『藁の楯』
少女の惨殺体が発見され、ほどなく彼女が蜷川財閥会長(山崎努)の7歳の孫娘であり、犯人は過去にも幼女を殺害して服役した清丸(藤原竜也)であることが判明する。蜷川に10億円の懸賞金をかけられた清丸は警察に保護を求めるが、そこは逃亡先の北九州。
SPの銘苅(大沢たかお)と白岩(松嶋菜々子)、警視庁の奥村(岸谷五朗)・神箸(永山絢斗)、福岡県警の関谷(伊武雅刀)の5名が、清丸を東京の警視庁まで護送する任に就くが・・・。
カンヌ国際映画祭コンペティション部門にも選出されたアクション・エンターテインメント。
はっきりさせておかなくてはならないことがいくつかある。
まず、人間の命の価値など人が決めるものではない。殺されても仕方がない人間などどこにもいない。思い出してみてほしい。サダム・フセインが殺されてイラクは平和になっただろうか。ビン・ラディンが殺されてテロとの戦いは終結しただろうか。人を殺して解決することなど、いまやどこにもありはしない。誰かが殺されてすなわち誰かが救われるほど、人の生は単純ではない。逆に、誰も殺さなくても人を救う道はある。それが人間の知性だと思う。
確かに清丸はカスだ。そこは誰しも認めざるを得ない。ここまで来たら天晴れなくらい、とことん力いっぱいカスだけど、こういう人が実際に存在するかどうかは別として、最初からカスに生まれる人間はいない。自らカスになりたくてなる人間もいない。自己責任、自業自得という評価ほど無責任なものもない。
この映画では10億円という懸賞金を巡って日本中がデスゲームに巻き込まれるが、そもそもカネで何もかもが解決できるわけじゃない。もしかしたら、1000兆円くらいあったら何だってスッキリ解決するのかもしれない。そこまではぐりはわからない。けど、人の世の中はそんなにシンプルじゃない。お金に困っている人がお金を得ればそれで何もかもがすべてキレイに一件落着するくらいなら、この地球上に人権問題や環境問題や暴力なんてものはいっさい必要なくなるはずだと思う。お金は物事を解決するためのもっとも重要な道具のひとつでしかなくて、ほんとうに解決できるのは人間の精神以外にない。
もうひとつ。誰かを「殺したい」と思うことと、ほんとうに誰かを「殺す」ことは同義ではない。他人に殺意を抱くことそのものは自由だ。人の心だけは、いつどこにあっても自由だからだ。何にも縛れるものではない。だが、その殺意を行動に移すとなると別問題である。実際に殺さないまでも、殺意を言葉にしたり、手段を選んだりした時点で、その殺意は心の問題ではなくなり、その人自身を、社会を蝕み始める。取り返しがつかなくなる。
その意味では、己に厳しい戦いを強いながらも必死に清丸を守ろうと命をかける主人公・銘苅の心情には安心して共感することができる。
彼自身にも、清丸のような人間に対する殺意はある。その感情をどこまでも律することで、彼は自分の心を、最愛の人への大切な思いを守ろうとしている。観ていてひたすら彼を励ましたくなる。
だからクライマックスでの彼の迷いも心から許せる。そこまで堪えて堪えて堪えぬいた彼だからこそ、自分の意志で納得できる結末を選んでほしいと思える。
逆に、そうは考えない観客はどう思うのだろう。ひたすら結末を先延ばしにする主人公にイライラしたりするのかしらん?隣の席のカップルはやたらケータイいじってばっかでむしろぐりがイライラしちゃいましたけども。
警察もマスコミも一般市民も誰も彼も、それこそキャッチコピー通り日本国民全員が敵となった列島を48時間かけて横断していくロードムービーでもあり、常にどこかで主人公たちを監視しているのに目には見えない敵と、誰が味方かもわからない極限状態と自らの職業倫理と精神的重圧に葛藤する護送チームと、決して他人と心を通わせることなく護送チームの職業意識を執拗に翻弄する清丸の三すくみ構造のアクションサスペンスでもあり、最後の最後まで観ているものに気を抜かせない、第一級の娯楽映画でした。非常におもしろかった。マジで手に汗握りまくりです。
もうまずしょっぱなの高速道路上でのカースタントから物凄いです。ここまで景気よくがっしゃんがっしゃんやってる映画って邦画じゃ珍しいんじゃないかな?ハリウッド映画並みです。その後の展開も豪華です。観ててひたすら感心し倒しちゃうくらいの物量勝負。ネタバレになるので詳細は書きませんけど、この豪華さと景気よさだけで一見の価値あります。
まあ欲をいえば、監督は阪本順治で主演が佐藤浩市と真木よう子だったら、さらに見応えあったかもね~(爆)。
ぐりはこの作品の出演者はどの人もとくに好きでもないし注目もしてないし、三池崇史監督のファンでもない。
でもこの映画だけはどうしても観たかった。
ぐりは死刑制度には反対で、犯罪を犯した人、あるいは犯罪者だと目される人の人権保護にも関心がある。ただ正直なところ、自分でもどこまで「人権」をわかっているかは自信はない。煎じつめれば、そんなもの単純に自分で自分をどこまで許せるかという話でしかないような気がする。
この映画でいえば、自分が置かれるならどちら側を選びたいかという話になる。清丸のようなカスを命がけで守る護送チームの側を選ぶか、10億円目当てに清丸を狙う側を選ぶか。許容する側と罰する側。この映画ではあえて、罰する側である狙う側の人物それぞれに同情すべきもっともな背景を設定してある。清丸を殺してほんとうに彼らの人生すべてが救われるかどうかは別の話だけど。
そこに正解はない。正義もない。自分自身どんな人でありたいか、という魂の問題でしかない。
それを描こうとした物語として、いい映画だったと思う。
少女の惨殺体が発見され、ほどなく彼女が蜷川財閥会長(山崎努)の7歳の孫娘であり、犯人は過去にも幼女を殺害して服役した清丸(藤原竜也)であることが判明する。蜷川に10億円の懸賞金をかけられた清丸は警察に保護を求めるが、そこは逃亡先の北九州。
SPの銘苅(大沢たかお)と白岩(松嶋菜々子)、警視庁の奥村(岸谷五朗)・神箸(永山絢斗)、福岡県警の関谷(伊武雅刀)の5名が、清丸を東京の警視庁まで護送する任に就くが・・・。
カンヌ国際映画祭コンペティション部門にも選出されたアクション・エンターテインメント。
はっきりさせておかなくてはならないことがいくつかある。
まず、人間の命の価値など人が決めるものではない。殺されても仕方がない人間などどこにもいない。思い出してみてほしい。サダム・フセインが殺されてイラクは平和になっただろうか。ビン・ラディンが殺されてテロとの戦いは終結しただろうか。人を殺して解決することなど、いまやどこにもありはしない。誰かが殺されてすなわち誰かが救われるほど、人の生は単純ではない。逆に、誰も殺さなくても人を救う道はある。それが人間の知性だと思う。
確かに清丸はカスだ。そこは誰しも認めざるを得ない。ここまで来たら天晴れなくらい、とことん力いっぱいカスだけど、こういう人が実際に存在するかどうかは別として、最初からカスに生まれる人間はいない。自らカスになりたくてなる人間もいない。自己責任、自業自得という評価ほど無責任なものもない。
この映画では10億円という懸賞金を巡って日本中がデスゲームに巻き込まれるが、そもそもカネで何もかもが解決できるわけじゃない。もしかしたら、1000兆円くらいあったら何だってスッキリ解決するのかもしれない。そこまではぐりはわからない。けど、人の世の中はそんなにシンプルじゃない。お金に困っている人がお金を得ればそれで何もかもがすべてキレイに一件落着するくらいなら、この地球上に人権問題や環境問題や暴力なんてものはいっさい必要なくなるはずだと思う。お金は物事を解決するためのもっとも重要な道具のひとつでしかなくて、ほんとうに解決できるのは人間の精神以外にない。
もうひとつ。誰かを「殺したい」と思うことと、ほんとうに誰かを「殺す」ことは同義ではない。他人に殺意を抱くことそのものは自由だ。人の心だけは、いつどこにあっても自由だからだ。何にも縛れるものではない。だが、その殺意を行動に移すとなると別問題である。実際に殺さないまでも、殺意を言葉にしたり、手段を選んだりした時点で、その殺意は心の問題ではなくなり、その人自身を、社会を蝕み始める。取り返しがつかなくなる。
その意味では、己に厳しい戦いを強いながらも必死に清丸を守ろうと命をかける主人公・銘苅の心情には安心して共感することができる。
彼自身にも、清丸のような人間に対する殺意はある。その感情をどこまでも律することで、彼は自分の心を、最愛の人への大切な思いを守ろうとしている。観ていてひたすら彼を励ましたくなる。
だからクライマックスでの彼の迷いも心から許せる。そこまで堪えて堪えて堪えぬいた彼だからこそ、自分の意志で納得できる結末を選んでほしいと思える。
逆に、そうは考えない観客はどう思うのだろう。ひたすら結末を先延ばしにする主人公にイライラしたりするのかしらん?隣の席のカップルはやたらケータイいじってばっかでむしろぐりがイライラしちゃいましたけども。
警察もマスコミも一般市民も誰も彼も、それこそキャッチコピー通り日本国民全員が敵となった列島を48時間かけて横断していくロードムービーでもあり、常にどこかで主人公たちを監視しているのに目には見えない敵と、誰が味方かもわからない極限状態と自らの職業倫理と精神的重圧に葛藤する護送チームと、決して他人と心を通わせることなく護送チームの職業意識を執拗に翻弄する清丸の三すくみ構造のアクションサスペンスでもあり、最後の最後まで観ているものに気を抜かせない、第一級の娯楽映画でした。非常におもしろかった。マジで手に汗握りまくりです。
もうまずしょっぱなの高速道路上でのカースタントから物凄いです。ここまで景気よくがっしゃんがっしゃんやってる映画って邦画じゃ珍しいんじゃないかな?ハリウッド映画並みです。その後の展開も豪華です。観ててひたすら感心し倒しちゃうくらいの物量勝負。ネタバレになるので詳細は書きませんけど、この豪華さと景気よさだけで一見の価値あります。
まあ欲をいえば、監督は阪本順治で主演が佐藤浩市と真木よう子だったら、さらに見応えあったかもね~(爆)。
ぐりはこの作品の出演者はどの人もとくに好きでもないし注目もしてないし、三池崇史監督のファンでもない。
でもこの映画だけはどうしても観たかった。
ぐりは死刑制度には反対で、犯罪を犯した人、あるいは犯罪者だと目される人の人権保護にも関心がある。ただ正直なところ、自分でもどこまで「人権」をわかっているかは自信はない。煎じつめれば、そんなもの単純に自分で自分をどこまで許せるかという話でしかないような気がする。
この映画でいえば、自分が置かれるならどちら側を選びたいかという話になる。清丸のようなカスを命がけで守る護送チームの側を選ぶか、10億円目当てに清丸を狙う側を選ぶか。許容する側と罰する側。この映画ではあえて、罰する側である狙う側の人物それぞれに同情すべきもっともな背景を設定してある。清丸を殺してほんとうに彼らの人生すべてが救われるかどうかは別の話だけど。
そこに正解はない。正義もない。自分自身どんな人でありたいか、という魂の問題でしかない。
それを描こうとした物語として、いい映画だったと思う。