落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

春の市にて

2010年03月29日 | book
ここんとこずっと、性風俗産業関係の資料ばーっかし読んでたんですがー。
まあしんどい。ちょっと事情があってしょーがなく読んでるってのもあんだけど、たぶん、それぞれはそれなりにおもしろい読み物ではあるんでしょーが、まとめて読むもんじゃないですね。ハイ。当り前ですが。見事に食傷してます。うぷ。
この週末に読んだぶんのレビューはとても一冊ずつ書く気が起きない。パスします。

しかし調べればすぐわかるんだけど、このテの書籍は意外にそうとうな数が世に出ているし、何冊かはベストセラーといっていいくらい売れている。評価もされている。
にも関わらず、これぞ決定版、大傑作、これだけ読めばマチガイなし!みたいな本にはなかなかめぐりあわない。著者が性風俗業界内部の人間でも、社会学者でも、ジャーナリストでも、どの本もなんかどっかもひとつ、なんである。いやいやこんな立派なおもしろい本があるよ!なんつう情報がありましたら教えてくださいませ。

今は性懲りもなく海外の研究者が書いた古典的な学術書を読んでおるのですが、そこに「売春を論ずるには、まず男女の社会史からハッキリさせにゃいかん」的な著述があり。あ、なるほどなあと思いましたです。
つまりー、そもそも売春とは何か?なぜそのような産業が生まれたのか?とゆーところが著者のなかで明確になっていて、かつその論拠=土台がしっかりしてないと、上ものの売春産業についていくらくどくど語ったって読み手を完全に納得させることはできないってわけです。
確かにそこまでがっつり本気で書く人はあんましいない。本人はそのつもりでも、客観的にみれば危ういとゆーことになってしまうし、本によってはカンぺキに下世話な興味本位の読者のみを対象にしてるものもあるし、そーゆー場合はコムズカシイ理屈はそもそもどーでもいーからである。
けど、そんないいかげんな本こそが、性風俗産業への誤解や偏見のもとになってるんでないの?と思うとなんだかやりきれない。

とゆーワケで、また頑張ってその古典を読みこなしてみよーかと思います。
ふー。
ちなみに先週末読んだのはこの5冊でした。この中では『昭和平成ニッポン性風俗史』がちょっと勉強になったかな・・・?

『ふにゃふにゃ日記』 菜摘ひかる著
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『娼婦と近世社会』 曽根ひろみ著
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『風俗嬢、その後。』 酒井あゆみ著
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『売る男、買う女』 酒井あゆみ著
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『昭和平成ニッポン性風俗史―売買春の60年』 白川充著
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木の森の空に飛ぶ鳥

2010年03月26日 | book
『欲望のゆくえ 子どもを性の対象とする人たち』 香月真理子著

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昨今アツい話題の児童ポルノ続きのネタで恐縮ですが。
この本は新聞の書評かなんかで見かけてめっちゃ期待して図書館で借りたんだけど(すごい予約待ちだった。予約待ちが多いとつい期待しちゃうわたしもゲンキンです)、んんんんん、期待・・・ハズレ。残念!
著者は6歳の時に見知らぬ男から性的虐待を受け、その記憶に長い間苦しめられて来た当事者である。その当事者がロリコン本人を取材するってんだからそりゃ期待しちゃいますよおー。
でもねー。結果は・・・んー、やっぱ無理あったかー・・・って感じ。アプローチはいいと思う。でも明らかに踏み込み不足。8章で8人(8件)のロリコンに取材してるんだけど、中には明らかに蛇足な章もある。たとえば第5章の女性漫画家は完全に見当はずれな人選だと思った。だって彼女は表現の手段のひとつとして小児性愛を扱っているけど、彼女自身の性の対象は子どもではない(よな?)。それと第8章の服役中の男性も手紙のやり取りだけの取材で、しかも手紙の内容もどうでもいいような当たり障りのないことばかりで、ここはまるごとカットしてもよかったんではないかと思う。

彼女自身が児童虐待の当事者であったことと、小児性愛者へのツッコミが微妙にぬるいのは無関係なのかもしれない(ぐりは無関係だとは思わないが)。
小児性愛者を社会から排除し、糾弾したところで、世間にあふれる児童ポルノや児童虐待、児童買春などの社会問題が解決するわけじゃないこともよくわかっているつもりだ。だから、この本に登場する方々の「小児性愛者にも‘性の対象’がどうしても必要」「児童ポルノを規制されたら小児性愛者の行き場がなくなる」なんという弁にはある程度納得もできる。
でもね。今やネットに氾濫してる児童ポルノの被害児童は乳幼児レベルまで低年齢化してるんだよ。そんでそーゆーのをダウンロードして鑑賞するのは子どもなんだよ。だって誰でもダウンロードできるとこにほっぽってあんだもん。自分で児童ポルノをつくって売ってる子どももいる。自分の裸を売る子もいれば、同級生や兄弟姉妹の裸を撮って売る子もいる。世も末どころの騒ぎじゃない。
こんな環境で育った子たちが将来どうなるか、小児性愛者の皆さんはどーでもいいんでしょーね。あなたがたの大事な愛する人=勃起出来る人はなにしろ「子ども」だもんね。成長して大人になったらどーだっていいんだもんね。あーそーですかそーですか。

でも小児性愛者がみんなそんな自己チューばっかってわけでもない。
第1章の会社員なんかすごいがんばってるし、誰もが彼くらい自制できれば平和なのにと思う。自制すればこそ、彼は孤独の苦しみに打ち克つことができたし、多くの人を慰めることもできたのだろうと思う。生産性のある変態(爆)。すばらしいじゃありませんか。
この本に登場する人の何人かは、「子どもじゃなきゃ勃起しない」とゆー真性小児性愛者とは違う。大人ともセックスできるはずなのに、子どもに手を出すことがやめられない。その理由が、子どもは自分より弱いから、というところは共通している。そんなの卑怯の極みでしょ。人間誰だって否定されるのは怖いよ。けどそんなもの怖がってたら生きてけないし、怖いからって否定されそうな対象からはただ逃げるだけなんて、自分で自分を否定してるのといっしょじゃんか。だからって自分より弱いものを暴力で支配して欲望を満たそうなんて、人間のすることじゃないと思う。ゆるさんぜよ。

アダルトゲームやジュニアアイドルソフトなどの業界人へのインタビューや、法整備問題、更生プログラム問題などを取材したコラムは分量的にも読みやすくてなかなか参考になりました。
第1章の会社員や、第4章のクラブきっず事件の元教諭なんかの言い分は確かに一読の価値はあったです。それだけに、本全体の完成度が非常に惜しかった。


関連レビュー:
『13歳の夏に僕は生まれた』
『闇の子供たち』
『児童性愛者―ペドファイル』 ヤコブ・ビリング著
『子どもと性被害』 吉田タカコ著
『ミスティック・リバー』 デニス・ルヘイン著
『家のない少女たち』 鈴木大介著
『ハートシェイプト・ボックス』 ジョー・ヒル著
『永遠の仔』 天童荒太著
『エディンバラ 埋められた魂』 アレグザンダー・チー著
『薔薇よ永遠に―薔薇族編集長35年の闘い』 伊藤文學著
『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』 マリー=フランス・ボッツ著
『アジアの子ども買春と日本』 アジアの児童買春阻止を訴える会(カスパル)編
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A Cruel God Reigns

2010年03月22日 | diary
東京都の2次元児童ポルノ規制にちばてつやさんらが反対の記者会見
対象あいまい…紛糾 都の「漫画・アニメ児童ポルノ」規制
児童ポルノ:日弁連が「単純所持」禁止…規制で方針転換
「性暴力を奨励」か「表現の自由」か 凌辱系ゲーム“外圧”で制作禁止に波紋

最近レビューばっかり書いてますが、タマにはニュースも。
とゆーことで。今日の記事は、読んだ方はできればコメントとかでご意見をお聞かせいただけると嬉しいです。

さて児童ポルノ。
児童ポルノ規制法(もしくは都青少年健全育成条例改正案)、皆様反対ですか?賛成ですか?
ぐりはですね、基本は賛成ですが、今のところは賛成とはいえない派です。
具体的に申しますとー。健全な青少年を育成する社会を築くためには、今の現状を放置するのは断じてまかりならんと強く思うわけです。世の中にあまりにもエロ情報が氾濫し過ぎてる。氾濫してたっていいんだけど、もーちょっと大人は子どもの目を気にするべきでしょう。しかも氾濫してる情報が加速度的に過激になってってる。そんなもの子どもにはぜんぜん必要ないってくらい過激で、そのうえ嘘まみれである。必要ないだけでなく不正確な情報を押しつけられる(誰も押しつけてはいないとゆー方もおられましょーが、子どもの好奇心に対して無防備過ぎる現状は「押しつけ」に等しいとぐりは思います)子どもはかわいそうです。

たとえば、いまどき繁華街にでもどこにでもあふれてる水商売/性風俗系のアルバイト情報サイトの広告。あんなもん真っ昼間からジャカスカと大音響で、もしくは駅のホームの真ん前にデカデカと出さないでほしい。ぐりには子どもはいないけど、あんなの誰の子どもにも見せたくないです。
それからケータイサイトのエロいバナー広告もやめてほしい。電車の中吊りからエロいグラビア広告が消えたことがありましたが、あれはどっかの人権団体が抗議してなくなったそーで、それも「女性の乗客に対するセクハラだ」と何度いっても通らなかったのに、「子どもの教育上よろしくない」というと一発で通ったそーです。エロバナーもそのスジで規制してほしい。
あと、ぐりは現物中身はみてないんですけど、エロいコミック本を書店で入り口とかレジ前とか平台に陳列すんのもやめてほしい。もー直視にたえらんないよーな過激な絵柄の極彩色の表紙が視覚的にキモイとゆーのはさておいて、あんなものが小中学生の目に入るとこに堂々と置かれてるのが許せん。
人間にはエロは必要なものだけど、未成熟な子どもには(それほど)必要とは思えないし、必要だとしても、量や内容はやっぱし規制されてしかるべきと思うです。

じゃあ逆に、賛成とはいえない根拠とは。
「わいせつ」とは何であるかが曖昧なまま規制するのはチョーアブナイ。「表現の自由」を侵害することになりかねません。
本来なら民主主義に検閲はあっちゃいかんものです。今の法案ではわいせつの定義が曖昧すぎますから、ぶっちゃけなんだってお上のやり放題になりかねない危険性があるわけです。そもそも児童ポルノとはなんぞやとゆー定義がちゃんとしてないのに規制しよーとゆーのは、法律としてまったく意味がないんじゃないでしょーかねー?
規制する行政の方もそーですけど、アンチ規制派の方々の主張を拝聴してますと、みなさんホントに児童ポルノがどーゆーもんなのかはわかってないんですよね。そこ問題だと思います。一度、警察で押収した児童ポルノとか、見た方がいいですよ。マジで。
よく新聞とかネットのアンチ報道で、芸術作品や家族写真の類いも規制されるのはおかしい!とゆーよーなご意見を伺いますが、児童ポルノってそんなもんじゃないです。あのー、ここだけの話、ぐりもちょろりと見てしまったことがあるんですが、涙とまらなかったです。今でも思い出すだけで気分がわるくなるし、泣きたくなります。ぐりは死体写真の本や手術写真の本を持ってるくらい悪趣味な人間ですが、それでもあれは我慢できない。それくらい残虐です。
実写がどーとかアニメがどーとか、マンガがどーとかの問題じゃない。あんなものがこれほど大量に、無制限に世の中に充満してるのは明らかにおかしいんです。

とはいえ、非実在青少年のエロが全部ダメとはぐりは思わない。
たとえば規制反対派のひとりでもある萩尾望都さんの作品に『残酷な神が支配する』とゆー傑作がありますが。これは児童虐待をテーマにした非常に重い、シリアスな物語で、17歳の主人公が義父に虐待されるシーンが何度も登場します。全然エロくはなくてむしろグロテスクなんだけど、性行為は性行為に違いない。
もしこの作品が規制対象になるとしたら、ぐりもちょっとそれはどーか?と思う。文学的に芸術的にすばらしい作品だし(第1回手塚治虫文化賞優秀賞受賞)、中学生以上の子どもたちにも読んでほしいと思うくらいの良い作品だから。
だってさ、思春期の青少年の関心の大部分はセックスと恋愛なんだから、それを彼らの娯楽鑑賞物から根こそぎごっそり排除しちゃうなんて、それそのものが不健全なんじゃないかなあ。なんぼかはあっていいと思う。

けどそこはやっぱし、量と質のコントロールはあって然るべきだと思うのね。
間違ってほしくないのは、行政は何もメディアを弾圧していじめたり、袖の下をもらって私腹を肥やすために規制しよーとしてるんじゃないんです。あくまでも、子どもの人権を守り、青少年の健全な育成のために、規制が必要なんです。
子どもの人権を守り、青少年を健全に育成することは、社会の将来のためにとっても大切なことです。何しろ、社会の将来は子どもたちにかかってるんですから。
だからここは、アンチ規制派と行政側が歩み寄って、何が子どもに有害で何が有害でないのか、とっくりと話しあうべきなんじゃないでしょーか。そこで、児童ポルノとはこーゆーもので、青少年に有害なメディアとはこーゆーものであると、きちっと厳格にお互いに完全に納得できるルールをつくるべきだと思うんです。ルールのなかでだって、いいもの・おもしろいものはつくれるはずだし、それが創造性の真の自由であるはずだと思う。
お互い納得してない規制なんて、絶対によくないと思う。でも、規制も絶対に必要です。だから、仲良くしてください。お願いします。

金で買うセックスを愛と呼べるか

2010年03月21日 | book
『売春論』 酒井あゆみ著

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タイトルに偽りあり。
著者はぐりと同世代(現在いわゆるアラフォー)、10代〜20代の一時期風俗嬢として働いた後、ライターに転身した人だが、どーもその経歴だけで「フーゾク(売春)のすべてを知ってるでござい」な断定調で文章を書いておられるのですがー。
ちょっと待てい。
ぐりだって売春のすべてなんか知らないし、エラソーなことはとってもいえた義理ではございませんけども。それでも彼女の断定調はめちゃめちゃ気になる。
彼女も認める通り、風俗業界は日々刻々と変化している。ぐりが直接あるジャーナリストに聞いたところによれば、いまどきは3ヶ月もすれば現場はコロッと全部が変わってるなんてこともあり得るそーである。だから「あたしゃなんでも知ってるぜ」的な風俗論などありえない。
それに、ぐりが知るだけでも、酒井氏が述べている範囲の売春は日本に存在している売春業のほんの一部のそのまたカケラみたいなもんである。それも相当になまぬるい方の一部分でしかない。
だから、この本は読み手をかなり選ぶし、読み手によってはかなりキケンな本にもなってしまう。お願いだから鵜呑みにしないでねっ?ねっ?みたいな。

それはそれとして、風俗嬢が意識的にせよ無意識的にせよ、どこかで「誰かにかまってほしい」=客とふたりきりになったほんの短時間だけでも「かわいい」「きれいだ」などとちやほやされて求められたいという気持ちでこの仕事を選んでいる、という心理や、売春をして得た金(日払い)を持っているのが不快でついつい散財してしまう、売春すると夢がなくなっていって、何かがしたい(旅行がしたい、勉強したいetc.)という欲求が「どうでもよくなる」なんという、売春業から抜けられなくなっていく心情は、確かに読んでてなるほどなと思わされる。
たとえばホストクラブの顧客には風俗嬢や水商売の女性がかなり多いが、彼女たちは仕事中は男性にかしづき、あるいは職業上蔑まれている。ホストクラブに行けば立場は逆転する。ホストの仕事は顧客の自尊心を満足させることである。性風俗で働いているがゆえの「私は人に尊敬されない仕事をしている」というストレスが、ホストクラブでは自己肯定に完全に変換してもらえる。だから彼女たちはホストクラブに通い、肉体で稼いだ報酬を貢いでしまう。

しかしこの本のぬるさは正直アブナイと思う。風俗嬢でなくなった今も、酒井氏がなんだかんだいいつつ風俗業界にいいように利用されてるんではないかとゆー気がしてしょーがない。
まあ大きなお世話ですけども。

ところで、今ちょっと事情があってこのテの本を続けて読んでるんですが(こないだも読んだばっかですな)、小谷野敦の『日本売春史―遊行女婦からソープランドまで』が全然ダメでさっそく挫折。
『悲望』はチョーおもろかったんですけどね・・・なんかもう、いちいち「だれそれ(他の研究者)が〜〜〜といっているが、それはマチガイでこれこれがおかしい、ランボー」みたいな揚げ足とりばーーーーーっかりで、もーーーなんなの?!って感じ。研究者同士のケンカをなにゆえに著作上でやらにゃいかんのかがわからん!!キショイ!!無理!!やめてえ〜。
ちょっと前に読んだ『平成オトコ塾―悩める男子のための全6章』(澁谷知美著)もなんかそんなよーな自己弁護的な論調が目障りでやたら気になったけど・・・そーいやこれの某密林のレビューに小谷野敦が実名で投稿してて笑ったわあ〜。
あ〜よくわからない業界ですなー。ついていけん。

雨野大助の思い出

2010年03月19日 | book
『記憶はウソをつく』 榎本博明著

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前にどっかで書いたかもしれませんが。
ぐりのいちばん古い記憶は1歳10ヶ月のときのものである。場所は映画館で、ぐりは大人にまじって映画を観ている。
画面では、若い妻が太った夫を電気掃除機でいじめている。前後の状況はまったくわからないのだが、なぜかこの場面だけをくっきりと覚えている。妻が賠償美津子で、三波伸介が夫を演じていたのも覚えていた。たぶん、後からテレビか何かで本人を見て名前を覚えたんだろうと思う。映画のタイトルが『ダメおやじ』だったことも後でわかった。
インターネットで映画のデータが検索できるようになってから調べてみると、この映画の公開時期がぐりが1歳10ヶ月のときだった。ちょうど妹が生まれたころと重なっている。それで父に、「妹が生まれておかあさんが入院してたとき、私を連れて『ダメおやじ』を観に行かなかったか」と訊ねたところ、「その通りだ」と認めた。
掃除機のシーンを覚えていたのは、おそらくそれが、ぐりの家では決して見られない光景だったからではないだろうか。そのころのぐりの母は、夫=ぐり父をいじめたり攻撃したりなんてことは絶対にできない人だったからだ。

この本もねえ・・・面白かったんだけど。
似たよーなタイトルの本がいっぱいあって・・・その中で比較的新しいのと思って読んでみたけど・・・無難に養老孟司とか読んどくべきだったかもしらん。
イヤ、本の内容はいいんだよね。それは問題ないんだけど、著者がっ・・・!著者のパーソナリティが・・・無理だった。
この手の研究書とかノンフィクションを読んでてぐりが生理的にうけつけないのは、やたら不必要に著者のパーソナリティが前面に出てくるのがすっごく気に障るんだよね。皆様そんなことありませんか。そーですか。
あー。でもねえー。いちいち「僕はこれこれこーゆー性格で」とか始まると、「おいおい、アタシは研究結果が知りたいだけでアンタの性格とか交友関係なんか1ミリもキョ―ミねーんだっつの」なんつう突っ込みをいれてしまいたくなるんでございますよ。
すみませんココロ狭くて。

まあそれはそれとして。
この本に書いてあることといえば、わざわざ研究しなくても世間一般でなんとなくこうじゃない?といわれてる仮説を、きちっとルールを設けて実験して、心理学的に実証した研究結果である。
だから、そういう部分だけはすごく読んでてハレバレとした気持ちになれる。たとえば記憶が捏造されるという研究の話。父方の祖父が脳梗塞で倒れたとき、ぐりは4歳だったのだが、大人になるまでそのときその場に自分もいたものと思いこんでいた。記憶の中で、その情景があまりに克明だったからだ。祖父母が当時住んでいたアパートの前に救急車が停車していて、近所の人たちが野次馬のようにあたりを取り囲んでいたこと、ストレッチャーに載せられた祖父の青ざめた顔や、かぶっていた古びた毛布の色合いなど、未だにどう考えてもこの目で見たとしか思えないほどの鮮明さである。
ところが、かなり後で聞いた話では、そのときぐりはそこにはいなかったという。そのころ祖父母が住んでいたのはぐりの家からクルマで2時間ほど離れた田舎だったので、盆暮れや正月以外には訪問することもほとんどなかったはずで、祖父が倒れたのはそのどちらの季節とも異なる。
つまり、ぐりは祖父が倒れた状況を誰かから聞いて、その場面を頭の中でヴィジュアル的につくりだして、それを本物の記憶だと思いこんでいたことになる。
そう思うとほんとに記憶ってこわいなと思う。だって、あとでつくった偽物の記憶と、本物の記憶、鮮明さやリアリティだけでいえば、どっちが本物でどっちが偽物かなんてわかんないもん。専門家がなんかどーにかこちょこちょっとやったら、そんなもの簡単にコントロールできちゃいそうです。
だから逆にいえば、こーゆー研究をもとに、取調べのルールとか、裁判での証人の扱いのルールを決めたら、間違った証言が誘導されるなんてミスを避けられていいんじゃない?なんて思いますが。