落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

正義を歌うこともできない私たちの重い罪

2014年03月27日 | diary
今日、2014年3月27日、無実の罪で死刑判決を受けて拘置されていた袴田巌さんが釈放された。
袴田さんは1966年6月30日に静岡県で発生した強盗殺人事件、いわゆる「袴田事件」の被疑者とされた人だ。同8月18日に逮捕されてから48年。
48年だ。
48年。

袴田さんは死刑執行に怯える長い拘置所生活の中で精神を病んでしまった。
強盗殺人犯の汚名を着せられ、それまで築いてきた生活のすべてを奪われ、ひとり息子にも会えず、何ひとつ自由になるものもない、48年間。
もちろん、袴田さんは孤独だったわけではない。彼は元ボクサーだったので、親族を含めボクシング界を始め多くの人が彼の無実を信じて戦い、再審請求を繰り返し続けてきた。だが、そうした周囲の人たちの心だけを支えにして半世紀もの拘禁生活をのりきれるほど人は決して強くはない。まして、日本で死刑判決が確定してから再審が認められ拘置が停止されたことは一度もない。つまり、袴田さんが生きて再び拘置所を出られる制度は存在していても、それが現実となる確率はほぼゼロだったのだ。
日本では死刑囚に事前に死刑執行を告知する制度がない。ある朝突然、それはやってくる。再審請求中に執行されることはないとはいわれているもののこれは厳密に法で定められているわけでなく、請求中に無実の罪で死刑を執行された人もいる。最近では、1992年に福岡県で起きた飯塚事件の被疑者だった久間三千年さんは逮捕から一貫して無実を訴え続けていたにもかかわらず死刑判決を受け、再審請求中の2008年に執行された。その後証拠開示によって当時のDNA鑑定や証拠写真に不自然な点がみつかり、親族はいまも再審請求を続けている。

袴田さんのケースでも、久間さんの事件でも、捜査側検察側は逮捕起訴した被疑者を罪人にするストーリーにひたすら固執し、真実を追求するための唯一の手段はそれ以外にないとしてきた。
そこで「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」という法の原則が顧みられることはない。では法とはいったい誰のための、何のためのものなのか。平和な社会を、人の自由と権利をまもるための法を、何の罪もない人の人生を破壊する凶器にしてしまうことこそが、この世で最も重い罪ではないのか。
私たちは、この罪の根拠を捜査側や検察側だけに求めてはならない。
考えてみてほしい。無実の人を法によって殺すことを受け入れ、認めている罪の責任は、私ひとりひとり、この社会を受け入れ、認めている人間全員の責任でしかない。私たち全員が、「合理的な疑い」が排除されない限りすべての有罪判決を決して認めないという信念を貫くことができたら、久間さんは殺されないで済んだ。袴田さんは48年間も拘置所に閉じ込められることはなかったのだ。
そのことを思うと、今回の釈放を心から喜ぶ気持ちにはなれない。ただ悔しく、悲しい。胸が痛い。

袴田さんの名誉は回復しても、48年という長い時間と人生は決して戻ってはこない。
今日を機会に、どうか、ひとりでも多くの人に、冤罪と死刑という社会の罪の重さを、我が事として胸に問うてもらいたいと思う。
それは明日、あなた自身や、あなたの大切な人の身に起きても不思議はないのだから。何しろ何の罪もない人が合法的に殺されたり、半世紀近くも罪人として拘禁されることが許されるのが、私が生きている社会そのものなのだから。
そんな社会を受け入れ、認め続ける人全員に、その責任があるのだから。


無実の死刑囚 袴田巌さんを救う会

関連レビュー:
「海外の捜査官に聞く~取調べの可視化の意義~」院内集会
『美談の男  冤罪 袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』 尾形誠規著
『冤罪 ある日、私は犯人にされた』 菅家利和著
『それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』 周防正行著
『お父さんはやってない』 矢田部孝司+あつ子著
『冤罪弁護士』 今村核著
『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』 守大助/阿部泰雄著
『東電OL殺人事件』 佐野眞一著
『アラバマ物語』 ハーパー・リー著
『小説帝銀事件』 松本清張著
『死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う。』 森達也著
『福田君を殺して何になる 光市母子殺害事件の陥穽』 増田美智子著
『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』 今枝仁著
『LOOK』
『日本の黒い夏 冤罪』
『それでもボクはやってない』
『休暇』


気仙沼市にて。

3年目の雪

2014年03月12日 | diary
8ヶ月ぶりに東北に行ってきた。

なかなか行けないのに311だからってのこのこ行くのも気が引けて、当初は全然行くつもりはなかったのですが。前日になってどうしても我慢ができなくなり、朝始発の新幹線に乗って行ってきた。
泊まれないし予定も立ててないからとくに何ができるわけでもなく、飲み食いして、追悼式典に出て、また飲み食いして、急いで買物して、最終の新幹線で戻ってきた。現地滞在時間は5時間ちょっと。事前にアポを取った訪問でもなく、地元の人と交流する機会もほぼなかった。
でも妙なもので、たったそれだけでも行くのと行かないのとでは何かが違う。
この8ヶ月、テレビを通してしか見れなかった東北。四角く切り取られた風景でしか見れない東北と、その場に立ってみる東北は、当たり前だけど全然違う。やっぱりここに、ずっと来たい。来続けたいという思いが改めて強くなった。

3周年でメディアは復興の遅ればかりをかまびすしく報じている。
確かに復興は遅れている。3年も経って津波が来た時のまま放置されている廃屋も未だにあることはある。決して快適とはいえない仮設住宅での生活を強いられている人もまだまだ大勢いる。被災三県の産業は被災前の水準には戻らず、若い世代の多くは生活の安定を求めて地元を去り、人口は減り高齢化はどんどん進んでいる。震災直後にはたくさん訪れていたボランティアや震災観光客の姿はばったりと見かけなくなって、仮設店舗の復興屋台に活気はない。
しかし町では区画整理や嵩上げ工事が進み、山を切り開いた高台移転用地の造成も始まり、否が応にも震災前の町の面影は消えていく。その光景はもはや災害被災地というより再開発中の工事現場でしかないし、そこには津波の恐怖やかつての町を思い出すためのよすがなどという感傷を差し挟む余地もない。
復興が遅れているのは事実でも、その流れは着実に前に進んではいる。泣いても笑っても後戻りはもうない。復興の遅れが被災した地域の人々を苦しめているのなら、その問題を解決するためには何が必要なのか、被災した地域の外の人間には何ができるのか、そのことをこそメディアにはちゃんと検証し報じてもらいたいと思う。

メディアで語られる“悲劇の東北”と現実との落差を如実に感じたのが追悼式典。
ぐりはいつも訪問している地域の式典に参加させてもらったのだが、参列者は去年の半分程度、献花も異常に少なかった。
だが参列者の多寡うんぬんは別として、この式典のあまりの味気無さ、たとえ行政主導といえどもこれほどまでに当事者の気持ちを排除した空虚な形式ぶりの極致は、明らかに当事者誰もが是非出たいというセレモニーのそれでは決してない。他にこの手の式典に出たことがないので比較できないのだが、正直にいって首相や自治体の首長が中身のない式辞をダラダラ垂れる以外になんのためにやっているのかまったくわからなかった。天皇陛下のお言葉はけっこうしみましたけど、それ以外はマジで意味不明でした。ここまで来たら批判する気すら起きない。ただ呆れるしかない。
参列者は基本的に喪服か制服かそれに近い服装なのだが、献花だけでもと立ち寄った地元の人が、服装があわないからと入口で躊躇してそのまま引き返す姿も多く見かけた。服装なんかどうでもいいと思うんだけど、その雰囲気を押してでも献花したいとか、隣近所のみんなで思い出を共有したいとか、そんなシンプルであたりまえのセンチメンタリズムすらかけらもない。
誰もが心から亡くなった人を悼み、あの最悪の日を思い出し互いを慰めあう、たったそれだけのことが既にどこか遠くなったように感じた。

あるいは、被災した地域の人にとって3月11日はもう特別な日ではないのかもしれない。
その日は家族や友人や隣人たちの命日ではあるが、3月11日でない他の日にも、被災したという事実から逃れられるわけではない。3月11日をなかったことにはできない。どこへ逃げるあてがあるわけでもない、ここでやりなおすしかないのなら、受け入れる以外にない。被災した方々にとっての「3月11日」が一生続くのなら、いつまでもただ悲しんでばかりもいられない。生き残った人間はこれからも生きなくてはならないのだから。
今年も3月11日は夜になって三陸には雪が降った。3年前のあの夜も雪だった。津波からはどうにか逃れたにもかかわらず、救助の手が届かず凍死した人もたくさんいた、悲しい雪。だがあのとき奪われた命をどんなに悔いても、もう助けることはできない。時間は逆には流れない。
できることを、これからもやっていくしかない。それぞれの場所で、それぞれの手で、ずっと。


気仙沼市。津波で全壊した建物に大漁旗をかけて営業している店。

復興ボランティアレポート

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目くそ鼻くそ合戦

2014年03月08日 | diary
3月7日佐村河内守氏会見全文・質疑応答123

いまからこういうことをいうのはものすごく気が引けるんだけど、ぐりはこの方をごく最近まで知らなかった。
この騒動の少し前に、たまたま朝観ていた情報番組で紹介されていて、そのとき「こんな茶番をなぜ誰もがこんなに真剣にありがたがってるんだろう」という疑念を強く感じたのが強烈な印象に残っている。
ぐりは音楽に疎い人間だし、この人自身についても作品についても何も知らない。それでも、芸術は作品そのものの内容で評価されるべきなのに、作者のバックグラウンドばかりやたら劇的に紹介されることに異常な違和感を感じた。けどそんなこと誰にもいえない。だって「現代のベートーベン」だもんね。

だからいま、彼ひとりを悪人にして騒いでいるメディアに、果たして本当にあなたがたは騙されていたのか、もしかしたら、真実に気づいていながら、あえて彼の嘘に加担していたのではないのか、そこを糾したい。ぐりがほんの何分か彼を紹介した映像を観ただけで強く感じた疑問を、プロのジャーナリストたちが誰ひとりいっさい感じなかったとしたらそれはそれで大問題ではないのかと、そこは声を大にしていいたい。あるいは感じていたのかもしれないけど、ではなぜその疑問をその場で糾すことなくここまで彼を祭り上げてしまったのか、そこにメディアの罪はないのか、とくと自省してもらいたい。
要はライブドア騒動と同じ構図じゃないのかと。そもそもライブドアや堀江貴文氏を持ち上げ祭り上げたのはメディアだったのに、そして疑惑はもともと誰もが知っていたのに知らないふりをしておいて、旗色が悪くなってから一斉に袋叩きにする。そこに報道精神などひとかけらもない。他人を攻撃することで得る暴力的なカタストロフの大安売り。

おそらくは佐村河内氏本人は、自分の嘘がここまで大きくなるとは自分では予想していなかっただろうと思う。でなければもっと緻密な計算もし、もっと周到に立ち回れたはずだ。代筆の新垣隆氏に対しても他に対応の仕方があったはずである。それができない人であることが、この会見でよくわかる。だってこんな会見する必要どこにもない。完全に時間とエネルギーとメディアの無駄遣いだから。
佐村河内氏の嘘で傷ついた人は確かに多いだろうけど、彼を無批判に持ち上げ続けたことで騒ぎをここまで大きくしたのは間違いなくメディアだし、そのことで被害者がより深く傷ついたことも間違いないと思う。
しかし今回メディアによって傷つくのは、佐村河内氏の嘘の被害者だけではない。彼の嘘に巻き込まれた多くの身体障害者や、被爆者や被災者もまた深く傷ついているに違いない。

いうまでもなく佐村河内氏は聴覚障害者である。そこにもう疑念はあってはならない。なぜなら専門家の診断が既に下されているから。自治体の認める障害者手帳発行の対象者であるかないかは別として、感音性難聴という、音の質を正確に聞き取れない聴覚障害だ。その点をどこのメディアもまともに報道しようとしていないのが不思議なのだが、視覚障害と同じく聴覚障害にもさまざまな性質とレベルがある。たとえば視覚障害で有名なのが色覚異常だ。これは日本人なら男性20人にひとりという一般的な障害で、日常生活には支障はないが障害であることには変わりない。このような正確ではないが一応見えるという視覚障害もあれば、まったくいっさい何も見えないという視覚障害もあり、その間にはレベルも質も違う視覚障害が複雑に存在している。
聴覚障害についても同じで、ただ音が聞こえにくく補聴器をつけて音量を拡大すれば聞こえるという軽度の難聴もあれば、音は聞こえるがその質を聞き分けることが困難で言葉や音楽を正確に聞き取ることができないという難聴もある。重度になればほぼまったく無音の世界だ。聴覚は耳が悪くても聴覚神経が悪くても聞こえない。そのどちらが悪いかによっても障害の質は異なる。

佐村河内氏の障害への無理解は、おそらくは日本社会の障害への不寛容さとそのままつながっている。
話を最初に戻すけど、芸術家に障害があるかどうかなんて、本来は作品の評価そのものには関係がないはずだからだ。その背景が芸術作品の評価にいくばくか寄与するのは、作品が芸術であるか否かを超えた先の付加価値の話であって、芸術の域に達していない作品にどんな付加価値を足そうが、イケてないものはイケてないんである。佐村河内氏が指示し新垣氏がつくった音楽がほんとうに多くの人の心を打ったのだとすれば、それは純粋に音楽そのものの力でしかないのではないか。ぐりはあんま聴いてないんでよくわかりませんけど(w。
繰返しになるが、その付加価値の部分を独自の検証もなく拡大して劇的に演出したのは、視聴率や販売部数に障害を利用したかったメディアや企業の側の知性の欠如でしかないし、愚かにも佐村河内氏はそれに不用意に乗ってしまっただけではないだろうか。佐村河内氏には嘘をついた責任はあるけど、社会的影響力という点でいえば、一作曲家よりもメディアの方が何倍も巨大であることは誰にも疑いの余地はない。その責任をメディアにはもっと認識して、これを機会に障害者の社会参加やクラシック音楽界の現状についてしっかり伝えてもらいたい。

とりあえず佐村河内さんはもう天地神明ってワードは使用禁止でお願いします。もうそのワード、全然意味ないから。ね。


我が家の朝日。

I get my own numbers.

2014年03月06日 | movie
『ダラス・バイヤーズクラブ』

1985年、テキサスでその日暮らしをしていたカウボーイ・ロン(マシュー・マコノヒー)は末期のエイズで余命30日を宣告される。まだアメリカでは認可の下りていないあらゆる治療法を試みるためにメキシコに向かった彼は、そこでエイズ患者に処方されている薬を密輸、会員に無償で配布する共同購入組織をたちあげ、製薬会社と癒着したFDA(アメリカ食品医薬品局)に真正面から抵抗する。
4000人の会員にカクテル療法を勧めた実在のエイズ患者ロン・ウッドルーフの物語。2013年アカデミー賞で主演男優賞と助演男優賞(ジャレット・レト)を受賞した。

ロサンゼルスで初めてのエイズ患者が報告されたのが1981年。あれから30年経って、いま全世界でHIV感染者数は推定5000万人以上といわれている。5000万ってもあんましぴんときませんよね。えーと簡単にいうと、全世界の15~49歳の1.1%がキャリアです。要は日常的に性交が可能な年齢層ってことね。とはいえ、いまのところ感染者の多くがアフリカ、東南アジア、中国に集中している。最も感染者の人口比が高いのはボツワナで成人の39%。エイズの蔓延によってアフリカの一部の国では平均寿命が40代前半にまで低下している。
抗ウィルス薬がいくつも開発され、発病前に治療を始めれば35年は生きられるようになったこんにち、HIVは死の病ではなくなった。だがもともとは感染後7~10年といわれていた潜伏期が、最近では2~4年で発症する例も珍しくなくなってきている。これはHIVウィルスがインフルエンザなどと同じようなレトロウィルスという、絶えず変異していくタイプのウィルスであり、このグローバルな環境の中でその流れをとめる方法がまだないからである。
いずれにせよ感染すれば専門医の観察と治療が必要になり、妊娠出産も自然にはできないし、他の病気や怪我の治療も簡単には受けられず、年をとっても収容してもらえる高齢者施設もほとんどない。日本の医療界にHIV感染者のケアに関する専門知識が全く浸透しておらず、そのための制度も存在しないからである。うっかり発症したらいまも治療法はなく、2年以内に死ぬ。予防にこしたことはない。

この物語の始まった当時、アメリカでは初めての抗ウィルス薬AZTの臨床試験が行われていた。ロンはそのAZTを入手しようと奔走するが、この薬はもともと毒性の強い抗がん剤であり、免疫系統をも弱めてしまう副作用があった。アメリカの医療制度に疑問を持ったロンは、自分自身で病を克服するための冒険を始める。
そう、これはエイズに負けまいとして国を相手に喧嘩を売ったカウボーイの冒険鐔なのだ。
エイズの話で実話を基にしているというとなんとなく真面目で堅そうな映画を想像してしまうが、この映画はそのまったく逆の表現で、あくまでも潔くテンポよく、無駄なく主人公のストラグルを描いている。まずロンはホモフォビアのブルーカラー、酒と女とドラッグとロデオが好きなだけ、教養もなければ向上心もないろくでなしである。だがその彼が、エイズという病を得て自ら学び、世界中を飛び回るビジネスマンとして成功し、差別と無理解を乗り越えて多くの患者を助け、政府を訴えるという暴挙にまで出る。気持ちいい。
だから上映時間117分がすごく短く感じた。個人の話でありながら、アメリカの医療保険制度の矛盾や、HIVを取り巻く偏見や誤解など社会環境への批判もストレートに描かれている。教養映画でありながら、かなりしっかりしたエンターテインメント映画でもある。バランスがとてもいい。

マシュー・マコノヒーやジャレット・レトの演技はオスカー並みかといわれるとちょっとよくわからないけど、あまりの痩せっぷりは確かに凄まじい。てゆーかもうここまでいったら原型ないよ。ジャレット・レトに至っては細すぎて既にドラアグ・クイーンにすらみえない。ふつうにちょっとごついお姉さんである。まあオスカーは同業者同士で労いあう「お疲れさん賞」みたいなもんだから、この超人的ダイエットに対する「お疲れさん賞」だとしたら納得するしかない。
ほとんど全編がステディカム撮影、自然光を活かしたロケが中心でカットが細かく、ものすごくスピーディーな構成になっていたのがとにかく印象的でした。
それにしても、エイズになるまではただの電気技師だったロンが、どんどんエイズのスペシャリストに変わっていく変身ぶりが凄まじかった。とくに感心したのは、ロンとジャレット演じるレイヨンがスーパーで食料品を買うシーン。ジャンクフードが好きなレイヨンに加工食品は体によくないなどと諭し、かつての友人を相手にホモフォビアを強く否定するロンの生き方の変貌ぶりが、スーパーでの買物というごく日常的な風景で表現されているところがうまい。実話なんだからおそらくはほんとうにそれだけ変わったんだろうけど、人間がこれだけ見事に変われるというのが見ていて心から清々しく感じた。
ゲイの病気なんかにかかって余命30日を宣告されたことが不本意だったから、自分はfaggotじゃない、こんな病気で死にたくない、という火事場の馬鹿力が彼をこれだけ変えたのだとしても、きっとそれは人間がもともともっていた力なのだろう。
だとしたら、誰だって明日から変わろうと思えば変われるはず。きっとそうだと思う。


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『最愛』
『ルーシー・リューの「3本の針」』
『中国の血』 ピエール・アスキ著
『丁庄の夢―中国エイズ村奇談』  閻連科著