落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

北欧的恋愛故事

2008年04月29日 | movie
『スウェーディッシュ・ラブ・ストーリー』

『愛おしき隣人』のロイ・アンダーソン監督の長篇デビュー作。リバイバルです。旧題は『純愛日記』。
こちらはちゃんとストーリーあります(爆)。
15歳のペール(ロルフ・ソールマン)は14歳の美少女アニカ(アン=ソフィ・シーリン)にひと目惚れ。互いに話しかけたいのになかなか素直になれない思春期のふたりと、彼らをとりまく家族や友人たちとのささやかな日常を淡々と描いた物語。
もーーーホンットに淡々としてる。でも台詞や表情が本当に自然で、40年近く経った今観ても古さを感じない。インテリアとかファッションとか、ディテールはノスタルジックではあるけどね。
ぐりは例によってなんも調べずに観に行ったんだけど、コレあのビョルン・アンドレセンのデビュー作なんだよね。『ベニスに死す』の神のよーに美しい男の子。美しかったよ。この映画は『ベニス〜』の前年の作品だしアンドレセンはペールの友人役でほとんど台詞のない端役なんだけど、それでもひとめで「わっ!?」と驚く美しさです。けどホントにちょっとしか出て来ません。まあ日本で観れる彼の出演作なんてこの2本くらいだから、ファンなら観といてソンはないかもしれませんが(いるのかな?今でも?)。


スウェーディッシュ・ラブリー

2008年04月29日 | movie
『愛おしき隣人』

日本ではあまり公開される機会のない北欧映画だけど、ぐりはこの、北欧独特の光の色あいがすごく好きで、公開されるたびについつい観てしまう。
アレ、なんだろね?太陽の仰角が低いからかな?全体に画のコントラストが甘くて、微妙に青みがかったような、淡くグレーっぽい、なんともいえず爽やかな色調。

しかし。
この作品はちょっと・・・ぐり好みではなかったかも。
映像は期待通りすごく綺麗だし、全体の雰囲気は決してキライじゃないんだけどね。
全編の軸になるストーリーがないってのがちょっとキツかった。途中でなんか眠くなっちゃったし(寝なかったけど>当り前)。
ついてけないってことはないし、いいたいことはすごくわかるんだけど、できればもちょっとまとめてもらいたかったなあ・・・。


純粋につけるクスリ

2008年04月27日 | movie
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

観たよー。やっと観た。
実はぐり自身は60〜70年代の学生運動やそれにまつわる事件に対して、もともとはあまり興味がない。正確にいうなら興味が持てない。だから否定も肯定もできない。当時の時代の出来事に対して何の意見もいえない。なぜか。
ぐりの両親はこの映画に登場する連赤幹部たちとほぼ同世代、終戦直後の生まれである。だが望みさえすれば誰でも大学に進学できる現在と違い、当時の大学進学率は13〜15%しかなかった。あのころ、ほとんどの日本人には10代のうちから社会に出て必死に働く以外の人生を選ぶ権利なんかなかった。学生運動の主役たちは民衆の代弁者というより、選ばれた特権階級の人間だった。
ぐりの両親も高卒である。それもふたりとも一家で初めての高校進学者だった。もちろんふたりともそれは真面目に勉強していたという(成績表やノートをみる限り大体は事実のようだ)。でも、どんなに一生懸命勉強しても、アルバイトや内職をしても食べていくのがやっとという極貧の彼らにとって大学はあまりに遠かった。
そんなぐりの両親の目には、学生運動は甘やかされた子どものしらじらしい茶番としかうつらなかったらしい。自分たちは明日食べるものにも不自由しながら働いてるのに何が革命だか、みたいな。学歴コンプレックスの裏返しが歪んだ偏見になってしまっただけなのだが、そういう偏見をぐりはしっかりと受け継いで大きくなった。
ぐりが生まれたのはあさま山荘事件の前月のことだった。

この映画は出演者や関係者に知人・友人がいたので、去年の東京国際映画祭でも観たかったのだが都合があわず断念。先月一般公開が始まってから観よう観ようと思いながら1ヶ月以上行けなかった。だって190分だよ。いまどき邦画で3時間強ってありえんやろー。長いよ!
ところがー。観たら全然長くなかった。ゼンゼンふつーに観れた。ウソみたいに。
映画は1960年6月15日、樺美智子が死亡した国会議事堂正門前でのデモから始まるが、そこから1969年の赤軍派結成までは記録映像と原田芳雄のナレーションで時代背景や学生運動の流れが淡々と語られる。「アレ?これドキュメンタリーだっけ?」と錯覚し始めると、ときどき俳優が演じる再現ドラマが挟まれる。本格的にドラマが展開され始めるのは1970年の“M作戦”あたりからとなる。
とりあえず登場人物は多いし設定はややこしいし、ふつうに考えたらぐりみたいな「学生運動?しらんわ」なヒトには理解しにくい映画になってて当り前なんだけど、本筋に入る前にこれだけキチッと、かつサラッと経緯を説明されちゃうと参りますよ。わからんワケにはいきませんもん。
てゆーかね、この映画、「わかる」ことを前提につくってない。だって当事者たちだって「わかってなかった」んだもん。その「わからなさ」の悲哀が、この物語のテーマなのだ。

劇中、くりかえし「革命」「共産主義化」「総括」などという“用語”が連発される。
でもいくら真剣に観ていても、そういっている本人たちがその意味をどれだけ理解しているのかがまったくわからない。というか、どうみても彼ら自身わかってないようにしかみえない。
物語ははじめ坂井真紀扮する遠山美枝子が主人公になって牽引されていくのだが、組合闘争のなかで父を自殺で亡くした義務感から運動に参加した彼女には、革命の真偽などそもそも理解の範囲ではなかった。彼女の辿った悲劇は、自分でも理解できないイデオロギーに流されていった末の、当然の帰結でしかなかった。彼女自身「わかりたい」と熱望はしていたのだろう。革命の実現が彼女の夢だったことに疑いの余地はない。でも、冷静に考えれば革命は目的ではなくて「手段」に過ぎない。「手段」であるはずの革命を目的化したのが、日本の学生運動の敗北の最大要因だったのではないだろうか。
遠山だけではない。やがて幹部の坂口弘(ARATA)も「“総括”が何を意味するのかわからなくなった」とまで口にする。“総括”の名のもとに多くの同志を粛正した森恒夫(地曵豪←『突入せよ!「あさま山荘」事件』では機動隊員役で出てます)や永田洋子(並木愛枝)の口からも、“総括”の意味は説明されない。
どーせわかってなかったんだよ。みんな。わかってないってことを、みんなに、世の中に暴露されるのがこわくてこわくてしょうがなかったんだよね。
わかってるフリ、しってるフリはこわい。何もわかってないことを認めるには勇気がいる。彼らは確かに純粋だったかもしれない。でも純粋であることもまた、“結果”であって“目的”ではない。
森は逮捕後に拘置所で自殺してるけど、それこそ「バカは死ななきゃ治らない」を地でいってるとしか思えない。

あさま山荘事件のシーンで破壊されているセットが実は若松監督個人が所有するホンモノの山荘だと聞いてぶっとび。監督はなかなか製作費が集まらないこの映画のために借金までしている。
そうまでしてこの映画を撮りたかった監督の熱意は痛いほど伝わる、映画史に残る大傑作に仕上がっている。すばらしい。
俳優陣もみんな頑張ってると思う。とくにARATAは従来のイメージを覆すような熱演で驚きました。坂井真紀に至っては心底度胆を抜かれ。女優魂にもほどがある。
登場人物が多いので大半は無名の若手俳優なんだけど、みなさんホントに体当たりの演技で圧倒される。根性と才能両方もってる若手俳優をご所望の関係者の皆さんはこの映画必見でしょう。メイクとかしてないから全員見た目は超ムサいですけど(笑)。
しかし中には「??なんじゃこりゃ??」な学芸会演技なヒトもチラホラいて、しかもそれがまた目立つ重要な役柄だったりもして観てて若干困惑もしたんだけど、そーゆーヒトは序盤でいなくなる設定でホッとしました(爆)。
新左翼なんかキライだけどといいながら、連赤側の目線で、しかも連赤自体をとにかく徹底して客観的に描いた若松監督の手腕にはまったく脱帽です。スゴイ。すばらしい。芸術家とはかくあるべし。ブラボー。

オスカーまつり

2008年04月26日 | movie
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
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例のI drink your milkshake! I drink it up! だね。ハイ。
すごーい、おもしろかった。すばらしい。コレも原作読みたい。
舞台は19世紀末〜1920年代。石油採掘業者のダニエル(ダニエル・デイ=ルイス)はポール(ポール・ダノ)という青年の情報でリトル・ボストンという小さな街の土地を買い占め油井の掘削を始めるが、ポールの弟で牧師のイーライ(ポール・ダノ/二役)はことごとに彼に信仰を強要し、やがてふたりは対立していく。
このハナシがねえ、もう、どうしても、現代のアメリカのいろんな面を如実!!に象徴してるよーにみえてみえてしょーがなかった。
まず石油。アメリカは世界最大の石油消費大国であり、現在のイラク戦争だけでなく20世紀の中東外交はすべて石油の利権のためだった。石油のためなら平気で人を騙したり殺したりするダニエルの人物像は、そんなアメリカのある一面を象徴しているようにみえる。
そして宗教。70年代に比べ飛躍的にキリスト教原理主義勢力が政治力をもつようになったアメリカ。とくに信心深い人が多いといわれるバイブル・ベルトと、レッド・ステイツ=共和党支持者の多い地域は地図上でぴったり重なっている。なにかといえばまるでゲームのルールのように聖書やら神やら原罪やらを持ち出してくる、主体性があるのかないのかわからないアメリカ人のまたべつの面を象徴しているのが、イーライではないだろうか。
他にも、途中で耳が聞こえなくなってしまう息子H.W.(ディロン・フレイジャー)とダニエルとの関係も何やらすごく象徴的に感じる。何を象徴してるのかはネタバレになるので控えますが。

全編ほとんどがダニエルとイーライふたりの生き方の対比になっていて、みればみるほど語り手がいわんとしてることが過激な皮肉に聞こえてくる。
お金がそんなに大切ですか。信仰ってそんなに大切ですか。ふたりが真剣になればなるほど滑稽で、ふたりともムチャクチャ淋しそうにみえてくる。でも本人たちはあくまで必死である。わかりやすいといえばそれまでだし、一貫性のある生き方をよしとするならそれもアリかもしれないけど、みてる限りは全然幸せそうじゃない。彼らは自分のしたいようにしてるだけなのに、なぜか不幸にみえてしょうがない。
だってダニエルはべつに石油採掘という仕事を愛してるワケじゃない。今たまたまお金になるからやってるだけである。イーライだって口でいうほど絶対的に神を信じてるワケじゃない。どーみても周りにありがたがってもらうために預言者のフリをしてるだけである。
そういう人生がどーすれば楽しくみえるっちゅーねん。ありえへんやろー。
本質ではふたりともよく似てたりもする。相手のいうことを聞かないで、とにかく自分の主張ばっかり大声で暴力的に押しつけるだけ。アメリカ人よ・・・。

158分と長い映画だけど、会場けっこう爆笑の連続でなかなか楽しく観れましたです。
なんかホラーみたいなコワイ音楽もたいへん効果的で気に入りました。ストーリーは重いのに重くなりすぎないテイストにうまくまとめてあったのにもたいへん感心しました。
ポールとイーライ兄弟の関係が最後まで謎だったのがネックといえばネックでしたが(多重人格かと思った)、それ以外には気になるところもなかったし、われわれが普段当り前に消費してる石油の産出事業の歴史も勉強になったし、ホントにいい映画だと思います。


オスカーまつり

2008年04月26日 | movie
『つぐない』
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んー。イマイチ!
あのー、やっぱハリウッドって英国文学モノに弱いんだねー・・・。
イヤ、いい映画だと思うよ。すごくきちっとマジメにつくってあるし、完成度には文句はない。けどぶっちゃけていえば、この映画、失敗作だと思う。残念ながら。
セシリアを演じたキーラ・ナイトレイは妹ブライオニー=主人公に当初キャスティングされてて、シナリオを読んだ本人の希望でセシリアに替えたという経緯があるらしいんだけど、モロにそれが裏目にでてしまっている。キャストがスターだからって製作陣がホイホイいうこと聞いてたら、場合によっては作品そのものがダメになってしまうとゆー典型ですな。

時代は1935年、姉セシリア(ナイトレイ)と使用人の息子ロビー(ジェームズ・マカヴォイ)の親密な場面を偶然目撃したブライオニー(シアーシャ・ローナン)。その夜、従姉のローラ(ジュノー・テンプル)がある男に乱暴された現場に居合わせたのをいいことに、以前からロビーに好意を抱いていた彼女は嫉妬のあまり犯人はロビーだとウソの証言をしてしまう。ロビーは刑務所に送られ、セシリアは家出。18歳になったブライオニー(ロモーラ・ガライ)は自らのしたことを激しく後悔しながら看護婦の訓練を受けるようになり、その苦悩を小説に書き綴り始める。
ね。主人公は妹なんだよね。一瞬の激情で恋に堕ちたセシリアとロビーの物語は戦時中なら世界中どこにでも転がっていたありふれた悲劇のひとつでしかないし、ふくらませようもない。それよりは、想像力豊かな少女が気まぐれに犯した罪を抱えて生きていく悲劇の方が、ずっと重くて表現の幅もひろがるハズ。
それなのに、主演ナイトレイがセシリアを演じたことで本筋がふたつ(セシリア+ロビーのパート/ブライオニーのパート)にぱっくり分断されて、ブライオニーの内面描写が思いっきりおざなりになってしまっている。タイトル通りブライオニーメインで描いてれば、ラストのカタストロフももっとキョーレツになってたに違いない。もったいねえ〜!観ててめーちゃめちゃ消化不良だったよー。

カメラワークや編集は凝ってるし映像はとってもキレイだったんだけど、SEのサンプリングをやたらめったらに駆使したOSTはやかましくてしょーがなかった。
仕上げで頑張って英国文学の古くささを排除しようとしたのかもしれないけど、べつにそんなことする必要はなかったんとちゃいますかね?頑張り過ぎ。
まあでもお話はおもしろかったので、原作はこれから読んでみたいと思いますです。