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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ニッポン万歳

2006年07月22日 | movie
『ゆれる』
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兄弟は他人の始まり。
とよくいうけど、まったくその通りだと思う。ぐりにも妹がふたりいるが、幼いころから血が繋がっているような気はぜんぜんしなかった(妹ふたりは顔も性格も似ている)。年を追うごとに距離はどんどん開くばかりで、今では他人との間にさえ感じないような壁まである。せめてまだそれが「溝」になってないのを幸いというべきか。タマにミョーなところでシンクロしてて、DNAってこえー、とか思ったりはするけどね。
この物語に登場する猛(オダギリジョー)と稔(香川照之)も外見的には対照的な兄弟だが、根本的なところでは気味が悪いくらいよく似ている。兄・稔はひとり自虐的になることで状況を収拾しようとするし、弟・猛はひとり悪者ぶってみせることで状況を打開しようとする。そしてふたりとも、お互いを誰よりも激しく求めあいわかりあおうとしながらも深く嫉妬し、信じあえずにいる。
もう一組の兄弟─勇(猛と稔の父/伊武雅刀)と修(蟹江敬三)もそうだ。

映画そのものはなるほどものすごい完成度でした。メチャクチャよく出来てる。
ストーリーもサスペンスとして非常におもしろいし、人物描写や状況説明にムダがなくて洗練されている。美術にも画面構成にも編集にも音楽にも、いっさいケチのつけようがない。ほんとうにうまいです。若手監督独特の妙な青臭さもクセもないし、逆に女性監督特有のしつこさはいい味になっている。
しかしなによりもスゴイのは役者の演技。もうね、ぜんぜん!芝居にみえないです。オダギリジョーはオダギリジョーじゃないし、香川照之は香川照之じゃない。伊武雅刀も伊武雅刀じゃないし、蟹江敬三も新井浩文も木村祐一もピエール瀧も、みんな今までにみたことない芝居をみせている。なのにそれぞれの個性がものすごく巧妙に活かされている。スゴイっす。オダギリジョーはインタビューでこの作品を「20代の集大成」といってたけど、それは他の出演者もみんなそうなんじゃないかと思う。そのくらい、全員名演でした。

こういう言い方はアレだと思うんだけど、この西川美和という監督はもしかしたらホントに天才かもしんないです。
是枝裕和監督の弟子みたいなポジションの人らしいけど、ひょっとすると師匠以上のアーティストになる可能性も大です。てゆーかもう超えてるかも?っつーと言い過ぎか。次を観てみないとなんともいえないですね。それは。旧作『蛇イチゴ』はぐりは未見。まずそれをチェックすべきか。とりあえず弱冠32歳の女性でこういう作家が日本から出てきたことが、正直にめでたいと思います。
それともうこれからは今作の出演者全員のファンになりたい気分です。そのくらい、みんなかっこよかったです。素晴しかった。みんないい役者してました。
日本映画の未来は明るいぞ!

ニッポン万歳

2006年07月22日 | movie
『蟻の兵隊』
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1945年8月15日、日本は戦争に負けた。
太平洋岸地域から中国大陸にわたる広範囲に展開していた日本軍はその日を境に武装解除され、民間人も全員日本国内へ送還されることになった。
中国大陸では同時に、それまで協力して対日戦争を戦っていた国民党軍と八路軍(のちの人民解放軍、つまり共産党軍)が衝突する内戦状態に入る。この内戦に旧日本軍の兵士たちが加わっていたケースがあるのは愛新覚羅浩の自伝『流転の王妃の昭和史』にも書かれている通りである。
この作品は、日本軍として国共内戦を戦った元残留兵のひとり、奥村和一氏の贖罪の旅と記憶との戦いを描いたドキュメンタリーだ。

作中、激しく心を揺さぶられたのは、映画の前半、奥村氏が元参謀・宮崎舜市氏を見舞うシーン。
宮崎氏は終戦当時、民間・軍部を含めた中国にいる日本人の送還を担当していた。奥村氏が所属していた部隊では、兵士の一部を国民党軍に売り渡す密約が幹部間で交わされていたため、なかなか引き揚げが進まない。業を煮やした宮崎氏は現地まで視察に来たのだが、幹部があれこれと言を弄して追い返してしまった。このために2600人もの日本兵が山西省に残留することになり、うち550人が戦死、700人以上が捕虜になり10年余りも帰国できないという悲劇が生まれた。
そんな宮崎氏も97歳。10年以上前に脳梗塞で倒れて寝たきりの状態で、介護する親族も「お見せしたい姿じゃない」「何もわからないから」と謙遜する。ところが、奥村氏が「閻錫山将軍と澄田[貝來]四郎中将との密約の証拠をみつけてくる」と発言すると、ベッドに横たわったまま、心底悲しそうに悔しそうに顔全体を力いっぱいゆがめ、大声で叫び始めた。
もちろん言葉にはならない。でもその苦悶に満ちた表情と、泣きわめくような絞り出すようなせつない声を聞いていると、彼の経験した戦争が彼の中で未だに終わっていないこと、既にものもいえなくなった彼が、その悔恨を死ぬまで背負っていかなくてはならない苦悩の深さが、凄まじい勢いで胸に迫ってきた。
それだけのことを、日本はした。今もしている。中国や韓国や他のアジア諸国に対してだけではない、国内にもいる戦争の犠牲者にさえ、日本という国は向きあおうとしていないのだ。

宮崎氏だけでなく、この映画は全編を通して登場人物たちの「表情」に力強くフォーカスしている。
奥村氏もそうだが、作中に登場する戦争を経験した人たちの表情はみな一様に淡々としている。中国人でも日本人でも、そこは同じだ。泣いても笑っても起こってしまったことはもう取り返しがつかない、今さら感傷的になっても仕方がない。だから簡単に涙なんかみせないのかもしれない。
彼らの表情が穏やかであればあるほど、瞳にうつる悲しみや唇に浮かぶ苦しみが、よりいっそう能弁にその巨大さを物語っているような気がした。
この映画は確かに戦争ドキュメンタリーではある。しかし、戦争経験者の表情をとらえたという意味で、既存のドキュメンタリーとははっきりと一線を画している。ちなみに作中にはナレーションも図解アニメーションも年表も使用されてはいない。テロップも個人名と年齢と階級と地名くらいにしか使われない。
罪もない中国人に対して自分がどんな仕打ちをしたのか、その体験を真摯に見据え、誰にも責任転嫁することなく、自分の罪として、日本の罪として明らかにしようと頑張る奥村氏の精神の強靭さと率直さは、芸術的なほど美しかった。
なるべくたくさんの人に観てほしいし、日本人ならできるだけ観るべき映画だと思う。日本の戦争責任について疑問のある人には、とくに観てほしいと思う。
観賞後に『私は「蟻の兵隊」だった ─中国に残された日本兵』(奥村和一/酒井誠著)も読んだけど、勉強になりました。

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この世の果て

2006年07月21日 | book
『中国の血』ピエール・アスキ著 山本知子訳
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1990年代、貧しい農村地帯で大々的に展開された売血事業が原因で爆発的に感染が広がった、中国のエイズスキャンダルを克明にリサーチした実に衝撃的なルポルタージュ。
ある調査では、中国全土には現時点で100万〜150万人のHIV感染者が存在するという(非公式発表)。これが2010年には10倍になると予想されている。凄まじい数字である。中国の人口は現在13億人だから、100人にひとりはキャリアという計算になるのだ。
エイズは今日でも、享楽的な性生活を送る一部の特殊な人たちの病気という誤解が中国だけでなく世界中で一般的だ。だが決してそうではない。初めての恋人からエイズをうつされて亡くなった人をぐりは知っている。血液製剤で感染した人もいる。中国の感染者の大半はろくな衛生管理もされない売血事業によって感染した。同性愛者の感染者は全体の1割程度である。その反面、中国国内で売春している女性はかなりの割合でこのウィルスに感染している。中国人にセイファーセックスの意識が浸透していないからだ。また、地方ではコンドームそのものが普及していない。

売血事業が非合法化された現在、最も必要なのは的確な治療と正しい情報の共有である。
売血で感染した農民の多くは夫婦両方が感染している。感染後に生まれた子どもに母子感染しているケースも多い。しかも、感染者のほとんどがまともな治療を受けていない。
エイズは正しく処方された薬を毎日きちんと飲めば発症を遅らせることができる。もう「死の病」ではない。それなのに、貧しい農民には薬も、それに関する知識も行き渡っていない。感染したばかりにもっと貧しくなり、まったくいっさいの治療を受けられず、なすすべもなく死んでいく人も大勢いる。
こうした感染者救済の遅れは、エイズに関する正しい知識がまるで浸透していない現実に大きな原因があるのではないかと思う。
HIVは体液感染するウィルスだが、非常に感染力は弱い。ごく乱暴にいえば、ナマでセックスしさえしなければうつらない。キスしてもいっしょにおフロに入ってもうつらない。だから、感染者の出た村の女の子が結婚できないとか、出身者がよそへ出稼ぎに行けないとか、生産された野菜が売れないとか、感染者遺児の孤児院が閉鎖させられたりするのは完全な誤解による差別でしかない。そうした差別の中で感染者は孤立し、もっと貧しくなる。
逆にいえば、HIVはナマでセックスすればそれなりの確率で伝染するウィルスでもある。たとえば別々に感染したキャリア同士がナマでセックスすると、それぞれ別の型のウィルスに再感染し、ウィルスの活動が活発になり、より発症しやすくなったり、症状が激化する恐れがある。また、貧しい農民たちは一度処方された薬が足りなかったり、あるいは副作用が厳しすぎて服用をやめたりしているため、体内でウィルスに耐性がついてしまっている。服用を続けなくてはならないことを誰もちゃんと教えてくれないからだ。感染しただけでも不運なのに、無知と貧困がさらにその不運に拍車をかけている。大体、彼らは自分たちの病がなんであるかもろくに知らないのだ。

中国政府はちゃんとエイズに関する啓蒙活動をやってますよという人もいるだろう。
しかし実際には、有名俳優が出演しているTVCMは“エイズ村”ではみられない。ほとんどの家にTVがないからだ。また、沿岸地区の売春窟での調査では、コンドームをつける客は全体の2割に満たない。コンドームをつけない客のうちのどのくらいが地方から来た出稼ぎ労働者なのかはわからない。家族を養うため、子どもを学校に行かせるため、お嫁さんをもらうためにはるばる働きにきた貧しいおとうさんや若者たちが、エイズについての知識や、これからセックスする相手のうちのどのくらいがキャリアなのか、ちゃんとした情報を持っている可能性はかなり低いだろう。そういう労働者たちが売春宿で感染し、知らずに帰郷して恋人や配偶者に感染させてしまう。こうして静かに中国全土にエイズは広がっていき、そして売血によって爆発したのだ。
この本では、主に数万数十万の犠牲者を出した売血事業の責任の所在を激しく糾弾しているが、現実にはそれは既に問題ではないと思う。状況はそれよりもっともっと先に進行している。これからの感染の広がりをいかに防ぐか、そして感染者の把握と患者の治療と救済が最大の課題であるはずだ。世界中の保健機関やNGOが中国の感染者たちに救いの手を差し伸べようとしている。国内にも勇敢な活動家や研究者はいる。中国政府は国際社会への“先進国デビュー”のためにも、彼らに率直に門戸を開かなくてはならない。
中国には自由がない、人権がない、あそこの官僚システムは腐ってる、といって誹謗するのは容易い。でも、腐敗には腐敗なりの対処というものがあってもいいと思う。いちばん大事なのは、これ以上感染者を増やさないこととひとりでも多くの感染者の命を救うことなのだ。

21世紀にこんにちは

2006年07月18日 | movie
『あんにょん・サヨナラ』

予想してたのとかなり違った内容で意外。
この映画のメインスタッフはほとんどが韓国人。日本で大半のロケを行っているので、サブチームやリサーチなどで参加した日本人もたくさんいるが、基本的には韓国側からのアプローチでつくられたようだ。逆に登場人物は日本人が最も多い。他に韓国人、中国人、台湾人などさまざまな国の人々が出てくる。ロケ地も日本各地以外に中国・韓国など広範囲。
はっきりと、相当に大規模な意欲作である。

メインナビゲーターは古川雅基氏という市民活動家。といっても本業は公務員、趣味は野鳥撮影という、いかにも穏やかそうな、ごくごくふつうのそのへんにいるおじさんである。一般市民だけでなく朝鮮人も大勢犠牲になったという沖縄、聖戦碑撤去運動でゆれる金沢、忠魂碑訴訟で市民が勝訴した箕面、靖国神社や千鳥ヶ淵、在韓軍人軍属裁判を通じて知りあった遺族・李煕子(イ・ヒジャ)さんの亡父の足跡を訪ねて韓国・中国各地を旅し、素朴な疑問、素直な感覚を関西弁で淡々と語る古川氏。
全体に感情的な描写はとても少ない。明らかに意図して「感情論」を排してつくられた映画のようにみえる。日本人も含め多くのアジア人のインタビューが組みこまれているが、彼らのどの意見も決して強調しないように、みた人間の感覚で判断できるように構成されている。だから映画そのものはとても静かだ。
それでも流れる涙は止まらなかった。戦争をすれば必ず人が死ぬ。失われた命は二度と戻ってこない。残された遺族や身近な者にとっては死は死でしかない。そのことはどんな大義名分も正当化はできない。してはいけないし、する権利も誰にもない。誰がなんといおうと、当り前のことだ。

日に日に反日感情が激化するアジア諸国。
だが李煕子さんたちの起こした在韓軍人軍属裁判を支えているのは日本人だ。日本人にも、歴史を率直にみつめなおし、近隣国との関係改善に努力している人がたくさんいる。全然えらくもなんともない、名もない市井の人たちだけど、日本にもこういう人々がいるというだけで喜び、安堵してくれる外国人もいる。
なにはともあれ、まずは対話が必要だと思う。「ご臨終」マスコミの“恐怖キャンペーン”はもうほっといて、実際に韓国や中国や他のアジアの人たちと日本人が、互いに相手の言い分をちゃんと聞くことからやり直すべきだ。互いに抱いている勝手なイメージもこの際さっぱりと棄てちゃいましょう。
そのためにも、この映画がもっともっとたくさんの人に観てもらえるといいなと思う。
各地の上映日程はコチラこちらで自主上映が依頼できるようです。

劇場パンフレットにほとんどのインタビュー・ナレーションが採録されてました。資料としてもなかなかいいパンフです。

在韓軍人軍属裁判を支援する会

しっかりしようよ

2006年07月17日 | book
『中国が「反日」を捨てる日』清水美和著
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日中関係を主に現在の中国の国内事情─政府内の権力関係、経済環境、教育政策、国民感情などなど─を中心に論じた解説本。
すごいわかりやすかったです。読みやすかったし。
例によってめんどうなことはイヤなので詳しいことは書きませんが、ところどころでこないだ読んだ『ご臨終メディア ─質問しないマスコミと一人で考えない日本人』とぴったりカブってるとこがあって思わずニヤついてしまい(苦笑)。
たとえば、インターネットで過激な投稿を繰返し熱狂する「大衆的民族主義」を煽るへヴィーなネットユーザーは、大半が低所得者層なのだそうだ。統計では、日本のいわゆる“2ちゃ×ねらー”の多くは年収300万円以下、中国のネットカフェの利用者に最も多いのは月収1500人民元以下の人々だという。
この10年で新たに台頭してきた「世論」の激しい攻撃を恐れるあまり、意見主張の整合性に関わらずそれに迎合せざるをえないマスコミと官僚、そして右傾化する世論を権力争いに利用する政治家たち。

こんな状態を惰性でダラダラ続けてたって行きつく先は目に見えている。そんなとこ誰も行きたくない。
いいたいことをただいいたいようにいうだけじゃなくて、やるべきことをちゃんとやるのがまともなオトナなんじゃないですかね。
そんなこと偉そうにいえた義理ではありませんけども。