落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

彼岸の東北

2015年09月27日 | 復興支援レポート
9月18日~24日の7日間で東北旅行に行って来た。
今年はお盆休みもなかったので遅い夏休み。

世間はシルバーウィークでお彼岸。この時期に4年間親しんで来た気仙沼市唐桑町を訪問する事情もあった。
長くお世話になっていると、地元の人とも親しくなる。毎回お世話になっているおうちもあるし、個人的に深い関係に至ることもある。
今年、そうした関係にあった方が相次いで亡くなった。どちらも突然の死だった。なんの心の準備もできず、別れに立ち会うこともできなかった。その痛みはまだ、消化されないまま胸の中にある。

それでも生きている人間はいつまでも同じところに立ち止まってはいられない。その気持ちを正確に表現できる言葉は、どんなに考えても浮かんでこない。仏壇の前で、墓石の前で頭を垂れていても、何を語りかければいいのかまったくわからなかった。遺族と向かいあっても、故人についてひと言も話すことができなかった。
今回の訪問の目的のひとつが、震災直後から多くのボランティアを支えて来た地元の方の死を悼む会だった。
初盆を過ぎて、仲間の呼びかけで30人以上のボランティアや元ボランティアが全国から集まり、彼を偲んでパーティーをした。でもほとんど誰も、申し合わせたように肝心の彼の話をしなかった。ひと言二言触れても、深くその話をしようという人はいなかった。
そんな話ができるようになるには、もっと時間が必要なのかもしれない。少なくとも私はそうだ。いまはまだ語る気にはなれない。

地元に住んで活動を続けている友人が大船渡市に連れて行ってくれて、復興事業の進行の様子を少し見せてもらった。
港湾工事はかなり進んで、何もかもが新品のぴかぴかの港湾施設が眩しかったけど、嵩上げは全然やってなくて、津波で壊れた建物や土台がまだそのまま残っていて、嵩上げや道路の新設が進んでいる気仙沼や、土砂運搬用の巨大ベルトコンベアの撤去も決まった陸前高田、瓦礫をすべて県外処理とした女川・石巻地区と比較するといくらか遅れている印象だった。
その一方で、防潮堤の工事はどこでも着々と進んでいる。今回のような津波は防げないという防潮堤。復興住宅の建設が遅れ、いまも仮設住宅で不自由な生活を続けている人たちもいるのに、本来の生活の基盤よりも先に、これだけの巨大防潮堤を建設しなくてはならない意味がよくわからない。こんなものでいったい何をまもろうというのだろうか。


大船渡漁港。釣り人がいっぱいいた。

パーティーが終わって東京に戻るボランティア仲間が帰りに早朝出発で金華山に寄るというので便乗させてもらい、石巻市雄勝町をまわって途中で大川小学校に行った。
全校児童・教職員総勢121名中85名の犠牲者を出し、児童の遺族が自治体側に責任を追及している小学校。初めて訪問したのは2011年の秋、当時花や供物が溢れていた献花台は片付けられ、敷地の奥に立派な慰霊碑が建てられていた。
この校舎を震災遺構として残すかどうか議論されているが、爆撃でも受けたかのように破壊されつくした校舎は、早くも風雨による劣化が徐々に始まっていた。遺族の間には解体を望む声が強いというが、最近になって生存者の卒業生たちが保存を求める意見を明らかにしている。当然ながら当事者の意思はたいせつだが、問題はこの立地。石巻市中心部からはクルマで1時間余りと辺鄙な場所にあるうえ、近隣に有効な公共交通機関もなく高速のインターからも遠く、遺構として残したあとの運営に大きな課題は残る。ただでさえ被災地でも最悪の被害を被った石巻市が単独で実施できるような事業ではない。保存するとしても、その目的をいかに設定するかが重要な気がする。


壁がなくなった大川小学校の校舎。

鮎川港から小さなフェリーに乗って金華山黄金山神社へ。
金華山は島まるごと神域という神社の島。不勉強ながら知らなかったのだが、ここは3年続けて参詣すると一生お金に困らないそうである。じゃあ来年も再来年もこないとね。
フェリーを降りて徒歩15分くらいで神社には着くのだが、傾斜がきついので無料の送迎車も往復している。島のあちこちには鹿がいて、神社ではエサも売っている。奈良の鹿とは種類が違うのか、小柄(体高60センチ程度)でとてもおとなしい。


エサを持ってない人には近づかない。


黄金山神社。
震源地に近く、震災の影響でいまも復旧していない施設がある。震災直後は被害を受けた参道や石段の修復に多くのボランティアが全国から集まったという。木造の建物はなんともなくて、石造りの階段や鳥居が損傷したというのが興味深い。

参詣後フェリーで鮎川港まで戻り、牡鹿半島をまわって石巻市内でボランティア仲間とお別れ。午後からは地元のタクシーで4年前に活動した市内各地をまわった。
震災後最初に訪問したのは石巻市だが、その後は南三陸町や気仙沼で活動することが多く、石巻市内にくるのはほぼ4年ぶりである。ドライバーがまず連れて行ってくれた日和山からの眺めを見て、当時の記憶が鮮明によみがえる。あのころ、何もかもが無惨に泥だらけで、どっちを向いても視界を埋め尽くしていた瓦礫の山は確かにもうない。道路は綺麗に舗装し直され、新しく建てられた店舗やビルもたくさんある。でも全壊したまま放置された建物も残っているし、歯抜けのように空き地が目立つ商店街には全国チェーンの居酒屋がやたらに進出していた。ドライバーは「寂しいけど、何もないよりは、復興の途中段階としてはしかたない。地元の人にはまだ力がないから」という。
日和山の眼下の海岸地域(よく報道で見かける「がんばろう石巻」の看板がある門脇町)には、一軒だけ津波に流されなかった称法寺がそのままの姿で残っていた。壁はなくなり本堂の中身も鐘楼もすべて失われていたけど、立派な屋根や柱は無傷のままになっていた。このお寺は今後どうなるのだろう。
火災で真っ黒に焼け焦げていた門脇小学校は風雨に洗われて白っぽくなっていたが、解体されないまま保護シートがかけられていた。


4年半後、石巻市日和山公園からの眺望。写っているエリアはもう人が住むことはなく、公園の建設が計画されている。


2011年5月8日に掲載した震災1ヶ月後の似た地点で撮影した画像。道路景開が一段落し、瓦礫撤去の前に行方不明者の捜索が行われていたころ。


上二枚の画像の中心辺りに写っている称法寺。

翌日は電車で仙台まで移動。
実は今回、行きは新幹線で岩手県一関まで行き、そこから在来線で気仙沼に行く予定だったのだが、前日に発生したチリ地震による津波警報と大雨で大船渡線が運休。例の“嵐フィーバー”を避けたら別の「嵐」に阻まれるというジョークのような番狂わせがあったのですが。この日は嵐ライブの最終日。やはり仙台駅はふだんでは信じられないほどの大混雑です。とりあえずその人ごみから逃げて送迎バスで白石温泉へ。
白石は山形・福島との県境に近い内陸の町。ここの温泉施設が山中の蔵王キツネ村に無料で送迎してくれるというので行ってみた。詳しくはこちらのレポートをご参照いただきたいのだが、まあとりあえずいっぱいいます。キツネが。ほかにヤギとかウサギもいるんだけど、キツネの多さは想像以上です。それもギンギツネとか北極ギツネとかいろんな種類がいる。そしてみんな超かわいい。
ただしキツネは人を噛むので、直接触ることはできない。見るだけ。にしても多過ぎておなかいっぱいである。自家用車でしか来れないという立地もあって、休日なのにさほど混んでないのもよかったです。
キツネ村から施設に戻ったあとは日没まで周辺を散策。どこにいっても人っ子ひとりいない。ムチャクチャ静かです。


こんなのがうじゃうじゃいる。

最終日は朝から福島市に移動するつもりで駅まで送ってもらったのだが、着いてみたら列車が遅れていて時間が余っている。
ついでなので荷物を預けて、近年復元された白石城に登ってみる。白石城はあの伊達政宗の側近だった片倉小十郎の居城。平日のせいなのかきれいさっぱり誰もいなくて、天守閣を文字通り独り占めである。その後で城下町の武家屋敷にも寄ってみたがこちらも誰もいなかった。思う存分写真撮り放題。
白石市そのものは城下町らしくこざっぱりとして、趣のある古い建物が多いきれいな町である。あと温麺(うーめんと読む)の店がやたらに多い。近くに温泉もたくさんあるし、もうちょっと観光客がいても良さそうなのに、町を歩いててもビックリするくらいそういう人には会わないし、駅でも観光に力を入れている様子がいっさいない。そういう静けさを求めている人(私です)にはうってつけな土地だなと思いましたです。


白石市内の電話ボックス。

昼前の列車で福島市へ。だいたい30分くらいです。ホントすぐ。
駅から100円バスで県庁近くまで行き、そこから歩いて御倉邸に行く。
日本銀行東北出張所の初代支店長宅ということですが、確かに広いんだけど内部の装飾が何も残ってなくて、建築に興味のある人以外はとくに楽しめるところではないかなという、やや残念なスポット。


とりあえず広い。

ここから寺町(一本の通りにやけにお寺がいっぱいある)を通って駅まで戻り、逆方向の伊達行きのバスで岩谷観音へ行く。
平安時代ごろから地元の人が岩に彫り続けた観音様が山肌にびっしり数百体並んでいるお寺。山の中腹とはいえ、石段もあってさほど高い場所ではない。それでも参詣客が全然いなくて、数百体の観音様をまたしても独り占めである。ひとりぼーっと無数の仏様たちと向きあっていると、雰囲気的になにか別の世界に連れて行かれそうな気分になる。おそらく桜や紅葉のころはもうちょっと人が集まるんじゃないかなと。


いっぱい観音様が彫ってある。写ってるのは10分の1くらいか。

朝からお城に登ったり道を間違えて遠回りしたりしてかなり歩いたので、ここで力尽きて帰京。
前から思ってたことだけど、東北の皆さんはもうちょっと真面目に観光業にとりくんだ方がいいと思う。だってどこもかしこも自家用車がないといけないスポットだらけ。案内用のパンフレットの情報は不十分だし(紙質が悪くてすぐズタズタになる)、バスや電車の便は異常に少ないし(休日は全面運休ってどういうことだ)、駅や主要な観光施設にコインロッカーや休憩所など観光客向けのサービスも少ない。飲食店の方々の愛想も悪すぎる。全部とはいわないけど、だいたいにおいてフレンドリーとはいい難いです。全体に訪問者にとって不便なことが多いのだ。
復興のためには観光で人に来てもらうことも大事なんだし、ハコものをつくることよりお金もかからないんだから、そういうソフト面から見直してみてもいいんじゃないかと思うんだけど。そのための助成ももっと活用されるべきでは。

とかなんとかいいつつ、帰って来たらもう次いつ行けるかカレンダーを眺めている自分がいる。
次こそは平泉に行かないとなあ。


復興支援レポート