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去年図書館で予約して半年越しで今さら順番がまわって来ました。特にすっごい読みたい!ってんでもなかったですが、世間でこれだけわーわー云われててしかも自分のこと(30代+独身+子なし=“負け犬”)となったらやっぱ一応読んどくか〜、みたいな。
ぐりは『アリーMyラブ』も『ブリジット・ジョーンズの日記』も『セックス・アンド・ザ・シティ』も読んでないし観てません。
主人公はどれも紛うことなき“負け犬”、そしてそれぞれが世界的な大ヒット、ってことは世界的に“負け犬”文化がウケている→共感されやすい→“負け犬”もしくは予備軍を自覚してる人の数が多い、ってことなんでしょーかね?たぶんそうなんでしょー。ぐりがたまたま連ドラやハリウッドの恋愛映画を観る習慣がないってだけのことですね。
ぐりも30代、独身、子なし。この本ではそれに加えて高学歴高収入、不倫経験があって大人の男の面白さを知っているため同年代の男性との恋愛に価値を見いだせないくせに恋愛体質、ファッションセンスに自信があってマニアックな趣味をもっている、と“負け犬”を特徴づけてますが、一応四大は出てても高学歴とは云えないし高収入でもない、おやぢ好きでも不倫経験はないし恋愛体質でもなくブランドにも興味がないぐりはいわゆる“負け犬”の王道からはちょっとズレてるかもしれない。
この条件を聞いてすぐ思い出すのはぐりの上の妹です。高学歴高収入、マニッシュなオシャレが好きで趣味は旅行。勉強好きでいっぱい資格もってます。おまけにちょっと美人でモデルばりのプロポーション。不倫はどーだか知りませんがそこらの並みの男子なんかハナもひっかけないプライドの持ち主ではある。現在31歳。立派な王道“負け犬”マスターです。
ぐりのうちは女3人の三姉妹ですが、どう考えても3人とも“負け犬”となるべくして育てられた・・・みたいに思えて来ます(下の子は20代だから今のところ予備軍)。この本読んでると。3人とも四大卒で専門職。大体において3人とも昔から女らしくない。心の中では女くささを最も馬鹿にしているのに家事全般はそれなりに出来たりするとこも可愛くない。下のふたりは小学生の頃までは同世代の男の子なんかより喧嘩が強くて、未だに「男なんて」と見下しているところもある。ぐりは腕力ないからそこまで思わないけど。
実家は自営業で母も働いていて、この母の口癖がなにしろ「男に負けるな、頼るな、甘えるな」です。物心つく前からとにかく「結婚して子どもを生んで家庭に入るだけの人生なんてつまらない。自分なりの努力で自立して世間を見返してやれ」と云われ続けて大きくなりました。たぶん母自身がそう思っていたのでしょう。本当は自分の人生はこんな筈ではなかった、もっと可能性があったのに、と。
マ気持ちは分かるよね。そして3人とも彼女が希望した通り四大を出て専門的な職業に就いて自立した人生を歩んでいる。めでたいではないか。
今、その“負け犬”三姉妹に対して母は云う。うちの子は誰も親に孫の顔を見せてくれようとはしない。淋しいと。たわけがー。
何年か前、あまりに結婚出産のことをしつこく云うのでアタマに来て「だってうちら『男に負けるな、頼るな、甘えるな』って育てられたんやもん。今さら真逆のことリクエストするのはムシ良過ぎ」とストレートに云ったら、すっごい落ちこんでました。ごめんよ。
でもこういう教育方針は何も我が家に限ったことではなかったんじゃないですかね。我々が生まれた1970年代と云えば高度経済成長期後半、誰だって頑張れば、努力さえすれば夢を叶えられた時代。女の子だからってお嫁にいかなきゃいけない、家庭に入って子どもを育てなくちゃいけないと云う考え方は古い、と思われ始めた時代、娘に夢を託して叱咤激励するおかあさんは別に珍しくなかったんじゃないかと思う。
そこまで星一徹的に重くなくても「女の子だからこうじゃなきゃいけない」とは云われず「好きなことをして自分の生きたい人生を自由に選べ」と云われて育った女の子が、その幻想的(笑)価値観をそのまま鵜呑みにして気づいたら“負け犬”状態、ってのはさらによくあるパターンじゃなかろーか。て云うかこの本に出て来る王道な“負け犬”の養成コースは大抵こちらだったのではないかとぐりは想像する。
だからってぐりは別にそういう教育方針や(当時としては)リベラルな価値観を責めている訳ではない。彼女たちの育て方が間違ってたとも思わないし、自分が結婚も出産も出来ないのを親のせいにしたい訳でもない。育てた娘に自分の教育方針と違う結果を求めるな、とは云いたいけどね。
つまり女に生まれたからには誰もが本能的に花嫁に憧れ母性本能にみちみちた大人に成長するほど人間は単純な生き物ではない、と云うことです。良妻賢母(“勝ち犬”)を完成させるにはそれなりのハードとソフトが社会に・環境に必要なのです。
特にここまで社会が複雑になり価値観が多様化した今、少子化だからって云われても急に時計の針は逆にはまわってはくれない。そうですね?そりゃ都合の良過ぎるお話ですね?
なので政治家の皆さん、世間の男性諸君&既婚者の方々、“負け犬”は“負け犬”でそういう生き物として市民権を認めて下さい。我々に結婚と出産を強制しないで下さい。気づいたら身についてしまっていた価値観を三十路も過ぎてからひっくり返すのはほぼ不可能です。大体が我々には切実な結婚願望や出産願望がないのです。少なくともぐりは人生30ン年間一度も誰それと結婚したい、誰それの子どもが生みたいと思ったことがない。妄想でも思いついたことがないし夢にも見たことがない。幼少の頃の記憶を辿ってもウエディングドレスが着てみたいとすら思ったことがない。そんな人間には結婚や出産をするスペックがそもそも備わっていないのです。その代り働いて税金や年金はちゃんと納めますから許して下さい。生きててすみません。
少子化はちゃんと結婚して出産してるひとたちをもっともっとガンガンに優遇して、生産スペックのある皆様で解決出来るようにして下さい。その方がきっと将来性ありますから。
とりあえずこの本はまず“負け犬”に無駄な期待を抱き続けている親御さんが読むべきですね。読んで開き直って欲しいね。うちの母に。
去年図書館で予約して半年越しで今さら順番がまわって来ました。特にすっごい読みたい!ってんでもなかったですが、世間でこれだけわーわー云われててしかも自分のこと(30代+独身+子なし=“負け犬”)となったらやっぱ一応読んどくか〜、みたいな。
ぐりは『アリーMyラブ』も『ブリジット・ジョーンズの日記』も『セックス・アンド・ザ・シティ』も読んでないし観てません。
主人公はどれも紛うことなき“負け犬”、そしてそれぞれが世界的な大ヒット、ってことは世界的に“負け犬”文化がウケている→共感されやすい→“負け犬”もしくは予備軍を自覚してる人の数が多い、ってことなんでしょーかね?たぶんそうなんでしょー。ぐりがたまたま連ドラやハリウッドの恋愛映画を観る習慣がないってだけのことですね。
ぐりも30代、独身、子なし。この本ではそれに加えて高学歴高収入、不倫経験があって大人の男の面白さを知っているため同年代の男性との恋愛に価値を見いだせないくせに恋愛体質、ファッションセンスに自信があってマニアックな趣味をもっている、と“負け犬”を特徴づけてますが、一応四大は出てても高学歴とは云えないし高収入でもない、おやぢ好きでも不倫経験はないし恋愛体質でもなくブランドにも興味がないぐりはいわゆる“負け犬”の王道からはちょっとズレてるかもしれない。
この条件を聞いてすぐ思い出すのはぐりの上の妹です。高学歴高収入、マニッシュなオシャレが好きで趣味は旅行。勉強好きでいっぱい資格もってます。おまけにちょっと美人でモデルばりのプロポーション。不倫はどーだか知りませんがそこらの並みの男子なんかハナもひっかけないプライドの持ち主ではある。現在31歳。立派な王道“負け犬”マスターです。
ぐりのうちは女3人の三姉妹ですが、どう考えても3人とも“負け犬”となるべくして育てられた・・・みたいに思えて来ます(下の子は20代だから今のところ予備軍)。この本読んでると。3人とも四大卒で専門職。大体において3人とも昔から女らしくない。心の中では女くささを最も馬鹿にしているのに家事全般はそれなりに出来たりするとこも可愛くない。下のふたりは小学生の頃までは同世代の男の子なんかより喧嘩が強くて、未だに「男なんて」と見下しているところもある。ぐりは腕力ないからそこまで思わないけど。
実家は自営業で母も働いていて、この母の口癖がなにしろ「男に負けるな、頼るな、甘えるな」です。物心つく前からとにかく「結婚して子どもを生んで家庭に入るだけの人生なんてつまらない。自分なりの努力で自立して世間を見返してやれ」と云われ続けて大きくなりました。たぶん母自身がそう思っていたのでしょう。本当は自分の人生はこんな筈ではなかった、もっと可能性があったのに、と。
マ気持ちは分かるよね。そして3人とも彼女が希望した通り四大を出て専門的な職業に就いて自立した人生を歩んでいる。めでたいではないか。
今、その“負け犬”三姉妹に対して母は云う。うちの子は誰も親に孫の顔を見せてくれようとはしない。淋しいと。たわけがー。
何年か前、あまりに結婚出産のことをしつこく云うのでアタマに来て「だってうちら『男に負けるな、頼るな、甘えるな』って育てられたんやもん。今さら真逆のことリクエストするのはムシ良過ぎ」とストレートに云ったら、すっごい落ちこんでました。ごめんよ。
でもこういう教育方針は何も我が家に限ったことではなかったんじゃないですかね。我々が生まれた1970年代と云えば高度経済成長期後半、誰だって頑張れば、努力さえすれば夢を叶えられた時代。女の子だからってお嫁にいかなきゃいけない、家庭に入って子どもを育てなくちゃいけないと云う考え方は古い、と思われ始めた時代、娘に夢を託して叱咤激励するおかあさんは別に珍しくなかったんじゃないかと思う。
そこまで星一徹的に重くなくても「女の子だからこうじゃなきゃいけない」とは云われず「好きなことをして自分の生きたい人生を自由に選べ」と云われて育った女の子が、その幻想的(笑)価値観をそのまま鵜呑みにして気づいたら“負け犬”状態、ってのはさらによくあるパターンじゃなかろーか。て云うかこの本に出て来る王道な“負け犬”の養成コースは大抵こちらだったのではないかとぐりは想像する。
だからってぐりは別にそういう教育方針や(当時としては)リベラルな価値観を責めている訳ではない。彼女たちの育て方が間違ってたとも思わないし、自分が結婚も出産も出来ないのを親のせいにしたい訳でもない。育てた娘に自分の教育方針と違う結果を求めるな、とは云いたいけどね。
つまり女に生まれたからには誰もが本能的に花嫁に憧れ母性本能にみちみちた大人に成長するほど人間は単純な生き物ではない、と云うことです。良妻賢母(“勝ち犬”)を完成させるにはそれなりのハードとソフトが社会に・環境に必要なのです。
特にここまで社会が複雑になり価値観が多様化した今、少子化だからって云われても急に時計の針は逆にはまわってはくれない。そうですね?そりゃ都合の良過ぎるお話ですね?
なので政治家の皆さん、世間の男性諸君&既婚者の方々、“負け犬”は“負け犬”でそういう生き物として市民権を認めて下さい。我々に結婚と出産を強制しないで下さい。気づいたら身についてしまっていた価値観を三十路も過ぎてからひっくり返すのはほぼ不可能です。大体が我々には切実な結婚願望や出産願望がないのです。少なくともぐりは人生30ン年間一度も誰それと結婚したい、誰それの子どもが生みたいと思ったことがない。妄想でも思いついたことがないし夢にも見たことがない。幼少の頃の記憶を辿ってもウエディングドレスが着てみたいとすら思ったことがない。そんな人間には結婚や出産をするスペックがそもそも備わっていないのです。その代り働いて税金や年金はちゃんと納めますから許して下さい。生きててすみません。
少子化はちゃんと結婚して出産してるひとたちをもっともっとガンガンに優遇して、生産スペックのある皆様で解決出来るようにして下さい。その方がきっと将来性ありますから。
とりあえずこの本はまず“負け犬”に無駄な期待を抱き続けている親御さんが読むべきですね。読んで開き直って欲しいね。うちの母に。