落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

撤収

2009年11月24日 | movie
『意外』

鄭保瑞(ソイ・チェン)といえば『ドッグ・バイト・ドッグ』ですけどもー。ぐりあんましこの映画好きくないのよねん・・・。
でも今回は杜[王其]峰(ジョニー・トー)プロデュースってことでちょっと楽しみにしてたんですがー。
途中まではおもしろかった。とても。登場人物が少なくて、台詞も最小限。きりきりにサスペンスフルでスタイリッシュ。それはよかったんだけど。
なんだけど中盤以降ちょっとダレてしまったー。あのオチもぶっちゃけそんなに・・・うーむ。
サスペンスものであのオチはもういいでしょう。うん。いやあのオチがいかんとゆーわけじゃーないよ。けどそこまでもってくのにもう一声、もっと納得のいく一押しがほしい。あれじゃなんにもひねりないー。ぐりは後半かなり飽きてしまったよー。

とかなんとか、せっかくお友だちがチケットを融通してくれたのにいいたい放題書いてごめん。ほんとワガママで困ったもんだね(他人事)。

ピーターパンよ永遠に

2009年11月24日 | movie
『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』

ぐりはマイケル・ジャクソンの最後のツアー─"HIStory Tour 1996"─の東京公演をなぜか観ている。
それも当時友人が仕事関係でたまたま入手したすごくいい席で、アリーナの正面のかなり前の方で観た。目の前で踊っているマイケルの太腿がぷりぷりしていて、「マイケルにも肉ついてんだ」なんて思ったのをよく覚えている。今になってみれば、興味本位で偶然観られたにせよ、あのとき観ていてほんとうにラッキーだったなと思う。不謹慎ながら。
その席のまわりはおそらくぐりと同じくたまたまチケットをもらったか何かした客ばかりで、マイケルと目を見交わせるほどの距離でいながら、ほとんどが立ちもせず踊りもせずクールに淡々とステージを見守るだけだったのも印象に残っている。

映画が終わってエンドロールが流れた後、劇場内では拍手が起きた。
こういうことをいうのは本当にフェアじゃないと思うけど、マイケルは亡くなってやっと、本来あるべき姿を取り戻したんじゃないかという気がしてしかたがなかった。
マイケルが音楽界に、いやショウビズ界に、そしてアメリカにおけるアフリカ系マイノリティ社会にもたらした功績は計り知れない。しかし彼は自らその栄光を守ることができなかった。「スリラー」や「今夜はビートイット」など大ヒットをとばしまくった80~90年代を知らない世代にとっては、マイケルは奇行でゴシップ記事を賑わせるパパラッチのセレブでしかなくなってしまっていた。悲しいことだけど、ごく客観的な事実としてそれは否定のしようがない。
しかし映画を観ていると、彼がどれだけ歌うのが好きで、踊るのが好きで、オーディエンスを楽しませることにどれほど情熱を注いでいたか、そのためにどんなに必死に身も心も魂さえも捧げ尽くしていたか、それだけがひしひしと伝わってくる。だからこそ彼はあらぬゴシップに傷ついたんだろう。そんなつもりじゃなかったのにな、と。
最初からわれわれはそれだけを観ていればよかったのだ。彼の魂だった歌と踊り。でもそうはいかないのが現実社会の醜さなのだろう。

この映像はたぶん、コンサートの後でライブDVDを発売する際のボーナストラックとして撮られたものなのだろう。だから画面に登場するクルーやアーティスト、ダンサーたちはとても元気いっぱい、充実してリハーサルと準備を楽しんでいる。映画の中の彼らはもちろん、マイケルがコンサート直前に死んでしまうなんて思いもよらない。それが気の毒で仕方がなかった。このコンサートのためにいろんなものを犠牲にしたであろうたくさんの人たち。ファンはただ悲しんでいればいいだけかもしれないけど、関係者はそうはいかない。彼らはいったいどうなったのだろう。

マイケルの曲をこれだけまとめて聴いたのは久しぶりだったけど、ぐりにとっては10代の敏感な年頃に聴いた懐かしいナンバーばかりで、映画を観ていて踊りだしたいような気分になった。
マイケルの音楽はいわゆるロックではないし名曲といえるようなタイプの曲もないけど、それでも、聴いていて楽しい曲ばかりだし、“音楽”というからには楽しくてナンボといってしまえば良い音楽であることには違いはない。
遺された3人の子どもたちが、これからもそれを糧に強く生きていってくれればなと、せつに思った。

三枚のダヴィンチ

2009年11月24日 | movie
『ヴィザージュ』

タイトルはフランス語で「顔」の意。
ルーブル美術館が初の試みとして収蔵作品として映画を製作。200人の候補の中から蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)がなんで選ばれたのかはぐりはしょーじきよくわからない。
てなわけでルーブルの内外で好き放題勝手放題撮りまくった映画。まーぶっちゃけよーわかりませーん。映像は綺麗ですけどね。オシャレだし。なんかすんごいオシャレなファッショングラビアの映画版みたいな。
監督は「映画ファンのためにつくられた映画」などと説明しておられましたが、そーゆーこと聞くたびに自分がいかに不真面目な単なる“映画好き”であって“映画ファン”“シネフィル”ではないかとゆー事実を再確認する。だってフランス映画とかべつに好きじゃないし・・・。
かといってつまらん映画かといえばそんなこともないですけど。よーするにぐりがトシとって頭がカタくなったってだけのことなんでしょー。映画なんてたかが映画、ゲージュツ的じゃなくたっていいんだわさ。

ローラの国の21世紀

2009年11月19日 | book
『チャイナフリー 中国製品なしの1年間』 サラ・ボンジョルニ著 雨宮 寛/今井 章子訳
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今はどうかわからないけど、ぐりが子どものころ、おもちゃを買ってもらえるのは誕生日とクリスマスに限られていた。
ごくまれに親戚や親の友人などの大人がお土産をくれることもないこともなかったけど、誰かがおさがりにおもちゃをくれるといっても、ぐりの両親は断っていた。
代りに本だけはいくらでもねだれば買ってくれていたし、手づくりの服や小物はよくつくってもらっていた記憶がある。母は洋裁・和裁もふくめて手芸が得意で、お稽古通いに使うバッグからフリルたっぷりのローンドレスや浴衣、セーターまで何でもつくってくれた。
なので大きくなって誰かにプレゼントをするときも、できる範囲内では手づくりのものをあげる習慣がいつの間にかついていた。十代のころまではペンケースやポーチ、マフラーや焼き菓子などはよくつくった。

この本を書いたボンジョルニはとくに中国が嫌いで中国製品を拒否したわけではない。
ただあるクリスマスの後で、ふと、中国製品がこんなに多過ぎるのはなにかおかしいと感じただけだ。いつからアメリカにこんなにメイドインチャイナが溢れかえるようになったのかは彼女も覚えていない。でも以前はこうではなかった。少なくとも、中国製品なしに暮せないなんてことはなかったはずなのだ。
そこで1年間、中国製品を買わないで暮せるか試してみることに決める。家族の承諾もとり、それをドキュメンタリーとして記録する。
ルールとしては、既に家にある中国製品は捨てたりしない。プレゼントとしてもらうのもOK。単に、中国製品とわかっているものを買うのだけはNG。

すると驚くべきことが次々にわかってくる。
アメリカでは子ども用のスニーカーはまったく生産されていない。市場に流通しているのはほとんどが中国製である。アメリカ人の子どものほぼすべてが中国製の靴をはいている。
衣料品はいうにおよばず、ビーチサンダルやサングラスなどバケーションシーズンの必須アイテムも現実的な価格帯のものはすべて中国製。でなければ高額なブランド品になってしまう。
おもちゃやパーティーグッズも大抵は中国製。国民単位でお祭り好きで、お祭りのたびにしこたまこの手のガラクタを買いまくるアメリカ人の年中行事には中国製品は欠かせない、ボンジョルニ家ではハロウィーンが大ピンチとなる。
パソコンも含め電化製品も中国製が多い。そうでなくても、部品には中国製品が使用されているものばかりである。
国土の広いアメリカでは通信販売が盛んだけど、カタログには生産国が明記されていないことが多い。サラはいちいちカスタマーサービスに電話をかけて聞いてみるのだが、すぐに答えられるオペレーターは存在しない。アメリカ人は自分が買う品物がどこでつくられていても気にしないのだ。

ヘンな話だ。
アメリカ人だって初めから今のように豊かだったはずはない。ぐりのうちのように、買うのは最低限で我慢して、贈り物は心をこめた手づくりのものを用意していた時代があったはずだ。そうして手に入れたものを、愛情をもって大事に使って、壊れたら修理するのが当り前だったはずだ。
ところが今やアメリカ人は何もつくろうとしていない。何でも買ってすませるのが当然になってしまっている。そして飽きたらすぐに捨ててしまう。
どこで誰がつくっていようが、安くてどこでも手に入るから大事にする必要がない。そんな生活がほんとうに豊かだといえるだろうか。

この本のおもしろいところは、しっかりした経済書でありながら同時に、ある一家の1年を主婦の目線でとらえたエッセイとして書かれているところだと思う。
サラには小さな子どもと夫がいる。彼女は自分がいいだした中国製品ボイコット生活が家族を苦しめているのではないかと何度も自問自答する。とくに興味深いのは離れて住む彼女の母親のキャラクターだ。ボランティアに熱心で人権意識に篤い母親だが、娘のやっていることには露ほども理解を示さない。そんなクールな母親を登場させることで、著者のボイコット生活の意味が不思議に客観的に見えて来る。

読み物としてすごくおもしろいし、アンチ中国派にとっても親中派にとっても楽しい本だと思います。
オススメ。

顔減量中

2009年11月10日 | diary
近況報告。

数ヶ月前、疲れを取りに初めてタイ古式マッサージを受けたらとても気持ちが良かったので、しばらく後で同じ店でオイルマッサージとフェイシャルエステのコースをやってもらったら大失敗した、とゆー話をに書きましたが。
最近になってやっぱしタイ古式マッサージやりたいな〜と思ったけど、マッサージって相性もあるから新しい店にはなかなか行きにくい。それで件の店にまた行ってみた。オイル+フェイシャルとタイ古式のスタッフは違うかもしれんと思って。
無事にマッサージは終わって、さあ帰ろうかしらんと思っていたら、数ヶ月前の“溜息スタッフ”が現れて、「時間に余裕があったら、別のスタッフにフェイシャルエステをやらせてほしい」という。
もう夜で、店の営業時間が終わってるくらいだったけど、ぐりの自宅はそこからすぐなのでOKしたんだけど。

エステといってもよーするにパックとマッサージ。パックはまあふつーのパックです。んでマッサージはリンパマッサージ。小顔になるとゆー、あれです。
これがもー、もんのすごーく痛い。「痛いよ」といわれたけど、想像を絶するほど痛い(言い過ぎ)。マジで涙出る。顔を怪力で押えつけられてるのでさいわい(?)泣き声は出ないけど、出たら泣きわめいてた。っつーくらい痛い。
けど前から顔が凝ってたので(眼精疲労のせいですー)、すごくスッキリした。実をいうとまたやりたいくらいです。
小顔になったかどーかは自分ではいまいちよくわかんないんだけど、周りの人は「顔ちっちゃくなった」といっているのでちっちゃくなったんでしょう。マッサージしたよ、といわなくても「ちっちゃくなった」といわれるくらいなので。

あのときは「二度といかないよー」とか思ってたけど、行ってみるもんですねー。


ボーダーコリーのレオンくん。6歳。
すごくおとなしくて、誰にでも愛想よし。