落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

すべて水の泡

2023年10月08日 | play

『My Boy Jack』

 

人気作家のラドヤード・キプリング(眞島秀和)の15歳の一人息子・ジョン(前田旺志郎)は、強度の近視が理由で入隊検査に失敗し続けていた。父親はコネクションを利用してさまざまな有力人物にはたらきかけ、最終的に息子を戦場に送り出すことに成功するのだが、まもなく彼の消息は不明となる。
『ジャングル・ブック』『少年キム』などで世界的に知られるノーベル文学賞受賞作家の家庭を舞台にした物語。

個人的な話で恐縮だが、私も強度の近視でメガネなしではできないことがままある。周りで私より近視の人はまずお目にかかったことがないレベルだ。
舞台上のジョンの視力検査をみる限り、おそらく彼は私より目が悪い。劇中のセリフにもあるが、その状態でもし前線で眼鏡を失くしたら、間違いなく一巻の終わりだと思う。経験的に。
でも彼はどうしても軍隊に入りたいという。この家にいるのが我慢ならないからだと、二人きりの夜、姉・エルシー(夏子)に打ち明けるのだ。

ストーリーは史実に基づいているし、ジョンがどうなるかは観客誰もが知っている。そしてその結果、一家がどうなったかもわかっている。
そこに至るまでの登場人物たちの感情のぶつかりあいの嵐に、とても胸が痛んだ。

国際的な緊張が高まり、地元の若い男はわれ先に入隊して故郷を離れていく。まして父親は男は軍隊に入ってなんぼ、国をまもるために身体をはってなんぼという熱烈な愛国主義者だ。
夭折した長姉・ジョゼフィンの死の影に囚われたままの家で、両親の期待に応えなくてはというプレッシャーと、そこから一刻も早く逃げ出したいという相反する思いに苦しむジョンの懊悩が痛々しい。

家族の皆がそれぞれ自分なりにジョンを愛し、わかってやりたい、まもってやりたいと熱望する。
だがほんとうは誰も、ジョン本人の本心を理解してはいなかったのではないだろうか。3人それぞれが、自分に都合の良い「ジョン」を彼に投影し、それを実像と重ねて溺愛していたのではないだろうか。

父親は一人息子を立派な軍人にしてやることで彼の名誉をまもろうとする。
母親・キャリー(倉科カナ)にとっては、ジョンは小さなかわいい末っ子だった。
姉は弟の告白を聞くが、彼のためにできることといえばせいぜい父親を皮肉たっぷりに攻撃することぐらいしかないと思っている。

ジョン本人にも、自分の本心はわかっていなかったかもしれない。

ひとついえることがあるとすれば、誰も、戦争で家族を失うことがどれだけ悲しく、せつなく、苦しいことか、その死がどれだけ凄惨なものか、ことが実際に起こらない限り真に理解することはできないということだろうか。

ジョンの死が判明したとき、キャリーは「あの子に会いたい」という。ラドヤードは泣く。
誰が正しいとか間違ってるとかそういうことは関係なく、死んでしまったら二度と会えないという事実は動かしようがない。
まだ17歳だったジョンは勇敢に戦った。でもいくら勇敢でも砲弾を身体に浴びたら誰だって痛い。直撃されたら生きて家には帰れない。

描かれている出来事ひとつひとつはものすごく当たり前のことなんだけど、舞台上の人物たちの感情表現がとにかく激しくて、言葉のひとつひとつがリアルに胸に突き刺さってくるようだった。
お互いに正面から向かいあい、ぶつかりあっているそのパワーが圧倒的だった。

それをひとつの世界観にまとめているのが、眞島秀和演じる主人公・ラドヤードだ。
上流の家庭に生まれ育ち、威風堂々とした壮年の家長。すでに人気作家として成功し、社会的影響力があり、有力者にも顔がきく。それでいて、世間に求められている「ラドヤード・キプリング像」に自ら無意識にしがみついてしまっていることには気づいていない。
彼は真剣に母国を愛している。同時に家族も愛している。ただ己の「愛し方」がある方向に傾いていることを自覚していない。戦争に向かっていく世の中の「空気」に流され、それでいて自分がそれを煽ることの本質を考えようとはしていない。

戦場に出ていけば誰もが、汚辱にまみれ、暴力に慄き、痛みと苦しみの中で人間性を失っていく。
想像力を生業とするラドヤードが、そのリアリティをわかろうとしていなかった哀しさ。

これは昔話ではない。
シリアでは内戦が延々と続き、ウクライナへのロシア侵攻はいっこうに終わりが見えてこない。イスラエルではまた大規模な空爆で3,600人以上の死傷者が出ている。
世界中で、日々緊張がじわじわと高まっている。

そんなときに、世間のためでもなく、誰かのためでもなく、自分自身にとって、愛する人にとって何がいちばん大切か、いまだけではなく遠い未来のことまで含めて、真摯に心に問うてほしい。
私は、これはそういう物語だと思いました。

紀伊國屋サザンシアターで10月22日まで、地方公演は福岡キャナルシティ劇場で10月28〜29日、兵庫県芸術文化センターで11月3〜5日、愛知県東海市芸術劇場で11月11〜12日。

ひとりでも多くの人に観てほしい舞台です。機会があれば是非。

公式ウェブサイト
公開ゲネプロ映像

関連記事
『月の獣』
『海峡』
『なぜ君は絶望と闘えたのか』
『ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ』
『太陽の子』
『1917 命をかけた伝令』
『アメリカン・スナイパー』
『ハート・ロッカー』
『リダクテッド 真実の価値』
『アメリカばんざい』
『告発のとき』
『ボーフォート ─レバノンからの撤退─』



最新の画像もっと見る

コメントを投稿