尽だといい、まもりたいものを絶対に譲ろうとしない、赤松くんの姿勢は首尾一貫している。清々しい。
その彼の意志の堅さの前に、メーカー担当者も品質保証部もマスコミも銀行も、知らず識らずのうちに流されていく。そこには、赤松への共感ではなく、プロフェッショナルとしての矜持と、死者への敬意という人として最低限の感情が大きくはたらいている。
だから世界観としてはかなり暑苦しくはあるものの、全体としてはベタベタしたところがなくさっぱりと観ることができる作品には仕上がっている。
ただ、赤松が事故の原因を追求していく過程のディテールがざっくりと省略されているせいで、物語上で非常に重要なロジックが曖昧なまま、一方的にリコール隠しという言葉だけで乱暴に片づけられてしまうのにはちょっとついていけなかったです。

しかし豪華キャストもここに極まれり。長瀬智也にディーン・フジオカ、高橋一生に中村蒼、ムロツヨシに佐々木蔵之介、大倉孝二に津田寛治に岸部一徳に柄本明。
目白押し。目白押しですよ。しかも全員力一杯ぱっつぱっつの熱演。ギトギトにクドいです。長瀬くんはベースが暑苦しいので非常にハマってましたが、他はなんでこの人じゃなきゃいけないのか不明なキャスティングが目立ちました。なんかもうちょっとリアリティ感じるキャスティングがあるでしょうに。
それと画面が物凄い暗かったです。あれはなんででしょうね。

劇中、「強度不足のトレーラーなんか走る凶器以外の何ものでもない」というセリフがある。
昨今、現実にもスズキ自動車や三菱自動車、日産など大手自動車メーカーのデータ不正が相次いでいる。去年は神戸製鋼をきっかけに三菱マテリアル、東レでも改ざんが発覚した(記事)。一昨年は、日本製の原発部品の強度不足も発覚。世界に冠たる技術大国・日本の信頼は地に堕ちてしまった。
映画では、プロとして人として不正を断罪しようとする多くの人々が、自己犠牲を厭わずに真実を暴きハッピーエンドを迎える。しかし現実はそうはいかない。なぜそうはいかないのか、なんだか寂しい気持ちになってしまったりもしました。

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アンテナの感度

2018年07月08日 | lecture
2018年度 定例研究会「いじめ等に関する第三者機関の役割と課題」
主催:子どもの権利条約総合研究所

震災の復興支援を通じて宮城県石巻市立大川小学校での津波被害の当事者支援をはじめた関係で(過去記事リンク集)、学校事故・事件の第三者機関について具体的に知りたくなり参加してみた。

スピーカーは東京経済大学教授で弁護士の野村武司氏。子どもの権利条約総合研究所副代表。
学校での“重大事態”が発生すると設置される第三者調査委員会だが、野村氏は平成20年以降のこの10年、全国各地の学校の第三者調査委員会に招聘される、いわば重大事態調査のスペシャリストである。

2013年にいじめ防止対策推進法が施行されて今年で5年、教育評論家の武田さち子さんのまとめでは計57件のいじめによる自殺(未遂を含む)が日本の学校で起こっている。この57件すべてではないが、指導死も含めて設置された第三者調査委員会は5年で68件。これは新聞報道に基づく数値だそうで、ここにもれている案件もあるため実際にはどれほどの子どもが犠牲になっているかはわからない。野村氏によれば、第三者調査委員会は学校および教育委員会の要請(遺族からの要望含む)で設置されるが、遺族の意思で非公開とされるケースもあるため、実数までは把握しきれないということである。

法律ができて5年の間にさまざまな問題点が見えてきたが、その根幹は「いじめの定義」。
いじめという現象に定義が求められたのは1986年の中野富士見中事件(詳細)だった。葬式ごっこ事件といえば記憶している人もいるかと思う。当時2年生の鹿川裕史くんが午前中に病院に行って遅れて登校したところ、机の上に別れのメッセージを寄せ書きした色紙と花と遺影が置いてあった。色紙にはあろうことか担任教諭のメッセージも書かれていた。
鹿川くんはその2ヶ月後、自ら命を絶った。鹿川くんは私とちょうど同年齢だった。
関わった児童をはじめ教諭も、必ずしも鹿川くんに明確な悪意を持っていじめに加担したわけではなかったが、結果的に鹿川くんは亡くなってしまった。
ではどうすれば、こうした事態を防ぐことができるのか。

いじめと認定される文部科学省の基準の変遷を掲載した配布資料の一部を引用する。

1986年定義:「いじめ」とは、①自分より弱いものに対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手方が深刻な苦痛を感じているものであって、(関係児童生徒、いじめの内容等)学校としてその事実を確認しているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないもの。

1995年定義:「いじめ」とは、①自分より弱いものに対して一方的に、②身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、③相手方が深刻な苦痛を感じているものであって、(関係児童生徒、いじめの内容等)学校としてその事実を確認しているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。なお、個々の行為がいじめにあたるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられている児童生徒の立場に立って行うこと。

2006年定義:個々の行為がいじめにあたるか田舎の判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられている児童生徒の立場に立って行うこと。
「いじめ」とは、当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。

2013年定義:「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的または物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
(下線部分は変更箇所・筆者追加)

こうした改定は、いじめによる重大事態が発生した際に加害者側から発せられた行為の理由、つまりいいわけに基づいて行われてきた。
たとえば「被害者は弱者じゃないから弱いものいじめじゃない」「被害者もやり返しているからいじめではなく喧嘩」「被害者側にいじめられる理由がある、あいつが悪い」「ちょっとやっただけ」「傷つけるつもりなかった」「ふざけただけで悪気はない」「この程度でいじめになるの?」。

そもそもいじめは被害者側と加害者側の間に認知のギャップがあるから重大化する。加害者がいくら「たいしたことじゃない」と思ってやっていても被害者は傷ついている。加害者側がいくら「ふざけてるだけ」と思っていても被害者は傷ついている。加害者が「あいつにだって非はあるんだからこれくらいされて当然」と思っていても、被害者はやはり傷ついている。

いじめなんてやり方は子どもによって学校によって地域によってまた時代によって、ありとあらゆる手段が採用され、常に変化し続ける。だからどんな行為がいじめかという点に着目していては、いつまでたっても「何がいじめか」なんてことは決まらない。基準は尺度であり、尺度は不変でなくてはならない。
だから尺度は、被害者が傷ついているという一貫性に基づいていなくてはならないのだ。
そのことは1995年の定義に「個々の行為がいじめにあたるか否かの判断を表面的・形式的に行うことなく、いじめられている児童生徒の立場に立って行うこと」と決められている。
ところが、文科省が実施している問題行動調査にいじめの行為が分類されている項目があるため、ここに分類された加害行為がなぜか現場ではいじめ行為の基準として一人歩きしてしまっている現状があり、いまだに被害者側の気持ちに寄りそった判断ができないでいるという。20年以上経って、その部分は一歩も前進していない。

第三者調査委員会は、設置されたらまず資料のリストをつくり(あるかないかを確認する前にリストアップをする)、委員会の目的を確認し、遺族からの聞き取り、資料の精査、アンケート調査、教職員からの聞き取り、児童からの聞き取り、校長・教頭に聞き取りを実施して報告書の作成をして任務完了となる。
聞き取りには当初、学校側は否定的だったが、実施してみるとあったことを話すことで児童や教諭が精神的に解放されたり、起こったことを話しながら冷静に判断できるようになったりといった効果もあるという。
また調査目的がどうしても再発防止に偏りがちだが、そうなると全容解明を求める遺族の意思との乖離が生じることもあるため、よくいわれる「公平中立」ではなく、「第三者性」「公正性」が重視されるべきだという。

いじめを防止する学校づくりの課題としては、学校に平時からいじめを防止するための行動原理を持った対策組織が必要なのだが、学校という職場が忙しいことを理由にそれがほとんど設けられていないという。
行動原理がないから、教諭それぞれが勝手な個人的ポリシーで指導してしまい、それが重大事態に発展してしまう要因のひとつとなることもある。組織的対応ができないから、たとえいじめと思われる事案が発生していても、学校組織の中で情報共有だけで終わってしまい、結局担任教諭ひとりに対応が丸投げになり、そしてやはり重大事態を防ぐことができない構造的欠陥が放置されてしまう。

質疑も含めて3時間の長丁場。
参加者はほとんどが教育問題の専門家や当事者の様子だったが、驚いたのは大多数が「いじめの定義」を「行為」ととらえ、いじめられて傷ついている被害児童の心情を基準として考えていなかったこと。
例に挙げられた物語を以下に付記しておくので、読んだ方はちょっと考えてみてください。

(以下配布資料引用・一部略)

太郎くんの小学校では、毎年運動会の最後の競技として、学年ごとのクラス対抗のリレー競走をおこなってきました。
担任のP先生は、全体の勝ち負けは、リレーだけで決まるわけではなく、リレーも、リレーの順位だけではなく、応援の様子や応援旗も含めて採点されることから、リレーの選手には足の速いいつものメンバーということでなく、立候補で決めることにしました。
太郎くんは、引っ込み思案で、いつもまわりから、もっと積極的にいきなさいといわれていたこともあり、走るのはそんなに速くはありませんでしたが、思い切って、リレーの選手に手を上げました。ふと見ると、手を上げたのは、足の速いいつものメンバーばかりで、しかも11人でした。誰が選手になるかは、くじで決めることになりました。結果は、クラスで走るのが一番速い亮太くんが落選し、太郎くんは選手になりました。その日から、亮太くんは太郎くんに冷たくなりました。
太郎くんは一生懸命に走る練習をしましたが、そんなに急には速く走れません。バトンをうまく受け取れず、落としてしまうこともありました。みんなもきつく当たります。他の子がミスをしてもあまり言わないのに、太郎くんがミスをするとあからさまに文句を言います。運動会の前の日、亮太くんと仲の良い慎二くん、貴之くん、そして智宏くんに囲まれ、「リレーで負けたらおまえのせいだからな」と言われました。
太郎くんは運動会に出るのが怖くなり、眠れませんでした。運動会の朝、おなかが痛く、朝ごはんものどを通りませんでしたが、お母さんに心配かけてはいけないと思い、なるべく顔を見ないよう、また普通に装い、お母さんが作ってくれたお弁当を持って頑張って学校に行きました。運動会が始まり、いよいよリレーになりました。結果は、バトンのミスこそしませんでしたが、太郎くんは3人に抜かれ、最下位。クラスのみんなは悔しくて泣いていました。そして、みんな太郎くんを見ると口々に、「負けたのはお前のせいだ」「なんで立候補なんかしたんだよ」などと不満をぶつけます。太郎くんは、その言葉に涙があふれてきました。

さて、ここで起こったのは「いじめ」だろうか。

ポケットに外登証

2018年07月02日 | movie
『青〜chong〜』

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大成(眞島秀和)は朝鮮高校軟式野球部の投手。高野連に所属していないため公式戦に出場する機会がなかったのだが正式な加盟がきまり、強豪校との練習試合に臨むがなぜかうまく自分の力が出せず、チームは敗退。そんなある日、姉(清水由佳)が日本人の婚約者(西川方啓)を連れ帰り、両親(湯澤勉・金東姫)は仰天してしまう。
いまや日本アカデミー賞の常連となった李相日監督のデビュー作。2000年製作。上映時間54分の中篇。

校外でヤンキー(古っ)に絡まれて喧嘩したり、授業中にいたずらして叱られたり、校舎屋上で花火をしたり、日本人と偽ってアルバイトしたり、幼馴染みの彼氏にやきもちを妬いたり、テソン(大成)くんたちの当たり前の高校生活は、静かで穏やかでちょっと退屈。
授業が全部ウリマルだったり、学校のチャイムが独特のメロディだったり、相手が日本人だというだけで姉の結婚に両親が反対したりなどというディテールは確かに在日コリアンの世界ならではかもしれないけど、それでも、テソンくん自身がそこまで民族性やらルーツやらアイデンティティにこだわっている様子はない。なんとなく、まわりがずっとそういってるからとりあえず「うんうん」と頷いてるだけ、とくに深く考えたりはしていない。
そんな高校生、どこにでもいる。わざわざ映画にするほどのこともないくらい、ごく普通だ。
それが、在日コリアン=マイノリティだから映画になる、という皮肉。

全体にセリフが少なくて淡々としているけど、学生映画としては破格の高評価に違わぬ完成度です。カメラワークもライティングもとても美しい。そこはいまの李相日作品にがっちり受け継がれている。
シナリオに無駄がないのがいいですね。おそらく出演者のほとんどが職業俳優ではなさそうな演技経験の浅そうな人ばかりで、全編セリフ回しが非常に危うい。でもその素人くさい素の芝居をうまく生かしている。主役の眞島秀和もこの作品がデビューなので演技そのものは未熟だけど、すでに養成所にいたらしく発声だけはやたらにしっかりしていて却って他の出演者よりうまくみえるくらいなのがおかしかったです。
この朴訥としたテソンくんが、物語を追うごとに視線や表情が変わり、最後には一皮むけたようなすっきりした顔つきになっていくのが、いかにも青春映画という感じなのがちょっと懐かしかった。

李相日さんは在日コリアン3世で70年代生まれ。
この物語は監督自身の体験をもとに描かれてるみたいですが、そのせいなのか、私も同年代でやはり在日コリアン3世だからなのか、やたらに「それそれ」と共感する場面がすごく多い作品でした。私自身は朝高出身ではないけど、登場する朝高生たちのセリフにいちいち聞き覚えがありすぎて、でもいってる本人たちはそれほど深刻に状況をとらえている様子もなくあっけらかんとしている。現実の思春期はそうもいかないはずだから、監督が意識してそう演出しているのだろう。
ドキュメンタリーを除けばこういう在日モノの映像作品はほとんど観ることがないんだけど、これは観てよかったとおもいました。おもしろかった。


関連レビュー
『悪人』
『許されざる者』
『怒り』
『60万回のトライ』
『ウリハッキョ』