落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

絞首台のある前庭

2019年11月13日 | Trip
「アウシュビッツに行かなくては」と最初に思ったのはいつのことだったか、もうよく覚えていない。

その気持ちが実際の行動になるまで、ずいぶん時間がかかったような気もするし、「行こう」と決めてからはさほどの躊躇もしなかった気がする。
時間と体力が許せば、とりあえず現場に行ってみたい。行けるところなら行けるうちに行ったほうがいい。
その重みが現実になったのは、もしかするとほんのちょっとした巡りあわせかもしれない。

「行く」と決めてまず最初にしたことは、中谷さんを探すことだった。
中谷さんはアウシュビッツがあるポーランド・オフィシエンチムに住む日本人で、アウシュビッツ公認の唯一の日本人ガイドだ。もちろん、たくさんの旅行代理店が日本語ガイドつきツアーを企画しているが、その多くは英語やポーランド語のガイドの通訳つきである。そして参加費はなかなか高額である。

アウシュビッツ自体はガイドなしでも入場はできるけど、行ってみればわかる通り、展示にはほとんど説明がない。あっても日本語はない。もしこれから行かれる方がおられたら、できる限りガイドツアーを予約していかれることをお勧めします。
中谷さんの連絡先は tnakatani1966@icloud.com(書籍などでも紹介されているので掲載しても問題はないと思う)。人気のガイドさんだし何しろ日本語スピーカーのガイドは彼ひとりなので、目安としては予定の1ヶ月くらい前までに数日の幅をもって依頼するとスムーズです。料金は一人80ズオティもしくは20ユーロ(定額ではなくケースバイケースかと思われる)。ガイドの所要時間は2時間半〜2時間45分。休憩を挟むと3時間ほどになるし、体力的にも精神的にも消耗するので、前もって多少の覚悟はして臨んだ方がいいかもしれない。靴は歩きやすいものを履いてってください。

アウシュビッツ収容所の敷地内

アウシュビッツまでの行き方はどこででも調べられるので割愛。

ちなみにアウシュビッツというのは地名ではない。オフィシエンチムというポーランド語の地名がドイツ人には発音しにくいからと、ナチが勝手につけた名前である。
そしてここが、戦後初めて、ほぼ当時のままの形で市民に公開された絶滅収容所だという。人類の負の遺産を永久に歴史の記憶に残そうというポーランド市民の平和への願いがどれほど深く篤いものかが、それだけでも骨身にしみるように伝わる。

入場口前で中谷さんと他のガイド参加者と待ちあわせて、館内に入る。館内にはA4サイズ以上の手荷物は持ち込めないので、事前にクロークに預けておく。
入場口も館内もとても混みあっていた。だいたい朝の通勤時間帯の山手線と同じくらい、上野動物園のパンダ舎周辺と同じくらいには混んでます。
ちょうど訪問したのがヨーロッパのバカンスシーズンに入った直後だったからなのか(恐ろしいことにもう5ヶ月も前のことである)、それとも年中ここまで混むのかはわからない。ほとんどの入場者がガイドツアーのグループで、ひとつの展示から次の展示まで、ガイドの説明を受けながら、ゆっくり進んでいく。日本人・アジア人は私たち以外にはほぼ見かけなかった。ポーランド自体、アジア人にはあまり人気の観光地ではないらしい。

監視塔と高圧電流が流れていた鉄条網

この夏のこの時期、ヨーロッパは熱波で無茶苦茶に暑かった。ポーランドなんかほとんど北欧に近いというのに最高気温が36℃を超える日も珍しくないぐらいだったけど、バスも観光施設もだいたいがエアコンなんてものを備えてないので、どこもかしこも蒸し風呂のような暑さである。大型扇風機が何基も設置してあったけど、まあ気休めにしかならない。
そんな暑さの中で、穏やかに淡々と中谷さんがアウシュビッツについて説明してくれる。

詳細は中谷さんが何冊か書籍を出しているし、世の中にはウィキペディアなんて便利なものもあるので、ここにはなるべく私個人が思ったことだけを書くけど、アウシュビッツって意外と小さいです。規模的にいえば日本のこぢんまりした私立大学よりまだ小さい。こんなところで何万人も殺せるとはちょっと思えないくらい。
それもそのはず、ここはもともとポーランド軍の兵舎だった施設をナチが接収して、最初はポーランドの思想犯を拘留していた。狭かった兵舎を収容者自身の手で増築させたので、よく見ると1階部分と2階部分の構造や資材が少し違っている。建物そのものも小さいし、建物の間の通路も十分な広さはない。しかも朽ちてでこぼこに歪んでいて歩きづらい。
およそ80年前に収容者が整備した通路をそのままの形で残してあるからだそうである。その脇に、錆びてぼろぼろになったローラーが放り出されたままになっている。


アウシュビッツの建物内には、収容されていた思想犯─ナチの侵略に抗おうと戦ったポーランドの英雄である─の顔写真が、名前や職業とともにずらりと展示されている。
中谷さんはナチに拘束され迫害されたのは民主主義のたいせつさを市民に説いた知識層が多かったと説明していたけれど、職業を見ると、大工や商店主、床屋、音楽家、料理人、印刷工など、あらゆる職種の人が含まれている。おそらくは、彼ら一人ひとりは全然特別でもなんでもない、普通の人たちだったんじゃないかと思う。ただ間違ったことは間違っているといっただけ、間違っていることが許せなかったというだけで、ここへ連れてこられて拷問を受け、殺されてしまった。
そういう人たちの写真が、数えきれないほどたくさん壁に並んでいる。

ユダヤ人の遺品ももちろんある。
名前や住所を表書きしたかばんやスーツケースの山。服。靴。めがね。杖。義足や義手。食器や洗面用品などの日用品。女性の遺体から刈り取られた髪の山だけは撮影しないでほしいと、中谷さんはいった。いまもここを訪れる遺族がいることに配慮してほしいということだった。
いずれにせよその物量にはただただ圧倒される。そしてそのひとつひとつが、いま私たちが生活の中で使っているものたちとあまり変わりがないことにも気づく。


それらの持ち主たちのどれだけが、ここでいったい何が行われるのか、自分たちがどうなるのかを、どのくらい具体的に理解していたか、現実として受けとめていたかは私にはわからない。
でも、ここで犠牲になった人々の不存在の山ともいえる品々の羅列の前を歩いていると、そんなことはきっと、誰にもわからないし、わかりようもないという気がしてくる。
わかるわけがない、と突き放しているのではない。
人間は、ほんとうに最後の最後のその瞬間に立ってみないで、その事実を十分に想像し理解することができるほどには頭のいい動物ではない、という気がするからだ。
逆にいえば、それがどんな環境でもひたすらに生き延びたいと願う人の勇気を支える楽観主義であったり、いくらなんでも自分の身の上にそんなにひどいことなんて起こりっこないと思いこみたい愚かさともいえるのかもしれない。

だが歴史の事実は、人間が凡人の想像をはるかに超えてどれほど冷酷に残虐になれるかを証明している。
アウシュビッツのガイドが一通り終わる直前、敷地のすぐ外に、当時の所長の家があった。一見ごく普通の住宅に見える建物の前に、妙な形の物干し台のような小さな絞首台がぽつんと立っている。収容所の解放後に所長が処刑された絞首台である。
彼はこの家で家族といっしょに暮らしていた。妻も子どももいたという。家の中では当たり前の家庭生活を送りながら、鉄条網を隔てた目の前の「職場」で、彼は毎日数百数千という人を搾取し、虐待し、殺害し、遺体を損壊し、人としての尊厳を限界まで踏みにじる「仕事」に就いていた。そしてその家の前で吊るされた。
誰もがそうだとまでは言いたくはないけれど、人間という生き物にそういう部分があるということは、否定することができない。だってほんとうにあったことだから。

木立の手前に絞首台が見える

休憩を挟んで、巡回バスでビルケナウ収容所に移動する(ここまでで満足した人は帰ってもいい)。
狭いアウシュビッツはすぐに連れてきたユダヤ人を収容しきれなくなり、ナチは隣村の住人をごっそり追い出して、新たに広大な収容所をもうふたつ建てた。そのひとつがビルケナウである。

呆気にとられるくらい広々とした敷地にまっすぐ、何本かの引き込み線が走っている。その線路を挟んだメインストリートのあちこちに、若者のグループが腰を下ろして熱心にガイドを聴いている。
中谷さんによると、彼らはイスラエルから派遣されてきた新兵だということだった。軍隊教育の一環として、はるばるヨーロッパ大陸を縦断して、祖先がどんなめにあったかをこんこんと教えこまれるわけである。
きっとそれはイスラエルという国とイスラエル軍にとってすごく大事なことなんだろうけど、イスラエルは徴兵制だから、ここにきているのは彼ら自身の自由意志ではなく強制なのではと思うと、ちょっと複雑な気分である。


中谷さんは、その彼らの前を横ぎって、日本人観光客の存在をアピールしよう、といった。
イスラエル軍を含めて、遺族以外のユダヤ人がここを訪れるようになったのはここ30年ほどのことなのだそうである。ホロコーストはそれほど、ユダヤ人にとってつらい過去なのだ。それを、地球の反対側の日本からやってきて、その目で確かめ、理解しようとしている人々がいるということを直接知り、心で感じることが、私たち自身の手でできる「生きた外交」だと中谷さんはいった。

アウシュビッツもそうだが、ビルケナウにも下水が通っている。しかもそれは今も機能していて、だからどんなに雨が降っても雪が降っても、ちゃんと造成され整備された敷地を誰でも気軽に歩きまわることができる。
そういう施設を、大量殺人という目的で建設することができる。それも人間の現実だ。
ナチは選挙で生まれた政権だった。民主主義がナチを生んだ。勝手にどこかから湧いて出た化け物集団ではない。
ヘイトスピーチはナチなんかよりもっとずっとずっと前からあった。ナチはそれをうまく利用しただけだった。
誰がユダヤ人で誰がそうでないか、決める境界線なんかどこにもなかった。誰かがそう思えば、その人はユダヤ人になり、障害者になったり、同性愛者になったり、共産主義者になったりした。
そうして決められた人が、全ヨーロッパからここに連れてこられて殺された。

ビルケナウ。棚一段に3〜5人が雑魚寝していた。

そんなことはいまも、いつでも、どこでも起こり得ることなんだろう。
でも人は学ぶことができる。
誰かに押しつけられた答えではなく、自分の頭で考えた答えは自分の意思で修正できる。
みんながみんな正義のヒーローにならなきゃいけないわけじゃない。
ただ間違っていることは間違っていると、ほんの一握りでいい、一部の人だけでもちゃんと声に出して、行動することを諦めなければいい。
そのための何かを、持って帰ってほしいと、中谷さんはいった。

わざわざアウシュビッツくんだりまでこなくても、自由と平和はいまを生きるわれわれ自身の手でまもられなくてはならないことくらい、わかる。
そう知る、理解する、認識する機会はどこにでもある。
すぐ隣の香港では、いまこの瞬間、学生たちが武装警官たちと命を賭して闘っている。彼らの故郷である香港の自由をまもるためだ。
日本では極右化した政権が国民の権利を無視した法律を勝手につくりまくり、子どもや生活困難者まで搾取し、憲法まで穢そうとしている。あれほど悲惨な戦争のあとに、先達が築いてくれた平和が、まさに危機にさらされている。

戻ることのない持ち主の名前や住まいが表書きされたかばんの山

だけどアウシュビッツまでこなければわからないことは、確実にひとつだけある。少なくとも私にとって、それはとても大事なことだ。
人間は無自覚であればいくらでも悪人になれるしそのための知恵は無限に広がるのに、正しいことをするための能力は残念ながらそれには到底及ばないということだ。
だからこそ、間違っていることを黙って見過ごすことは、それだけで罪なのだ。
それは違うよ、おかしいよとちゃんということ、いえること、いう自由があることは永遠じゃない。
ある日突然それは取り上げられて、そして二度と戻ってはこない。

書きたかった訪問記なのに、書くのに5ヶ月もかかってしまったのにはちょっとした事情がある。
そのせいで細部まで書けなくて申し訳ない。ご理解ください。
それでも、ひとりでも多くの人がアウシュビッツを訪れてくれたらなと、心から思います。行けるところなんだから、行けるうちに。

ホロコーストを生きのびた手記がハリウッド映画となったポーランドのピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの墓。ワルシャワ市内の軍人墓地に眠る。ユダヤ人は弔意を示すときその場に小石を供える習慣があるため、どの墓石や慰霊碑の上にも小石がいくつも載っている。

公式ウェブサイト

関連記事:
『手紙は憶えている』
『サウルの息子』
『ヒトラーの贋札』
『否定と肯定』
『ハンナ・アーレント』
『戦場のピアニスト』
『愛を読むひと』
『敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生』

『白バラの祈り─ゾフィー・ショル、最期の日々』



食べ歩かない旅の食べ物の記録

2019年07月15日 | Trip
旅疲れと時差ボケから回復中のリハビリブログその2。旅先で食べたもの。

今回の旅行はとくに贅沢したいみたいな目的はなかったので、たいしたものは食べてません(いきなり)。
逆にいえば、なるべく安くて美味しいものが食べれればラッキー、程度のもので済ませてました。



そんななかでクラクフでなんども通ったのが旧市街のChimeraというカフェ。
旧市街のいちばん賑やかなエリアからはちょっと外れた落ち着いたお店です。ここでよく朝食を食べてました。
これはシャクシュカというイスラエルの朝食。飲み物とか入れて22ズオティだったかな。美味しかったし簡単そうなので、スキレット買ってうちでもつくろうと思ってます。

 

ポーランドといえば名物はピエロギ。餃子だね。日本の餃子より皮がもちもちしてて、具は肉もあれば野菜や果物もあって、焼くのか茹でるのか選べます。
もともと餃子が好きなので、ポーランドにいる間中食べまくってました。味はホントに店によってピンキリ。私は主に果物のを食べてたけど、そもそも果物が日本みたいに甘くないので、むしろ酸っぱいのが多かったです。
知りあったポーランド人に、日本ではホームパーティーで好きな具を包んで餃子パーティーするよといったら「それおもしろそう!やりたい!」と食いついてました。餃子、みんな大好きだよね。

 
本来は梅雨の蒸し暑い日本を脱出するつもりで来てみたらヨーロッパは熱波で、どこでもかしこでもアイスクリームショップが大賑わい。
どこの国も1スクープ日本円で100円程度だったから、日本よりちょっと安い感じでしょうか。しかし味はむっちゃ濃いです。ベリーはベリーの風味が思いっきりして、チョコレートはがっちり苦くてこってり乳脂肪がガツンと来る感じ。
うっかり食べ過ぎないように注意してたので、旅行中は3回くらいしか食べなかった。


クラクフではベーグルの元祖といわれてるオブヴァジャーネックという輪っか状のパンを路上で売ってまして(現物の写真を撮りそびれたのでオブヴァジャーネックで検索してください)、これが観光客の多いところで朝なら2ズオティ、地元の通勤客が通るところなら1.7ズオティぐらいで買えます。
食感はベーグルで、味はチーズとかスパイスが使われてて美味しい。そして1個でかなり満腹になれる。

 
ポーランドのパンはふわふわしてなくて、どっちかといえば食感はしっかり目です。
ちょっと食べただけでおなかいっぱいになる。
これもChimeraの朝ごはん。

 

ワルシャワのユダヤ人歴史博物館のカフェテリアのランチ。ガチョウのワイン煮とキャベツのスープ。けっこう高かった(水も入れて32ズオティぐらいだったかと)けど、お値段なりに美味しかったです。
お値段のせいか店内は年配者しかいなくて、若い入館者は隣のカフェでサンドイッチ食べてました。

 
ワルシャワ旧市街で食べたクレープ。
きのことかお肉とか野菜を月桂樹といっしょに煮たのをチーズといっしょにくるんでオーブンで焼いてある。ソースはベシャメルソースかトマトソースが選べます。今回食べた中ではこれがいちばん美味しかった。つくるのも簡単そう。20ズオティ。

 
プラハのイタリアンで食べたパスタ。200コルナ弱。
パスタはもう日本とイタリア以外では食べないよと心にかたく誓ったね。それ以外にいうことはない。
なんだけどポーランドもチェコもオーストリアもイタリア人観光客が多いせいか、イタリアンレストランがやたらいっぱいあるんだよ。そしてどこも結構賑わってる。イタリア人それでええんか?

 
プラハで食べたお肉。お肉が食べたくて入ったレストランだったけど、量が多すぎる。完全に2人分だよ。つけあわせがメニューに「dumpling」と書かれてたので餃子的なものを想定してたら、おいもの団子(を輪切りにしたの)だった。そして他の店ではやはり「dumpling」と書かれてたものを頼んだら蒸しパン的なのが出てきたり。「dumpling」の謎。

 
チェコ名物グラーシュ。ビーフシチューですね。肉々しいです。見た目そんな量じゃないけど、すっごいおなかいっぱいになります。
プラハのレストランはどこも軒並み観光地価格で高かったです。メニューは肉中心・酒のツマミ中心で健康にはあまりよろしくなさそうな感じ(笑)。
珍しく若い女性客がいっぱい集まってるな?と思ったらビーガンレストランだったりしてね。

 
フルボカーで食べたおいもの揚げ物(チェコ語でなんというかは不明)。これも2人分でしょ。コロッケと違って柔らかくなくて、衣がカリッカリで揚げ煎餅っぽい。味はスパイスとかハーブが効いてる感じで、見た目以上に濃いです。ビールのツマミだね。
つけあわせのザウアークラウトが激烈に酸っぱくて、旅疲れの身に沁みました。おいしかった。

 
フルボカーで泊まった宿は階下がレストランで、これはそこのナスのグラタン。他にズッキーニとかパプリカも入ってて美味しかったです。
野菜たっぷりメニューありがたい。これもうちでつくれそう。

 
フルボカーの次に行ったチェスキー・クルムロフで食べた生パスタはおいしかった。まともでした。
チェスキー・クルムロフは夜は飲む店が多くて、飲まない人としてはお店みつけるのが意外に難しかった。ディナーは前もって予約しといた方がいいのかも。

 
チェスキー・クルムロフのベジタリアンレストランのガレット。おいしかったがもはやチェコ料理じゃない。
左上のヨーグルトとキュウリのサラダはポーランドでもチェコでもオーストリアでもよく見かけました。定番なのかな。


ウィーンで食べた焼きそば。なんちゃって日本食?ソース焼きそばの上に唐揚げとパイナップルがのっかってる。味は見たまんまのジャンクフード、量はやはり2人前。5ユーロ。この手のヌードルチェーンはたくさん見かけました。
ウィーンは比較的物価が高くて、ほぼ外食しませんでした。

 
日本食といえばワルシャワではお寿司屋さんをけっこう見かけました。プラハやウィーンではうどんとお寿司とタイ料理をいっしょに提供するチェーン店が多かった。ラーメンはどこでもブームみたいで、日本円で1杯約1,000円以上がデフォルト。お店は若者向け風のオシャレなところばかりでした。お寿司もラーメンも一度も体験はしませんでした。


焼きそばもそうなんだけど、生鮮食料品の安さに対してレストランやカフェが相対的に高くて、マクドナルドやケンタッキー、バーガーキングやピザハットといったファストフードチェーンはどこでもかなり幅きかせてる印象でした。お値段的にやっぱりちょっとお手軽だからかな。結局一回もいかなかったけど。
スタバとかコスタコーヒーもそこらじゅうにあった。私はポーランドではグリーンカフェネロというイギリス系のコーヒーショップによくいってました。理由は比較的安かったから(爆)。

 
外食しないとなると宿で自炊してまして、それでちょくちょくスーパーに通いました。ヨーロッパのスーパー楽しいよね。
そして気に入ってしまったのがこれ。
ミルク粥?なのか?見た目ヨーグルトっぽいんだけど酸っぱくなくて、お米が入っている。
気に入っちゃって見たら買ってたけど、ポーランドでもチェコでもオーストリアでも売ってました。ソースはチェリーとかシナモンとかチョコとか。値段は150円から180円ぐらい。

 
クノールの袋麺がどこでもだいたい日本円で120円前後で売ってて、それに野菜ぶっこんで食べてました。
袋麺だけど煮込まなくて、器に入れてお湯注いで待つだけ。つっても宿のキッチンにどんぶりはなくて、ちっちゃいボウルしかないんだけど。
日本ブランドの即席麺はまったくみかけなかった。クノールの倍ぐらいする韓国麺はプラハやウィーンのアジア系ミニスーパーでいっぱい見た(そして買って食べた)。

 
パスタ。できあいのトルテリーニはおいしくないことはわかってたけど、餃子好きだからつい買っちゃって…。
ドミトリーに泊まるとたいてい共用のキッチンが使えるんだけど、ふだん料理しない若い宿泊客が多いらしく、でっかいソーセージ手で折ってたり、塩を大さじでがっぽりすくってたり、トンデモ料理をよく目撃しました。そういう失敗も、家を離れて誰も頼れないよその土地で経験して身になっていくものなのかもね。
その傍でお皿の裏使って包丁研いだり野菜千切りしたりしてると、気づくとむちゃくちゃ凝視されてるのにも終いには慣れました。だって共用の刃物ってすんごいなまってるからさ。

日本ってどこでも安くてけっこう美味しいものが食べられるけど、そういう環境ってちょっと特殊なんだよね。
最近は海外の人は日本に赴任すると太るから気をつけなっていわれるんだってさ。昔は逆だったのにね。
かといってヨーロッパに旅行にいって痩せたりはしませんが(残念)、そもそも食べ歩きはしないと割りきれば、旅費の節約にはなるよと自分では思ってます。

ワルシャワ観光の交通事情、ワルシャワ中央駅で荷物を預ける

2019年07月15日 | Trip
6~7月にヨーロッパ旅行に行って、まだ旅疲れと時差ボケから回復できてないので、日本語のリハビリがてらブログ書いてます。

ワルシャワ観光の足といえばバスとトラム。

Google mapさえあれば、どこにいくにもどの交通機関のどの路線に乗ればいいかすぐわかるから便利だけど、ちょっとわかりにくいのがチケットの買い方と使い方だと思う。
日本のように行き先によって運賃を払うシステムとは違っていて、ゾーンと時間でチケットを買う。そしてバスも地下鉄もトラムもチケットは共通。

ワルシャワ中央駅の券売機。

ワルシャワ市内がゾーン1で郊外がゾーン2だけど(詳しくはガイドブックとか確認してください)、私はけっこう郊外の軍人墓地までいってもまだゾーン1だったので、通常の観光ならゾーン1でカバーできるんじゃないかと思います。
時間は1回券が20分、75分、90分。乗り放題が24時間、48時間、72時間などがあります。このへんも各ガイドブックに載ってると思う。

ここからが重要。
券売機がどこにでもあっていつでも買えるわけじゃない、というところが日本と全然違う。
もちろん駅に行けばあるけど、バス停やトラム乗り場には券売機がない、あっても故障してる、現金しか使用できない、英語表示が機能しない、近くのキオスクの店員さんが休憩でどっかにいっちゃってる、なんてことがあり得るわけです。

バスやトラムも車内で買えなくはないけど、混雑時はさくっとは買えない。やっぱ故障してる、なんてこともままある。
なので、チケットは券売機をみたら買っておく、というのがベターです。現地で知りあったポーランド人はパスケースの中に買いためたチケットを持ち歩いてました。

バス停近くの券売機。

これもさんざんいろんなところで書かれてますが、ポーランド含めヨーロッパの交通機関は改札がなくて、自分で最初の乗車時間を打刻します。バスとトラムの場合は打刻機が車内にあります。
たまに検札がまわってきて、チケットがない、チケットをもってても打刻してないと無賃乗車で罰金をとられますのでご注意ください。

車内放送は機種によってあったりなかったり、あっても英語は基本的にないです(ワルシャワ中央駅とワルシャワ空港だけ英語でアナウンスされてた)。ただし、最新機種のバスにはこんなすてきモニターも備えられてて、いまどこを走ってるのかすぐわかる。

 

これがバス停。4とか15っていうのが路線名。時刻表も掲示されてます。
私は方向音痴なのでしょっちゅう逆方向の停留所で待ってて、「あれ?バス来ない?」なんてロスをやらかしてました。トラムも乗っちゃってから逆方向行ってることに気づいたり。


こっちがトラム乗り場。
10とか17ってのが路線名。電光掲示板に、路線名と行き先と、到着までの残り時間が表示される。

バスもトラムも自動ドアじゃないので、降りたければ自分で開扉ボタンを押す。乗るときもボタンを押して開ける。
時間短縮のためか、乗客は降りる停留所の前で席を立ってドア付近に立って、停車前に開扉ボタンを押して到着を待ってます。日本のバスみたいに「バスが停車してから席をお立ちください」なんてルールはない。

さて観光客にとって荷物を預かってくれるところがあるかないかは大事な情報。
ワルシャワ中央駅にはコインロッカーも手荷物預かり所もあります。

ワルシャワ中央駅の手荷物預り所。

手荷物預り所は荷物1個につき24時間10ズオティ。コインロッカーはサイズによって12か14ズオティなので、1個にまとめられるなら手荷物預り所の方がお得です。クレジットカードも使用可。
預けるときに預かり証を書いてもらい、ピックアップ時に支払うシステム。場所は3つある連絡通路の真ん中の、インターシティのチケット売り場の隣なので、チケットを買う人が並んでるのが目印です。
ピックアップの手続きに3~5分程度かかるので、時間に余裕を持って引き取りにいくことをお勧めします。手続きが休みになる時間が1日に何回かある(各数10分程度)ので、預けるときにピックアップが可能な時間の確認をお忘れなく。

手荷物預り所の掲示。

今回、ポーランドとチェコとオーストリアに行ったけど、市内交通のシステムは3ヶ国ともよく似てました。
だからちゃんと動く券売機を見たらチケットを買っておく、打刻を忘れない、というのはこのエリアを旅するときは覚えておくといいかもです。

In the rainy night, at Warsaw

2019年07月13日 | Trip
Japanese version

On that day, the flight was late and arrived at Warsaw Frederic Chopin Airport.
The expected arrival time is 8:45 pm. However, it took about 10 minutes to take off, 20 minutes to land, and it was past 9:30 when I was able to get out of the airport.
 
I don't want to walk outside alone at a very late time in a foreign country where I'm not sure the circumstances well. When I tried to get on the subway in a hurry, the guy at the ticket vendor said, "There is no train today." What? Really?
But I didn't have enough time to clarify what's happened. I could find alternative transportation and I was lucky enough to get on the bus to the city center. On the way, I was able to get on the transfer tram almost on time. Thank you, Google.
 
While waiting for the tram, it began to rain. The temperature was around 18 °C.
Poland's weather in early July is up to around 20 °C, with occasional strong winds, short rains, and it's like Japan's April. A little chilly at night. Even in the short-night Polish summer, this hour is so dark.
When I arrived in downtown that has my staying, it was almost raining. The inn I booked should be around 3 minutes on foot from here. Hurry up.

Warsaw tram.

However.
Even if I arrived at the place of the inn's address, I could not find a signboard with the name of the inn.
I asked because the next tobacco shop was open, but he said "I don't know". Since Google maps often show a route to the back door instead of the main entrance, I went around the block just to make sure, so I didn't see any signboard.
I asked a few people passing by, but the address was not wrong at the place I first found.
 
I called the inn's phone number, but no one had answered (the inn never answered a phone call either at the time of booking or after staying). There was no reply to my email. As it is night, it can not be helped but it is possible to check in the reservation confirmation until 24:00.
(Note: A self check-in method was written in the email that came later from the inn, but it was too late)

It was past 10 o'clock on Saturday night. Although there are many bars or cafes around there, there are not many people on the street because of the rain.
It can not be helped even thinking alone. I wanted to catch someone who seems to understand the circumstances.
Looking around, there were a man and a woman talking in front of the restaurant across the street.
The woman whose mood is similar to that of French actress Isabelle Huppert and the man who is as slender as a sculpture of Giacometti. After 10 o'clock on Saturday night, where the two were seriously talking on the street, I cutted into their conversation with sense of shame.
 
"Excuse me, May I ask you?"
"Of course."
"I'm looking for this inn. I found the address but no signboard."
"Well. Yeah, the address is it. Let's go together."
 
He crossed the road together and pushed the wall intercom. He tried it over and over, but there was no response, no sign of a gate opening.

Wall intercom. Only the address is written in the place hidden in green.

We went back to the woman who was waiting in front of the restaurant and I was asked some questions.
"When did you make a reservation?"
"Few weeks ago. I have paid for accommodation, but today I didn't receive their answer to my phone or email."
"Did you arrived in Warsaw today?"
"Yes, just now."
"Where are you from?"
"Japan."
 
So they looked at each other, talked briefly in Polish, and then he began to explain.
 
"OK, find the best solution for you.
Today is Saturday and the time is late. It's raining too. We can not contact the inn. You do not speak Polish.
However, since her daughter is learning Japanese, how about going to there to help study now? That's okay because she can speak English.
I will call a taxi by Uber and send you. You don't have to pay for money."
 
What did you say?
 
Seriously?

On Saturday rainy night, you accept a foreigner on the street of downtown in your home?
 
Really?
 
It's miracle helpful for me, but it's too kind!
 
I think that my face at that time was really speechless.
Certainly I was thinking of trying to manage the situation myself, but in the first place I'm not quick‐witted.
However, I knew that the security of Warsaw is not bad, so I was thinking only about finding a restaurant open 24 hours a day. Seasonally it will be brighter after 4 o'clock, and buses and trams will move by that time.
 
While I was stunned, taxis came in with great timing.
 
"Now, get on"

They took a taxi with me and left for the suburbs.
The woman got on the passenger seat and explained the way to the driver, and the man sat next to me and spoke a lot.
He used to work for 10 years or more at a local subsidiary of a famous Japanese company, and he traveled to Japan with an incentive at that time.
At that time I worked with many Japanese people. They are nice guy. So I am half Japanese.
 
I was moved by their kindness and I think I have repeated "Thank you so much".
 
Then man said, "Don't say such a thing. We're just doing the obvious thing. You came from Japan to Poland. On a rainy night, help people who don't understand the language. It's all Polish to do, not just us. "
 
I had no idea what can I answer.
 
The woman's house was a 20-minute taxi ride from downtown, like an apartment complex in Japan.
Once she got down first, she went home to explain to children who would be at home (they called them a couple of times in the taxi, but nobody answered. 'They play TV game or sort of thing because in summer holiday.")
I'm sorry such late time.

Warsaw city. Another apartment.

While we were waiting in the taxi, he asked "Are you on vacation? Why in Poland? You can go to Italy or France."
I answered
"This vacation is long. I like Italy and France, but if I went somewhere for a long vacation, I thought Poland would be good. I would like to know Polish culture and history directly."
 
It seems that he was not convinced very much, but when I tried to explain in more detail, woman came back.
"Okay, let's go."
 
I parted from him here.
I wanted to say thank you more properly, and I was very grateful to the accidental met them, so it was a bit disappointing that I have no opportunity for that.
 
When I was taken to the room on the 14th floor (15th floor in Japan), there were a daughter and a son of mid 20's.
The girl who put on the glasses made stare in wonder she would not have any more, she has repeated "Mom!" "Mom!" "My room is so mess! (It was actually beautiful)" .
Sorry for such late time ....
Mother said, "You're studying Japanese. You should be taught." in Polish, and she answered "I haven't been studying so much lately ..."  "恥ずかしいです" as rascal.

The woman prepared towels, explained the bathroom and toilet locations, instructed the children in something, and went out somewhere with the man again.
I really bother you, I'm sorry.
 
Daughter is Karolina. Son is Szymon.
Are you hungry? Did not you eat dinner? Do you drink something? Both of them are so kind.
When I said that I would like to drink water, she gave mineral water, and they immediately checked the information on the inn on the Internet. Then Szymon said, "I'm going to go to the central post office, so I'll go to the address of the inn and check out what's going on."
A post office at midnight? I was wondering, but the post office in Warsaw is always crowded, so Szymon has a habit of going to the post office at midnight, avoiding the daytime waiting at the counter. Certainly, even in Japan, the post office in the midnight is vacant.
 
Why are you studying Japanese? I asked to Karolina when we are two.
 
Karolina is also good at English, but she has been studying German for a long time. She has studied too long and she wanted to try to study another languages, so she choosed Japanese, but Kanji is difficult and hard.
From the viewpoint of a person in the alphabet area, it is certainly not easy to use Japanese Kanji that has many sounds and meaning per one character. Even Japanese educated people can not use it perfectly.
 
Karolina who said difficult to take oral examinations in the master's program, asked various questions about Japanese social problems, political situations, economic problems and culture. Since the election is close in time, we talked extensively about the pension issue which are the issues in this election, the problem of aging and declining birth rates, gender discrimination, Rakugo and classical literature, etc.

Her English is so easy to understand, my broken English was understood without any pain at all, and I think that she is probably a very good student.
Her curiosity was strong, and she had a very clear opinion on the Polish social system.
 
I asked 'are all young Polish people interested in political issues like you?', she answered 'political issues are difficult, but everyone is interested and speaks out positively. It‘s democracy.'
 
She was very cheerful and very kind, and while conversation, she asked me repeatedly, "Are you tired? Are you not sleepy?" "Are you not hungry? Do not eat anything?"
"You're not sleepy?" I asked, she answered "It's summer, so it's morning to always sleep."
 
Still, we were tired when we had conversation about complicated topics in English, and after midnight I went to sleep in her mother's bedroom.
"I always wake up if there is anything," she said.
A cat that always slept in the room came in, sniffed my luggage and my smell, and complained with a low voice.
This cat was picked up by Szymon in the neighborhood. The name is  Perkun that result from the one of the street that he was picked up. He is a smart cat that never scratched or bitten, and never sharpen his claws by furniture.

Perkun. Around 3 years old.

The apartment where Karolina lives with family is 3 LDK in Japan.
It was not splendor, but all of room were well kept, and everything was clean and tidy.
I said "It's a wonderful house," the woman answered "It's ordinary room," but it may be her commitment to do the housework at same time with her business perfectly.
There are some sketches in each rooms, including the bedroom of the borrowed mother, some of which were painted by Szymon. Those were very good landscape paintings.
 
In the morning, Karolina cooked coffee with scrambled eggs and toast for breakfast.
What is your plan? Is there a place to go? I was asked, this day is Sunday. In fact, I was planning to go to Łazienki Park on the day. In this park there was a free concert on Sunday in summer and I was going to listen to it.

Łazienki Park

When I suggested it, she said "I've never been that, let's go" and she went with me.
It's very special environment where can afford to have a park where everybody can listen to live classical music for free every week from point of view of foreigner, but it may be an ordinary event for locals.
 
On the way, Karolina talked about a grandfather who played with her in Łazienki Park in childhood.
Many of the sentences written by the grandfather who taught her the names of trees and flowers are kept.
 
Poland is a beautiful and affluent country, but has long been subject to aggression from Russia and other countries in Europe over its long history. In World War II, it was invaded from both Germany and the Soviet Union, and the government fled to London. After the war, one party dictatorship of the Communist Party began, and by the collapse of the socialist system in 1989, there were many Intense riots.
 
Now, Poland is a safe country, well-equipped with infrastructure, and a wonderful country for foreigners to travel to, but it is not hard to imagine that it took people's great effort and hard work to get here. 
Especially for the generation of Karolina's grandfather, it might have been a difficult period of hardship.
the Karolina family have those not only memories with such a grandfather, but also the poetries and essays, so I'm a little bit jealous.

Warsaw Old Town. The city was shattered by Nazi, then restored by the citizens of Warsaw, based on their records of pictures and photographs. It was one of my purposes of this trip to see this city.

There was a wind, the temperature is 20 °C or not, the rain the night before has stopped and the weather is truly suitable for an outdoor concert.
A large audience was already in the square in front of Chopin statue 10 minutes before the concert. As we sat down in the open space of the lawn and waited, the presiding lady began to introduce the performers. The pianist of the day was Ms. Hinako Namaizawa, and the set list is the representative tunes of Chopin, such as "Hero de Polonaise" and "Goodbye Songs", which most people had heard.
 
The free concert where everyone from small babies to the elderly can enjoy the works of a genius artist born in 19th century Poland on grass and benches with the summer wind fanning.
You might associate classical music or art is ceremonious something or lofty one, but if this is a culture for a space that is just peaceful, all people here can equally enjoy the benefits. I think that is such a wonderful thing.
I become to think that history, culture and art are all for such a moment.
 
After a concert of about an hour, we went around the park with Karolina to guide me to the highlights (This year marks the 100th anniversary of the establishment of diplomatic relations between Japan and Poland. Just before that, Prince and Princess Akishino visited Poland, and planted cherry blossoms in the botanical garden in this park. I didn't know at all during the trip), and then we had lunch at the food court in the shopping mall near her home.

The shopping mall was off on Sundays, but only the food court was open.
A few years ago, a law prohibiting the store operation on Sundays and public holidays was enacted, and in principle most stores are closed except for exceptions such as cafes, gas stations and hotels.
Originally in Poland there is a custom to spend on Sundays in the family, so it seems to be a policy to make the custom stronger.
 
I said thank you for taking so much time on Sundays that you should spend in your family, and I appreciate for the kindness of you and your family.
 
"I'm just doing the obvious thing. This is Poland.
You came from a distance and were locked out on a rainy night.
Any Polish person will help.
Not only us.
Even my mother told me that we should do what we could, and I just sleep on a summer vacation on Sunday. "
 
Karolina answered quite casually.
 
Certainly, all Polish are very kind.

It is not as friendly as looking so intimate, but if you ask something, everyone will answer properly. They will come out with reading glasses, check them with a smartphone, and show you where the map is located. If you get lost, you will say "here" and if there is something you can not do, they will try to use it as "do it".
When I wandered into to a military facility, guard men calmly guided me.
Most of them don't understand English better than I expected, but still they will do everything they can.
 
During a 10-day stay, I never seen crimes like pick-pocket or robber, I never felt disgusted with discriminatory words or attitudes, nothing that I think that it's not fair once (it was difficult to understand train arrival / departure system, if I must say, but this seems to be one of the inconvenience for the local people as well).
It may have happened by accident, but I think this is a important thing during my first trip in abroad when I was still a babe in the woods.
 
Japan is a safe and peaceful country, but Japan has its own complexity and unreasonableness.
There are many things that foreigners don't understand.
Although I personally are not accustomed to travel, but I think that it has absurd something if you travel to abroad, and I guess that you should accept like that things as partly.

But Poland did not have like that. Everybody were kind and gentle.
In that sense, I felt that Poland is a very kind country where anyone can travel with peace of mind.
Most of my impressions are encountering with Karolina and her family, but I would answer in a loud voice if someone asked, "What country is your most favorite where traveled so far?" "Poland!”.
 
And I hope to visit Poland again soon. Even though I just returned home yesterday.
Next time I would like to study Polish more, acquire knowledge of history and culture, and want to go to other regional cities, seas and forests as well as Warsaw and Krakow, and to experience cold winter in Poland.
 
After lunch, once we returned to Karolina's house, her mother came home and sent me to the inn by car.
When we parted, they never forgot to say, "Please contact me whenever you have any problems. Anything is fine."
Karolina and her family were kind-hearted to the last.
 
When I asked for permission on the SNS about this blog after parted, and she agreed, "Of course. If you don’t mind, could you send me the link to your blog after you write in it? I’m sure we would all like to read it".
 
I would like to express my sincere thanks to Karolina and all those who have been kind in Poland.
Thank you so much.
My trip to Poland was really fantastic.
I was very impressed.
I want to go there again.
And I want to do something if I can give back.
 
Thank you.
See you soon.


A view from the Warsaw Historical Museum. Here you can see the pictures, photographs, drawings, etc. that the citizens used to restore the city, as well as the ruins of the destroyed city.


雨の夜、ワルシャワで

2019年07月12日 | Trip
English version

その日、飛行機は遅れてワルシャワ・フレデリック・ショパン空港に着いた。
本来の到着予定時間は午後8時45分。だが離陸が10分ほど遅れた上に、着陸にも20分ほど遅れが出て、空港の外に出られたときには9時半をまわっていた。

事情もよくわからない異国であまり遅い時間にひとりで外をほっつき歩きたくない。急いで地下鉄に乗ろうとすると、チケット売り場にいたおじさんが「今日はもう電車はないよ」という。はっ?マジ?
だがそこで事の真偽を確かめている余裕はない。速攻で代替の交通手段を調べ、運よくすぐに市内中心部行きのバスに乗ることができた。途中、乗換のトラムもほぼ定刻通りに乗車できた。ありがとうGoogle。

トラムを待っている間にパラパラと小雨が降り始めた。気温は18℃くらいだったと思う。
ポーランドの7月初めの気候は気温は最高20℃前後、ときどき強い風が吹いたり短い雨が降ったり、日本の4月ごろの陽気に似ている。夜は少し肌寒い。日暮れの遅いポーランドの夏でも、さすがにこの時間はとっぷりと夜も更け、辺りは真っ暗である。
宿泊予定のダウンタウンに着くと、雨は小雨から本降りになりかけていた。ここから予約した宿は徒歩3分程度のはず。急ごう。

ワルシャワのトラム。

ところが。
宿の住所通りの場所に着いても、宿の名称を記した看板がどこにも見つからない。
隣のタバコ屋さんが開いていたので尋ねてみたが「知らない」という。Google mapは正面入り口ではなく裏口への経路を表示することがしばしばあるため、念のためぐるっとブロックを一周してみたが、やはりそれらしき看板は見当たらない。
通りすがりの人に何人か尋ねるが、住所はやはり最初にみつけた場所で間違っていない。

宿の番号に電話をかけてみても、誰も出ない(この宿は予約時にも滞在後にも一度も電話に出なかった)。メールの回答もない。夜なので仕方がないといえば仕方がないけど、予約確認書には24時までチェックイン可とある。
(注:あとになって宿から来たメールにセルフチェックイン方法が書かれていたが、着信したのが遅過ぎた)

時間は土曜日の夜10時過ぎ。飲食店の多いエリアとはいえ、雨のせいかあまり人通りはない。
ひとりで考えていても仕方がない。誰か事情がわかりそうな人をつかまえたい。
見回すと、通りの向かいのレストランの前で話しこんでいる男女がいた。
フランスの女優イザベル・ユペールに雰囲気の似た女性と、ジャコメッティの彫刻のようにすらっとした男性。土曜日の夜10時過ぎ、そのふたりが路上で真面目に話しあっているところに、恥を忍んでわりこんだ。

「すみません、お訊ねしてもいいですか」
「もちろん」
「この宿を探しているんです。住所はあってるんですけど、看板がなくて」
「どれ。うん、住所はあってるね。いっしょにいってみよう」

男性がいっしょに道を渡り、壁のインターホンを押してくれた。反応はない。何度か試してみてくれたが、応答もなければ、ゲートが開く様子もない。

壁のインターホン。緑で隠したところに住所が書いてあるだけ。

レストランの前で待っていた女性のところに戻り、事情を訊かれた。
「予約をしたのはいつ」
「数週間前です。宿泊代は支払ってあります。でも、今日は電話もメールも応答がないんです」
「今日ワルシャワに着いたんだね」
「いま着きました」
「どこから来たの」
「日本」

そこでふたりは顔を見あわせて、短くポーランド語で会話をしたあと、男性が説明を始めた。

「OK、きみにとってベストな解決策をみつけよう。
今日は土曜日で時間も遅い。雨も降ってる。宿に連絡はつかない。きみはポーランド語が話せない。
でも、彼女の娘が日本語を学んでるから、いまからそこにいって勉強を手伝うのはどうかな。あの子は英語もできるから大丈夫。
Uberでタクシーを呼んで送ってあげる。きみはお金は払わなくていい」

えっ?

はっ?

土曜日の雨の夜、路上で声かけて来た知らない外国人を、家に泊める?

マジですか?

いや助かりますけど、それ、親切すぎる!

そのときの私の顔はそうとうにポカンとしていたと思う。
確かに自分で状況をなんとかしようとは思ってはいたけど、そもそも頭の回転は速いほうじゃない。
とはいえ、ワルシャワの治安がわるくないことはわかっていたから、どこか24時間開いている飲食店があればなあという程度にしか考えていなかった。季節的には4時過ぎにはもう明るくなるし、バスやトラムもそのころには動くし。

私が呆然としている隙に、またものすごくタイミングよくタクシーがやってきた。

「さあ、乗って」

ふたりは私といっしょにタクシーに乗り、郊外に向けて発車した。
女性が助手席に乗ってドライバーに道を説明し、男性が私の隣に座っていろいろと話してくれた。
男性はかつて日本の某有名企業の現地法人に10年以上勤務した経験があり、そのころにインセンティブで日本に旅行したことがあるという。
当時はたくさんの日本人といっしょに働いた。いいやつばっかりだった。だから僕は半分日本人みたいなものだよ、といった。

私はふたりのあまりの親切に感動して、何度も「Thank you so much」をリピートしまくっていたように思う。

すると男性は、「そんなこといわなくていい。僕らは当たり前のことをしてるだけだから。きみは日本からポーランドに来た。雨の夜に、言葉もわからなくて困っている人を助けるなんて、ポーランド人なら誰でもすることだよ。僕らだけじゃない」

もうなんと答えていいかわからなかった。

女性の家はダウンタウンからタクシーで20分程度の、日本でいう団地のような集合住宅だった。
いったん彼女が先に降りて、自宅にいるであろう子どもたちに事情を説明しにあがっていった(車中で何度か電話したが出なかったらしい。「いま夏休みだから、ゲームか何かしてるんだよ」)。

ワルシャワ市内。別の団地。

車内で待っている間、「休暇なの?なぜポーランド?イタリアやフランスに行ってもいいのに」と訊かれた。
私はこう答えた。
「今回の休暇は長いんです。イタリアもフランスも好きだけど、長い休暇にどこかに行くなら、ポーランドがいいと思った。ポーランドの文化や歴史を、直接知りたいんです」

男性はあまり納得いってなかったみたいだけど、もうすこし詳しく説明しようとしたときに女性が戻ってきた。
「大丈夫よ。行きましょう」

クリスさんといった男性とはここでお別れした。
もっときちんとお礼を伝えたかったし、せっかく会えた偶然にもとても感謝していたので、このとき限りになったのはちょっと残念だった。

14階(日本でいうところの15階)の部屋に案内されると、そこには20代半ばの娘さんと息子さんがいた。
メガネをかけた娘さんはもう、これ以上はないだろうというくらい目をまんまるにして「おかあさん!」「おかあさんたら!」「私の部屋散らかってるよ!(実際は綺麗だった)」と連呼していた。
こんな遅い時間にごめんなさい…。
お母さんが「あなた日本語勉強してるんでしょ。教えてもらいないなさい」的なことをポーランド語でいうと「最近あんまり勉強してなくて…『ハズカシイデス』」とおちゃめに答えてくれた。

女性はタオルを用意してバスルームやトイレの場所を説明し、子どもたちにいろいろと指示を出して、再びクリスさんとどこかにでかけていった。
邪魔しちゃってマジすいませんでした。

娘さんはカロリーナさん。息子さんはシモンさん。
おなかすいてない?ごはん食べてないでしょ?何か飲む?とふたりともやはりメチャクチャ優しい。
私がお水くださいというとミネラルウォーターをだして、早速インターネットで宿の情報を調べてくれた。そしてシモンさんが「これから中心部の郵便局に行くから、宿の住所にいってどんなところか調べてくるよ」といってでかけていった。
深夜に郵便局?と疑問に思ったが、ワルシャワの郵便局はいつも混雑しているため、窓口で待たされる昼間を避けて、シモンさんは日常的に深夜に郵便局に行く習慣があるらしい。まあ確かに日本だって夜中の郵便局は空いている。

カロリーナさんとふたりになって、なぜ日本語を勉強してるの?と訊いてみた。

カロリーナさんは英語も得意だが、長い間ドイツ語を勉強していたらしい。あまりにも長く学んでいて、違う言語も勉強してみたくて日本語を選んだけど、漢字が難しくて苦労しているという。
1文字に発音はひとつのアルファベット圏の人からすると、音読み訓読み同音異義語まみれの日本語の漢字の使い方は確かに簡単ではない。日本語で教育を受けた人間だって完璧には使えない。

修士課程の口頭試問が難関だというカロリーナさんがノートをだしてきて、日本の社会問題や政治状況、経済問題や文化についていろいろと質問された。時期的に選挙が近いので、今回の選挙で争点となっている年金問題や高齢化・少子化問題や、男女差別、落語や古典文学についてなど、広範囲な話をした。

彼女の英語はとてもわかりやすく、私のブロークンイングリッシュもまったく苦にすることなく理解してくれて、おそらくはとても優秀な学生さんなんだろうと思う。
好奇心も旺盛で、ポーランドの社会制度についても非常にしっかりとした意見をもっていた。

ポーランドの若い人はみんなあなたのように政治問題に関心が高いのかと訊いてみると、政治問題は難しいけど、みんな関心はあるし、積極的に発言する。それが民主主義だといった。

カロリーナさんは快活でとても優しくて、話している間も繰り返し「疲れてるでしょ。眠くない?」「おなかすいてない?何か食べない?」と気を遣ってくれた。
「あなたは眠くないの」と訊くと「夏休みだからいつも寝るのは朝なんだよね」とのこと。

それでもこみいった話を英語でしているとさすがに疲れてきて、深夜2時過ぎにはお母さんの寝室で寝かせてくれた。
「何かあったらいつでも起こして」と声をかけてくれた。
いつもその部屋で寝ているというネコがやってきて、荷物や私の匂いを嗅いで、小声で文句をいった。
このネコは近所でシモンさんに拾われた。拾われた通りの名前をとってペルクンという。おとなしくて、決してひっかいたり噛んだりもしない、家具でツメをとぐこともしない、頭のいいネコだった。

ペルクン。3歳ぐらい。

カロリーナさんが家族3人で住む家は、日本でいう3LDK。
贅沢ではないが立派な家具には手入れが行き届いていて、どこもかしこもきちんと整頓された綺麗なお宅だった。
「素敵なおうちですね」というとお母さんは「普通よ」といっていたけれど、働きながら家のことも完璧にやることが彼女のこだわりなのかもしれない。
お借りしたお母さんのベッドルームを含め、各部屋には素描画が何枚か飾られていて、うち何点かはシモンさんが描いたものであるらしい。とても上手な風景画だった。

朝になるとカロリーナさんがコーヒーにスクランブルエッグとトーストの朝食をつくってくれた。
何か予定は?行きたいところがあるでしょう?と訊かれたのだが、この日は日曜日。実は当日はワジェンキ公園に行く予定だった。この公園では夏は日曜に無料のコンサートが開かれていて、それを聴くつもりだったのだ。

ワジェンキ公園。

いってみると「それ行ったことない。行こう」といって、いっしょに行ってくれた。
毎週無料でクラシックの生演奏が聴ける公園があるなんて、外国人からすれば羨ましくてしょうがない環境だけど、地元の人にとっては当たり前過ぎてわざわざ行くようなイベントではないのかもしれない。

道々、カロリーナさんは小さいころワジェンキ公園で遊んだ祖父の話をしてくれた。
木や花の名前を教えてくれた祖父の書いた文章が、家にはいくつも残っているという。

ポーランドは美しく豊かな国だが、長い歴史の中でロシアやヨーロッパの他国の侵略をたびたび受けてきた。第二次世界大戦ではドイツとソ連両方から侵攻され、政府はロンドンに亡命。終戦後は共産党の一党独裁が始まり、1989年の社会主義体制崩壊までに何度も激しい暴動があった。

現在のポーランドは治安も良く、インフラもじゅうぶんに整い、外国人にとっては旅行するのにうってつけの素敵な国だが、ここまでくるには、人々のたいへんな努力と苦労があったことは想像に難くない。
とくにカロリーナさんのおじいさんの世代にとってそれは、筆舌に尽くし難いほど苦難の連続の時代だったのではないだろうか。
そんなおじいさんとの思い出だけでなく、書かれた詩やエッセイもたいせつにしているカロリーナさん一家が、少し羨ましくなった。

ワルシャワ旧市街。ナチス・ドイツに粉々に破壊された街を、ワルシャワ市民は絵画や写真などの記録をもとに、元通りに復元した。この街並みを見るのも今回の旅行の目的のひとつだった。

風があっても気温は20℃あるかないか、前夜の雨は止んで野外コンサートにまたとなくふさわしい天気。
コンサート開演10分前のショパン像前の広場には、すでにたくさんの聴衆が集まっていた。芝生の空いているスペースに腰を下ろして待っていると、司会の女性が演奏者の紹介を始めた。この日のピアニストは生井澤日向子さんで、曲目は「英雄ポロネーズ」や「別れの曲」など、ほとんどが誰もが聴いたことのあるショパンの代表曲ばかりだった。

小さな赤ちゃんからお年寄りまで誰でも、芝生やベンチで夏の風に吹かれながら、19世紀のポーランドが生んだ天才音楽家の作品を心ゆくまで堪能することができる無料コンサート。
クラシック音楽、芸術というとどうしても堅苦しく高尚なものを連想しがちだけれど、こうしてそこにいるすべての人が平等にその恩恵を楽しめる、ひたすら平和なばかりの空間のための文化がもしそうなのだとしたら、こんなに素晴らしいことはないなと思う。
歴史や文化や芸術なんてものは、みんなこういう瞬間のためにあるんじゃないかと思えてくる。

1時間ほどのコンサートのあと、カロリーナさんと公園を一巡りして見どころを案内してもらい(今年は日本とポーランドの国交樹立100周年にあたる。その直前に秋篠宮ご夫妻がポーランドを訪問し、この公園内の植物園で桜を植樹したという。私は旅行中でまったく知らなかった)、そのあと、自宅の近所のショッピングモールにあるフードコートでランチをとった。

ショッピングモールは日曜日は休みで閑散としていたが、フードコートだけが開いていた。
しばらく前に日曜・祝日の商店営業を禁止する法律が施行されたため、ポーランド全土で、カフェやガソリンスタンド・ホテルなどの例外を除いて原則的にほとんどの店が閉まっている。
もともとポーランドでは日曜は家族で過ごす習慣があるため、その習慣をより強くするための政策であるらしい。

家族で過ごすはずの日曜日なのに、こんなに時間を割いてくれてありがとう、もうしわけない、あなたとあなたの家族の親切に感謝している、と伝えるとカロリーナは、

「当たり前のことをしてるだけだよ。これがポーランドなの。
あなたは遠くから来て、雨の夜に宿を締め出されてた。
ポーランド人なら誰だって助けるよ。
私たちだけじゃない。
お母さんだって、できることはなるべくしてあげなさいっていってたし、どうせ私は夏休みで日曜は寝てるだけだし」

と、事も無げに答えた。

確かに、ポーランド人はみんなとても親切だ。

ニコニコとみるからに親しげというほど愛想良くはないのだが、何か尋ねれば、誰でもちゃんと答えてくれる。しまってある老眼鏡を出して来てくれたり、スマホで調べてくれたり、地図のあるところを案内してくれたりする。迷っていたら「こっちよ」と声をかけてくれるし、できないことがあればさらりと「こうするんだよ」とやってみせてくれる。
一度うっかり軍事施設らしきところに迷い込んだときですら、警備の男性たちが穏やかに道案内をしてくれた。
英語は予想した以上に通じないけど、それでも、できるかぎりのことはみんなしてくれる。

都合10日ほどの滞在の間に、スリや置き引きなどの犯罪を目にすることもなければ、差別的な言葉や態度で嫌な目に遭わされたことも、理不尽に思うようなことも一度もなかった(強いていえば駅のホームや列車の発着システムがわかりにくいことぐらいだけど、これは現地の人にとっても不便なことのひとつだそうである)。
たまたま偶然なのかもしれないけど、右も左も分からない他国での初めての旅行中に、これはとても大きなことだと思う。

日本だってそうとう治安が良くて平和な国だけど、日本には日本なりの複雑さや理不尽さがある。
外国の人からみれば訳のわからないことはたくさんあるだろう。
私個人はさして旅行慣れしている方ではないけど、それでも、海外を旅していればどこでも多少は変なことはあるし、それが海外旅行というものだろうと、どこかで割りきらなければ旅はできない。

でもポーランドにはそれがなかった。ただみんな優しく、穏やかだった。
そういう意味で、ポーランドは誰でも安心して旅ができる、とても優しい国だという印象をもった。
その印象の大部分は、カロリーナさんたちとの出会いが占めてはいるが、それでも、私は誰かに「これまで旅していちばんよかった国は」と尋ねられたらいつでも、何をおいても、「ポーランド!」と声を大にしていうだろう。

そして近いうちにまた、ポーランドに行きたいと思っている。昨日帰国したばかりだけど。
今度はもっとポーランド語を勉強して、歴史や文化の知識を身につけて、ワルシャワやクラクフだけでなく、他の地方都市や海や森にも行ってみたい、冬の寒いポーランドも体験してみたいと思っている。

食事の後、いったんカロリーナさんの家に戻ると、お母さんが帰宅していて、ふたりで車で宿まで送ってくれた。
別れるとき、「何か困ったことがあったらいつでも連絡してね。なんでもいいから」と念を押すのも忘れなかった。
とことんどこまでも優しいカロリーナさん一家だった。

別れた後、今回のことをブログに書いてもいいか、とSNSで許可を求めたら、「もちろん。書いたら送ってね」と快諾してくれた。

カロリーナさんをはじめ、ポーランドで親切にしてくれた人全員に、心からお礼がいいたい。
ほんとうにありがとう。
ポーランド旅行、ほんとにほんとに楽しかったです。
とても感動しました。
また必ず行きたいです。
そして何か、恩返しできることがあったら、したいと思っています。

ありがとう。
またね。

ワルシャワ歴史博物館からの眺め。ここでは市民が市街復元のために利用した絵画や写真・製図などの記録や、破壊された街の遺物などを見ることができる。