『シェイプ・オブ・ウォーター』
冷戦下のアメリカ。政府の宇宙科学研究機関で清掃員として働くイライザ(サリー・ホーキンス)は、南米の奥地から施設に連れてこられ水槽に閉じ込められている生き物(ダグ・ジョーンズ)の孤独な身の上に共感し、人目を忍んでゆで卵をご馳走したり、音楽を聴かせたりするうちにやがて心を通わせるようになるのだが、政府はこの生物を宇宙開発研究を目的に解剖しようとしていた。
その計画を知ったイライザはなんとか彼を救出しようと試みるのだが・・・。
『パンズ・ラビリンス』のギレルモ・デル・トロによるファンタジー映画。
実はファンタジー映画(SF含む)があまり得意ではない。
長い間、映像制作の分野で仕事をしていてその手の映像を観るとつい反射的に技術的な背景を連想してしまって無駄に疲労してしまうせいもあるんだけど、考えてみたらそれよりももっと前、十代のうちからあまり好きではなかった。なのでスター・ウォーズシリーズどころか、ETもバック・トゥ・ザ・フューチャーもスパイダーマンもバットマンも指輪物語もハリポタもいっさい劇場では観たことがない。仕事上の必要に迫られて、最低限関連のある場面だけなら観たことがある程度である。
にもかかわらず『パンズ・ラビリンス』にはズボッとハマってしまった。なんでかはわからない。
他のファンタジー映画がどうなのかはさておいて、デル・トロの作品では、現実世界の不条理や残酷さがこれでもかといわんばかりにしつこく表現される。
『パンズ〜』では生活(=子育て)のために将校と再婚しようとする母親と娘との無理解の壁という不条理と残酷さが、登場人物の間の心の溝として物語の根幹に置かれていた。『シェイプ〜』では、女性であるだけでなく言葉を発することができないという障害をもち、また政府機関の建物内で働いているにも関わらず人間としては見なされない清掃員という立場にいるイライザの弱さと強さが、不条理かつ残酷な壁としてストーリー展開上の鍵になっている。
それは一種、なぜ人間の世の中に「ファンタジー」が必要とされているのかという疑問の答えのようでもある。ファンタジーという飛び道具によってしか、不条理で残酷な現実社会を打ち破る自由が担保されていないかのようでもある。
そんなこともないか。
『シェイプ〜』では将校ストリックランド(マイケル・シャノン)やホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)がとくに視覚的な部分でその“不条理で残酷”なパートを担っていたけど、そのせいなのか、作品全体の世界観が分裂してしまっているようにも観えたのがちょっと残念でした。
時代背景が60年代で、ヒロインが住むアパートが映画館の上階でもあり、画面や音楽にやたらクラシック映画が引用されてたけど、そのあたりの映画に詳しくなければそういう演出にもうまく共感できない(ごめん)。
イライザの隣人で友人の ジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)がゲイという設定も、ストーリー上の何につながっているのかもよくわからず。
ただその当時流行っていたレトロフューチャーなプロダクトデザイン満載のプロダクションデザインはかなり目に楽しかったです。
携帯電話もインターネットもSNSもない時代、イライザと謎の生き物は言葉と種をこえて心と心で愛を交わし、永遠の幸せを追い求める。
ある意味では非常にシンプルでオーソドックスな恋愛映画ではあるのだが、そのふたりの間に支払われるあまりにも残虐な暴力と大量の血が、人がそれぞれの価値観や世界観をのりこえて本物の信頼や愛情をかちとることがいかに難しいかという現実を象徴しているのだとすれば、これはこれでまためちゃくちゃリアリスティックな物語でもあるといえるのかもしれない。
冷戦下のアメリカ。政府の宇宙科学研究機関で清掃員として働くイライザ(サリー・ホーキンス)は、南米の奥地から施設に連れてこられ水槽に閉じ込められている生き物(ダグ・ジョーンズ)の孤独な身の上に共感し、人目を忍んでゆで卵をご馳走したり、音楽を聴かせたりするうちにやがて心を通わせるようになるのだが、政府はこの生物を宇宙開発研究を目的に解剖しようとしていた。
その計画を知ったイライザはなんとか彼を救出しようと試みるのだが・・・。
『パンズ・ラビリンス』のギレルモ・デル・トロによるファンタジー映画。
実はファンタジー映画(SF含む)があまり得意ではない。
長い間、映像制作の分野で仕事をしていてその手の映像を観るとつい反射的に技術的な背景を連想してしまって無駄に疲労してしまうせいもあるんだけど、考えてみたらそれよりももっと前、十代のうちからあまり好きではなかった。なのでスター・ウォーズシリーズどころか、ETもバック・トゥ・ザ・フューチャーもスパイダーマンもバットマンも指輪物語もハリポタもいっさい劇場では観たことがない。仕事上の必要に迫られて、最低限関連のある場面だけなら観たことがある程度である。
にもかかわらず『パンズ・ラビリンス』にはズボッとハマってしまった。なんでかはわからない。
他のファンタジー映画がどうなのかはさておいて、デル・トロの作品では、現実世界の不条理や残酷さがこれでもかといわんばかりにしつこく表現される。
『パンズ〜』では生活(=子育て)のために将校と再婚しようとする母親と娘との無理解の壁という不条理と残酷さが、登場人物の間の心の溝として物語の根幹に置かれていた。『シェイプ〜』では、女性であるだけでなく言葉を発することができないという障害をもち、また政府機関の建物内で働いているにも関わらず人間としては見なされない清掃員という立場にいるイライザの弱さと強さが、不条理かつ残酷な壁としてストーリー展開上の鍵になっている。
それは一種、なぜ人間の世の中に「ファンタジー」が必要とされているのかという疑問の答えのようでもある。ファンタジーという飛び道具によってしか、不条理で残酷な現実社会を打ち破る自由が担保されていないかのようでもある。
そんなこともないか。
『シェイプ〜』では将校ストリックランド(マイケル・シャノン)やホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)がとくに視覚的な部分でその“不条理で残酷”なパートを担っていたけど、そのせいなのか、作品全体の世界観が分裂してしまっているようにも観えたのがちょっと残念でした。
時代背景が60年代で、ヒロインが住むアパートが映画館の上階でもあり、画面や音楽にやたらクラシック映画が引用されてたけど、そのあたりの映画に詳しくなければそういう演出にもうまく共感できない(ごめん)。
イライザの隣人で友人の ジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)がゲイという設定も、ストーリー上の何につながっているのかもよくわからず。
ただその当時流行っていたレトロフューチャーなプロダクトデザイン満載のプロダクションデザインはかなり目に楽しかったです。
携帯電話もインターネットもSNSもない時代、イライザと謎の生き物は言葉と種をこえて心と心で愛を交わし、永遠の幸せを追い求める。
ある意味では非常にシンプルでオーソドックスな恋愛映画ではあるのだが、そのふたりの間に支払われるあまりにも残虐な暴力と大量の血が、人がそれぞれの価値観や世界観をのりこえて本物の信頼や愛情をかちとることがいかに難しいかという現実を象徴しているのだとすれば、これはこれでまためちゃくちゃリアリスティックな物語でもあるといえるのかもしれない。