また東北に行ってきた。
311前の過密スケジュールが一段落したので、もともとこのタイミングで休んで東北に行くつもりだったのだが、出発前に地元でお世話になった人の親族に不幸があり、着いて早々お通夜とお葬式に出席した。
宮城県気仙沼市唐桑町の葬儀には特徴がある。まず、大抵のうちは三陸新報(気仙沼市と南三陸町のローカル新聞。8ページくらいしかなくて地域情報しか載ってない。唐桑の人はもれなくとっている)に新聞広告を出す。唐桑以外の人もだいたい出すし、葬儀が済めばまた会葬御礼を載せるから、この新聞の8ページのうち1ページは半分強が葬式広告である。ついでながらこの地域は同姓の人がものすごく多いので─8割以上の人が小野寺さんか畠山さんか鈴木さんか村上さんか千葉さんか熊谷さんか菅野さんか佐々木さんか菊田さんか梶原さんか及川さんのどれかである─、屋号が必ず掲載されている。
それから、お通夜の前に火葬してしまう。一説には、船乗りが多くて親族が亡くなったときに近しい人が遠方にいることが多いからじゃないかとも聞いたけど、ほんとうの理由はよくわからない。火葬の翌日がお通夜。お通夜だけど午後からやります(これ普通?)。ぐりも真っ昼間にお焼香にいった。お通夜は葬儀場か自宅でやります。お焼香の後はお茶とお菓子が出て、香典返しを受けとって退場。
翌日がお葬式。お寺です。唐桑ではお葬式をやるようなおっきなお寺は一軒しかない。お通夜の場所から親族が行列をつくってお寺まで歩くこともあるが、最近はバス移動が多い。お経のあとで故人の親族の子どもが「お別れの言葉」なる作文を読み、遺族代表が挨拶をして、それから焼香。焼香をしたら参列者は退場して、親族だけで初七日法要。火葬が済んでるので出棺とかはない。なのですごくさっぱりと30分程度で終わる。終わったら前述の通り翌日の新聞にまた広告を出す。
ぐり自身は今回亡くなられた方とは少し面識がある程度でとくに親しくはなかったので、純粋に義理で出席したお葬式だったけど、ふだん出ることのない地域のお葬式ってやっぱり興味深い。けどよく考えたら、ぐりが小さいときに出席してた親族の葬儀は儒教だったから、ぐりの「ふつう」「スタンダード」もヘンなんだよね。
お彼岸なので、そのあと別のおうちのお墓参りにもついてったけど、どうもぐりはお葬式とかお墓とかが好きらしいです。なんか楽しいの。不謹慎ですいません。
それから、泊まってた宿に長期滞在してた人が、休日に建造中のマグロ船を見学させてくれた。
津波で気仙沼市内の造船所に預けていた船が流されて使い物にならなくなり、改めて初めからつくり直すことになった。既に本体は完成していて、船室の内装や装備などの細かいところの仕上げに入っている。
ぐりはこういうのにはまったくの素人なので何がどうなってるのかさっぱりわからなかったけど、まず今後も見ることのない遠洋漁船のしくみをたっぷり見られておもしろかった。
気仙沼の造船所は津波の影響で大繁盛していて、どのドックにもぎっしりと建造中/修復中の船が並んでいる。天地ひっくり返して底の部分をつくってる途中のとか、中の骨格だけの船とか、いろんな段階の船がズラズラ並んでる風景は地元の人にとっても珍しいそうだ。
つくりかけの船で混み合った造船所は無人の休日でも独特の活気に満ちていて、港町の復興はこういうところから始まるのかなと思いました。
あと、2月に港の修復作業を行った現場の続きをやった。
津波で埋まった側溝にたまった石や砂を取り除いて、陥没した岸壁の通路に敷いて平らに均す。先月ほど人数もいないし、相変わらずむちゃくちゃ寒いし、石も濡れた砂も重くて、もう大変でした。
でも出来上がってみたらそのしんどさもどこかに吹っ飛んでしまう。土方、できるじゃん。いつでもやってやるぜ。なんて気分にも一瞬なります。嘘。超しんどいです。身体中筋肉痛です。
埋まった側溝は初めは深さ20センチ程度だから、掘ったものをどかすのにそれほどの力はいらない。けど実際の深さは1メートル以上あるから、掘れば掘っただけ掘ったものを高く持ち上げなくてはならない。これが超キツい。しかも強風で掘った砂と側溝の水(湧き水なので淡水)が飛ぶ。目に入る時もある。どれだけ働いても汗は流れる端から強風で冷やされ、とにかく寒い。
ただ、やればやっただけ成果が出る土木作業は決して嫌いではない。できたときの喜びと、依頼主さんの嬉しそうな顔だけでも、一生忘れられないくらい幸せな気持ちになれる。
予定通りにいかないことがあったり、今回は反省することもたくさんある活動だった。
個人的には、ここしばらく悩んで来たことの結論が出た活動にもなった。
それについてはまた後日書きます。
建造中のマグロ船の内臓。
311前の過密スケジュールが一段落したので、もともとこのタイミングで休んで東北に行くつもりだったのだが、出発前に地元でお世話になった人の親族に不幸があり、着いて早々お通夜とお葬式に出席した。
宮城県気仙沼市唐桑町の葬儀には特徴がある。まず、大抵のうちは三陸新報(気仙沼市と南三陸町のローカル新聞。8ページくらいしかなくて地域情報しか載ってない。唐桑の人はもれなくとっている)に新聞広告を出す。唐桑以外の人もだいたい出すし、葬儀が済めばまた会葬御礼を載せるから、この新聞の8ページのうち1ページは半分強が葬式広告である。ついでながらこの地域は同姓の人がものすごく多いので─8割以上の人が小野寺さんか畠山さんか鈴木さんか村上さんか千葉さんか熊谷さんか菅野さんか佐々木さんか菊田さんか梶原さんか及川さんのどれかである─、屋号が必ず掲載されている。
それから、お通夜の前に火葬してしまう。一説には、船乗りが多くて親族が亡くなったときに近しい人が遠方にいることが多いからじゃないかとも聞いたけど、ほんとうの理由はよくわからない。火葬の翌日がお通夜。お通夜だけど午後からやります(これ普通?)。ぐりも真っ昼間にお焼香にいった。お通夜は葬儀場か自宅でやります。お焼香の後はお茶とお菓子が出て、香典返しを受けとって退場。
翌日がお葬式。お寺です。唐桑ではお葬式をやるようなおっきなお寺は一軒しかない。お通夜の場所から親族が行列をつくってお寺まで歩くこともあるが、最近はバス移動が多い。お経のあとで故人の親族の子どもが「お別れの言葉」なる作文を読み、遺族代表が挨拶をして、それから焼香。焼香をしたら参列者は退場して、親族だけで初七日法要。火葬が済んでるので出棺とかはない。なのですごくさっぱりと30分程度で終わる。終わったら前述の通り翌日の新聞にまた広告を出す。
ぐり自身は今回亡くなられた方とは少し面識がある程度でとくに親しくはなかったので、純粋に義理で出席したお葬式だったけど、ふだん出ることのない地域のお葬式ってやっぱり興味深い。けどよく考えたら、ぐりが小さいときに出席してた親族の葬儀は儒教だったから、ぐりの「ふつう」「スタンダード」もヘンなんだよね。
お彼岸なので、そのあと別のおうちのお墓参りにもついてったけど、どうもぐりはお葬式とかお墓とかが好きらしいです。なんか楽しいの。不謹慎ですいません。
それから、泊まってた宿に長期滞在してた人が、休日に建造中のマグロ船を見学させてくれた。
津波で気仙沼市内の造船所に預けていた船が流されて使い物にならなくなり、改めて初めからつくり直すことになった。既に本体は完成していて、船室の内装や装備などの細かいところの仕上げに入っている。
ぐりはこういうのにはまったくの素人なので何がどうなってるのかさっぱりわからなかったけど、まず今後も見ることのない遠洋漁船のしくみをたっぷり見られておもしろかった。
気仙沼の造船所は津波の影響で大繁盛していて、どのドックにもぎっしりと建造中/修復中の船が並んでいる。天地ひっくり返して底の部分をつくってる途中のとか、中の骨格だけの船とか、いろんな段階の船がズラズラ並んでる風景は地元の人にとっても珍しいそうだ。
つくりかけの船で混み合った造船所は無人の休日でも独特の活気に満ちていて、港町の復興はこういうところから始まるのかなと思いました。
あと、2月に港の修復作業を行った現場の続きをやった。
津波で埋まった側溝にたまった石や砂を取り除いて、陥没した岸壁の通路に敷いて平らに均す。先月ほど人数もいないし、相変わらずむちゃくちゃ寒いし、石も濡れた砂も重くて、もう大変でした。
でも出来上がってみたらそのしんどさもどこかに吹っ飛んでしまう。土方、できるじゃん。いつでもやってやるぜ。なんて気分にも一瞬なります。嘘。超しんどいです。身体中筋肉痛です。
埋まった側溝は初めは深さ20センチ程度だから、掘ったものをどかすのにそれほどの力はいらない。けど実際の深さは1メートル以上あるから、掘れば掘っただけ掘ったものを高く持ち上げなくてはならない。これが超キツい。しかも強風で掘った砂と側溝の水(湧き水なので淡水)が飛ぶ。目に入る時もある。どれだけ働いても汗は流れる端から強風で冷やされ、とにかく寒い。
ただ、やればやっただけ成果が出る土木作業は決して嫌いではない。できたときの喜びと、依頼主さんの嬉しそうな顔だけでも、一生忘れられないくらい幸せな気持ちになれる。
予定通りにいかないことがあったり、今回は反省することもたくさんある活動だった。
個人的には、ここしばらく悩んで来たことの結論が出た活動にもなった。
それについてはまた後日書きます。

建造中のマグロ船の内臓。