落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

土方再び そして東北のお葬式

2013年03月25日 | 復興支援レポート
また東北に行ってきた。

311前の過密スケジュールが一段落したので、もともとこのタイミングで休んで東北に行くつもりだったのだが、出発前に地元でお世話になった人の親族に不幸があり、着いて早々お通夜とお葬式に出席した。
宮城県気仙沼市唐桑町の葬儀には特徴がある。まず、大抵のうちは三陸新報(気仙沼市と南三陸町のローカル新聞。8ページくらいしかなくて地域情報しか載ってない。唐桑の人はもれなくとっている)に新聞広告を出す。唐桑以外の人もだいたい出すし、葬儀が済めばまた会葬御礼を載せるから、この新聞の8ページのうち1ページは半分強が葬式広告である。ついでながらこの地域は同姓の人がものすごく多いので─8割以上の人が小野寺さんか畠山さんか鈴木さんか村上さんか千葉さんか熊谷さんか菅野さんか佐々木さんか菊田さんか梶原さんか及川さんのどれかである─、屋号が必ず掲載されている。
それから、お通夜の前に火葬してしまう。一説には、船乗りが多くて親族が亡くなったときに近しい人が遠方にいることが多いからじゃないかとも聞いたけど、ほんとうの理由はよくわからない。火葬の翌日がお通夜。お通夜だけど午後からやります(これ普通?)。ぐりも真っ昼間にお焼香にいった。お通夜は葬儀場か自宅でやります。お焼香の後はお茶とお菓子が出て、香典返しを受けとって退場。
翌日がお葬式。お寺です。唐桑ではお葬式をやるようなおっきなお寺は一軒しかない。お通夜の場所から親族が行列をつくってお寺まで歩くこともあるが、最近はバス移動が多い。お経のあとで故人の親族の子どもが「お別れの言葉」なる作文を読み、遺族代表が挨拶をして、それから焼香。焼香をしたら参列者は退場して、親族だけで初七日法要。火葬が済んでるので出棺とかはない。なのですごくさっぱりと30分程度で終わる。終わったら前述の通り翌日の新聞にまた広告を出す。
ぐり自身は今回亡くなられた方とは少し面識がある程度でとくに親しくはなかったので、純粋に義理で出席したお葬式だったけど、ふだん出ることのない地域のお葬式ってやっぱり興味深い。けどよく考えたら、ぐりが小さいときに出席してた親族の葬儀は儒教だったから、ぐりの「ふつう」「スタンダード」もヘンなんだよね。
お彼岸なので、そのあと別のおうちのお墓参りにもついてったけど、どうもぐりはお葬式とかお墓とかが好きらしいです。なんか楽しいの。不謹慎ですいません。

それから、泊まってた宿に長期滞在してた人が、休日に建造中のマグロ船を見学させてくれた。
津波で気仙沼市内の造船所に預けていた船が流されて使い物にならなくなり、改めて初めからつくり直すことになった。既に本体は完成していて、船室の内装や装備などの細かいところの仕上げに入っている。
ぐりはこういうのにはまったくの素人なので何がどうなってるのかさっぱりわからなかったけど、まず今後も見ることのない遠洋漁船のしくみをたっぷり見られておもしろかった。
気仙沼の造船所は津波の影響で大繁盛していて、どのドックにもぎっしりと建造中/修復中の船が並んでいる。天地ひっくり返して底の部分をつくってる途中のとか、中の骨格だけの船とか、いろんな段階の船がズラズラ並んでる風景は地元の人にとっても珍しいそうだ。
つくりかけの船で混み合った造船所は無人の休日でも独特の活気に満ちていて、港町の復興はこういうところから始まるのかなと思いました。

あと、2月に港の修復作業を行った現場の続きをやった。
津波で埋まった側溝にたまった石や砂を取り除いて、陥没した岸壁の通路に敷いて平らに均す。先月ほど人数もいないし、相変わらずむちゃくちゃ寒いし、石も濡れた砂も重くて、もう大変でした。
でも出来上がってみたらそのしんどさもどこかに吹っ飛んでしまう。土方、できるじゃん。いつでもやってやるぜ。なんて気分にも一瞬なります。嘘。超しんどいです。身体中筋肉痛です。
埋まった側溝は初めは深さ20センチ程度だから、掘ったものをどかすのにそれほどの力はいらない。けど実際の深さは1メートル以上あるから、掘れば掘っただけ掘ったものを高く持ち上げなくてはならない。これが超キツい。しかも強風で掘った砂と側溝の水(湧き水なので淡水)が飛ぶ。目に入る時もある。どれだけ働いても汗は流れる端から強風で冷やされ、とにかく寒い。
ただ、やればやっただけ成果が出る土木作業は決して嫌いではない。できたときの喜びと、依頼主さんの嬉しそうな顔だけでも、一生忘れられないくらい幸せな気持ちになれる。

予定通りにいかないことがあったり、今回は反省することもたくさんある活動だった。
個人的には、ここしばらく悩んで来たことの結論が出た活動にもなった。
それについてはまた後日書きます。


建造中のマグロ船の内臓。

ドンバチドンパチドンパチパチ

2013年03月18日 | movie
『ジャンゴ 繋がれざる者』

南北戦争直前のテキサス州。賞金稼ぎのドイツ人シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)はお尋ね者の顔を知る奴隷ジャンゴ(ジェイミー・フォックス)を相棒にひと冬旅を続け、代わりに彼の妻を取り返そうと提案する。妻ブルームヒルダ(ケリー・ワシントン)はジャンゴとは別に奴隷として売られ、カルヴィン・キャンディ(レオナルド・ディカプリオ)の農場にいた。
怪しまれずに彼女を連れ出すために、シュルツとジャンゴはひと芝居打つことに・・・。

お待たせしましたクエンティン・タランティーノ最新作。やったぜ。
最初っから最後まで、ひたすらドンバチドンパチドンパチパチ。もう撃ちまくりです。だって西部劇だよ。賞金稼ぎだよ。撃たないわけないじゃん。
ぐりは正直にいって暴力映画ってあんまりお好みではない。ガンアクションにもまったく興味はない。でもタランティーノ映画は好きだ。なぜか?ファンタジーだからだ。
彼の映画は完全なファンタジーだ。クラシック映画オタクの夢、幻。映画の中でしかできないことを徹底的にやり倒す、そのカタストロフによる快楽のための娯楽映画。
その潔さが好き。こういう、好きなことはとことんやってやってやりまくりますよ的な作家が大好きなのですー。だって気持ちいいじゃん。アートとはそうあるべきでしょう。

その一方に、ちゃんというべきこともきっちり盛ってある。
暴力に依る者は暴力によって報いをうけるし、どんな理由があれ、人は差別や無知と戦わなくてはならない。前作『イングロリアス・バスターズ』も似たような娯楽アクションでありながら、同じテーマを扱っていた。
どうかすると説教くさくなっちゃいそうな題材なのに、タランティーノにかかれば冗談みたいなアクションエンターテインメントになってしまうんだから驚きです。
あとこのヒトの映画、ラブシーンがでてこないのがいいね。女性をそういうセクシュアルな道具として画面に利用しない。逆に、男性を思いっきりセクシーに撮る。わかってるねえー。ツボ、おさえてるねえー。

毎度ながらシナリオが素晴らしい。
タランティーノといえば物凄い長広舌と、手に汗握る丁々発止の会話劇が最大の見どころだけど、今回もそれがまた全編たっぷり!でございます。
主人公ジャンゴの相棒シュルツが賞金稼ぎでありつつペテン師なもんだから、まあ喋る喋る。ムチャクチャよく喋る。この演じてるクリストフ・ヴァルツさんは『イングロ』にも出てたヒトだよね。あのときもめっちゃ喋ってたけど。
逆に主役ジャンゴはあんまし喋んないんだけど、喋るといちいちコワイ。アーンドせくしー。ジェイミー・フォックスってエロいよね(笑)。声が高くて中性的で、あんまり男っぽくない。この役にはちょっと繊細な雰囲気がミスマッチな気もしますが。
レオナルド・ディカプリオはまたムチャクチャ気持ち良さそうに悪役してましたね。もうねえ、すっごい楽しそう。オレ悪いでしょ?悪そうでしょ?憎たらしいでしょ?ウフフフフ~アハハハハハ~たーのしーい!って感じなの。それが見てて超おもしろい。あの長い長いタランティーノ節もうまいことこなしてたし、やっぱりこの人めっちゃ演技うまいよね。今度公開の『華麗なるギャツビー』楽しみだわあ。

ところでぐりはタランティーノに一度だけ会ったことがある。日本で。前も書いたことあると思うけど。
やたらにデカくてやかましくて、そしてその場の誰にも(本気では)リスペクトされてないところがすっごく「タランティーノ」っぽかった。
あれは強烈だったなあ。

豪華近未来紙芝居

2013年03月17日 | movie
『プラチナデータ』

ヒットメーカー東野圭吾の同名小説の映画化。
自閉症の天才数学者・早樹(水原希子)とその兄が惨殺され、手口から未解決の連続殺人と同一犯が疑われるが、監視カメラの映像に映っていた警察でDNA捜査システムを開発した研究員・神楽(二宮和也)が容疑者として追われる身に。
現場から採取されたDNAサンプルも神楽を犯人と特定する中、逃亡した彼を追う浅間刑事(豊川悦司)は、自らサンプルを解析した神楽に犯行の自覚がないことに気づき・・・。

じゃーーーーーーーーん!駄作!残念!
あのねえー。映画は紙芝居じゃないのよね。ドラマなワケ。紙芝居だってどんなにステキな絵を描いて演者が熱弁したって、紙と紙との流れがキレイにいってなかったら感情移入も何もできない。
確かにね、画面は素晴らしい。これ以上ないくらい凝ってます。いささか凝り過ぎてむしろリアリティなくなっとるやんけってくらい。シーンが転換するごとにいちいち「ほほお」と感心してしまう。
アクションも派手だ。二宮くんは映画の半分くらいは走ったり跳んだり、スタントもなしにそれこそ八面六臂の活劇俳優ぶりを発揮している。シーンごとにカーアクションもあるし爆発もある。見どころてんこもりである。引き画の長廻しをやたらに多用し過ぎてて却って臨場感ないってとこは大問題ですけど。
にしてもそのシーンとシーン、見どころと見どころの流れにまったく必然性がない・もしくはあっても唐突すぎてリズムというものがいっさいないので、観客は画面の向こうで勝手に展開してるクールなショーにただつきあわされてるだけになってしまう。これで何を感じろというのか。

題材がDNAなので、劇中にその意味を語るシーンがいくつかあるが、中でもクライマックスの神楽と水上教授(鈴木保奈美)の対話がもっとも重要な場面だ。
でも、ここでふたりが語りあうことは、本来ならばこの映画の中で、もっともっとしつこく何度も、人物を替えて繰り返し語られるべきことだと思う。
この映画の設定では、検挙率100%・冤罪ゼロを実現するために、国が国民のDNAデータを管理し、それを利用して犯罪を捜査する社会を目指そうとしている。
人の世の倫理に激しく反するこの制度の過ちを、無批判に行き過ぎた監視社会の是非を、一方的に観客に委ねるのではなく、画面の中でもっと葛藤してほしかった。映像をどれほど華やかに飾ろうと、人間として大切にするべき気持ちの中の物語を語らずして、観客の気持ちなど動かせはしない。
せっかくの壮麗なセットや高度なVFXが、全部白々しく見えてしまう。見ていて悔しいくらいだ。

二宮くんの演技は今回も問題ない。いつも問題ない。そして熱演です。悲しくなっちゃうくらいの大熱演。逃亡劇の中でやつれて頬が痩けていくのが痛々しい。二重人格がうまく演じ分けられてたかは謎だけど。もうひとりの人格の登場シーンが少なすぎるから。つーか逃亡シーン長過ぎです(泣)。芝居もへったくれもない。前から思ってたけど、二宮くんはもっと情緒的な文芸映画とかのが似合ってるよ。アクションはもやったじゃん。もういいじゃん。
豊川悦司、よかったです。ぐりはこのヒトが二十代の頃から好きなのだが(何しろ舞台も観た。『あはれ、彼女は娼婦』。超おもろかった)、何が好きって歩き方ね。ちょっと女性的なのよ。腰を振って、長いおみ足を優雅に運ぶ歩き方がせくすぃー(笑)。このかたのお芝居は毎度ちょっとクドいんだけど、今回は台詞少なめで渋くじいいっと二宮くんを追いつめる刑事、という役柄でクドさが抑えられててよかったっす。
他も超ゴージャスな出演陣でしたけど、鈴木保奈美はダメだよね?俳優としてさ?昔も大根だったけど今もめっちゃくちゃ大根。見ててハラハラするわー。スリリングだわー。

しかしもったいない映画だった。お金もかかってて、才能あるヒトがいっぱい集まってるのに、できあがりは完璧にダメという。昔『アナザヘヴン』観たときと感覚はすごく似てる。期待させられたぶんだけガッカリ感がせつないのと、期待した自分に微妙にハラたつ。
ホントに、残念でしたー。

ただの春の一日

2013年03月13日 | 復興支援レポート
今年の311も東北で過ごしたのですが(去年の311)。

土日に仕事が入っていたので、それが終わってから夜行バスで向かい、当日一泊して昨日帰京した。
時間もなかったし行かなくてもよかったのだが、何をせずともとりあえずその日を東北で過ごしたいと思った。とくに予定も立てず、地元で活動している仲間に連絡をとって、いっしょに地域をまわって記録をとったり、地震発生時刻に道ばたで黙祷したり慰霊祭に出たり、宿で同宿の人と話したり、宿の確定申告のお手伝いをしたり(!)して過ごした。ボランティアらしいことは何もしなかったし、メモリアル的なことも何もなかった。ただそこにいたかったからいただけ。

いてみてわかったことだけど、やっぱり、2周年などという「節目」は、“被災地”から遠く、震災から遠くにいる人にとって記憶を呼び覚ますために必要なものであって、ずっとそこにいる人間や震災と常に向き合っている人間には何の意味もない。
あえていうまでもないが、震災は今も続いている。復興の道程はまだまだ長く、誰にも先は見えていない。瓦礫はだいたいかたづいたし、一部地域ではかさ上げも始まった。早いところでは高台移転用地の整備も進んで、着工日が決まっているところもある。
しかし被災地があまりにも広く、被害があまりに大きかったがために、そんな部分的な復興の進行では全体の復興のバランスは測れない。何をどれだけ耐えればいいのかわからず、精神的なストレスも極限まで達している人も多い(関連ニュース)。
節目も何もない。ただただ苦しくつらい日が続くだけ。

ぐりは2011年3月11日から今まで、一度たりとも、一瞬たりとも東北を忘れたことはない。
何ができるか、何をするべきか悩み続けた2年間。何もできなかった気がするし、これからも何ひとつできない気がする。
それでも、ただ思うことしかできなくても、通うことだけは続けたいと思っている。
節目も何もいらない。続ければいいんだと思った、そんな311だった。

とはいえ2年の節目の日にふさわしいこともあった。
震災で不通になっていたJR気仙沼線が2日にBRT(バス高速輸送システム)で開通したので、さっそく乗ってみた。地元の人たちにとって大切な生活の足だった公共交通機関の復旧は確かに嬉しい。まあぐりは鉄道好きではないのでそれ以上の感興はとくにないわけだけど。
もうひとつ。
3月11日というのは気仙沼ではフカヒレを干す季節なのだそうだが、去年、たまたま気仙沼湾西側の地域を訪問した時、全壊した建物でフカヒレを干している人たちを目撃してとても感動した(地図)。水産加工業者がぎっしりと軒を並べていたはずの街で周囲に残った建物は一軒もない寂しい風景の中、津波で鉄骨と階段と屋上だけを残して完全に破壊された建物に無数につり下げられたフカヒレと、その間で働く人たちの姿に、人間の生命力の強さと輝きを猛烈に感じた。ぐりはフカヒレなんか好きでもなんでもないけど、その時生まれて初めて、高級品といわれる気仙沼のフカヒレが食べたいと激しく思った。
今年、あの人たちがどうしているかと思って見にいってみたら、壊れていた建物はかさ上げも済んですっかり元通りに建て直されて、去年よりもたくさんのフカヒレを干していた。働いている人も去年よりずっと多かった。なんだかとても嬉しかった。
周囲は瓦礫がすっかりかたづいて、ところどころでかさ上げが進んでたけど、それでも完全に復旧している建物はまだほとんどない。そんな中でいち早く元通りになったこの業者の強さに、やっぱフカヒレ、食べてみたいなと思った。
気仙沼では以前フカヒレラーメンなるものが名物だったそうだけど、できればそれが食べたいなあ。

東北の皆さんがいつか、このフカヒレ業者のように、震災前のように元気に楽しく働ける日を祈って。


リアス・アーク美術館。お休みだった。

別れのときにできること

2013年03月10日 | movie
『遺体 明日への十日間』

岩手県釜石市。東日本大震災で亡くなった犠牲者の遺体安置所の十日間を、ボランティアの老人の視点で描く。ジャーナリスト石井光太のルポルタージュを原作とするドラマ。

『踊る大捜査線』チームなのでどうかなあー?と思ってたけど、ウン、よくできてました。噂に違わず。
原作はまだ読んでる途中だけど、たぶん脚色なんかは必要最低限、物語らしい物語はない。誰も体験したことのない悲劇、混乱、絶望の中で翻弄され、やがてそれぞれに道を見いだしていく市民の姿を、ただただ淡々と描いている。
弱く、もろく、不完全だが、それでも生きているから前を向ける、そんな人々の姿がいじらしい。

葬儀社を辞めて引退し、地域の民生委員をしていた相葉(西田敏行)はたしかに非常な人格者として表現されている。
職歴を活かして自ら遺体安置所のボランティアを買って出て、何の経験もなくただ手をつかねている市職員にアドバイスをし、機能しない火葬場を動かし、葬儀社との折衝もこなす。支援物資はボランティアにはわたらないので、飲まず食わずでひたすら朝から晩から働き続ける。
ちょっと見た感じでは現実離れしているように思えるほどの相葉のキャラクターだが、実際に被災地にいった体験からすると、こういう人は何人もいた。というか、もともとはそんな人じゃなくても、あの場所では、誰もが自分を捨てて、求められたことをやるべきという気持ちになってしまうのだ。おなかもすかない。トイレも忘れる。要はその反射神経の高いか低いかの差でしかない。
だから、初めは何もできなかった職員たちもみな各々に役割を見つけ、使命を果たすようになっていく。

自身福島県出身の西田さんのキャラがたち過ぎていて、被災地の話というより西田さんの話みたいに見えちゃってたのが惜しい点といえばいえるけど、全体的にはすごく完成度の高い、いい映画だと思います。
劇中、西田さんが何度も何度もご遺体に話しかける場面が出てくるのだが、その理由がいい。あえてここでは伏せるが、この心持ちは個人的にも覚えておきたいと思った。
この気持ちがあればこそ、数えきれないほどの死と別れを乗り越えていけるのかもしれない。

これからまた東北いくので、今日はこの辺でー。


関連レビュー
『舞台|阪神淡路大震災』
『墜落遺体─御巣鷹山の日航機123便』飯塚訓著