落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

オモチャの世界へようこそ

2011年02月23日 | movie
『ソーシャル・ネットワーク』

2003年、ハーバード大学2年生のマーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)は酔って大学のコンピューターをハッキング、女子学生の顔写真を集め、親友のエドゥアルド・サベリン(アンドリュー・ガーフィールド)の協力で女の子の格付けサイトをつくってしまう。サイトはわずか2時間に2万件以上のアクセスを集めて大学のサーバーをダウンさせたうえ、マークは一夜にして大学中の女の子の嫌われ者になるのだが、彼の才能に目をつけたエリート学生ウィンクルボス兄弟(アーミー・ハマー/一人二役)にハーバードの学生専用“出会い系”サイトの立ち上げを依頼され・・・。
世界中に5億人以上のユーザーを抱えるSNSサイトFacebookの誕生を描いた青春物語。

ぐりはSNSってあんまり興味がなくて。
義理みたいなものでいくつかは登録はしてるけど、ほとんどユーレイ状態ですね。情報収集には使うこともあるし、宣伝したいことがあればターゲットにピンポイントでアピールできるという点ですごく有効なツールだとは思うんだけど、所詮は子どものオモチャじゃない?って気がしちゃうんだよね。
ビジネスツールとして似たような機能を持ったSalesforceなんかもあるけど、あれこそまさに純然たる“道具”であって、Facebookとは使う目的が違うからね。Sfはマジ便利っすよ。すばらしーですアレは。
まあでも、FacebookみたいなSNSにすっごいハマってる人の気持ちって、実はよくわかんない。若い子の中にはケータイのSNSサイトにハマって一日中そればっか見ちゃう子がいたり、なんてこともよく聞くけど、何がそんなにおもしろいのかイマイチついていけない。けど、今アラビア諸国で起こってる民主化運動のきっかけもFacebookだっつうし。うーん。
ジェネレーションギャップなのかなあ。

主人公のマークは1984年生まれ。Facebookを立ち上げたときは弱冠19歳だったことになる。
最初のFacebookはそもそも大学生同士で友だちの情報を見られるサイトとして始まったから、それこそホントに「子どものオモチャ」だったんだよね。自分の友だちが今どうしてるか、ってことがリアルタイムでわかる。
この映画のうまいところはFacebookを完全にそこまでのサイトとしてしか描写してないところなんだよね。5億人以上もユーザーがいるなんて化け物サイトではあるけど、なんでそんなことになったのか?ってところには言及していない。
なんだかんだいってデヴィッド・フィンチャーもFacebookなんて「子どものオモチャ」だと思ってたんじゃないかな?少なくとも思い入れはないよね。これで「いやそんなことない、オレは立派なFacebook中毒者だ」とかいわれたら、それはそれでスゴイと思うけど。ほんとに客観的に表現されてるから。

ただ逆に、この客観性が観ててすごく複雑な気分にさせられる最大要因にもなっている。
映画の中でFacebookは完全に単なる「子どものオモチャ」でしかない。マークはFacebookで金儲けがしたかったわけじゃない。才能をひけらかしたり、名誉が欲しかったりしたわけでもない。アイデアだってもとはウィンクルボス兄弟からパクったものだから、自分のアイデアで世間を驚かしたかったというわけでもない。
彼が何を求めてFacebookをつくり、今みたいな化け物サイトにまで仕立てていったのか、そこは映画の中でははっきりと明言はされていない。
明言されてはいないけど、彼は単に、自分がつくったオモチャにみんなが喜んで群がり、集まった人は平等にそれを使える、そんな世界を新しくつくりたかったんだろうな、ってことは微妙に伝わってくる。
なのに、映画の主人公としての彼は、なぜか決していい人にはなれなくて、わけもなく嫌なやつのふりをしてしまう。頭の回転が速過ぎて周囲とうまく馴染めず、何かとつい誰もを上から見下ろしてしまうのに悪意はない。やたらプライドにばっかりこだわって敵ばっかりつくって、それでも自分が得をするように立ち回ったりすることもできない。
ピュアなんだけどからみづらい、扱いにくい、でも憎めない。こーゆー人のことを関西弁では「いじましい」っていうんですけど、標準語に直したらどーなるんやろ。

デヴィッド・フィンチャーらしく映像が非常に凝っててさりげにオシャレで、マシンガン並みにけたたましい早口トークでポンポン展開してくスピード感が気持ち良かったけど、台詞に専門用語が多くて自分がついてけてるのか途中で何度も不安になっちゃったりして、観終わってすぐに拍手喝采しておもしろい!っていえる感じではなかったです。ゆっくり余韻に浸ってる間に、おもしろかったかもな、ってじわじわ思えてくる。そんな映画も珍しいね。
ところでこの映画、マーク・ザッカーバーグ本人やFacebookは製作に協力したりはしてないらしいんだけど、そんなことってあるんだね。んでそーゆー映画がオスカー候補になっちゃうアメリカってなんかスゲーよ。
アメリカといえば劇中にもやたら出てくるフラタニティ(ソロリティ)文化って超しょーもないよね(爆)。しょーもなすぎてギャグとしか思えないんだけど、あんなしょーもないモノが営々と受け継がれ、しかも大学卒業後、社会人になってからもいろいろ影響があるっつーんだから、アメリカまじわっかんねー。

それにしても、アメリカがいくら訴訟社会だっつっても、あのマークとエドゥアルド、マークとウィンクルボス兄弟の裁判をやってた弁護士とか、「ガキのケンカにいちいちつきあってられっかボケ!」「やってられるか!」とか絶対思ってたよね。イタイわぁ。
だってコイツら天下のハーバードの学生だっちゅーのに女子にモテることばっか考えてんだよ。マジですか。なワケあるいかいな。ね?・・・え?
けどまあそのイタさもこの映画の重要なモチーフなんだよね。こんな「子どものオモチャ」が超ウルトラ級のビッグビジネスになって、女のケツばっか追っかけてる(あるいは追っかけられもしない)ボンクラの「ガキのケンカ」に何十億ってカネが動く。
まったくヘンな世の中だ。

あと余談ですけど、この主演のジェシー・アイゼンバーグとアンドリュー・ガーフィールドが嵐の二宮和也と松本潤に見えてしょーがなかったのは私だけ?似てるよね?顔もだけど、背格好とかキャラとか。カブってない?

必殺仕事人、北海道へ行く

2011年02月19日 | movie
『隠し剣鬼の爪』

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舞台は幕末。海坂藩の平侍・片桐宗蔵(永瀬正敏)はかつて女中奉公をしていたきえ(松たか子)が嫁ぎ先で病に臥し、ろくな手当ても受けていないと聞き誘拐同然に自宅に引き取り療養させる。
そんな折り、宗蔵の道場仲間の狭間弥市郎(小澤征悦)が謀反の罪で捕らえられていた牢を破って逃亡するという事件が起きる。藩命で狭間を斬るよう指示された宗蔵だが・・・。
藤沢周平の同名小説を山田洋次が映画化。

山田洋次の藤沢周平シリーズの2本目。1本目の『たそがれ清兵衛』と3本目の『武士の一分』は劇場で観てたけど、間の『鬼爪』はパスしてました。
個人的に永瀬正敏と松たか子がちょっとニガテでさ(爆)。ホントそれだけなんだけど。
けど実際観てみると、このシリーズ3本を比較して一番完成度が落ちるのはやっぱしコレなんだよね。
まず第一にストーリーが『たそがれ』に似過ぎてる。身分違いの恋に悩む男女がいて、男は藩命で人を斬らなくてはならない。そこに仇討ちをプラスしただけでほぼフォーマット化してますやん。
ふたつめは、登場人物全員が喋り過ぎ。いちいち状況説明的にペラペラペラペラ喋られると興醒めしちゃうよ。とくに主人公があんなに喋りまくるのはなんだか武士らしくない気がする。そのせいかモチーフの重さの割りに切実さが感じられない。障害を超えて求めあう男女のせつなさとか、友情と忠誠心の葛藤とか、世の理不尽さへの怒りとか、そういう大事な“心”の部分、実感がまったく伝わってこない。なんか能天気なんだよね。かといって喜劇的かとゆーとそーでもない。
みっつめは、内容盛り過ぎ。主人公たちの恋と藩命、仇討ちにはそれぞれの間にほとんど関係がないのに、そこへ過去の友情やら嫉妬やらよけいなしがらみまで入ってて、全体にゴチャゴチャし過ぎてる。結局何の話だったかよくわかんないよ。散漫なの。

ほんとうに月代を剃って髷を結った永瀬正敏の熱演は素晴らしいと思うし、松たか子の薄幸の美少女ぶりにも文句はないんだけど、前作の高評価に舞い上がっちゃったのか、全体に空回ってる感満載なのが痛々しい。出てくる女性キャラの扱いがあまりにあまりなのも引っかかるしね。田畑智子は無意味にオバカなお嬢さんっぷりがなんかイタイし、松たか子もただただ主人公の愛と慈悲を受ける専用の女みたいな設定だし、高島礼子に至ってはヤリ逃げされるために出て来たみたいで可哀想過ぎます。
頑張ってつくってるのはわかるだけに非常にもったいないです。『たそがれ』の時のあの絶妙なバランス感はいったいどーなっちゃったんだろーね?あの名作は偶然の産物だったの?とまで思っちゃう。
そんなにひどい映画でもないけど、観るべき点もとくには見当たらない、ある意味一番残念な映画でした。無念なり。

ところでクライマックスシーンで使われてる小柄 (こづか)、アレは日本人なら誰でも知ってるアイテムなのかしらん?
ぐりは時代小説で読んで知ってたけど、一般的に時代劇でも活躍するようなアイテムじゃないし、画面に突然出て来てもなんだかわからない観客もいるんじゃないかと思うんだけど。
すごい大事なアイテムなのにいきなり登場したから、ちょっとそこらへん気になってしまいました。

死ぬより難しいこと

2011年02月13日 | movie
『南京!南京!』

舞台は1937年の南京。
12月、国民党軍司令官は首都を捨てて重慶に逃れ、南京市街に残った陸剣雄(劉[火華]リウ・イエ)は仲間とともに侵攻して来た日本軍に必死に抵抗していた。一方ドイツ人のジョン・ラーベ(ジョン・ペイズリー)やアメリカ人のミニー・ヴォートリン(ビバリー・ピコーズ)らは市内に安全区を設置し、一般市民の保護活動を始めるが、秩序を失った日本軍の暴力の前に彼らもまた日々無惨な犠牲を強いられていた。
南京陥落後、日本兵の角川(中泉英雄)は市内の慰安所で出会った百合子(宮本裕子)という慰安婦に淡い恋心を抱くが、ほどなく彼女は姿を消してしまい…。
『ココシリ』で一躍中国の国民的監督になった陸川(ルー・チュアン)監督が4年の歳月をかけて撮りあげた群像劇。


実は陸川て初見なんですけれども。
すごく中国映画らしい、オーソドックスな映画だなあと思ったのがひとつ。
全体に画面が綺麗。アングルとか超バッチリ決まってる。台詞が極端に少なくてワンカットが長くて、展開がなんだか淡々としてる。BGMもほとんど使われてなくて、全編通してとても静かな感じ。だからなんとなくちょっと懐かしいような、一見するといつつくられたのかよくわからないくらい普遍的といえば普遍的。
とくにステディカムを多用して、無名のキャラクターも含め人物ひとりひとりの表情をくっきりとつかみとるようなドキュメンタリータッチのカメラワークが印象的かつ非常に生々しい。リアルです。どことなく姜文(チャン・ウエン)の『鬼が来た!』に雰囲気が似てるなあと思ったけど、後で調べたら監督自身かなり意識はしてたらしい。
とりあえず完成度は充分です。そこはまったく無問題でございます。
なんだけどねえ~この映画好きか?もっかい観たいか?っつーとやっぱねえ~厳しいね~。

監督自身はインタビューで「これは記録映画ではない」「戦時下での人の感情を描きたかった」と述べていて。まあそれもわかるんだけど。実際、この手の映画にありがちな記録映像はいっさい使用されてないしね。
にしても残虐なシーンが多すぎるっつーか。レイプシーンとか慰安所のシーンとか、女性の観客の感覚からすれば、ホントにそこまで表現せにゃいかんもんなんか?って疑問には思っちゃう。マジ容赦ナシですもん。正直観てて結構キツかったです。途中から自分でも「これは何かの修行か?」とかツッコミながら観ちゃったりしてね。南京を扱った映画を自ら観といてキツいも何もないやろが、という。ぐりも一応この手の本とか資料とか一通り目は通してて、だいたいどんなだったかそこそこ知識はある方だとは思うし、映画の中で描かれてることそのものには全然意外性はない。それでもキツいくらいだから、これじゃあ日本で一般公開できないのもしゃあないなと、思っちゃうわけです。
描かれた史実の信憑性がどーとかじゃなくて、商業映画として、ビジネスとしてしんどいってことなのよ。残念ながら。うそっこのスプラッターホラーでさえ遥か昔に廃れたっちゅーのに、ここまで残虐シーンまみれじゃマニアック過ぎてちょっと商売になんないでしょ。当事者の方々にいわせれば、あるいは「何をいうか、現実はこんなもんじゃなかった」なんてお叱りを受けるかもしれないけど、監督がノンフィクションではないと明言している映画に、これほどまでの残虐表現が本当に必要だったとは思えない。中国国内じゃ大ヒットしたけど(興収25億円で2009年度第6位。ちなみに同年公開の『レッドクリフⅡ 未来への最終決戦』は39億円)、それでも残虐すぎるって批判はあったらしいし。

この映画、主要な登場人物が順番にどんどん死んでいくにつれて話が進んでいく、というのがひとつのキーになっている。
ネタバレだけど、クレジットでトップになっている“主演”の劉[火華]なんか驚くなかれ映画が半分も進まないうちに死んでしまう(台詞もひとことふたことしかない)。ラーベは史実通りドイツに帰国して姿を消すが、最後は実質的な主人公・角川も自ら命を絶つ。彼らの死に理由はない。理由もなく言葉もなく、順番に死んでいく。
劇中の台詞で「死んだ方が良い」というようなニュアンスの言葉が繰り返されるけど、南京戦の地獄はまさにこの一言に尽きるということがいいたかったのかもしれない。生きてこんな惨状に怯え続けて暮らすより、死んだ方がよっぽど楽、それほどひどかったのだと。

それにしてもしんどい映画だった。
ほとんどのパートが日本軍側からの視点で描かれてるにもかかわらず(台詞もほとんど日本語である)、なんでこんなことになっちゃったのかいっさい説明がないってとこは潔いとは思ったです。
とりあえず相当真剣につくられた、一見の価値はある作品ってとこだけは間違いないです。ハイ。


関連レビュー:
『南京の真実』 ジョン・ラーベ著
『南京事件の日々―ミニー・ヴォートリンの日記』 ミニー・ヴォートリン著
『ザ・レイプ・オブ・南京―第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』 アイリス・チャン著
『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』 巫召鴻著
『ラーベの日記』
『Nanking』
『アイリス・チャン』
『南京・引き裂かれた記憶』
『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』

ハイル・シットラー

2011年02月12日 | movie
『ラーベの日記』

1937年、日本軍は中国の首都南京に侵攻。
現地でドイツの電気会社ジーメンス社の南京支社長を務めていたジョン・ラーベ(ウルリッヒ・トゥクール)は、他の在中欧米人と協力して難民安全区を設置、20万人の民間人の保護に奔走する。
戦後に発見されたラーベの日記を下敷きに、人命保護という使命に翻弄される人々の苦悩を描いた2009年の独中仏合作映画。原題『John Rabe』。
ドイツのアカデミー賞といわれるローラ賞で最優秀金賞、最優秀主演男優賞、最優秀衣装デザイン賞、最優秀美術賞を獲得した。


なんやかんやすったもんだで結局日本では公開されなかった『ジョン・ラーベ』ですけれども。ちょっと不完全ながら一応観れました。日本語字幕で。
描かれた史実の信憑性はとりあえずおいとくとして、いい映画です。すんごいよく出来てる。普通におもしろいし、感動的です。
戦争映画である以前に娯楽映画としてちゃんとしてるんだよね。意外なことに。だから結構脚色されてる部分もあるんだけど、まあ許容範囲内じゃないでしょーかね。
だってホントのラーベの日記ってめちゃめちゃ淡々としてるからね。これそのまま映画にしても相当しんどいです。

誤解のないように断っておくけど、この映画は厳密にいえば南京事件/南京大虐殺の映画ではないです。
あくまでも、そのとき南京市内に設けられた安全区を守ろうとした人たちの物語。たとえば、安全区が出来るまでに映画の前半3分の1が割かれているし、南京安全区国際委員会のメンバー同士の葛藤もかなり細かく丁寧に表現されている。逆に役名のある中国人はほとんど出てこない。ラーベを含めた委員会メンバーは勇敢ではあるが階級意識や偏見や差別意識もしっかり持っている、当時としてはごく普通の人として描かれている。なので中国人のパーソナリティはストーリーにさして重要ではなく、ただ無力なだけの無名の市民にしておいた方がよかったらしい。日本軍の残虐行為も、委員会メンバーの使命感をかきたてるための“装置”として用いられていることになる。そういう意味ではかなり一方的な映画ではある。
このため登場人物の名前が大幅に改変されていて、実在の人物名で登場するのはラーベとアメリカ人医師ロバート・ウィルソン(スティーブ・ブシェミ)、アメリカ人宣教師ジョン・マギー(ショーン・ロートン)、南京大学のルイス・スマイス教授(クリスチャン・ロドスカ)、上海派遣軍司令官で事件の首謀者とされる朝香宮鳩彦王(香川照之)に留まっている(ちなみに朝香宮以外の面子は自ら事件についてなんらかの発表をしたことが知られている人物)。
つーことはいってみれば、誰もが「こんなのホントじゃない」「ノンフィクションじゃない」なんて目をつりあげる必要なんかないってことよね。映画だもん。

繰返しになるけど、この映画の本当のテーマは悲惨な戦争でも虐殺事件でもなくて、極限状態の中で助け合うことの大切さなんじゃないかと思う。
委員会のメンバーにはドイツ人だけでなくアメリカ人もイギリス人もいた。医師や教育者・宗教家もいたが一般市民もいた。国籍も違えば立場も思想も政治志向も違う。ぶつかって当たり前の、寄せ集めの烏合の衆だったわずか20人足らずの平凡な人たちが、実に20万人もの中国人を救おうとしたのだ。どれほど大変なことだったか、物理的な負担だけではない、彼らに課せられた精神的なプレッシャーがどれほど大きかったことか、とても想像すらつかない。
この映画には、恐れ、戸惑い、迷いながらそんな重荷と必死に戦う人々の姿が実に人間味豊かに、かつドラマチックに表現されている。たった3ヶ月間あまりの話とは思えないくらい濃かったです。
一般公開されなかったのが本当に残念。せめて映画祭などのイベントでの上映だけでもないかなあ。DVDだけでも出せんもんか。もったいない。

それにしても、ここまでひどい悪役に果敢にも挑戦した日本人キャストの皆さんの役者魂は尊敬に値する。香川照之はこの映画への出演を評してラーベ平和賞にも選ばれている。海外では彼らの姿勢が評価されるのに、国内ではこんな映画が公開すらされないって、日本てホントにヘンな国だよね。
しかしダニエル・ブリュールと張静初(チャン・ジンチュー)のなんかええカンジのシーン、あれはなんやったんやろ?超意味不明でしたん。
まーこのふたりはどー考えても完璧100%「客寄せパンダ」要員でしたけど…。あり得んくらい見事な浮きっぷりでむしろ気の毒だった。む、酷いわあ。


関連レビュー:
『南京の真実』 ジョン・ラーベ著
『南京事件の日々―ミニー・ヴォートリンの日記』 ミニー・ヴォートリン著
『ザ・レイプ・オブ・南京―第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』 アイリス・チャン著
『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』 巫召鴻著
『Nanking』
『アイリス・チャン』
『南京・引き裂かれた記憶』
『チルドレン・オブ・ホァンシー 遥かなる希望の道』

赤い鳥逃げた

2011年02月12日 | movie
『沈まぬ太陽』

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1985年、航空史上最多(単独機)の犠牲者を出した未曾有の大惨事・日航123便墜落事故を背景に、日本航空という大企業の裏側を実在の労働組合委員長を主人公に描いた社会派ベストセラー小説の映画化。
国民航空の労組委員長の恩地(渡辺謙)は激しい交渉合戦の末、スト決行を切り札に社員の労働条件の改善を会社側から勝ち取る。だがその代償は9年間にも及ぶ僻地勤務だった。
国内勤務に戻った恩地は事故の遺族の世話係を任されるが、遺族が求める社内改革は、かつて恩地とともに労組運動を戦った行天(三浦友和)ら既得権益を守ろうとする役員たちの妨害工作、政財界の利権争いによって混乱を極める。

4年間も週刊誌に連載された三部構成の大長編の映画化、ってだけでつい「大丈夫かよ」と思ってしまうのですが。
杞憂でしたね。すんごいよくできてます。
確かにお金もいっぱいかかってるし、ワンシーンしか出てこない脇役にまで全部主役級のメジャー俳優をキャスティングした豪華な超大作には違いないんだけど、それ以上に、ほんとうに細部までムチャクチャ丁寧に作られてる。
ぐりはこの原作は読んだことないけど、事故当時のことは結構よく覚えてるし、だからこの物語の時代背景はかなり鮮明に記憶に残っている。この映画の中に描かれる時代の空気は、ぐりの記憶にある限り相当リアルだと思った。
それはセットや衣裳やヘアメイク、自動車といった見た目のディテールだけじゃなくて、主人公恩地の誠実さゆえの頑なまでの不器用さや、恩地家の家族の間の微妙な距離感にも表現されている。それも単に甘いだけのノスタルジーじゃなくて、どっちかというと苦いリアリティなんだよね。「懐かしいね(笑)」というよりは、「ああこんな感じだったよな(苦笑)」みたいな。

この映画の主軸は、恩地の利益や名誉に完全に背を向けた生き方なんだけど、実はそれは半分だけなんじゃないかと思う。あとの半分は、労組運動に挫折しあとはひたすら野心を追いかける行天のキャラクターとの対比なんだけど、どっちがリアルかっていうとやっぱ行天の方なんだよね。残念ながら。
だって恩地に共感しようったって現実味がないんだもん。あんまりにも清廉潔白過ぎてさ。東大法学部を出て日本を代表する大企業に勤めながら、出世とは無関係に冷遇されつつ絶対に逃げない。その一方で綺麗な奥さん(鈴木京香)がいて立派な子どもたち(柏原崇・戸田恵梨香)にも恵まれてる。そんな絵に描いたような人物に共鳴できるほどおめでたい人がどのくらいいるだろう。
でも行天の方は不倫はするし、愛人(松雪泰子・小島聖)を利用してまで平気で不正もやり放題、強引なまでに手段を選ばずにのし上がっていく一方で、なぜか恩地への劣等感から逃げきれない。すごい人間味あるよね。もうちょっと出番欲しかったかな。

202分という長尺がしんどくて映画館では観なかったけど、今回TVで観れてよかったです。
尺に関していえば、冒頭~事故のパートに挿入されるアフリカのシーンはいらなかったかなと思います。エンディングの伏線として入れたかった気分はわかるけど、入れてから3時間も経っちゃってたらあんまし意味ないしね。
あと15年以上経ってんのに松雪泰子の外見がまるっきり変化しないのには超違和感感じましたです。どんだけ大女優か知りませんけど、興醒めやったわあ。
それに邦画を観てていつも気になることだけど、録音状態が悪くて台詞が聞き取れない箇所がやたら目立つんだよね。大作なのになんとかならんのかいな。
きちんとした作品だけに気になりました。


関連レビュー:
『墜落遺体─御巣鷹山の日航機123便』 飯塚訓著
『クライマーズ・ハイ』