『NO』
1988年、チリ。国際社会の批判を浴びたピノチェト将軍は現政権維持の是非を問う国民投票を実施することを決定、それまで独裁によって表現の自由がなかったテレビを使って毎日15分間の投票キャンペーンが行われる。
フリーの広告プロデューサー・レネ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は友人のウルティア(ルイス・ニェッコ)に頼まれ野党側(NO派)の広告を手がけることになるが、商業広告の手法を前面に出した彼のビデオコンテは軍事政権の弾圧に長年苦しめられた社会活動家たちに「資本主義的」と酷評されてしまう。
メディアが社会を動かした実話。各国の映画祭で高評価を受けた2012年の作品。
1988年とゆーとぐりは高校生ですな。昭和63年。
世界ではソ連でペレストロイカが始まり、東西冷戦の終結が見えて来た時代。日本ではリクルート事件があって、東京ドームや瀬戸大橋が完成して、映画『となりのトトロ』と『火垂るの墓』が大ヒットした。とりあえず猫も杓子もイケイケドンドンだったころです。
寡聞ながらぐりはこのチリの国民投票のことを全然知らなかったんだけど、いやーリアルだったね。あの時代のカラッポというか薄っぺらというか、イラッとするくらいバカバカしい派手さが、もうもう超リアルに再現されている。ここまで生々しいとちょっとサムいくらい。画面もまたリアル。HPによれば当時使用されてた古いカメラや、実際の広告映像も使ってるみたいです(ジェーン・フォンダやらクリストファー・リーヴやらリチャード・ドレイファスもでてくる)。
でもただただ生々しいだけでもなくて、バランスがよくとれていて、観ていて非常に共感しやすい映画にもなってます。
主人公のレネ自身は政治的関心はそれほど高くない。国民投票も現政権のパフォーマンス、出来レースだろうと懐疑的だ。しかしいったんキャンペーンに着手してからは、広告のプロとしてのプライドを懸け、毅然として表現者に徹するようになる。甘い、能天気だなどと批判されてもめげず、国民投票なんてと諦めている人たちの心をつかみ動かすためのメッセージを発信し続ける。敵も味方も誰ひとりNO派の勝利なんか夢にも思わないなかで、彼だけが表現の力を単純に信じているのが潔い。いちいちビビるスタッフたちをたきつけるのもうまい(「ロックやフォルクローレなんかいらない、必要なのは広告音楽=ジングルだ」)。与党側からの検閲や嫌がらせや脅迫にも折れることなく、相手が焦っている証拠だと却って自信をもってますます魅力ある広告をつくろうとする。国民投票が終わった後のラストシーンがまた傑作で笑える。
レネはヒーローではない。高潔でもなければ勇敢でもない、ごく当り前の一般市民が、もともともっていた武器だけで世の中を動かす梃子の要のような存在になれる。彼を中心とした時代の流れの大きな波の情景、熱気が、快く伝わってくる。
ぐりが心の底から共感したのは、レネと他のNO派メンバーが広告の内容で何度も激しく衝突するシーン。
レネのつくる広告はポジティブでキャッチーでウィット満点でいわゆる王道らしい広告なのだが、他のメンバーはあくまでも独裁政権下で行われている人権侵害の悲惨さを主張したがる。レネはそれも悪くないんだけど暗いし、人の心は動かせないという。
長い間メディアの世界で働いて来て、いまは別の分野で似たような仕事にも関わるぐりは、映画館の座席で頭がもげそうなくらい力いっぱい頷いてしまった。いいたいことを主張するだけではメッセージはどこにも届かない。広告は観てもらうからには行動を起こしてもらうことが前提になる。いったいどうしてほしいのか、行動を起こさせるには何が必要か、オーディエンス側の心理に沿って表現しなければ、何を発信しようが無駄なのだ。
単純なセオリーだが、残念ながらいうとやるとでは大違い。これがけっこう難しいもんなんです。意外にみんな、いいたいことばっかりてんこもりになっちゃう。
主人公本人に明確な政治的ポリシーはないのに現政権派にカネで釣られそうになったのがきっかけでNO派に賛同してみたり、なぜか別居中のパートナー(アントニア・セヘレス)は活動家だったり、小さな息子(パスカル・モンテロ)がいたり、住み込みの家政婦は現政権派だったり(「息子は仕事があるし娘は大学にいってるし不満はない」「人権侵害は過去の話」)、NO派メンバーのミーティングがひたすら延々と食べて飲んでぶつかりあうだけだったり、一見すると画面の中の要素がバラバラでまとまりがないように見えて、世界観に厚みや奥行きがあるようにしっかり構成されているのが見事でした。
チリのことは何にも知らなくても大丈夫、ちゃんと楽しめて、ちゃんとためになる良質なエンターテインメント映画。やっぱり社会派映画はこうでなきゃね。いいたいことを主張するだけではメッセージはどこにも届かない。
20年以上前の時代を描いてはいるけど、今の日本だからこそ、たくさんの人が観るべき作品かもしれないです。
1988年、チリ。国際社会の批判を浴びたピノチェト将軍は現政権維持の是非を問う国民投票を実施することを決定、それまで独裁によって表現の自由がなかったテレビを使って毎日15分間の投票キャンペーンが行われる。
フリーの広告プロデューサー・レネ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は友人のウルティア(ルイス・ニェッコ)に頼まれ野党側(NO派)の広告を手がけることになるが、商業広告の手法を前面に出した彼のビデオコンテは軍事政権の弾圧に長年苦しめられた社会活動家たちに「資本主義的」と酷評されてしまう。
メディアが社会を動かした実話。各国の映画祭で高評価を受けた2012年の作品。
1988年とゆーとぐりは高校生ですな。昭和63年。
世界ではソ連でペレストロイカが始まり、東西冷戦の終結が見えて来た時代。日本ではリクルート事件があって、東京ドームや瀬戸大橋が完成して、映画『となりのトトロ』と『火垂るの墓』が大ヒットした。とりあえず猫も杓子もイケイケドンドンだったころです。
寡聞ながらぐりはこのチリの国民投票のことを全然知らなかったんだけど、いやーリアルだったね。あの時代のカラッポというか薄っぺらというか、イラッとするくらいバカバカしい派手さが、もうもう超リアルに再現されている。ここまで生々しいとちょっとサムいくらい。画面もまたリアル。HPによれば当時使用されてた古いカメラや、実際の広告映像も使ってるみたいです(ジェーン・フォンダやらクリストファー・リーヴやらリチャード・ドレイファスもでてくる)。
でもただただ生々しいだけでもなくて、バランスがよくとれていて、観ていて非常に共感しやすい映画にもなってます。
主人公のレネ自身は政治的関心はそれほど高くない。国民投票も現政権のパフォーマンス、出来レースだろうと懐疑的だ。しかしいったんキャンペーンに着手してからは、広告のプロとしてのプライドを懸け、毅然として表現者に徹するようになる。甘い、能天気だなどと批判されてもめげず、国民投票なんてと諦めている人たちの心をつかみ動かすためのメッセージを発信し続ける。敵も味方も誰ひとりNO派の勝利なんか夢にも思わないなかで、彼だけが表現の力を単純に信じているのが潔い。いちいちビビるスタッフたちをたきつけるのもうまい(「ロックやフォルクローレなんかいらない、必要なのは広告音楽=ジングルだ」)。与党側からの検閲や嫌がらせや脅迫にも折れることなく、相手が焦っている証拠だと却って自信をもってますます魅力ある広告をつくろうとする。国民投票が終わった後のラストシーンがまた傑作で笑える。
レネはヒーローではない。高潔でもなければ勇敢でもない、ごく当り前の一般市民が、もともともっていた武器だけで世の中を動かす梃子の要のような存在になれる。彼を中心とした時代の流れの大きな波の情景、熱気が、快く伝わってくる。
ぐりが心の底から共感したのは、レネと他のNO派メンバーが広告の内容で何度も激しく衝突するシーン。
レネのつくる広告はポジティブでキャッチーでウィット満点でいわゆる王道らしい広告なのだが、他のメンバーはあくまでも独裁政権下で行われている人権侵害の悲惨さを主張したがる。レネはそれも悪くないんだけど暗いし、人の心は動かせないという。
長い間メディアの世界で働いて来て、いまは別の分野で似たような仕事にも関わるぐりは、映画館の座席で頭がもげそうなくらい力いっぱい頷いてしまった。いいたいことを主張するだけではメッセージはどこにも届かない。広告は観てもらうからには行動を起こしてもらうことが前提になる。いったいどうしてほしいのか、行動を起こさせるには何が必要か、オーディエンス側の心理に沿って表現しなければ、何を発信しようが無駄なのだ。
単純なセオリーだが、残念ながらいうとやるとでは大違い。これがけっこう難しいもんなんです。意外にみんな、いいたいことばっかりてんこもりになっちゃう。
主人公本人に明確な政治的ポリシーはないのに現政権派にカネで釣られそうになったのがきっかけでNO派に賛同してみたり、なぜか別居中のパートナー(アントニア・セヘレス)は活動家だったり、小さな息子(パスカル・モンテロ)がいたり、住み込みの家政婦は現政権派だったり(「息子は仕事があるし娘は大学にいってるし不満はない」「人権侵害は過去の話」)、NO派メンバーのミーティングがひたすら延々と食べて飲んでぶつかりあうだけだったり、一見すると画面の中の要素がバラバラでまとまりがないように見えて、世界観に厚みや奥行きがあるようにしっかり構成されているのが見事でした。
チリのことは何にも知らなくても大丈夫、ちゃんと楽しめて、ちゃんとためになる良質なエンターテインメント映画。やっぱり社会派映画はこうでなきゃね。いいたいことを主張するだけではメッセージはどこにも届かない。
20年以上前の時代を描いてはいるけど、今の日本だからこそ、たくさんの人が観るべき作品かもしれないです。