落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

静子の娘

2004年04月25日 | book
『シズコズ ドーター』キョウコ・モリ著
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12歳の有紀を残して、母静子は自ら命を絶った。ほどなく父はかねてからの不倫相手と再婚するが、母を失った悲しみを新し?「家庭に癒されることのない有紀は、孤独の中で亡き母との濃密な愛の日々を反芻する。神戸と兵庫の田舎を舞台に、四季の花々に彩られた苛酷な少女時代を描く。

なんで『シズコズ ドーター』なのか?『静子の娘』じゃいかんのか?大体なんでまた日本人が英語で日本を舞台にした小説を書くのか?
その経緯は編集後記で簡単に著者の略歴として触れられています。神戸生まれ、12歳で自殺によって母を亡くし、父は間もなく再婚。20歳で渡米・移住し以降アメリカで執筆活動を続ける。本書の日本語訳を自ら拒んだ・・・。
つまりこの小説はフィクションでありながら著者本人の体験をかなり濃く反映した物語なのです。そりゃしんどいな。うん。

読み始めてすぐ、「なんかこの話読んだことがあるなぁ」と感じました。最愛の人を失った悲しみと無念を残された者同士分かち合い、互いをその悲劇から立ち直らせようとする人々の物語。
そう、『ノルウェイの森』ですね。
特にこの小説の舞台が神戸で、風景や季節の風物が印象的にちりばめられた情景描写、過分に感情的な表現を抑制した静かな文体が村上春樹のそれを連想させたせいもあるかもしれません。
『ノルウェイの森』で自殺するのは主人公“僕”の唯一の親友キズキ。ふたりは神戸で穏やかな高校時代を過ごすが、キズキはある日突然死んでしまう。傷心のまま進学した“僕”とキズキの恋人・直子は東京で再会する。

直子は結局恋人の死から立ち直れずやはり死を選ぶことになりますが、母を失った有紀は強く逞しくしなやかに成長していきます。その道のりは長く険しくページをめくれどめくれどせつないシーンの連続です。有紀本人も「どんなに愛していてもいつか別れなくてはならないなら、愛することに価値なんか無い」と考え、父も継母も思春期に覚える筈の恋をも拒否し続けます。
でも人が生きていく限り後ろを向いてばかりはいられない。生きていくには人は前を向いて顔を上げて歩いていかなくてはならないし、そんな道程で互いに手を取りあって歩ける人を持つことは素晴しい。
さびしい少女時代を乗り越え、死んでしまった家族の愛を糧に青春へ羽ばたいていこうとする生命力の強さが、美しく描かれた物語です。

作中では静子がなぜ死んでしまったのか、具体的な理由は描かれていません。『ノルウェイの森』のキズキもそうでした。周囲の人は、愛する人がなぜ自ら死を選んだのか理解出来ず、それぞれに自分を責めて苦しみます。
本来、死のうとする人の本当の気持ちなんて他人には分かりようもないのかもしれません。家族にも愛する人にも理解されない、まして言葉と云う不完全な形で表現出来ないほどの深い絶望があるから、そしてその絶望は他人にどうか出来るようなものではないから、人は死を選ぶのかもしれない。
そう云えば『自殺死体の叫び』(上野正彦著)に、高齢者の自殺理由に「病苦」とよく書かれるけれど、アレはほとんどが遺族の都合にあわせたウソだと云うような記述がありました。本当の理由なんか警察の調書に書きたがる遺族はまずいない。大抵の遺族は世間体を慮って「病苦」で片づけたがるし、やがてはそれが「事実」とされてしまう。それが今現実を生きている遺族のためだと誰もが信じている。

今もアメリカに住む著者が、有紀のように人を愛することに価値を見い出せるような人生を送っていればいいなと思います。

行方

2004年04月24日 | book
『少年A 矯正2500日全記録』草薙厚子著
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先頃仮退院した少年Aが収容されていた関東医療少年院や東北少年院で受けた矯正教育や社会復帰のための訓練で、具体的にどんなことが行われていたかを詳しくレポートした一冊。
おそらく少年Aを特定されないように配慮して書かれたせいだと思いますが、少年A本人に関する記述がびっくりするほど少ないです。彼に対して行われたテストやらカリキュラムやらその意義、効果については読みやすく丁寧に書かれているのに対して、少年Aにはその成果が上がったかどうかくらいのことしか書いていない。
これを書くにあたって同じ施設に収容されていた元院生や職員にもインタビューは行われたろうに、主人公である筈のAの姿がさっぱり見えて来ない、そんな不思議な本です。

作中には、施設職員の強い使命感と院生たちへの深い愛情が溢れています。彼らは院生たちを我が子のように愛し、心から更生を願って挑戦し続けます。その姿は感動的でもあります。
本来ならばその使命感と愛情は院生の親にあって然るべきもので、たとえばAの両親にもそれはあった筈なのです。不幸にもAにはそれが届かなかった。届かないままAは現実の世界を離れ、事件を起こすまでの“怪物”に変化してしまったし、両親が事件前にその変化に気づくことはなかった。
愛の不条理と恐ろしさを改めて感じる本でした。

マジックアワー

2004年04月23日 | book
『日の名残り』カズオ・イシグロ著
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1958年、イギリス名家の執事として半生を捧げて来たスティーブンスは、新しい主人に奨められて数日間のドライブ旅行に出かける。仕事から離れ、職場から離れたスティーブンスはそれまでの執事人生を振り返り、自らの生き方が真に正しかったのか、微塵も間違ってはいなかったのか自問自答する。
ジェームズ・アイボリーの映画化で有名な小説。

太陽が沈んでから完全に空が暗くなってしまうまでの時間を“マジックアワー”と呼びますが、この『日の名残り』と云う小説はまさに人生の“マジックアワー”を過ごす執事の独白、と云う形で描かれた物語です。
ぐりはこのイシグロの小説を読むのも初めてだし映画も観ていません。イシグロ氏は英米では大変人気のある作家であるらしいのですが、そもそも日本人がなぜイギリスを舞台にした小説を英語で書くのか、そしてその小説がなぜアメリカで映画化されるのかがよく分からなかった。
あとがきを読んでみると、イシグロ氏は5歳でイギリスに渡り現在は英国国籍を持つ、いわゆる日系イギリス人であるらしい。1955年生まれと云うから渡英したのは1960年頃ですね。
本編を読み始める前に永年の疑問が晴れてスッキリしました。

最近ぐりはノンフィクションものばかり読んでいて少々アタマが疲れていたので、ちょっとその緊張を解そうと読んでみましたが、これはまさにそういう精神的なリラックスにはうってつけの小説です。癒されました。ホントに。
主人公は古き佳き時代の遺物、それも超一流の遺物となりかけた執事。主人に忠実であり、仕事は完璧であり、分を弁え、どんな時も廷内の平和と秩序を守ることを至上命題として生きて来た人間です。全てにおいて完璧を目指した彼が、常にベストを尽くして来た男が、最後の最後に、水辺に沈む夕陽の中で「自分は正しかったのか」と自問する。

人間誰でも「自分は正しかったのか」と立ち止まる時があります。またそういう時が必要です。
でも振り返ってばかりもいられない。人は生きていかなくてはならないし、後ろばかり振り返ってもいられない。生きていくには、前を向いて、過去はどこかに置いておかなくてはならない。
ただ、時々過去を振り返って、少し涙を流したり、悔やんだり、過去の自分を褒めてあげたり、そんな余裕もあった方がよりハッピーかもしれない。
主人公は幸か不幸か、老境に入るまでそうした機会を持たなかった。持たなかったけれど、彼にはこの先の人生も残されている。その残りをよりハッピーに過ごせれば、それはそれで“良い人生”と呼べるはず。
幸せになるのに急ぐ必要なんかない、いつだって人は自分で幸せになる機会をつくれる、そんな気分になる小説でした。

しかしこの小説を読んで日本の歴史小説を連想するのはぐりだけですかね?
イギリスの執事のプロ意識と、日本の武士の“忠義”が非常に近く重なっているように思えたのは、ぐりが時代劇にかぶれてるからでしょーか。
どうだろう。

殺人者のいる風景

2004年04月05日 | book
『津山三十人殺し 日本犯罪史上空前の惨劇』筑波昭著
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1938年(昭和13年)岡山県で起きた津山三十人殺し事件を、当時の捜査資料・報道記事を中心に詳細に追求したノンフィクション。

読んじゃいましたよー。
うーんこの本だけは読むまいと思ってたんですがなぜか読んでしまいました。面白かった。
この本は1981年に書かれた本なので、ノンフィクションと云っても直接の関係者へのインタビューや現地取材と云ったリアルタイムな書かれ方はしていません。内容も関係者の供述調書や捜査報告書・専門家の分析報告書などと云った当時の警察・検察資料、新聞・雑誌記事の引用が大半を占めていて、著者本人の手によるドキュメントの部分はそれほど多くはないです。テキストひとつひとつがそれぞれ異なる視点から語られているので、結果的にはかなり多角的に事件を描き出しているとも云えます。

以前ホラー作家の岩井志麻子氏(岡山県出身)が、池袋通り魔殺人事件の報道を見て津山三十人殺しを連想したそうですが、いやーこういうヒトって昔っからいたんですねえ。昨今便利な言葉として使われるようになった「心の闇」とやらも特に目新しいものでも何でもなくて、人はずっとそうした病んだ部分を抱えて生きて来たんだなーと、しみじみ感じました。当たり前ですけどね。
ちなみに池袋の犯人は偶然にも岡山県出身です。ハハハ。ついでにぐりの両親も岡山出身。岡山いいとこですよ。気候が温暖でのどかで自然がいっぱいあって果物が美味しい。日本のエーゲ海と云うとか云わないとか。

この本を読んだ限りだと三十人殺しの犯人である都井と云う人は食べるのにも困るほど貧しいとか深刻な迫害を受けていたとか家庭に恵まれないとか云った分りやすい「不幸な境遇」の持ち主では決してなかったようです。幼くして両親を病気で亡くしていますが、祖母に可愛がられ仲の良い姉もいて経済的にもどちらかと云えば裕福な家の跡取り息子として、何不自由なく育てられました。小学校の頃は成績もとびぬけて良かった。それなのに、都井自身は同世代の友人をつくることなく家庭の殻に閉じこもり、十代で肋膜炎を患うと勝手に自分を悲劇の主人公に仕立てあげ、思うようにいかないことは何でも他人のせいにして、プライドにこだわってはたとえ些細なことでも相手を盲滅法にひたすら恨む男になってしまった。これを利己的と云わずして何と云うべきか。
前に「何不自由なく育てられた」と書きましたが、厳密に云えば恵まれない面は確かにありました。家の中に父や兄と云った男性(同性)の家族がいなかった。祖母はただただ孫をちやほやとネコ可愛がりするばかりで、彼らの将来について建設的に考えるような視野を持った育て方をしなかった。ぐりがこの本を読んだ感じでは、都井睦雄は自分を疑うと云うことを全く知らず、他人の愛情や信頼に対する感受性が決定的に欠けた人だったのではないか、と思いました。
云い換えれば「極端なコミュニケーション能力不足」とも云える。
いますねそんな人。今も。池田小学校児童殺傷事件の宅間守神戸連続児童殺傷事件の少年Aなんかソックリです。

この事件だけをとりあげて話題を拡張するのもナニですが、携帯やインターネット、ゲームなどが普及して現代人のコミュニケーション能力が減退しているかのように世間は考えがちだけど、実際にはずっと以前からコミュニケーション能力に病的な障害を持つ人と云うのは存在しました。生まれつきの資質もあるでしょうし、生育環境によってそうした傾向が助長されることもあるでしょう。
都井は何も誰かに憎まれたり蔑まれたりしていた訳ではありません。本人は結核だと思いこんでいた病気もそれほど深刻な状態ではなかった。経済状態にも問題はなかった。周囲の人は次第に素行の悪くなる彼を更生させようと努力もした。にも関わらず彼は世の中を恨み人生を悲観してばかりいた。
人がそういう思考状態に陥るのにはそれなりのプロセスがある筈です。彼だけが生まれつき“毒入りリンゴ”だったのではなく、いろいろな要素がからみ合い積み重なって“毒入り”になっていったんだと思います。そんな妄執の地獄へ転落していく心象風景に、ぐりにはなんとなく見覚えがあるような気がします。フフフ。
さ、異常者になっちゃわないように、せいぜい気をつけましょ。

正義の歌

2004年04月03日 | book
『わたしはティチューバ──セイラムの黒人魔女』マリーズ・コンデ著
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1692年、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン郊外セイラムで起きた“魔女裁判”事件をモチーフにした小説。ティチューバとは実に200人を超えた逮捕者の中で最初に告発されたひとり。牧師?フ家に仕えた黒人奴隷だったと云う事以外、年齢、人柄、釈放後の足跡などは分かっていない。

セイラムの魔女裁判と云えば映画やゲームの題材にもなり今ではオカルト伝説のひとつと化した感もありますが、この事件の背景を調べてみると、現代までめんめんと続くアメリカの人種差別問題の、元凶のある一面はなんとなく分かって来ます。
事件の発端はティチューバが仕えていた牧師の家の娘たちが病気になったこと。後に“集団ヒステリー”ではないかと云われた症状で苦しんだ少女たちは自分を苦しめているのは魔女であるとして村の人々を次々と告発し、それによって92年の2月に3人の女性が拘束されたのを皮切りに翌年5月に事件が終結するまでに200人以上が無実の罪で逮捕起訴され、20人が処刑されました(獄中死した人はこの数字には含まれない)。

事件がなぜこれほどまでの混乱を来したのか、少女たちの告発になぜ村人が躍らされたのか、感覚的にはよく分かります。
当時のアメリカは独立前の植民地時代。つまり全米のどの町も出来たばかりの新しいコミュニティーであり機能的には全く未成熟な時代でした。加えて彼らは信仰深いプロテスタントでした。異端審問はカトリックの時代からありましたが、世界的に見て異端審問が盛んに行われ徹底的に魔女や異教徒が排斥されたのはカトリックではなくプロテスタント社会の方です。カトリックに比べて保守的・排他的傾向、宗教的結束が強かったから、すなわち「異質なもの」に対する拒否反応が強かったからだと考えられています。
彼らの指す「異質なもの=魔女」とは何も民族・宗教を異にする者や実際に魔術を駆使する者に限りません。情報伝達手段が著しく不足し知識水準も低く医療技術も未発達だったこの時代、誰かに恨まれたり妬まれたり疑われたりするだけで、誰でも告発される可能性があったのです。
そうした背景と思春期の少女特有の発作的な自己顕示欲と根拠のない被害妄想が結びついて、事件に発展していったのです。

こうした魔女裁判で法律として機能するのは勿論「宗教」です。宗教の名のもとの「正義」によって人が裁かれ、死刑台に送られていったのです。
その「正義」は裁く側だけの「正義」であり絶対でした。
当時のアメリカには政府がまだ存在せず、市民を守るものは市民自身しかいませんでした。出来たばかりのコミュニティーは未開拓の土地に囲まれ、近隣には先住民(=異教徒)が住み、彼らは不馴れな気候風土と自力で格闘しなくてはなりませんでした。云ってみれば、どの村も寄せ集めの他人同士がかたまって暮らす孤島のようなものだったのです。そして彼らのよりどころは信仰だけだった。
彼らが過剰な自己防衛感覚を身につけ、宗教的世界観に盲目的にしがみつくようになったのは当然の結果と云えるかもしれません。

ところがあれから3世紀以上を経た今でも、アメリカでは過剰な自己防衛感覚と宗教的正義感が価値観の基礎とされたままになっています。異質なものは排除すべきである、正義に反するものは排斥されるべきである、と云う価値観によってさまざまな社会問題、事件、紛争が絶えないままです。
アメリカ人はこれがアメリカの伝統なのだと云います。
でも既にそんな伝統に何の意味もないと云うことは、本当はみんな分かっている筈なのです。分かっているのに、アメリカ人はそれから逃れられないでいるのです。それ以外によりどころとする“伝統”が存在しないからです。

どんな場所かも全く分からない土地に向かって旅立ち、そこで必死に生きる道を切り拓いた最初のアメリカ人たちは確かに尊敬すべき勇敢な人々だったろうと思います。彼らの味わった苦難を現代の我々が想像する術はない。
けれども彼らが築いた価値観はあくまで彼らにとって必要であっても、現代を生きる我々にとって既に重荷と化しています。
既存の価値観を捨てて古い伝統から自由になることこそが本当の正義であることは自明の理なのだけれど。