鈴木章浩都議がセクハラやじ認める 「早く結婚したほうがいい」
ぐりは男尊女卑思想の根強い朝鮮人家庭に生まれた。
だから女性差別というものは生まれた時から、物心つく前から常に我がこととして身近な問題だった。両親はそんな環境の中でもどちらかといえばラディカルな方ではあったが、親族間での女性差別はとにかく激しかった。具体的にどんなことが起こっていたかはもう思い出したくもない。
親族間だけではない。小学校に通うころからはしょっちゅう痴漢に悩まされた(過去記事)。恥ずかしく恐ろしい思いをしても共感してくれる人間などいなかった。「隙があるから」「不用心だから」の一言で片づけられるか、なぜかこっぴどく叱られてよけい恥ずかしく恐ろしい思いをするかのどちらかだった。どれだけ考えても痴漢に遭った被害者である自分がなぜあれほど叱られたのか、未だにまったく意味が分からない。知らない人についていかない、ひとりで人気のないところへ出歩かないなど最低限の自衛はできても、7つや8つの田舎の子どもに隙もなにもあったものではない。
痴漢には30代後半まで不快な思いをさせられたが、10代後半でアルバイトをするようになると今度はセクハラにも遭いはじめた。飲食店で客や同僚から気分の悪い言葉をかけられたり体に触れられるだけではない。マスコミ業界に入ってしまえばそこはもうセクハラ天国だった。前にも何度か書いたので細かいことはもう繰り返したくない。他にストーカー被害にも遭ったことがある(過去記事)。
その後ボランティア活動を始め、女性と子どもの人権保護のためのNGOでインターンも経験した。そこでひしひしと感じたのは、女性を直接差別し虐待する当事者よりもなによりも、その問題を無視し、ないものとしたがる傍観者こそが、問題を深刻化させ助長するもっとも大きな要因になっていることだった。
家庭や学校に居場所がない、極端な貧困状態で頼る者がいない、あるいは詐欺や脅迫や誘拐の被害に遭っているなどの理由で性産業に従事せざるを得ない女性や子どもを理由もなく差別こそすれ、彼・彼女たちの事情を顧みて本来の問題解決を願ってくれる人間などこの世の中にはいない。そんな存在に対する暴力や搾取を許容しているのは、そういう社会そのものだ。
今回の都議会で問題の野次を発言したのは鈴木議員だけではないというが、問題は発言者が誰かということではない。野次が飛んだその瞬間、議場は笑いに包まれ、都知事や登壇者である塩村議員本人ですら笑っていたという。ぐりはそれが許せない。誰もが断じて笑うべきではなかった。すぐさま、そこでその発言を議題として取り上げるべきだった。女性問題に対し誰もが敏感に反応できない議会に女性問題を解決などできるわけがない。たったそれだけのことを都議会で誰ひとり理解していない。そのことをこそ、有権者は決して許すべきではないのだ。
鈴木議員は謝罪会見で「早く結婚してほしい思いでいってしまった」と述べたが、その見識が既に大きく間違っていることを、どの出席者も一言も指摘しなかったことには心から落胆した。
世の中の人間が早く結婚しさえすれば晩婚化や少子化が解決するとでも考えているような幼稚な人間が施政者であってはならないのだ。どうして、都議会を取材する人間たちがそのことを追求しないのか。何のための会見なのか。
晩婚化や初産年齢の上昇は女性差別問題があるからこそ進行するし、その結果である少子化には、不妊医療の難しさや子育て世代の経済状態の悪化や行政支援の貧しさも関わっている。
ぐりは結婚も出産も一度もしていない40代の独身女だが、周囲で子育てをしている人々の声を少し聞くだけで、行政がいかに子育てに無関心か、すぐにでもできるはずのことを何ひとつやろうとしていないことに激しい怒りを感じる。結婚や出産は個人の生き方の問題だから、したくない人間に強制することはできない。ぐりだって強制されてもやりたくない。でも、結婚を望み子どもをほしがっていてもかなわない人、子育てに苦心惨憺している人たちをまず支えることすらできずに、ただ「結婚しろ」「子どもを産め」というのはただのファシズムではないのか。
それがわからない人間には、市民の代表となる資格など認めてはいけないのだ。
世間ではこの問題が海外でも報道されたことを恥ずかしいなどという言葉も聞かれるけど、日本の女性差別はもうとっくに世界に知れ渡っている。
昨年、世界経済フォーラムが発表した男女平等指数ランキングで日本は136ヶ国中105位。せんだってイスラム過激派組織に女生徒200名余りが拉致される事件が起きたナイジェリアの上、政府による苛酷な人権侵害が国際的な批判を浴びているカンボジアの下である。ちなみに日本でもよく人権問題が報道される中国は69位、衝撃的な誘拐婚が問題視されているキルギスは63位、寡婦が夫を火葬する火に飛び込んで自殺するサティという習慣が残っているインドは101位。
世界中の人が既に日本の男女差別をよく知っている。いまさらそれを恥じてもどうしようもない。問題は、これからどうするか、どんな社会を目指すべきかという主体性の問題ではないか。
どうかこれを機会に、もっと多くの人にこのことをちゃんと考えてもらいたいと思う。犯人探しはこの際どうでもいいから、この野次の本質を、ちゃんととらえてほしいと思う。
ぐりは男尊女卑思想の根強い朝鮮人家庭に生まれた。
だから女性差別というものは生まれた時から、物心つく前から常に我がこととして身近な問題だった。両親はそんな環境の中でもどちらかといえばラディカルな方ではあったが、親族間での女性差別はとにかく激しかった。具体的にどんなことが起こっていたかはもう思い出したくもない。
親族間だけではない。小学校に通うころからはしょっちゅう痴漢に悩まされた(過去記事)。恥ずかしく恐ろしい思いをしても共感してくれる人間などいなかった。「隙があるから」「不用心だから」の一言で片づけられるか、なぜかこっぴどく叱られてよけい恥ずかしく恐ろしい思いをするかのどちらかだった。どれだけ考えても痴漢に遭った被害者である自分がなぜあれほど叱られたのか、未だにまったく意味が分からない。知らない人についていかない、ひとりで人気のないところへ出歩かないなど最低限の自衛はできても、7つや8つの田舎の子どもに隙もなにもあったものではない。
痴漢には30代後半まで不快な思いをさせられたが、10代後半でアルバイトをするようになると今度はセクハラにも遭いはじめた。飲食店で客や同僚から気分の悪い言葉をかけられたり体に触れられるだけではない。マスコミ業界に入ってしまえばそこはもうセクハラ天国だった。前にも何度か書いたので細かいことはもう繰り返したくない。他にストーカー被害にも遭ったことがある(過去記事)。
その後ボランティア活動を始め、女性と子どもの人権保護のためのNGOでインターンも経験した。そこでひしひしと感じたのは、女性を直接差別し虐待する当事者よりもなによりも、その問題を無視し、ないものとしたがる傍観者こそが、問題を深刻化させ助長するもっとも大きな要因になっていることだった。
家庭や学校に居場所がない、極端な貧困状態で頼る者がいない、あるいは詐欺や脅迫や誘拐の被害に遭っているなどの理由で性産業に従事せざるを得ない女性や子どもを理由もなく差別こそすれ、彼・彼女たちの事情を顧みて本来の問題解決を願ってくれる人間などこの世の中にはいない。そんな存在に対する暴力や搾取を許容しているのは、そういう社会そのものだ。
今回の都議会で問題の野次を発言したのは鈴木議員だけではないというが、問題は発言者が誰かということではない。野次が飛んだその瞬間、議場は笑いに包まれ、都知事や登壇者である塩村議員本人ですら笑っていたという。ぐりはそれが許せない。誰もが断じて笑うべきではなかった。すぐさま、そこでその発言を議題として取り上げるべきだった。女性問題に対し誰もが敏感に反応できない議会に女性問題を解決などできるわけがない。たったそれだけのことを都議会で誰ひとり理解していない。そのことをこそ、有権者は決して許すべきではないのだ。
鈴木議員は謝罪会見で「早く結婚してほしい思いでいってしまった」と述べたが、その見識が既に大きく間違っていることを、どの出席者も一言も指摘しなかったことには心から落胆した。
世の中の人間が早く結婚しさえすれば晩婚化や少子化が解決するとでも考えているような幼稚な人間が施政者であってはならないのだ。どうして、都議会を取材する人間たちがそのことを追求しないのか。何のための会見なのか。
晩婚化や初産年齢の上昇は女性差別問題があるからこそ進行するし、その結果である少子化には、不妊医療の難しさや子育て世代の経済状態の悪化や行政支援の貧しさも関わっている。
ぐりは結婚も出産も一度もしていない40代の独身女だが、周囲で子育てをしている人々の声を少し聞くだけで、行政がいかに子育てに無関心か、すぐにでもできるはずのことを何ひとつやろうとしていないことに激しい怒りを感じる。結婚や出産は個人の生き方の問題だから、したくない人間に強制することはできない。ぐりだって強制されてもやりたくない。でも、結婚を望み子どもをほしがっていてもかなわない人、子育てに苦心惨憺している人たちをまず支えることすらできずに、ただ「結婚しろ」「子どもを産め」というのはただのファシズムではないのか。
それがわからない人間には、市民の代表となる資格など認めてはいけないのだ。
世間ではこの問題が海外でも報道されたことを恥ずかしいなどという言葉も聞かれるけど、日本の女性差別はもうとっくに世界に知れ渡っている。
昨年、世界経済フォーラムが発表した男女平等指数ランキングで日本は136ヶ国中105位。せんだってイスラム過激派組織に女生徒200名余りが拉致される事件が起きたナイジェリアの上、政府による苛酷な人権侵害が国際的な批判を浴びているカンボジアの下である。ちなみに日本でもよく人権問題が報道される中国は69位、衝撃的な誘拐婚が問題視されているキルギスは63位、寡婦が夫を火葬する火に飛び込んで自殺するサティという習慣が残っているインドは101位。
世界中の人が既に日本の男女差別をよく知っている。いまさらそれを恥じてもどうしようもない。問題は、これからどうするか、どんな社会を目指すべきかという主体性の問題ではないか。
どうかこれを機会に、もっと多くの人にこのことをちゃんと考えてもらいたいと思う。犯人探しはこの際どうでもいいから、この野次の本質を、ちゃんととらえてほしいと思う。