落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

てがみをください

2020年01月29日 | movie
『his』

学生時代、愛しあって同棲していた渚(藤原季節)に去られ、東京での生活から逃げるように岐阜の田舎町に移り住んだ迅(宮沢氷魚)の元に突然、6歳になった娘(外村紗玖良)を連れたかつての恋人が現れる。渚は娘の親権を争って妻(松本若菜)と離婚調停中の身だった。
他人との関わりを絶つつもりで田舎暮らしを選んだ迅だったが、そこにふたりが加わったことで少しずつ近隣住民との交流が生まれていく。

地味。
全編とにかく静かです。
まあ主人公がお前はホンマに主人公か?と襟首掴んで問いただしたくなるぐらいひたすらだんまりの受け身なので、そりゃもう静かにならざるをえない。しかも舞台は山の中の田舎町、住民のほとんどが年寄りばかりで、若者といえば移住者の迅や役場勤めの美里(松本穂香)ぐらいしかいない。音といったら風が揺する草木の葉音か川のせせらぎ程度なものである。

そんなだんまりデクノボーの迅のどこがそんなに好きなのか、渚はどうしても少年時代の恋人を忘れられないといって飛びこんでくる。
そのむしゃぶりつき方が非常にずるい。恋に理屈も何も必要ない、ただただ好きで好きで、そばにいたい、触れたい、誰にも渡したくないという欲求が巨大なエネルギーになって自分を押し流していく。その流れに逆らえない渚と、いっしょになって巻きこまれていく迅が痛々しい。
巻きこまれながらも、人を愛することと世界を愛することとの間に勝手に壁を隔てていた自分に気づく、迅の心の動きがぎこちなくも人間らしい。

そうした不器用な二人の青年のぎくしゃくした物語を、するすると前に進めていくのが渚の娘・空である。
セクシュアルマイノリティのカップルの子育てを題材にした映画といえば過去には『チョコレートドーナツ』という傑作があるし、日本にも『彼らが本気で編むときは、』なる佳作がある。空ちゃんのキャラクターはNHKでドラマ化された『弟の夫』の夏菜によく似ている。『弟の夫』は厳密にはカップルの話ではないが、主人公たちが社会の中での自分の立ち位置や存在意義に逡巡しているときに、一番弱い立場である子どもにしか発揮できない力で彼らの背中を押してくれるという点では、同じような役割を持つキャラクターである。

『his』の渚は、自分が他でもない最愛の娘の父であるという客観的な自覚を通して、彼女に対して己にできうる最善の使命を知る。どんなに苦しく悲しく辛い選択であっても、それが愛であるという自信を得る。その姿には単純に胸を打たれたし、愛情の形なんて結局は当事者にしかわからないし、それでいいんだということがとてもよく伝わる物語だと思いました。

監修が一橋大学アウティング事件裁判の原告代理人を務める南和行弁護士と聞いて劇場に行ったけど、観てよかったと思います。
しかし監修が素晴らしすぎたのか裁判のシーンがめちゃめちゃエグい。離婚裁判って大体こんなもんなんだろうけど、そこは想像はつくけど、だから却って他のシーンの静けさとのコントラストがバリバリにキマってます。いささかキマりすぎじゃー?という気がしなくもない。
でもだからこそ、この物語が決してセクシュアルマイノリティをとりまく苦境だけを訴えたいわけではなく、社会全体にどれだけの差別と偏見が無意味に跳梁跋扈しているかが非常にうまく表現されてるなとも感じました。

それにしてもこのタイトルは何なん?さっぱりインパクトもないし何をどう訴えたいの?と思って調べたら元はテレビドラマだったのね。メーテレで去年放送された『his〜恋するつもりなんてなかった〜』の後日譚に当たる物語だそうです。
そんなん知らんし…せっかくならもっと幅広く訴求するタイトルをつけてもよかったんじゃ?と思うけど、何か思い入れでもあったんでしょーかねー…。



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三嶋りつ惠 「光の場 HALL OF LIGHT」展にて。

大雨のあとで

2020年01月24日 | movie
『パラサイト 半地下の家族』

家族全員失業中で、自身も大学受験に失敗ばかりしているギウ(チェ・ウシク)は、海外留学する友人(パク・ソジュン)に女子高生ダヘ(チョン・ジソ)の家庭教師の代行を依頼される。
面接に行ってみるとダヘの一家は豪邸に住む大金持ちだった。他人を疑うことを知らない単純な母親(チョ・ヨジョン)を騙して妹(パク・ソダム)をダヘの弟(チョン・ヒョンジュン)の美術教師に雇わせることに成功したギウだったが…。
韓国の人気監督ポン・ジュノによるカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。

ポン・ジュノというとデビュー作の『ほえる犬は噛まない』がすごく好きで。全編徹頭徹尾究極にちまちました話なのがものすごく笑えた。
人気が出て大作映画を撮るようになってからもやっぱり「フツーの小市民」目線、それもケチでしみったれててあんまりイケてない人が主人公の物語をおもしろおかしくブラックに描くのが得意な人なんじゃないかなと思うのですが。
世界的大ヒットになったクライムサスペンス『殺人の追憶』だって、主人公の刑事はなかなかにしみったれてたもんね。そういえば『パラサイト』の父親役も『殺人の追憶』の刑事もソン・ガンホ。ていうか私が観てる韓国映画だいたいソン・ガンホやな。最近あんまり映画観てへんけど。

閑話休題。
主人公ギウの一家の貧困ぶりと、ダヘ一家のバブリーなゴージャス感のコントラストが凄まじいんだけど、正直言ってこの格差が笑っていいのかどうなのか微妙な気分になってしまい。
ギウの家は市街でも低地のそれも半地下で、ダヘの家は高台にある有名建築家が建てた家。ギウの家族は誰も定職に就かずインターネット使用料すら払えないのに、ダヘの一家はフルタイムの運転手と家政婦を雇った上で子どもたちの勉強は家庭教師任せ。大雨が降ればギウの家は浸水するだけでなく下水すら逆流してどろどろの水浸しなのに、ダヘの家では雨さえ止めば広大な芝生で豪華なガーデンパーティーができる。
むちゃくちゃ極端な対比みたいに見えて、実際日本でだってどこでだってこんな格差がもう当たり前の現実を思うと寒気がする。

ダヘ一家に入りこんだ人間が次々にパラサイトしていくストーリーも極端といえば極端だし、その後の二転三転するどんでん返しの連続にもビックリしたけど、もう以前のように、韓国映画独特のクドさやしつこさを気楽に笑えない。
日本でだって初任給は20年も上がらないまま平均年収は下がり続ける一方で、税金も社会保険料も年金も健康保険料も物価も値上がり続け、GDP規模にして世界第3位でありながら6人に1人が相対的貧困(2017年OECD経済審査報告書)という体たらくである(参考)。韓国だってどこのだって貧富の差を笑うことはもうできない。そして古今東西、貧困と犯罪は深い相関関係にある(参考)。
そういう堅苦しいリアルにとらわれて映画が楽しめない自分自身が貧乏くさいだけなのかもしれないけどね。

とはいえ、最後の最後はやっぱりあまりにも現実離れしててつい笑っちゃいました。あの寒いラストがポン・ジュノらしさなんだろうけど、カンヌで評価されたのは、あれだけの格差のリアリティなんだろーなー。
物語の後半、窓越しにガーデンパーティーを眺めながらギウがダヘに「オレはこの場に似合ってるか」と尋ねるシーンがある。ギウ一家は全員が身分を偽ってダヘの家族に“寄生”してるわけだけど、このセリフで、そういえばこれは映画なんだし、当たり前の感覚ならこんなことできっこないよなとふと我に帰る。格差のあまりの大きさが怖くなるからだ。金づるのつもりでたぶらかした少女に本気で恋したことで、ギウはその恐ろしさに、ただただ贅沢なガーデンパーティーの光景を目にして初めて思いあたる。遅いやろ。ギウ一家のこの鈍感力がこの映画全体のエネルギーになっているわけだ。スーパー鈍感エンターテインメント。

しかしチェ・ウシクが松田龍平に見えてしょうがなかったのは私だけでしょーか。似てるよね。父親の松田優作が日韓ダブルだからってのは関係ないだろーけど、それにしても似てたなー。




森美術館・塩田千春展にて。