落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

地震の夢を見た

2013年01月30日 | diary
地震が起きて、町中の家や建物が倒れたり崩れたりする夢を見た。
不思議にそれほど怖くないのだが、余震の中で次々に火災が発生して、壁が焼けてはがれ落ちて室内が見えてしまっている住宅や、頬に感じる熱気が妙にリアルだった。

夢の中でぐりは妹と暮らしている。
ふたりの家も住める状態ではなくなったので、めぼしい家財道具をまとめてクルマに積み込み、郊外に避難先を探すことにする。
誰もが街を捨てて出て行こうとしているので、レンタカーや避難先の物件を確保するのに苦労する。
いつまでいるかわからないから、とりあえずはウィークリーマンションでもなんでもいいよ、とぐりがいう。
妹は朝鮮の骨董品の陶器(架空の動物のフィギュア)を持って行くべきかどうか悩んでいる。

避難してから建物の外に出ると、夜空が燃えるように美しい。
太陽のように燃えている天体が星として見えるわけだから、実際に夜空は「燃えている」には違いないのだが、それにしても明るい。
ほうき星が次々に空を横切り、雨のように地上に降り注ぐのが見える。

避難先で東北(たぶん福島)の女子高生に出会い、復興ボランティアに対する不満を告白される。
彼女はぐりや他の人たちの前で、自分のことを知りもしない赤の他人に、励まされたり勇気づけられたりしなくてはならない怒りや悲しみ、苦しみを吐露する。
自分たちが憐れまれるような存在であることは、自分たちの責任じゃない。
なのに、ボランティアからもらったものをありがたがったり、してもらったことに感謝しなくてはならないという義務感が重い。
どうして?なぜ?という彼女の前に、ぐりは土下座して許しを乞う。
そこで目が覚めた。


夢の中で見た情景は多くはメディアの影響だと思うが、燃えているような広大な星空と、最後に出てきた女子高生には心当たりがない。
しかし彼女の怒りには心当たりがあり過ぎて、夢から覚めてものすごくほっとした。
彼女の言葉は、ぐりが、いつも、被災されている地域の人にいつか投げつけられるであろう批判として、肝に銘じ続けていることだからだ。
ぐりが続けてきた復興ボランティアは、あくまでもぐりが自分のためにしたくて続けていることだ。
だが、それでも「してもらっている」ということを重荷に感じ、傷ついている人もいるだろうと思う。
そうは思っていても、現実には、復興ボランティアがすべきことはまだまだたくさんあって、ぐりの東北通いもいつが辞め時なのかまったく見通しは立っていない。
このジレンマは常に心の中にある。

夢の中の女子高生の顔には見覚えがなかったが、土下座するぐりに対して見せた複雑な表情からは、ぐりは具体的な感情を読み取ることができなかった。
それほど彼女は複雑な表情をしていた。
あるいはあの子は、ぐりがもし今、17歳くらいで被災していて支援を受ける立場だったらどう感じていたか、という話をしただけかもしれない。
そうだと思いたい。

大雪連休

2013年01月16日 | 復興支援レポート
また連休に東北に行ってきたんですが。

今回のミッションは、漁港の岸壁に生えたコケ状の海藻を除去すること。
地盤沈下で冠水するようになり、震災以前は砂と波で洗われていたのが津波で砂がなくなり、人が歩くところにまで海藻が生えるようになってしまった。当然つるつる滑るので危ない。既に転んで怪我をされた人もいるという。
年末にボランティア仲間がこの問題を聞いてきて少し手をつけたのだが、もっと大人数で作業しないと埒があかないとのことで、連休に他の仲間も誘って行ってきた。

波打ち際での作業なので、干潮時にしかできない。
この連休の干潮は午前中。午後になると潮が上がるので、朝早めからお昼までにやると決めた。午後は別の場所の草刈り。
12日の朝から移動して夜到着、翌13日は一日作業して、夜は同行した学生ボランティアを現地で活動する人たちに引きあわせたり、お世話になっているおうちの人とお酒を飲みながらいろいろお話した。
14日も海藻除去作業の続きをする予定だったが、例の爆弾低気圧で海が荒れていたので、早朝から牡蠣剥きのお手伝い。2011年にタネ挟みをした牡蠣が収穫期を迎えたのだが、本来タネの段階で取り除いておくべきムール貝などの付着物をそのままにしておいたので、やたらにたくさんのムール貝がくっついていて剥きにくくなっている。これを外して分別するのをお手伝いした。

が、9時頃になると尋常じゃない勢いで雪が降り出したので早々に作業を切り上げ、東京に向けて出発したところまではよかった。
なんとか高速に乗ったもののさっそく通行止めになってしまい、下りようにも大渋滞でクルマがまったく進まない。休憩もできない。
ようやっと高速を下りても一般道もムチャクチャに混んでいる。進まないというより、車列がビクとも動かないのだ。
いくら混んでたってふだんなら7時間程度の行程である。夜中くらいには着くだろうとたかをくくってましたがすいません、無理でした。なんと翌15日の朝になってもまだ福島県にいました。
その後も高速に乗ったり下ろされたり渋滞に巻き込まれたりで、東京の自宅に帰り着いたのは驚くなかれ15日の夜。ええ仕事休みましたとも。あーーーすいません!
それにしても30時間以上もかかったってなにそれ?お盆でも8時間オーバーだった。通常の大体倍くらいが想定内の遅延のはず。ほぼ5倍近くてどういうことやねん。

今回は作業時間そのものは移動時間より遥かに短かったし、課題もいろいろあったけど、ボランティアらしいことがしっかりできて、収穫も多かった。
印象的だったのは、いつもお世話になっている地元の方に、震災当日の話を初めて聞けたこと。
この方はいつも明るくてとても元気で前向きでバイタリティにあふれていて、まず弱いところは他人に見せない。その彼女が、初めて涙を浮かべて、震災当日に目にしたこと、悔やんでいることを話してくれた。
いっしょにいたボランティア仲間はもらい泣きしてたけど、ぐりは泣けなかった。
共感はするけど、被災された方の前で泣くのに、個人的な抵抗を感じるからだ。

何度もこの地域に通って、地元の方にもお世話になって、どこかでお友だちになれたような気がしているのも事実だけど、ぐりと地元の方々は決してお友だちではない。
友だちという存在に目的はない。目的がある人間関係を友だちと呼ぶことはできない。
被災された地域にぐりは「復興のためになにかしたい」という目的をもって通っている。地元の皆さんと仲良くなることはあっても、皆さんとぐりの関係は友だちとは呼びにくい。その関係に目的があるから。
地元の皆さんはそれぞれ、震災でいろいろなものを失った。たいせつなもの、かけがえのないもの、なつかしいもの、いとしいもの。それは二度と戻ることがない。
その悲しさ、寂しさ、怒り、せつなさを想像することはできても、ほんとうに理解することはぐりにはできない。いつかできるかもしれないと思ってしまうことの傲慢さがこわい。
地域の方々が背負った絶望の深さを思えば思うほど、皆さんの気持ちに共感すればするほど、ぐりは泣くことができなくなる。泣くことが間違っているような気がして、被災された方の前では涙を流せなくなる。

もしかしたら、いつか、ぐりも地域の皆さんを素直に友人と呼んだり、心のままにいっしょに泣いたり笑ったりする日がくるのかもしれない。
でも今は、そう思うことにすら畏れを感じる。
この距離感が正解なのかどうかはわからない。その疑問には答えがほしいとは思う。


これがこの冬収穫期を迎えた牡蠣。大粒でぷりぷりです。
この週末には都内近郊で試食できるイベントも開催。お近くの方は是非遊びに来て下さい。詳細はこちら

東北で冬休み

2013年01月07日 | 復興支援レポート
年末にまた東北に行ってきた。
といっても、仕事が忙し過ぎてあまりにも疲れてたので、ボランティア活動らしいことはほぼやらなかった。TVの取材のサクラをやって(寝起きのボケた顔を地元の人みんなに見られた。しかも全国放送された。それも4回)、イベントの片付けをしてお正月飾りをつくって(生まれて初めて水引結んだ)、宿のご主人のご家族のお誕生日をいっしょにお祝いしたり(勲章ももらうらしい)、地元のレストランのお手伝いをしたり(ひまだった)、市場の駐車場整理をしたり(東北人の運転マジこわい)、町内の忘年会に出たり(ムチャクチャ笑いころげて腹筋筋肉痛)、お掃除をお手伝いしたり、もうもはやボランティアじゃない。ただのグータラですわ。
すみません。

正直にいって、最近とても疲れている。
肉体的な疲れはとれても精神的な疲れはなかなかとれない。でも東北には行きたい。だから東北で冬休みしちゃおうと思って、最初から休むつもりでのらくらしに行った。
おかげさまで力いっぱいのらくらできました。東北のみなさん、ありがとう。
みなさんと一緒に買い出しに出かけたり、お酒を飲んだり、ろくでもない話をして笑ったり、そういうなんでもないことがとても楽しかった。

それでも、ずっと会ってみたかった人に会えたり、前にお世話になったのに長いこと会えなかった人に再会できたり、収穫も今回たくさんあった。
ただ元気な顔を見て、たわいのないお話をできるだけ、軽くご挨拶できるだけでもじゅうぶん幸せなのだということを、ぐりはこの震災のあと、身にしみて感じた。
いろんな人が、ものが、呆気なくいなくなってしまう、消えてしまうことがあまりにも当り前になってしまったから。
ほんとに大事なものはいつもすぐそばにあって、日常の中に埋もれている。

ないものねだりばかりしていてもしょうがない。ぐりにできることなんか何もないけど、ただ単にみなさんのそばにいたい。
そういう思いを再確認した。


人生初水引。途中段階。完成はうまく撮れなかったの・・・。

首都高速6号線の下

2013年01月06日 | movie
『麒麟の翼』

日本橋の麒麟像の下でナイフを腹部に刺された状態で発見された青柳(中井貴一)。
直後に現場付近で職務質問を受けた八島(三浦貴大)が交通事故で意識不明の大怪我を負うが、彼が青柳の会社で「派遣切り」に遭っていたことから殺人の容疑をかけられる。一方で、捜査官・加賀(阿部寛)は江戸橋地下道で刺された瀕死の青柳が、なぜ助けも求めずにこの場所まで歩いてきたのか不審を抱く。
東野圭吾原作の同名小説の映画化。

これドラマもあったんですね。ぐりはTV観ないので知らなかったんだけど、家族が毎週観てたらしい。
なのでドラマを観てないと意味不明な箇所も微妙にあったけど、だいたいは普通におもしろかったです。東野圭吾も読んだことないけど、今度読んでみようかな?推理小説ってあんまし読まないんだけど。
この原作小説はシリーズものだけど、このストーリー単体でも見応えあります。モチーフが労働搾取やいじめといったリアルタイムでマクロな社会問題から、偏見や家族間の不和なんという普遍的でミクロな問題まで、実に幅広い範囲から取り上げられているからだ。
ただしそれだけに、主人公・加賀の特異な洞察力のみによってストーリーが展開されてしまうという、小説の映画化に起こりがちな時間短縮法がひっかかる部分も多い。

そういう意味では善くも悪くもドラマの映画版の域は出ていない作品ともいえる。マルチ画面の多用や、ストーリーにはまったく不必要なおしゃべりな女性キャストがやたら活躍するなど、あまりにもオーディエンスに媚びたつくりは正直ぐりはあまり楽しめない。
青柳の長男・悠人(松坂桃李)の部活動の描写があまりにおざなりな部分や、妊娠がわかった八島の恋人・香織(新垣結衣)がとくに躊躇もせず帰郷を決めるなど、ツッコミどころも随所にある(現状では、母子家庭の場合、地方よりも東京などの都市部の方が行政支援を受けやすい)。
ただ、それでも労災隠しに報道被害、ブログに教育問題と、これだけのネタをキチキチにつめこんで、それなりに結論まで物語を着地させるバランス感覚は見事だと思いました。

阿部寛はすごくいい役者だし個性も十分で「映画俳優」にふさわしい人だと思うけど、相棒の溝端くんはねえ・・・映画向きではないよね(笑)。かわいいけどね。中井貴一も実直ないいお父さん役がすごく似合ってました。
しかし奥さん役の合築あきこやら黒木メイサやら看護師の田中麗奈やら、この映画に出てくる女性が全員完全に添え物というか、人物造形がごっつテキトーなのがとにかくムチャクチャ気になりました。これもう邦画ではどうにもならんもんなんでしょうかねえ?なんでみんなこんなんで怒らんの?黙って怒ってる人けっこういると思うよ。

実は今年公開の東野圭吾原作の映画『プラチナデータ』がちょっと観たくて、予習のつもりで観てみたけど、うん、楽しめました。
『プラチナ』はやたら前評判がいいみたいで、逆にちょっとコワいです・・・。