落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

風邪ひきました

2011年05月29日 | 復興支援レポート
震災ボランティアレポートIndex

東京に戻って3週間。
風邪ひいてます。天候不順の折、皆様もご自愛下さいませ。
今日は学生向けのボランティア支援の紹介。

Youth for 3.11
ICUの学生が立ち上げた学生ボランティア支援団体。
被災地までの旅費を支援してくれたり、学生向けのプログラムをサポートしてたり、ロットは小さいなりに頑張ってます。

国際ボランティア学生協会
約20年前にやはり学生が立ち上げた団体。
キャリアのぶんだけ信頼性もあるのか?募集人員も多め。

日本私立大学連盟
各大学の震災への対応が総合して紹介されている。

東北地方太平洋沖地震に伴う学生のボランティア活動について
文科省の通知。ボランティアを希望する学生の単位や学費などの面での配慮を求めている。

社会人が自分の人生削って被災地を支援するのには限界がある。時間が自由になる、若くて体力もある学生の力が今必要です。
ひとりでも多くの学生に被災地に行ってほしい。
今しかできない、学生にしかできないことがたくさん待ってます。

落下する天国

2011年05月28日 | movie
『ブラック・スワン』

今年のアカデミー賞で主演のナタリー・ポートマンがオスカーを獲得した話題作。
ニューヨークのバレエ団で白鳥と黒鳥をひとり二役で踊る「白鳥の湖」が上演されることになり、長年プリマを務めたベス(ウィノナ・ライダー)に代わって抜擢された優等生のニナ(ポートマン)。
振付家ルロイ(ヴァンサン・カッセル)に「自分を解き放て」と厳しく指導され、西海岸からやって来た新人のリリー(ミラ・クニス)とのライバル関係にも追いつめられ、プレッシャーの中で精神的な極限状態に陥っていく。
『レスラー』でヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したダーレン・アロノフスキー監督作品。

あ゛~~~~ごわ゛がっ゛だ~~~~~。
すっげーこわかったー。
ストーリーはすごくシンプル。まったくひねりもなんにもない。
もともと優等生で潔癖で自傷癖のある、みるからに精神的にもろそうなヒロインが、待ち望んだダンサー人生最大のチャンスに押しつぶされ、自滅していく。展開に意外性はいっさいない。
じゃあ何が怖いかっつーとやっぱディテールなのよ。要は、ヒロインの壊れっぷりの描写、表現が怖い。
具体的にいえば、彼女は壊れていくにつれてひどい妄想に悩まされるんだけど、その妄想と現実の境目が全然ない。観てる方も完全にその妄想に取り込まれてしまう。
その妄想も、現実に起こりそうで起こらなさそうな微妙な妄想だったり、感覚的に痛い妄想だったりして、映像として観てるだけで恐怖感を煽られるんだよね。
カメラワークもドキュメンタリータッチで、異様にリアル。見終わってしまえばどこからどこまでが現実で、どこからどこまでが妄想だったのかもまったくわからないくらいです。
こわいってば!

キャスティングがまた素晴らしくて。
とくに完璧を求めるあまり自分で自分を壊してしまうナタリー・ポートマンのなりきりぶりは確かにオスカーもので、本気でバレリーナそのものの体型をつくりあげたヴィジュアルからして役と本人の境目がなくなってます。
ヴァンサン・カッセルはもうこの人ってなんでこんなに笑えるんだろう?ここまでベッタベタにコッテコテな役が、こんなにもぴったりハマる人ってそうはいないよ。画面にでてくるたんびに失笑しちゃってましたワタクシ。すみません・・・。
個人的にショックだったのはウィノナ・ライダー。最初観た時「ウィノナに似てるけど、まさかね」とか思ってました。だってあまりにも“零落れたプリマ”そのものだったから。ウィノナってぐり世代にとっては今もアイドルなのよ。確かにもう若くはないし一時の輝きはないかもしれないけど、こんなに残酷な役やっちゃうなんて~~~ウィノナが「フェラしたの?」なんて台詞いうような役やるなんて~~~うえーん。

見終わってみれば、これはストーリー的にも『レスラー』そっくりな映画になってるなあとも思い。
アレも自分の生き方を貫かんがために自滅を選ぶ主人公の話だし。
自滅ったって不幸な自滅ではない。ある意味理想の自滅。そんな自滅も世の中にはある、ってところが新表現なのかなあ。
しかしやたらに性表現が多かったのは正直ついていけんかったわあ。フェミニストの人が観たら怒られそうな気はするけど。何かっちゅーといちいち「女子のストレス=欲求不満」みたいな偏見、あるよねこの監督・・・。

被災地に戻りたいキモチ 戻れない現状

2011年05月22日 | 復興支援レポート
震災ボランティアレポートIndex

東京に戻って来て2週間経った。

被災地にいたのはたった8日間だったのに、未だに心のどこかで、被災地につながれている自分がいる。
ネットやツイッターで現実に現地にいる人たちの状況がリアルタイムに伝わるということもあるけど、常に、いつどうやって戻ろうか、戻って(つまり現実生活を犠牲にして)自分の生活がやっていけるのか、もっと役に立てる活動をするにはどうすればいいかが、強迫観念のように頭の中でぐるぐるとめぐっている。
こうして悶々としていても誰の何の役にもたたないことはよくわかっているのだけれど。

長くボランティアをしていて無理がたたって体を壊してしまう人もいる。それでもタスクは待ってはくれないから、交替要員や補欠要員で現場をやり過ごしていくしかない。
梅雨時が近づいて、被災地の天候もどんどん変わっていく。天候が変わればボランティアのワークフローも変更が求められる。
暗中模索の中で、被災地に関わる人々みんなが苦しみながら、悩みながら、何をすればいいのか、何ができるのかを考えている。
ぐりはただただ被災地のこと、被災地にいる地元の人、ボランティアの人たちのことを心配しているだけだけど。
雨が降ったら寒いだろうなとか、風が吹いたらテント飛ばされてないかなとか、東京の天候の変化にさえ、被災地の天候が気になる。

東京に戻って2週間、毎日のように出会う人にいちいち被災地の話をして聞かせたけど。
ボランティアの話、被災者支援の話、真剣に耳を傾けてくれた人、自分でも何かしようと思ってくれた人もいたけど。
やっぱり、ここにいると、震災のことはどんどん遠く過去の出来事になっていってしまっているような気がして、とても怖い。
未だに続く余震にも、ほとんど誰も大して反応しなくなったし、原発事故のこともそれほど深刻に気にしている人はあまり多くない気がする。
絶対それでいいはずはないのに。
なんでそんなに簡単に忘れられるのか、どうでもいいことみたいになっちゃうのか、どうしてもわからない。

被災地にいた時、毎日のように各界の著名人が慰問や視察に来ていたけれど、あれはその後なにかに反映されているのだろうか。
あのころは毎日ラジオを聴いてたけど(なにしろそれしかメディアがなかった)、被災地のFMから流れる番組は別として、芸能人の激励メッセージ的なCMにはずいぶん距離感を感じてしまったものだった。その感覚は東京に戻ってからも残ってしまった。
いやな言い方だけど、現実の被災地を見てしまうと、あまりの悲惨さに、おいそれと「がんばれ」とか「がんばろう」なんて言葉は出てこない。励ましたいとか、癒したいとか、労いたいとか、そういう目線では何もできないし、何もいえない。そんな気持ちになる。
ただただその光景はあまりにも悲しい。その悲しさを、ほんとうにそこで暮らして来た皆さんと共有したい。共有し続けたい。そのために、何かさせてほしい。させていただきたい。

ほんとうはそんなもの共有なんかできっこない。
大事なもの、かけがえのないものをなくしたのはぐりではなくて、被災地にいる人たちだからだ。
けど、誰にでもできることがあるはずだし、できることはやるべきだ。

みなさん忙しいと思います。
でも、土日だけでいいです。2~3日でいいです。
お時間のある方は是非被災地に行って下さい。
健康でありさえすれば、できることは必ずあります。
みんなの助けが、必要です。

被災地ボランティアに参加するための最新情報:
東京ボランティア・市民活動センター
災害ボランティアセンター設置・受入状況
土日だけのパック
土日以外も含めた短期パック

参加するにあたって不安なこと、疑問点がある方、このブログを読むだけではわからないという方はメッセージ下さい。
できる範囲で対応します。

被災地デイズ

2011年05月16日 | 復興支援レポート
震災ボランティアレポートIndex

東京にいて日常を送っていると、あっという間に被災地の日々はどんどん過去に遠ざかっていく。
だから毎日、被災地のことを考える。
いつどうやってまた行こうか、どうすれば行けるか、そればかり考える。

でも、ぐりひとりが空回っていても何の役にも立たない。
被災地に行けない間にするべきこともある。
「私なんかが行って役に立つのか」「誰でも行ける状況じゃないんじゃないか」「人は足りてるんじゃないか」そういう誤解を吹き飛ばして、ひとりでも多くの背中を押したい。
大丈夫、行って役に立ちたいという気持ちがあればなんとかなるよ。

被災地にだってルールがある。
ボランティアが守るべきマナーだってもちろんある。
でも、そんなの行けば誰だってすぐわかるよ。
ぐりは「空気を読む」なんてことはあまり好きじゃないけど、現場に行けばわかるんだよ。
火を見るよりも明らかです。
そこで、いったい何が求められていて、どんな行為は歓迎されないかなんて、ごく当り前の感覚さえあれば誰だってわかるし、守ろうと思えばそんなに難しいものでもない。

お願いです。
2~3日でいいです。
時間のある人、健康な人、ちょっとした時間の有効利用法として、被災地でのボランティアを考えてみて下さい。
クルマの免許がある人、自家用車を持っている人はもっといいです。
何の資格も免許もない人、オールオッケーです。

とにかく人手が足りません。
どうすれば行けるか、どこなら行けるか、最新情報はこちらからどーぞ。
土日だけのパックもあるよ。


炊出しのご飯を炊く炊飯器。
毎日80キロ炊くので、1トンお米があってもせいぜい10日程度しかもたない。
倉庫にお米がないとみんなドキドキしてしまう。

ボラ中危険

2011年05月14日 | 復興支援レポート
震災ボランティアレポートIndex

ボラ中とはボランティア中毒のこと。
ボランティアとは完全に当事者の自己責任と自由意志のもとに行われる行為である。要するに本人がやりたいことをできる範囲で、本人自身のためにやる行為である。まあ世の中にはマスターベーションだとか自己満足だとかいろいろおっしゃる方がおられますが、いいたい方はいいたいようにおっしゃっていただいて構いませんけども。
とにかく自分のやりたいことを、しかもできる範囲でやればよしと認められたなかでやるものなので、これはハマれば非常に楽しい。とくに社会貢献の分野ではやりがいもあり、やればやるほどおもしろくなってしまうという、困った行為なんである。
それがエスカレートしていくと、そもそも自分のために、やりたいことをできる範囲でやるべきものなのに、どこかで義務化してしまう自分が現われる。そしてそのうち、誰も強制していないのに自分自身を犠牲にし始め、その犠牲が強迫観念になっていく。

つーてもこれはぐりの造語です(笑)。
ボランティアやってるとね。たまに「この人ボラ中じゃね?」な人に出会ったりすることもあるわけですよ。
困ってる人を助けるつもりが、実は一番困ってるのはボランティア本人、みたいな状況に陥っちゃってたりしてね。それなのにボランティアをやめることができない。
しかし最近のぐりもちょっとアブナイ。ヒマさえあればスケジュール表とにらめっこして、いつどうやって被災地にまた行けるか、そればっかり考えている。
どうしよう。大丈夫かな?あたし。

誰か「大丈夫だよ。行っておいで」っていってください。
それか、「やめな」って止めて下さい。


自衛隊の車輛。
石巻専修大学の近所には自衛隊の臨時の駐屯地もあり、日常的に隊員の方々もお見かけする。
長期間被災地にいるボランティアによれば、当初は態度も固かった隊員の皆さんも、日を追うごとに柔軟になって来て、最近は被災地を支援する者同士の親しさも出て来たらしいです。

Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ