『MINAMATA』
従軍記者として第二次世界大戦でサイパン、グアム、硫黄島、沖縄で活躍、著名な報道写真家となったユージン・スミス(ジョニー・デップ)だが、沖縄戦で負った怪我や戦場での体験がもとで健康を害し、アルコールや薬物に溺れ、経済的にも困窮するようになる。ある日、日本のCMの仕事で訪ねてきたアイリーン(美波)に、企業の環境汚染による水俣病で苦しむ人々と、彼らのたたかいを世界に伝えてほしいと請われ、1971年、彼女とともに熊本県水俣市に移り住む。そこで彼を待っていたのは、10年以上も前から隠蔽され続けてきた人権侵害の惨状だった。
1950年代に発生した人類史上最初の大規模有機水銀中毒で、日本の四大公害病のひとつとされる水俣病を世界に告発した写真集「MINAMATA」を原案に映画化。2020年ベルリン国際映画祭ワールドプレミア作品。
自分のブログなので自分のことから書いてしまうと、私自身も、ある有名な公害事件の発生地のひとつと目される都市で生まれた。
ちょうど事件が明るみに出て世間の耳目を集めていたころで、問題の有害物質に曝露した疑いのある住民と、その子どもの健康調査が行われていた。20代の母がまだ1歳にもならない私を抱いて、医師の診察を受ける写真を大きく掲載した新聞が、実家のアルバムに残っている。
その町には、少なくとも日本国内で暮らしている人なら誰もがその名を耳にしたことがあるレベルの、大企業の拠点となる工場がいくつもある。というか、めちゃくちゃいっぱいある。正直うんざりするぐらい多い。
するとどうなるかというと、地域社会の中で民主主義というものが形骸化する。市は財源に困ることがないからなんでも大企業のいうがままになり、地元住民の意見など市政の誰も聞く耳を持たない。当然の結果として公的サービスは劣化する。工場で働く移住者が住民の大半を占め、地域コミュニティ内の繋がりも希薄になる。
企業城下町でありつつ自然にも恵まれ農業も盛んで、気候は穏やかで災害も少ない暮らしやすい土地柄だが、前述の通り行政の機能不全から人口流出が止まらず(工場がハイテク化すれば従業員の数は減る)繁華街も完全に廃れ、このままではいずれ限界集落化するのも時間の問題という為体である。それでも、誰も何の改善策も講じようとしていない。残念すぎる。
幸いなことにこの町では目立った健康被害はなかったと聞いているが、他の地域では大勢の人が深刻な障害を患い、いまも事件は収束していない。
大企業の安全意識不足による大規模な公害事件が社会問題化したのは1960〜70年代、いわゆる高度経済成長期とほぼ同時期で、もう半世紀ほども前になる。その多くが未だに解決しないまま、新たな環境汚染とそれに伴う健康被害は、日本のみならず世界中で続いている。何をおいても経済効率が優先される資本主義社会が大きく変化しない限り、同じことが繰り返され続ける。
劇中、加害企業であるチッソの責任を追及する市民グループのリーダー、ヤマザキ(真田広之)が、“こいはこん町だけの問題じゃなか。こんままにすっと、同じことがこん先も繰り返されてしまう”と、メンバーたちに訴えかけるシーンがある。
ヤマザキは実在の人物複数人をモデルにした架空のキャラクターだというが、彼のこの発言は、いまの現実をそっくりそのまま物語っている。水俣病すら、まだ終わってもいないのだ。
それがあまりにも悲しい。苦しい。
ユージンたちが取材を始めた70年代初頭よりもっと以前から、工場排水が環境を汚染し水銀中毒を引き起こすことを、チッソは把握していた。にもかかわらず事実は握り潰され、無辜の人々が重い病に苦しめられ死者まで出していた被害さえ、会社側は認めようとしなかった。おそらくは、私の出身地で起きたのと似たような“民主主義の形骸化”が、水俣ではもっと過酷なレベルで起こっていたのだろうと思う。
水俣を訪れたユージンとアイリーンは被害者たちの協力を得て地域住民と信頼関係を築くことに成功、彼らに寄り添いながら世紀の企業犯罪を世界に告発する。しかしその道程は決して平坦なものではなかった。チッソの社長から提示された賄賂を突き返した見返りとして、暗室が放火され貴重なネガや機材を失い、工場前での抗議行動を取材中に混乱に巻き込まれ、職員からひどい暴行を受けて大怪我までしてしまう。
一時は心折れかけたユージンを叱咤激励したのは、かつて彼自身が第一線の写真家として活躍した報道写真誌「ライフ」の編集長ロバート・ヘイズ(ビル・ナイ)だった。離婚して生き別れた子どもたちにいくばくかでも財産を残したいと弱音を吐くユージンに、彼は、失った愛などカネで取り戻せはしない。誰にも顧みられていない“ストーリー”をその手で撮ることで、ジャーナリストとしての誇りを取り返すしか道はないと告げる。
当時、新興メディアのテレビに圧され経営難に喘いでいた「ライフ」だったが、ロバートはユージンのジャーナリスト魂を信じ、彼の写真で社会に衝撃を与える編集者としての矜持を失くしたくないと、心から願っていたのではないだろうか。
写真は一旦世に出ればそこに写ったものが一人歩きし、撮影者が意図した以上の反響を得ることもあれば、思いもかけない方向に影響を与えることもある。それが、撮影者にとって過大なストレスになり、人格を蝕むことすらある。広く知られているのは1994年にピューリッツァー賞を受賞した直後に自殺した報道写真家、ケビン・カーターのケースだ(受賞作「ハゲワシと少女」)。
ユージンはそのことを長い写真家人生でよく知りながら、どんな現場でも、プロフェッショナルに徹することを恐れていては人生そのものの価値まで手放してしまいかねないという残酷な運命に、自ら殉ずる覚悟をしていたのだと思う。
それを象徴するのが、劇中で何度か語られる「写真は撮る者の魂を奪う」というセリフだ。傷つき、損なわれ、奪われてもなお撮るのは、ユージンが、自身が一流の報道写真家としての生涯を全うすることを、己が宿命として受けいれていたからだろう。
現在、写真はスマホひとつでいつでもどこでも誰にでも簡単に撮影し、その場で好きなように加工して世界に発信できる超民主的なメディアとなった。
だが30〜40年ほど前まで、写真は限られた人が限られた一瞬を精魂こめて撮り、さまざまな技術を駆使して印画紙に焼きつけ、淘汰を経て媒体に載り衆目に晒されることで初めて価値を得るメディアだった。要は相応のモチベーションと集中力と精神力、ときには狂気すらなければ何の役にも立たない、道楽者のおもちゃにしかならなかった。
学生時代から10年以上、私もモノクロ写真を撮って自分で現像していた(ユージンとアイリーンが現像液に素手を突っこんで印画紙の表面に触れるのにはびっくりした。温度管理なんかが気になってしょうがなかった)。私が撮っていたのは報道写真ではなくアートだが、一眼レフが安くて十数万円、35ミリ36枚撮りのフィルムが1本千円ちょっと、望遠や広角やマクロのレンズ、露出計や印画紙や現像用液も、当時の私にとってはあまりにも高額だった。いくらアルバイトをしても追いつかないほど費用を食う写真は楽しくこそあれ、それなりにストレスを伴うアートだったことに間違いはない。
やがて作品はやはり私の意図しない方向に一人歩きを始め、そのことが私がカメラを手放す原因になった。ただの根性なしといえばそれまでだが、以前の「写真」が撮影者に与える打撃と現在のそれは、テクノロジーの発展とともに変化し、大きく異なるものになったことだけははっきりといえる。
ユージン・スミスはあらゆる犠牲を省みることなく写真を撮り続け、そして伝説の人となった。
この映画は史実を基にしてはいるが、あくまでエンターテインメント作品として誇張され変更・省略されて、事実と異なっている部分もままあるという。パートナーとして写真集「MINAMATA」の共著者に名を連ねるアイリーンのキャラクターが、映画の中では半ば添え物扱いなのはとくにいただけない。
それでも、あのとき彼らが水俣にいて、人々の苦しみを撮り、世に送り出し、社会を動かす力にするために命を賭けた感動的な物語に、ちゃんとなっている。
多くの観客に歴史的な事件を、いまも終わらない悲劇を伝える映画の役割としては、それでじゅうぶんなんじゃないかなと、私は思います。
ロケのほとんどをセルビア、モンテネグロで実施したため、画面の風景は物語の舞台となっている日本のそれとはやや趣が異なるものの、映像そのものはどのカットもとても美しい。日本で録音した背景音を使ったという音響設計が非常に大きな効果をあげている。報道写真史に残る傑作「入浴する智子と母」を撮影するシーンで、細く小さな声で歌われる「五木の子守唄」には胸が震えた。
坂本龍一のスコアは相変わらず完璧で、劇場で売ってたらサントラを買ってたと思う。実をいえば買おうかどうかまだ迷っている。坂本龍一のサントラなんかもう何枚も持ってるのに。今回の映画化にあたって復刊した写真集「MINAMATA」もほしい。
普段余程のことがなければ買わないパンフレット(昔数百冊買い貯めて処分に困ったので)を、事情があって今回購入したがこれがよかった。今作のパンフは買いです。
映画を観ている最中、これまでに出会ってきたたくさんの“権力とたたかう”人たちと、彼らの背負う長く厳しくつらい物語が次々に心に浮かんできて、涙が止まらなかった。
世の常として、個人と組織が対峙したとき、そのパワーバランスは最初から決まっていて、何をどう足掻こうが覆ることはまずない。それをはなから承知の上で、それぞれに自分のやり方でたたかい続ける人たちがいる。
そのたたかいが、図らずも人々の間に分断をうみだしてしまうこともある。
ある人は、そんな分断は前からあって、いまたまたま目に見えるようになっただけで、それまでみんな見ないふり、知らないふりをしていただけだといった。
見ないふり、知らないふりでいられたら、それはそれで平和なのかもしれない。
だけどその平和は欺瞞でしかない。
欺瞞のない平和が、誰も取り残されることのない世界がほしい。それはそんなに難しいことなのだろうか。そんなはずはないと思いたいのはやまやまなのだけれど。
関連レビュー
「はせがわくんきらいや」 長谷川集平著
『ドライブ・マイ・カー』
俳優で演出家でもある家福(西島秀俊)は、海外の映画祭の審査員に請われて旅支度をし空港に向かっていたが、悪天候で搭乗予定のフライトが欠航になってしまう。自宅に戻ると、リビングのソファの上で妻の音(霧島れいか)が俳優の高槻(岡田将生)と激しく交わっていた。
家福はそのとき見たものをなかったことにして、夫婦はその後も円満に暮らしていたが、ある日、出がけに「今晩帰ったら、少し話せる?」と頼まれた家福はこわくなってなかなか帰宅することができなかった。遅くなって戻ると音は床に倒れていて、そのまま目を覚さなかった。
村上春樹の短編集『女のいない男たち』所収の『ドライブ・マイ・カー』を原作に同書の『シェエラザード』『木野』の要素を加えて翻案化。
第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞、国際映画批評家連盟賞、エキュメニカル審査員賞、AFCAE賞を受賞。
私が村上春樹の作品に初めて触れたのは中学のころで、父が毎週購読していた週刊朝日に連載されていた「週刊村上朝日堂」というコラムだった。
3歳で字を覚えてからずっと本が好きで、買ってもらった端から寝る間も惜しんで読みまくるだけでは事足りず(なのでよく「少年少女文学全集」的なシリーズを何種類も買い与えられていた)、三紙とっていた新聞も両親が買ってくる雑誌も隅から隅まで読んでいた。意味なんかわからなくても、読めさえすれば何でもよかった。活字中毒というやつだ。
だから私の中で村上春樹は当初、“小説家”というよりは“たわいもない話をおもしろおかしく書くおじさん”と認識されていた。
『ノルウェイの森』が大ベストセラーになったのは高校生のときで、母校の図書館には上下巻それぞれ3冊ずつ置いていたが常にどちらも出払っていて、あの赤と緑の目立つ装丁の本が本棚に収まっているところは一度も見たことがなかった。というのも私が図書委員でしかも部活の顧問が司書だったせいで、用があってもなくてもしょっちゅう図書館に入り浸っていたからだ。
そんなにみんなが読んでる本ならべつに私が読まなくてもいっか、と思っていたが、レファレンスの当番で図書館の窓口に座っていたある昼休み、その日返却されてきた本を積み重ねたカウンターの上に、緑色の下巻が載っているのに気づいた。ひとっこ一人いない図書館は静かで退屈で、何を意識するともなく私はその緑色の本を手にとって表紙をめくった。
だから私は、『ノルウェイの森』を下巻から読んでいる。
そのころの村上春樹ブームについては改めて語るまでもないが、十代の多感な時期にハマった沼から抜け出すのは容易ではなく、既刊の長編はすべて、短編集やエッセイも翻訳も(大好きなポール・セローやレイモンド・カーヴァーに出会ったのも村上訳である)大抵読みつくしている。
今回観た回は上映後に濱口竜介監督のトークイベント(詳細)があって、監督自身も「(村上作品は)長編は全部読んでいる」と答えていて「やっぱり」と思った。
『ドライブ・マイ・カー』は一応は同名の短編小説の映画化という「てい」になっているが、物語の背景や設定にはかなり大がかりな変更が加えられている。
原作では家福は演出家じゃないし、妻はシナリオなんか書かない。高槻も岡田将生みたいにキラキラした若手俳優ではない。広島の演劇祭もない。映画のストーリーのほとんどを占める演劇祭がないから、演劇祭に関わる人々は原作には存在すらしない。
それなのに、映画『ドライブ・マイ・カー』は、村上春樹が描き出す世界観をまさに正しく、見事に、完璧に再現していた。人物描写や人物同士の距離感、繊細な言葉遣いや会話の温度感に至るディテールのすべてが、どっぷりと村上春樹作品そのもののように感じられた。
映画の空気感があまりにも村上春樹の小説のそれにぴったりと一致しすぎていて、「原作にも演劇祭ってあったっけな?」と自分の記憶が間違っているかのようにすら感じた。
それくらい、映画は完全に正確に村上春樹の文学を映像化していた。
原作が収録された短編集は『女のいない男たち』だが、改めてそう断るまでもなく、村上春樹の小説の主人公には大概「女」がいない。妻やガールフレンドに去られ、ひとりぼっちになった男が孤独の中で奇妙な“旅”に誘われて何か不思議な世界に彷徨い出ていく、といった書き出しの物語が多い。
そしてふたりが別れる原因の多くは女性側に設定されている。映画『ドライブ・マイ・カー』で音が不倫するのと同じように。
家福と音はとても仲の良い夫婦で、互いに深く愛しあっていた。
幼くして子どもを亡くしたという癒えない傷を共有しながら、静かに穏やかにあたたかな時間を寄り添って過ごす生活を大事にしていた。
それは家福にとっても、音にとっても、動かしようのない事実だったに違いない。
観客として、画面を観ているだけで、そう信じることができるだけの説得力がこの作品にはある。
にも関わらず音は家福を裏切っていた。
何が彼女をそうさせたのかはわからない。家福にもわからないし観客にもわからない。
この「わからなさ」のもつ一種独特の感触──空虚なようで濃密なようで、暗いようでそれでいて眩しいようで、ついじっと目を凝らさずにはいられない、ぞっとするような不気味な質感が、『ドライブ・マイ・カー』には物凄いリアリティをもって表現されていた。
そして、愛する妻がどうして自分を欺いているのか、その修羅場に向かい合ってしまったらもういっしょにはいられないから、離れ離れになるのが何より堪えられないから、死ぬほど激しい嫉妬に苦悶しながらも表面上は何もなかった風を装い、そのまま彼女を喪ってしまった男の心の痛みの惨たらしさ。
そのえも言われぬ懊悩さえ、画面を通り抜けて、まっすぐに胸に響いてきた。
その惨さを響かせるために、演劇祭があって、トラブルがあって、みさき(三浦透子)の故郷・北海道上十二滝町への旅があった。
苛酷な少女時代に母を見殺しにしたというみさきが触媒となって、家福は初めて、自分で自分を騙していたことを認め、受け入れる。
そんなことする必要なんかなかったのに、愛していたのに、もう二度と会えないのに、その残酷な現実を受けとめているように見せかけて目を逸らすことしかできなかった。
最愛の人を喪って心の中にごっそり開いた巨大な穴を塞ぐ蓋なんか、どこにもありはしないのに。
村上春樹原作の映画はこれまでにも何本か観てますが、正直、この『ドライブ・マイ・カー』ほど精妙に、原作者が描こうとした悲しみを、侘しさを、寂しさを、つらさ、苦しみを表現した作品は、私が観た限りではなかったんじゃないかと思う。
観てないのもあるから、断言はできないですが。
演技に関していえば、岡田将生の芝居にはかなり驚いた。今年4月期のドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』のひねくれ弁護士・中村慎森役も癖があって話題になっていたが、『ドライブ・マイ・カー』ではさほど出番が多くないにも関わらず、観終わってしまうと「岡田将生凄かった」という印象が強く残る。
劇中、高槻が音から聞いた話を家福に語って聞かせるシーンがある。みさきが運転する車の後部座席で高槻は家福を正面から見つめ、瞳に涙を、唇には微笑みをうっすらと浮かべて、音が家福に話した物語の続きを話す。
そのシーンの岡田将生は、私が知っていた岡田将生ではなかった。心から憧れ、愛した音が憑依したかのような妖艶さが怖いくらいで「これはこの瞬間の岡田将生にしか演じられない芝居ではないか」と確信してしまうほど強烈だった。
そういや霧島れいかは『ノルウェイの森』にも出てましたね。(以下略)
上映時間ほぼ3時間という長尺の作品だけど、是非もう一度、じっくりと観返したいと思ってます。
それまでに『ゴドーを待ちながら』と『ワーニャ伯父さん』を復習して、最初には味わえなかった細部まで、きっちりと堪能しようと思います。
関連レビュー
『The Depths』(濱口竜介監督旧作)