落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

被災地の唄

2012年04月29日 | 復興支援レポート
ちょうど1年前の日記

震災から2週間後に都庁に物資の仕分けボランティアにいってからずっと、被災地に行くべきかどうか考え続けて、1年前のGWにやっと行動に移した。
大型のボストンバッグにナップザックにウェストポーチという大荷物の重さに死にそうな思いをしながら、夜の西新宿をよろよろと歩いていたのを思い出す。
GWの東北でのテント生活はとにかく寒くて寒くて全然眠れなくて、自転車さえ吹き飛ばされるような強風に吹かれながら屋外テントで一日1000食のごはんをつくるなんて経験は、たぶんこの先二度とないと思う。つらかったわけじゃないけど、そんな非常事態が、少なくともぐりが生きてる間には再び来ないことを祈っている。
初めて目にした津波の被害を受けた地域の光景。中でも石巻市雄勝町の被害の言語に絶する凄惨さは、おそらく一生忘れないだろうと思う。

夏に漁師さんたちの作業をお手伝いにいったとき、こういう力仕事、単純作業の時は唄とか音楽とかほしくないですか?と尋ねたら、「いままだそんな気分じゃねえんだ」とやさしく答えてくれた。
みなさんが親しい人を亡くし、大切なものを失ってまだ日が浅いころだった。軽率な自分の発言が恥ずかしくてしょうがなかった。
先日その漁師さんのうちのわかめの収穫出荷をお手伝いにいった時、おかあさんたちが唄を歌って笑わせてくれた。
「わーかーめーの学校はー、津本浜ー
だーれが生徒か先生かー?みんなで芯抜きしているよー♪」(めだかの学校のメロディで)

この漁師さん一家は自宅こそ無事だったけど、作業場や事務所など仕事のための建物3棟を流され、機材もみんなだめになってしまった。それでもお年寄りのみんなが小さいとき暮らして来たように、ありあわせのもので力と知恵をあわせて避難生活をのりきり、1年経ってやっと漁業も再開した。
唄も歌えるようになった。
おかあさんの唄を聴いて、心の底からほっとした。
復興への道程はまだまだ遠いけど、でもちゃんと進んでるんだと、おかあさんの唄を聴いて実感できた。

今年もGWはびっちり全日被災地に行こうと思ってたけど、諸事情あって後半だけになった。
でも、ボランティアに行っても行かなくても、ぐりが被災地のことを忘れた日は震災以来一日もない。
しなくちゃいけないこと、してあげたいことのあまりの多さと複雑さに心が折れそうになることもある。
けどこれは絶対に投げ出したくないと思う。
今日から震災復興ボランティア2年生。やっと2年生。
1年生とは違う、2年生らしい支援活動を目指そうと思う。


高架からはぎ取られた国道。去年の夏、南三陸町にて。

2012年4月14日(土)~15日(日)震災ボランティアレポート
2012年3月16日(金)~21日(水)震災ボランティアレポートIndex
2012年3月10日(土)~13日(火)震災ボランティアレポート
2012年2月9日(木)~2月15日(水)震災ボランティアレポートIndex
2012年1月18日(水)震災ボランティアレポート
2011年11月1日(火)~6日(日)震災ボランティアレポートIndex
2011年10月21日(金)~24日(月)震災ボランティアレポート
2011年10月6日(木)~10日(日)震災ボランティアレポート
2011年8月26日(金)~9月4日(日)震災ボランティアレポートIndex
2011年8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
2011年4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(ver.3.4)

悪夢銀行

2012年04月27日 | book
『小説帝銀事件』 松本清張著

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1948年1月26日、東京都豊島区長崎町の帝国銀行椎名町支店に、午後3時の閉店時間を少し過ぎた頃やって来た男がいた。
彼は支店長代理に都の衛生課医員の名刺を渡し、「近所で集団赤痢が発生したが、その家の者が今日ここへ預金に来たはずだから、この銀行を消毒しなくてはならない。事前にここにいる全員に予防薬を飲んでもらう」といい、その場にいた16人に飲み薬を飲ませた。自分でも飲んでみせたので、誰ひとり疑う者もなく全員がいわれるがままに2種類の薬液を飲み干した。
やがて胸や喉の苦痛を訴えた行員とその家族がひとり、またひとりと倒れるなか、男は現金16万円と小切手を盗んで悠々と立ち去った。被害総額は現在の貨幣価値に換算して1800万円前後となる。
薬はほとんど残留物がなかったため特定が難しく、青酸化合物だったということしかわかっていない。飲んだ16人のうち12人が亡くなった。
これが世にいう帝銀事件である。

終戦直後のGHQ占領下で起きた未曾有の凶悪犯罪。警察は当初犯人を軍関係者と推定し捜査を進めた。
これは生き残った行員の証言から、犯人が使った医療器具の特徴が戦中に使用された軍のものと酷似していたのと、これだけの大人数を毒殺するのにちょうどぴったり致死量の青酸化合物を、いささかの躊躇もなく全員に分配し飲ませた手際の鮮やかさが、実際に生きた人間で人体実験を行っていた軍の実験部隊出身者にしか不可能な仕業だと思われたからだった。

しかし事件から7ヶ月後、逮捕されたのは軍とも医療従事者とも縁もゆかりもない、画家の平沢貞通さんだった。平沢さんは犯人が残した名刺の人物と一度名刺交換をしたことがあった。警察が彼を容疑者として特定した物的証拠は他に何もなかった。家宅捜索でも何も出てこなかった。
不幸なことに、平沢さんの筆跡は事件翌日に現金化された小切手の裏書きの犯人の筆跡とよく似ていた。容貌も目撃者によれば「よく似ている」らしい。そして平沢さんは事件直後に入った現金収入の出所を明確に証言できなかった。
平沢さんは狂犬病の予防接種の副作用でコルサコフ症候群にかかっていた。この病気は記憶障害を伴う脳障害で、欠落した記憶を埋めるのにありもしない嘘をペラペラ喋ってしまうという病気だった。暗示にかかりやすく、記憶と妄想の区別がつかなくなったりもする。
拷問のような取調べのなか、逮捕から30日後に平沢さんは自白してしまい、起訴された。

第一回公判から平沢さんは一貫して犯行を否認し続けたが、1955年、最高裁で死刑が確定。
その後17回も再審請求を繰り返したが受理されることはなく、1987年、獄中で亡くなった。95歳だった。
死後の今も、遺族と支援者が19回目の再審請求中である。

誰がどう見ても、医学の心得も何もない平沢さんにこれだけの大量殺人をやってのける技量がないことは火を見るよりも明らかだ。
だがなぜか警察は平沢さんが過去に軽微な詐欺事件を起こしていたことがわかったとたんに、軍関係方面の捜査をぱったり辞めてしまった。捜査関係者の中には、死ぬまで「平沢さん以外に真犯人がいる」と信じ、著書に実名まで記している人もいる。
それなのになぜ、平沢さんは大量殺人犯の汚名を着て、39年間もの年月を拘置所に閉じ込められなくてはならなかったのだろうか。

今ではこの事件の背景には東西冷戦があったともいわれている。
警察は真犯人は戦時中あらゆる化学兵器を開発研究していた731部隊出身者とみて捜査していた。しかし、731部隊幹部は事件前年の1947年に戦犯免責と引き換えに戦時中の人体実験資料を米軍に売り渡している。
つまり、この731部隊の存在が表沙汰になることが、当時日本を占領していたGHQにとって非常に都合が悪かったということになる。現実にGHQはこの事件の報道を差し止めている。
ぐり的には、だからって罪のない人を真犯人に仕立てなきゃいけないなんという理屈がよくわかりませんけれども。

この本は一応「小説」ということにはなってるけど、実際には松本清張の「帝銀事件取材記録」といっていいと思う。
狂言回しのはずの新聞記者は冒頭に出て来て以降はほとんど作中に登場しない。登場しても何もしない。出てくるだけ。
それにしても非常に細かい。生存者・目撃者の証言を全部列挙してはあらゆる角度から分析しまくっている。平沢さんの事件当日のアリバイを証明するために、彼が当日訪問した親族の勤め先での出来事など実に微に要り細にわたっている。
筆跡鑑定にいたっては、鑑定者が過去に犯した誤鑑定の事例まで挙げている。
とにかく細かい。細かさに脱帽です。てゆーかここまで来りゃ立派なオタクですやん。

実をいうと、ぐりはこの帝銀事件がちょっとしたトラウマになっている。
いつどこで見たのかまったく記憶にないのだが、この事件当時の報道写真を小さい頃に見て、以来たまに夢に出てくる。
夢の中で、ぐりは帝国銀行椎名町支店の中にいて、そこらじゅうに倒れて嘔吐しながら苦しんでいる人や、既に絶命している人たちの間に呆然と立っている。
なんでそれが帝国銀行椎名町支店だとわかるかというと、銀行とはいえごくふつうの質屋を改装した建物が使われていて、見た目は民家と変わらなかったからだ。
戦前に建てられた古い日本家屋の中で、たくさんの人が亡くなり、あるいはまさに今亡くなろうとしているという異様な光景の中で、ぐりはぽつんと立ちすくんでいる。
裏の縁側に出てみると、廊下のつきあたりのトイレの前の壁にひとりの男性がもたれ、足を投げ出して座っている。目が血走っていて、見るからにもう助かりそうにないというのが表情でわかる。
彼の絶望と無念さが、虚ろな視線から伝わってくる。
目を覚ますと、全身にびっしょり汗をかいている。

事件では12人もの人が亡くなった。なかには子どももいた。
これだけの犯罪が許されていいわけがない。
でもそれらしい誰かをつかまえて真犯人に仕立てても、決して事件は解決したことにはならない。
終戦直後のGHQ占領下という特殊な状況下だったならば、警察はもう捜査なんかやめちゃえばよかったのだ。GHQが邪魔するから捜査しませんて、投げちゃえばよかったのだ。
その方がずっとよかったよ。絶対捕まえられない壁の向こうに真犯人がいるなら、それはそれでほっとけばいいじゃないですか。
何も無関係の人をわざわざとっつかまえて、手間ひまかけて真犯人に仕立てなきゃいけない意味がわからない。
なんでまたそんなことしちゃったんだろう。誰か教えて下さい。

帝銀事件ホームページ

関連レビュー:
「海外の捜査官に聞く~取調べの可視化の意義~」院内集会
『美談の男  冤罪 袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』尾形誠規著
『冤罪 ある日、私は犯人にされた』菅家利和著
『LOOK』
『日本の黒い夏 冤罪』
『それでもボクはやってない』
『それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』周防正行著
『お父さんはやってない』矢田部孝司+あつ子著
『冤罪弁護士』今村核著
『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』守大助/阿部泰雄著
『東電OL殺人事件』佐野眞一著
『アラバマ物語』ハーパー・リー著

道徳の宇宙にかかる虹

2012年04月23日 | book
『現代奴隷制に終止符を! いま私たちにできること』 ケビン・ベイルズ著 大和田映子訳
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人身売買のいまを地球規模で紐解いた名著『グローバル経済と現代奴隷制』の著者ケビン・ベイルズの新刊。原著は2007年刊行。
全世界で2700万人いるといわれている人身売買の被害者(アメリカ国務省の数字では2億人)。人類の歴史上5000年間続いたこの「産業」、実は現在最盛期を迎えている。人身売買が合法だった18世紀ですら、奴隷は500万人程度だった。16世紀から19世紀の400年間にアフリカから大西洋を渡ってアメリカ大陸へ拉致された奴隷は1500万人。21世紀のいまこの瞬間、奴隷状態にいる人の数はそれらを遥かに超えている。
地球上どこへ行っても人身売買が禁止されているというのに、その被害は史上最大規模に拡大している。これほどの矛盾があるだろうか。なぜこんなことが起こるのだろうか。
理由は簡単だ。人身売買が非合法になったから、奴隷の存在は社会から見えなくなった。誰もがそんなことがあるわけはない、と思えば被害者はいないものとされる。実際にそこにいて呼吸していても、その人が「奴隷」であり「人身売買の被害者」だとは誰も気づかないし、本人ですら気がついていなかったりする。奴隷を売り買いし搾取する人々は、奴隷を透明化することにかけてはプロのマジシャン顔負けのトリックを幾重にも駆使する。周囲の目をごまかし、奴隷本人を脅迫し、洗脳する。被害者が社会から隔絶されてしまえば、誰もその地獄の存在には気がつかない。
そういう犯罪システムがどんどん発展し、やがて誰もがうっすら「怪しい」と感じている存在がいつしか「当たり前」になる。見えないものは見なくていいものという判断が「常識」になる。
そして人身売買というおいしいビジネスがぶくぶくと肥え太っていく。奴隷を無視する社会が、人身売買という犯罪を助長している。

たとえば、チョコレートの原材料カカオ豆の生産地で悲惨な労働搾取が行われていることが知られて久しいが、カカオ豆の世界シェア4割を誇るコートジボワールでは、子どもが1500~3000円で農場に売られている。
この国の農場で保護されたアマドゥという少年は、チョコレートなんてものは知らなかった。ただ毎日殴られ、蹴られ、鞭打たれ、報酬は無論のこと食事すら与えられず、5年半という長い年月、ひたすら搾取され続けていた。
「皆さんはぼくが苦しんで作ったものを楽しんでるんです。(中略)皆さんはぼくの体を食べてるんですよ」と彼はいった。
チョコレートを食べるとき、誰もそんな少年のことは思い出したくない。だからその少年の存在は社会から「いなくなる」。奴隷はいなかったことになってしまう。その方が、誰もが気持ちよくチョコレートのおいしさを楽しむことができる。
ぐりや、あなたがおやつに食べているチョコレート、バレンタインに贈りあっているチョコレートの向こうに誰がいるのか、その人はいくつでどこに住んでどんな顔をしているのか、知る手だては何もない。
しかし少なくとも、奴隷の搾取なしに生産されているチョコレートの存在は誰でも知っている。フェアトレードだ。
フェアトレード商品は確かに安いものではない。これはなにも贅沢な製法によるものでもなければ人件費が法外に高額だからでもなく、生産・流通のロットが小さいからである。みんながフェアトレード商品を欲しがるようになれば流通量も増えるし、増えればある程度までは価格は下がっていくはずだ。

奴隷制をなくす方法はフェアトレードだけではないことをこの本は教えてくれる。
なぜ奴隷制は撲滅されるべきかということも教えてくれる。
奴隷が自ら自由を獲得し、革命を成功させた例もいくつもある。逆に、政府が奴隷制の撤廃に大失敗した例も紹介されている。
今や奴隷制は人工衛星からでも発見できる。環境破壊が進行しているところには奴隷が付き物だからだ。森林伐採地や露天採掘場が法執行機関の目の届かない場所にあったら、そこには間違いなく搾取されている人たちがいる。
奴隷ひとりを解放するためにかかるコストも計上されている。ちなみに農業や漁業で子どもの奴隷が搾取されるガーナでは、ひとりあたり5~6万円で解放できる。犯罪者から子どもを引き離し、二度と被害に遭わないように保護し、自立できるように教育するところまで、たったこれだけのお金で奴隷がひとり助けられる。これを2700万人分に換算したとしても、ニューヨーク市が公共交通機関の運営費用として政府から毎年受け取る交付金とほぼ同額というレベルのお金なのだ。
奴隷を解放するにはお金がいる。だがお金をかけて解放するだけの価値はある。奴隷は解放された方が生産性が上がるのだ。誰でも他人から強制されて働かされるよりも、自分のために働く方が一生懸命になる。インドでは何代にもわたって搾取され続けた奴隷たちの村が、自分たちの採掘権を勝ち取ることで効率化し、それまで家畜同然だった生活から人間らしい文化的な生活にランクアップした。彼らはまず子どもたちの身なりを整え、学校を建てた。選挙に立候補して公職に就いた元奴隷さえいる。

奴隷制は人が人を搾取すること、それを見てみぬふりをし続けることで今まで生きながらえて来た。
だが、それをなくすための方法はいまや誰にも手の届くところにある。それをつかむために、誰もがまずは奴隷制の実在を認めるところから始めて欲しいと思う。認めさえすれば、誰だってそんなもの許しておけないはずだ。
そして次に、自分にできることに一歩踏み出してほしい。その方法はこの本に書いてある。
この本は確かに読みやすい易しい本ではない。だがこれほど力強く高らかに、奴隷制のない世界の到来を叫ぶことができるなら、必ずそれを現実のものにしたいという勇気がわいてくる。
その世界を招きよせられる鍵は他でもない、我々の手に委ねられているのだけれど。


関連レビュー:
『セックス・トラフィック』
『ウォー・ダンス / 響け僕らの鼓動』
『ゴモラ』
『ファーストフード・ネイション』
『ボーダータウン 報道されない殺人者』
『いま ここにある風景』
『女工哀歌』
『おいしいコーヒーの真実』
『ダーウィンの悪夢』
『ロルナの祈り』
『この自由な世界で』
『題名のない子守唄』
『イースタン・プロミス』
『13歳の夏に僕は生まれた』
『闇の子供たち』
『グローバル経済と現代奴隷制』 ケビン・ベイルズ著
『告発・現代の人身売買 奴隷にされる女性と子ども』  デイヴィッド・バットストーン著
『出版倫理とアジア女性の人権 「タイ買春読本」抗議・裁判の記録』 タイ女性の友:編
『人身売買をなくすために―受入大国日本の課題』 JNATIP編
『現代の奴隷制―タイの売春宿へ人身売買されるビルマの女性たち』 アジアウォッチ/ヒューマンライツウォッチ/女性の権利プロジェクト著
『アジア「年金老人」買春ツアー 国境なき「性市場」』 羽田令子著
『幼い娼婦だった私へ』 ソマリー・マム著
『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』 マリー=フランス・ボッツ著
『アジアの子ども買春と日本』 アジアの児童買春阻止を訴える会(カスパル)編
『少女売買 インドに売られたネパールの少女たち』 長谷川まり子著
『児童性愛者―ペドファイル』 ヤコブ・ビリング著

わかめ屋開店

2012年04月16日 | 復興支援レポート
この土日にまたまた宮城県にいってきたんですが。

今回の主目的は、これまでいっしょに活動して来たボランティア仲間と旧交(てゆーほど旧くないんだけど)をあたためあい、いろいろむにゃむにゃについて話しあうこと。
今夜はおいしいものをたらふく食べて、朝まで語り、飲み明かすゼイ!という気合いで出かけましたがー。
そうは問屋が卸さず!
ぐり最近ちょいと調子がよろしくないのでございますよ・・・。なワケで早々にリタイアして寝ちゃいました。ナニしに来たんだかね宮城県くんだりまでさ。

翌日はわかめの養殖のお手伝いをちょこっと。
わかめは初めてだったんだけど、芯抜きという、わかめの葉から茎を取り除く作業をしました。細かく、そしてムズい。1時間もやってれば慣れましたけど。
そんでやり終わって初めて気づいたんだけど、このわかめ、去年の夏に養殖いかだの土俵(アンカー。重り)をつくった、そのいかだのわかめだったんだよね。まさに。
漁師さんはぐりのことをちゃんとおぼえていてくれて、ボランティアの手で復活したわかめ漁で収穫ができたことに、とても喜んでくれた。ぐりもなんか感慨深かったです。

にしてもうちの冷蔵庫はもうわかめで満杯ですよ・・・誰かわかめパーティー、やらないかい?


朝ご飯にいただいた唐桑半島の養鶏場の卵。

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たねとしかけ

2012年04月06日 | lecture
昨日、「海外の捜査官に聞く~取調べの可視化の意義~」院内集会にいってきた。

「取調べの可視化」とは、警察・検察含め取調べにおいて全工程を電子映像データに記録し、供述調書に代わって裁判の証拠とすることを意味するのですが。いうまでもなく。
海外ではもう20~30年も前から導入されているこの制度だが、日本ではまだ最近になってやっと一部だけで運用が始まったばかりである。つーても一部ではまったく意味をなさないので、可視化するならばすべからく全工程可視化すべしとの目的で今も法制化が議論されている。
今回の集会の前日にも国際シンポジウムがあったんだけどそっちは行けなくて院内集会のほうに出ましたが、短い時間でもがっつり興味深いお話を聞くことができた。
ゲストスピーカーはアメリカの元コロラド州デンバー警察署警察官で、各国でこの制度のトレーニングを行っているジョナサン・W・プリースト氏と、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州警察で刑事事件を担当するデイビッド・ハドソン氏。両氏にアメリカ・オーストラリアでいかにして取り調べの可視化がスタートし、結果どのような効果が得られたかを伺った。


>>オーストラリアのケース
かの国ではこの制度は警察内部から自発的に導入された。
原因は、裁判で警察の捜査の不正─不当な拘留・証拠の捏造・被疑者への虐待─が批判され、警察が国民の信頼を失い、裁判所からも疑惑をかけられるようになったことからだった。
1991年から2年の間に30の拘留施設で可視化が始まり、1995年に法制化された。これにより、5年以上の刑が求刑される正式起訴では、電子映像記録なしの供述は証拠として認められなくなった。
ちなみにオーストラリアでは現在、被疑者は合理的理由なしに逮捕されることがなく、逮捕されたならば4時間以内に起訴か不起訴を決定しなくてはならない。裁判所が認めれば12時間まで延長はできる。

警察上層部が政府に強制されずに始めたこの制度だが、初めは警察内部での反発も大きかった。
裁判所は警察を信じるべきだし、録画されていては被疑者は自白などしない、というのが現場の感覚だったが、効果が認められれば支持されるようになっていった。
まず大きな効果は、裁判で被告人が有罪を認めるようになったことと、警察が不正をしていると指摘されることが少なくなったこと。警察に対する国民の信頼が高まり、批判も減った。
このメリットの大きなポイントとしては、被告弁護人が警察が提出した証拠に疑義を申し立てられなくなったため、無罪を主張する方法のひとつ─供述の証拠能力への批判─を封じることができる点である。
また、録音・録画された証拠は裁判官や陪審員に視覚で訴えることができる。被告人が逮捕当時・直後にどんな服装をしていたか、入れ墨をしていたか、薬物や飲酒の影響はなかったか、負傷していないか(虐待の有無の証明)、被告人のボディランゲージなどから、その供述をどのように受取るべきか、それぞれに自分なりの意見を持つことができる。

オーストラリアではこの制度が導入されて既に20年経っているので、当初は躊躇のあった警察内部でも、いまでは90%の捜査官は可視化以前の状況を既に知らない世代に交代している。
現在では、オーストラリアではすべての警察で取調べの録音・録画が行われている。

>>アメリカのケース
アメリカでは1970年代に捜査にビデオが使用されるようになり、70年代末には高性能の録画設備を供えた取調室が警察に設置されるようになった。
導入されたきっかけとしては、より効率的かつ正確な取調べの記録方法を模索・改善する必要があったからだった。
オーストラリアと同じく、導入当初は警察内部に反発があった。それは、警察の捜査の信頼性が疑われているという現実への抵抗感だった。
しかし導入されてからその利点─取調べに臨んでいる被疑者・捜査官双方の態度・ボディランゲージの記録が可能になること、メモを取る時間が不要になるためその時間を徹底的に話しあうことに費やすことができること─が実感されるようになった。
裁判官にとっても、取調べを録画録音が正しい方法であるという認識が広がった。録画を見ることで書面を審査する時間が減り、公判も開かれずに済むことも多くなったからだった。
30年経った今では、すべての捜査官はどこかに必ずビデオがあるところで取調べを行っているし、すべての警察施設に録画設備が設置されている。少なくともプリースト氏は録画設備のない取調室の存在を知らない。

この制度が導入された当初、アメリカの警察内部でも、被疑者はビデオのあるところでは自白はしないんじゃないか、コストがかかる、警察の権限が阻害されるのではないかという反発があった。
だが現在ではもうこの制度のなかった当時には戻れなくなっている。それほどその効果は絶大だった。
アメリカでは被疑者は憲法に保障された権利を守られ、ミランダルールとよばれる黙秘権もある。
一方で、捜査官には法執行機関の職員として、被害者の声を代弁し、本当に罪を犯した人に罪を償ってもらう責任がある。
このためにビデオを使った取調べは重要なツールだし、すべての法執行機関で使われるよう勧めたい。

>>質疑応答「この制度の最大のメリット」
オーストラリア:自白を入手したときとまったく同じ形で裁判に提出できる。
オーストラリアには「100人の真犯人を逃しても、1人の無辜の人を罪人にしてはならない」という原則がある。
アメリカ:捜査を完全に徹底的にできる。正確な情報を残せる。公正な手続きをしていることが証明できる。

1時間の院内集会なのでかなり駆け足な感じだったけど、お二方のお話を聞く限り、20~30年も前から他国では導入されているビデオが日本ではまだ使われていないことは、単に日本の警察の捜査方法の発展を妨げているだけのように思えた。
確かに供述をいちいち文書化するのは大変な作業だし、それをやめて取調べ時間を会話に集中して使えればそれだけ効率も上がるだろう。文書化された供述調書の信頼性を審理するには、そこに書かれた情報以上の証拠能力を評価する時間と技術が必要になる。しかし映像記録にはそれは必要がない。信用に足る証拠があれば、供述の真偽を議論する必要もなくなる。警察と裁判所と裁判員との間に、取調べ内容に対する共通認識を持つことができれば、無用の議論に割く時間も労力も減らせる。
警察にもいいことだらけの制度だということがなかなか認められない理由が、これだけ訊けばどこにもないように感じる。もっとそのことを国民全体に広くアピールするべきなんじゃないかなあ。
逆に、これがどーしてもできないってことは、警察がいつも日常的に「ビデオに記録できない不正な取調べをしている」なんて疑惑を裏づけちゃうことになるんじゃないでしょーかね。

関連レビュー:
『美談の男  冤罪 袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』尾形誠規著
『冤罪 ある日、私は犯人にされた』菅家利和著
『LOOK』
『日本の黒い夏 冤罪』
『それでもボクはやってない』
『それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』周防正行著
『お父さんはやってない』矢田部孝司+あつ子著
『冤罪弁護士』今村核著
『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』守大助/阿部泰雄著
『東電OL殺人事件』佐野眞一著
『アラバマ物語』ハーパー・リー著