『マティアス&マキシム』
マティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)の父はアメリカ・シカゴで働く弁護士。まもなくオーストラリアに移り住むという幼馴染みのマキシム(グザヴィエ・ドラン)の頼みで父に紹介状を出してもらおうとするのだが…。
審査員賞を受賞した2014年の『Mommy マミー』に続いてカンヌ映画祭コンペティション部門に出品されたカナダの若き奇才グザヴィエ・ドラン監督・主演作。
あのー。皆さまパーティーはお好きですか。
実を申しますとわたくしパーティーが大の苦手でございまして。もうどういう顔して何してればいいんだか、全然わかんなくなっちゃうんだよね。そもそもパーティーって何が楽しいのかな?っていうくらい、苦手です。
それは若いころからわりとそうだったけど(まだ若けりゃ酔っ払っちゃえばなんだってよかったので)、歳を追うごとにより苦手になってってます。いまは酒も飲まないので、それこそパーティーなんかいく意味がない。
くどくど自分の苦手意識を書くには理由がある。
この映画、全体のほぼ半分のシーンがパーティーなんだよね。もう何かっちゅうとパーティーばっかりやってる。パーティーじゃなければナイトクラブで遊び呆けてる。ナイトクラブじゃなければ誰かの山荘に集まって酒盛り。ひたすらパーティー、ゲーム、意味のないおしゃべり。
正直ついていけない。あーうるせーって感じ。
それでね、マティアスとマキシムもなんかついてけてないのよ。上辺はなんとなく楽しそうにしてるつもりっぽいんだけど、ずうっと心ここにあらずというか、上の空。
きっかけはある日のパーティーに来た友だちの妹(カミーユ・フェルトン)に頼まれて、学校の課題で撮る映画のワンシーンでキスをしたこと。
と、宣伝ではいっている。予告編でもそうなっている。
ところがどっこい、とくるのがやはり映画、やはりそこは天才ドランの真骨頂でございます。
ドランは『君の名前で僕を呼んで』にインスパイアされてこの作品を撮ったというけど、確かに『君の〜』と題材は完全にシンクロしている。
マティアスもマキシムももう30歳、マティアスには婚約者もいる。ふたりとも父親はいなくて、マキシムはカナダにおいていく母親(アンヌ・ドルヴァル)の心配ばかりしている。伯母に後見人を頼み、自分がいなくても母親が生活していけるように段取るのに必死の、旅立ち前の数日間。互いのことがどうしてこんなに気になるのか、あのキスの瞬間がふたりの何を変えてしまったのか、ただわからなくて戸惑うばかりなのに、出発の日はどんどん迫ってくる。自分が自分でなくなるような焦燥感、自らが何者であったかを見失いかけている不安感。払拭したくてもそれはどこか甘く、せつなく、胸の奥を熱く焦がす。
画面にいちいち「出発1週間前」とかなんとか時系列がテロップで出てくるんだけど、これも最後の最後に「あーっそういう意味でしたかあー!」としてやられた感満載です。
映画はまずシナリオというのがこのメディアが生まれたころからのセオリーだと思うし、それはどの作品においてもその通りなんだけど、この作品では、シナリオにはおそらく直接的には描かれないところに物語がある。パーティー三昧の映画だから台詞の量は半端ない。でもそのほとんどが物語の筋とはほぼ無関係なのだ。
そういう映画がつくれるんだということに、ただただ驚きました。脱帽です。ハイ。
マティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)の父はアメリカ・シカゴで働く弁護士。まもなくオーストラリアに移り住むという幼馴染みのマキシム(グザヴィエ・ドラン)の頼みで父に紹介状を出してもらおうとするのだが…。
審査員賞を受賞した2014年の『Mommy マミー』に続いてカンヌ映画祭コンペティション部門に出品されたカナダの若き奇才グザヴィエ・ドラン監督・主演作。
あのー。皆さまパーティーはお好きですか。
実を申しますとわたくしパーティーが大の苦手でございまして。もうどういう顔して何してればいいんだか、全然わかんなくなっちゃうんだよね。そもそもパーティーって何が楽しいのかな?っていうくらい、苦手です。
それは若いころからわりとそうだったけど(まだ若けりゃ酔っ払っちゃえばなんだってよかったので)、歳を追うごとにより苦手になってってます。いまは酒も飲まないので、それこそパーティーなんかいく意味がない。
くどくど自分の苦手意識を書くには理由がある。
この映画、全体のほぼ半分のシーンがパーティーなんだよね。もう何かっちゅうとパーティーばっかりやってる。パーティーじゃなければナイトクラブで遊び呆けてる。ナイトクラブじゃなければ誰かの山荘に集まって酒盛り。ひたすらパーティー、ゲーム、意味のないおしゃべり。
正直ついていけない。あーうるせーって感じ。
それでね、マティアスとマキシムもなんかついてけてないのよ。上辺はなんとなく楽しそうにしてるつもりっぽいんだけど、ずうっと心ここにあらずというか、上の空。
きっかけはある日のパーティーに来た友だちの妹(カミーユ・フェルトン)に頼まれて、学校の課題で撮る映画のワンシーンでキスをしたこと。
と、宣伝ではいっている。予告編でもそうなっている。
ところがどっこい、とくるのがやはり映画、やはりそこは天才ドランの真骨頂でございます。
ドランは『君の名前で僕を呼んで』にインスパイアされてこの作品を撮ったというけど、確かに『君の〜』と題材は完全にシンクロしている。
マティアスもマキシムももう30歳、マティアスには婚約者もいる。ふたりとも父親はいなくて、マキシムはカナダにおいていく母親(アンヌ・ドルヴァル)の心配ばかりしている。伯母に後見人を頼み、自分がいなくても母親が生活していけるように段取るのに必死の、旅立ち前の数日間。互いのことがどうしてこんなに気になるのか、あのキスの瞬間がふたりの何を変えてしまったのか、ただわからなくて戸惑うばかりなのに、出発の日はどんどん迫ってくる。自分が自分でなくなるような焦燥感、自らが何者であったかを見失いかけている不安感。払拭したくてもそれはどこか甘く、せつなく、胸の奥を熱く焦がす。
画面にいちいち「出発1週間前」とかなんとか時系列がテロップで出てくるんだけど、これも最後の最後に「あーっそういう意味でしたかあー!」としてやられた感満載です。
映画はまずシナリオというのがこのメディアが生まれたころからのセオリーだと思うし、それはどの作品においてもその通りなんだけど、この作品では、シナリオにはおそらく直接的には描かれないところに物語がある。パーティー三昧の映画だから台詞の量は半端ない。でもそのほとんどが物語の筋とはほぼ無関係なのだ。
そういう映画がつくれるんだということに、ただただ驚きました。脱帽です。ハイ。