落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

茶番劇─その後

2023年10月13日 | diary

世間は毎日毎日、ジャニーズ事務所の件で話題もちきりのようですが。
性被害の経験者としては正直きついので、なるべくニュース番組やニュースサイトは目に触れないように生活している。それでもSNSを通じて勝手に情報が流れてくるのがまあまあ精神的にまいります。

各方面の話題は性被害問題をどう解決していくかというよりも、記者会見に不正があったとか、不正の責任の所在が曖昧だとか、被害者への誹謗中傷とか、ファンへのいいがかりとか、被害そのものから離れた地獄絵図の様相を呈しているように思える。
あのさ、少しは被害者の気持ちを慮るとか、なんぼか冷静になれる人はいないわけ?

性暴力は「魂の殺人」といわれるけど、いったん被害に遭ったら最後、一生その恐怖感と屈辱から逃げられなくなる。
中には「え、いや私はさっぱり大丈夫ですけど?」と仰るつわものもいずこかにはおられるかもしれない。
そういう人はそういう人として、性被害による心の傷に長い間苦しみ続ける経験者も少なくないと思う。私自身も含めて。

いま現在メディアやらSNSで騒がれてる騒動は、そういう人たちの存在をまるで無視しているように感じる。
それがすごく悲しい。淋しい。

記者会見が公正ではなかったことにお怒りの意見が多いのは、至極まっとうなことだと思う。
だけどメディアの怒り方はなんだか奇妙にも感じる。
そもそもジャニーズ事務所は長きにわたって芸能界で不正な権力をふりかざし続け、メディアはろくに抵抗もせず従ってきた。その関係性が一朝一夕にひっくり返ったりするわけがない。
誤解を恐れずにいえば、ジャニーズ事務所の記者会見が不誠実だとしても、そこをつつきまわせばつつきまわすだけ、メディアはジャニーズ事務所の術中に嵌りこんでいく(=被害の実態から世間の関心が離れていく)だけで、結果的に得するのはジャニーズ事務所だ。

会見に登壇した東山紀之氏も井ノ原快彦氏も、企業の代表である以前にベテランの俳優でありタレントなんだから、他人を欺き場の空気を操るわざにかけては超一流のスキルを備えていることは誰もが先刻承知のはずだ。
かつ、ほとんど独占企業よろしくエンタメ界を牛耳ってきた芸能事務所のリスクマネジメントなんか凡人の常識で察れるものではない。メディアは視聴率やら部数やら数字がとれさえすればなんだって構わない。要はいくら無茶をしてもされても結局はなかったことになってしまうというパワーバランスはそう簡単に変わらない。あるいは意図して変わらないようにみんなで立ち回っている可能性もある気がする。

しかも世間では「報道陣の態度が悪い」「見苦しい」などという批判まであるのがアホらし過ぎる。
極論をいえば、まともなジャーナリストなら会見をピリつかせることぐらい通常業務の範囲内だと思う。むしろ多少ピリつくぐらいの会見でなければほんとうに重要な事実なんか引き出せないのではないだろうか。
報道陣は痛いところをうまく攻撃するのが仕事だけど、会見するジャニーズ事務所側はあくまで会社をまもるためにあらゆる手段を用いて逃げまわる。すったもんだしない方がおかしいし、すったもんだしてもらわないと困ります。
史上最悪レベルの人権侵害事件なんだから、芸能界仲良しこよしクラブの段取り通りの穏やか会見なんかやっても意味がない。

けど実際には報道陣の攻め方は戦略不足に終始してしまったし、なんだかんだいってジャニーズ事務所は「死んだ人間のやらかした犯罪はあくまで過去の出来事=他人事」というスタンスから1ミリも動いていない。
TBSは社内でヒアリングをして報道特集で調査報告を放送したけど、誰ひとり一言の反省の弁もなく全部が全部やはり「他人事」でしかなかったし、このままでは日本のエンターテインメント界とメディアにはびこるもろもろの搾取と不正は何も解決しないまま、過去の出来事がお金で清算されてハイおしまいで終わってしまいそうな雲行きにみえる。

MeToo運動をきっかけに改革が進行しているグローバルスタンダードはどんどん遠ざかっていく。
これで勇気を出して名乗り出た被害者の方々は報われるのだろうか。
こんな国で、これから表現者を目指す子どもたちの未来を、どうすればまもれるというのだろうか。


児童の権利に関する条約(外務省)
基本的人権(コトバンク)
ジミー・サヴィル事件(BBC)
ハーヴェイ・ワインスタイン事件(SCREEN ONLINE)
ジャニーズ事務所ウェブサイト:一連の問題に関する最新情報ページ

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ジャニーズ事務所とはなんら関係ない私の推しのライブ風景。貼ってみただけ。
「性的に消費されるのがメンタル的に我慢できない」そうですがメジャーデビューもしたしタイアップも始まったし、そうは問屋が卸すかどうかはわからない。


茶番劇のお作法

2023年10月03日 | diary

(あくまで個人の意見です)

10月2日にジャニーズ事務所が記者会見を開き、いくつかの発表をした。

・ジャニーズ事務所は屋号をSMILE-UPに変更し、被害者の救済・補償以外の業務を停止する。
・SMILE-UPはすべての被害の補償が済み次第、廃業する。
・前社長・藤島ジュリー景子氏はSMILE-UP以外の系列会社の役員をすべて退任し、被害者の救済・補償の対応に徹する。
・従来、ジャニーズ事務所に所属しているタレントのマネジメントについては、新たなエージェント会社を設立し、タレント個人もしくはグループの希望に基づいてエージェント契約を結ぶ。退社を希望する場合を含め、本人の意思を尊重する。
・新会社の社名はファンクラブで公募する。
・新会社の社長は東山紀之氏、副社長は井ノ原快彦氏が就任する。
・新会社の資本は役員及び社員の出資を想定している。
・現行、「ジャニー」「ジャニーズ」といった元社長の名前が冠されたグループ及び系列会社の名称はすべて変更する。
・9月に開設した被害相談窓口にはこれまでに478人から連絡があり、うち325人が被害を申告、補償を求めている。
・被害の立証責任を被害者に負わせることはなく、補償は11月から始める。

などなど。詳細は割愛します。

会見では東山氏、井ノ原氏両名が先月の会見の反響を踏まえ「自分たちがいかに内向きであったか」を痛感したと述べた。そしてその“内向き”姿勢を反省した上で、今回の組織改編とポリシーを決定しました。いかがでしょう。これで文句ないやろ。

という会見だったと思う。めっちゃ大雑把にいえば。
ジャニーズ事務所がやりたい会見を開いて、やりたいようにやりきった。
だけどそれでジャニーズ事務所がほんとうに「解体的出直し」ができるのか、きちんと被害に正面から向きあうことができるかどうかという点については、大きな疑問がいくつも残った。

要はジャニーズ事務所の会見が失敗だったということでもあり、出席した報道陣の敗北でもあると思う。個人的に。
「茶番だ」「茶番じゃありません」なんてアホらしいにもほどがあるやり取りがあったりしたけど、そもそもジャニーズ事務所の記者会見なんだから登壇者全員の最大の目的は当然、ジャニーズ事務所を、彼らの組織をまもることであって、史上稀にみる人権侵害事件の収拾など二の次でしかない。何ならそのプロセスすら組織をまもるための手段のひとつに過ぎない。
いくら彼らが「被害に向きあいます」「法を超えて補償します」と言葉を尽くしても、それはいまこの時点の状況を取り繕うための方便以上の意味はない。何しろ加害者張本人は死んでもういない。生きていて膨大な数のタレントを抱えた代表者たちにとって、過去の被害はどこまでいっても他人事なのだ。

この会見に集まった報道陣の多くは、この事件の当事者でもある。つまりジャニーズ事務所とは“芸能界仲良しこよしクラブ”のお友だちです。彼らは今回の件を視聴率・販売部数稼ぎのスキャンダルだとしか思っていない。真実を追及する気なんてさらさらない。
だから「一社一問で」なんていう司会進行が突きつけてきた世にも馬鹿馬鹿しいルールにさえ唯々諾々として従う。指名されない限り不規則発言なんかしないし、指名されないうちに発言するジャーナリストに野次を飛ばしたり、独立系メディアの発言を嘲笑したりする。“芸能界仲良しこよしクラブ”のお仲間じゃないから、お仲間の“お作法”をまもれない相手を嘲ることになんの恥じらいも躊躇もない。
正直聞いてられなかった。吐き気がした。

前回の記者会見で厳しい質問をしていた非“芸能界仲良しこよしクラブ”のジャーナリストたちは会見後にSNSで、開始1時間前から並んで最前列をとった。公式の記者会見は最前列から指名していく決まりなのに、自分たちはいくら挙手し続けても指名されなかったという旨の投稿をしていた。
言い分はとてもよくわかる。でも、長い長い間、年端のいかない子ども(タレント)たちを食い物に子どもたち(ファン)から好きなだけ利益を吸い上げまくり続けてきた企業にとって、公式の記者会見の“お作法”なんか知ったこっちゃないんである。真面目に必死にこの問題を追及しようとしているのに裏切られたと感じているジャーナリストの皆さんは、ジャニーズ事務所という巨大な組織の狡猾さを見誤っていたのではないだろうか。

私事になるが、私は長年メディア業界で働いていた。現場を離れてしばらくになるが、業界の人権意識の醜悪なまでのお粗末さは骨身にしみて理解している。セクハラもパワハラもやりたい放題だし、ほとんど誰もそれを問題だとは思わない。被害を訴えようとする人はあらゆる手段によってその口を封じ込められる。この状況に対して罪悪感を感じる人も中にはいるけど、大方の人は「しょうがない」「そんなもんよ」と一蹴して見なかったこと・知らなかったことにしてハイお仕舞いである。

現に私は、かつて並みの人間には到底思いつかないようなハラスメントを日常的にやっていた人物が、現在、会社の代表取締役社長という地位に就いているケースを知っている。会社はマイナーな中小企業なんかではない。傘下に数千人規模の従業員を抱える業界大手だ。他にも、取引先の某大手企業の社長がタレントに次々と手を出していたケースもあった。
彼らのハラスメントの事実を知る人は少なくないけど、どこのメディアも決して報道で取り上げようとはしない。それが“芸能界仲良しこよしクラブ”の“お作法”なのだ。何があっても最終的には「お互い様なんでよろしく、以上」である。
まったく『仲良きことは美しきかな』だよ。嘔吐感満点です。武者小路先生ごめんよ。

女性や子どもの人権をまもる組織でボランティアをしていたとき、DVや性的暴行、児童虐待や強制売春、児童買春、児童ポルノなどの問題にとりくんでいた。調査もしたし、組織が関わった事件の裁判を傍聴したこともあった。
どれだけ資料を読み漁り、当事者の声に耳を傾けても、加害者は誰ひとり反省なんかしていなかった。自分がしたことは子どもを助けるための愛の行為であり、己の愛に嘘偽りはないと、誰もが口を揃えて自らの罪を正当化する。被害者がどれだけ傷つき、苦しんでいるかなんてどうでもいいのだ。
それだけ、性的虐待の加害者たちは自己中心的で、独善的で、むしろ罪を糾弾されている自分を被害者だと考えてさえいる。
あまりの厚顔無恥に絶望しそうになるけど、それが現実だというしかない。

ジャニーズ事務所の記者会見に登壇した人にも、出席した報道陣にも、この事件に対して、誰ひとり当事者意識をもった人はいなかったのではないだろうか。
補償を申し出た被害者もいれば、断じて口を開くまいと決心している被害者も、告白したくてもできない被害者もいる。性的虐待の痛みは、彼らの人生に長く暗い影を落としたままでいるかもしれない。それは一生終わらないかもしれない。
そういう被害者の立場に立って考え、発言した人は誰もいなかったと思う。

会見に出席しなかった前社長の藤島氏は手紙で、叔父・ジャニー氏や母・メリー氏との歪な関係を告白し、健康状態から会見に出席できない事情を釈明し、「加害者の親族として」被害者の救済・補償にあたる。ジャニー喜多川の痕跡をこの世からなくしたい、と綴っていた。
彼女の気持ちはわかる。わかるけど、やっぱり他人事なんだよね。彼女は叔父と母親からジャニーズ事務所を引き継いだ経営者であって、単なる「加害者の親族」などではない。それでも彼女自身の認識は「私はとんでもないものを押しつけられた被害者」の域から一歩も出てはいない。
それに、彼女が何をどうしようとジャニー喜多川氏のしたことは消えてなくなったりなんかしない。彼のしたことは、個人として史上最悪規模の人権侵害事件なのだ。それが消し去れるなどとは思い上がりも甚だしい。

もしもジャニーズ事務所に、メディア業界の中に、被害者の立場に立って、絶対に二度とこんな被害を繰り返してはいけないと真剣に考える人がいるなら、この先ずっと何年もかけて、加害者側を糾弾し続け、現実に正面から向きあい、業界全体での再発防止のための組織を立ち上げてほしい。
ものすごく難しいことだし、苦しいことだと思う。
これだけの犯罪の解決に当事者意識をもってとりくむなどということが、並大抵の人物にできるかどうか。

それでも、いつか遠い未来に、どんな表現者も、表現者を目指す人も、人権を侵されることなく安全に活動できる日がくることを、信じたいと思う。
でないとやってられないからさ。

 

児童の権利に関する条約(外務省)
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守らない人々

2023年09月11日 | diary


(あくまで個人の意見です)

9月7日にジャニーズ事務所が記者会見をし、元社長ジャニー喜多川氏の性加害を謝罪、被害者の救済・補償を実施すること、現社長・藤島ジュリー景子氏が退任し、新社長に東山紀之氏が就任することが発表された。
顧問弁護士とジャニーズアイランド社長の井ノ原快彦氏も同席して4時間余にも及んだという会見は、一部しか観られなかった。そんな長時間観てられない。

でも、当日以降にスポンサー企業がジャニーズ事務所所属タレントの広告起用についての見解を相次いで発表し始め、契約更新を見合わせるか、あるいは今後は起用しないなど、概ね否定的な反応だったところをみれば、会見は失敗だったんだなと思った。

会見の一部と、各方面の報道を総合的にまとめた限り、ジャニーズ事務所が明言したのは大雑把に

1)藤島ジュリー景子氏は経営からは退くが、代表取締役に留任、被害者の救済・補償にあたる。
2)所属タレントとの関係性において東山氏が新社長に適任と判断した。
3)社名は変更しない。

の3点あたりと捉えてます。
間違ってたらごめんなさい。

個人的には、企業の再出発表明としてはアウトかなあという印象をもってしまった。

まずひとつめ。
被害者には「法を超えて」補償をするというが、では具体的に何をどうするかというディテールには言及されていない(してたらごめん)。
実際に誰が被害者かをどう認定し、どう補償をするのかというストラクチャーが提示されなければ、単にジャニーズ事務所の「やる気」を言葉にしただけでしかない。それで「そうかそれはよかった」と信用する人間っていますかね。私はちょっと厳しいっす。
担当する藤島氏は加害者張本人の親族なので賠償責任はあるけど、適任かどうかという点ではまったく違うと思う。言葉はきついけど、筋違いも甚だしいと思う。
たとえばあなたが性被害に遭いました。何年も経って加害者の家族がしゃしゃってきて「私があなたが被害者本人か認定します、補償の内容を決めましょう」なんていわれたとする。いや無理でしょ。え、何様?って思うでしょ。
そこは、性犯罪の被害者救済の実績のあるスペシャリスト集団で構成した専門家チームがあたるべきで、藤島氏にできるのは、補償と実費には加害者であるジャニー氏や加害を隠蔽したメリー氏から相続した遺産を全額充てますといってお金を出すことぐらいだと思う。だって故人の性加害の補償に、いま活動してるタレントたちの収益を充てるのはおかしい。意味わからんやん。

ふたつめ。
藤島氏は保有しているジャニーズ事務所の株をすべて放棄、持株会社に管理を移し、代表取締役や他グループ会社の役員職も降りるべき。
本人がいくら口頭で「経営からは退く」といったところで、株をもってる限り経営への発言権はある。株を保有し続けるのなら、社長を交代してもぶっちゃけほとんど意味はないと思う。
かつ、藤島氏は性加害の加害者とその罪を隠匿した人物の親族であり、この問題の中心人物のひとりでもあるからには、今後この会社やグループ会社があげる収益から利益を得る立場にないと思う。
彼女がいまのポジションにいる限り、どう足掻こうがこの会社の解体的出直しなど絵に描いた餅でしかない。彼女は補償金だけ出して、グループ全体から完全に身を引くべきだと思う。

みっつめ。
東山氏は十代のころからジャニーズ事務所の特異な企業体質にどっぷり浸かって人生を過ごしてきた。そういう人にこの会社の解体的出直しをリードするに能うスキルがあるかどうかを考えれば、答えは一目瞭然だと思う。
ジャニーズ事務所が本気でこの問題に向きあうのなら、連綿と受け継がれてきた異常な企業体質をまるっと解体して、できる限り新しく再建する必要がある。それを、問題の企業体質の中で育った人にやれるか。いややれないよ。普通に考えて。
もし、東山氏が極めて高度なモラルと何者のいかなる抵抗にも屈しない超人的胆力の持ち主であれば話は別だけど、会見ではさっそく東山氏の過去のハラスメント疑惑が追及されてたし、本人もしっかり否定はできなかったみたいだし。
社長を交代するなら、不祥事を起こした企業を再建した経験のある人に外部から来てもらう以外ないと思う。だって東山氏にそのスキルが足りてないことは誰からみても明らかなんだから。

よっつめ。
社名は変更するべきだと思う。
これまで何十年と積み上げてきたブランド力を維持したい気持ちはわかる。
でもね。ブランド力ってジャニーズ事務所が築いたものであると同時に、所属タレントの努力の賜物であるコンテンツや、彼らのファンが支えてきたものでもあるんだよね。だから逆にいえば「ジャニーズ」という元社長=性犯罪者の名前にこだわる必要は全然ないと思う。
むしろ「ジャニーズ」という名前を捨てることで「解体的出直し」の出発になるはず。歴史上稀にみるスキャンダルのイメージから脱却するためにも、社名は変えた方がいい。
「ジャニーズ」という名前が残る限り、被害者も、一般のオーディエンスも、それを耳にするたび元社長の性加害を連想するだろう。そんなのタレントさんたちが可哀想過ぎるでしょ。ブランド力もへったくれもない。逆に、社名に「ジャニーズ」を残すメリットって何?私には想像つかない。

個人的な話だが、中学生か高校生の一時期、東山紀之氏が好きだったことがある。父がヒガシ推しで(うちの父はイケメンに目がない)その影響で、確か写真集のような小さな本を買って眺めてた記憶があるけど、アルバムを買ったりライブに行ったりしたことはないし、長い彼のキャリアに関する知識もほとんどない。
ただとてもストイックで厳しい人だという評判はどこかで耳にしたことはある。それはそうだろう。でなければ30年以上も日本のショービジネス界の第一線で活動を続けることなんかできないんじゃないかと思う。
だとしても、彼のエンターテイナーとしてのキャリアと、とんでもない不祥事を起こした企業の建て直しには何ら関連性はない。むしろ彼が会社の看板として君臨することで、これまでの企業体質がそのまま受け継がれる可能性の方が高いと思う。すごく残念なことだけど。

残念といえば、会見を伝える報道の中に、被害と被害者について明確に言及するメディアが少なかったことが寂しかったです。
一部には、ジャニーズ性加害問題当事者の会などすでに被害を告白した方々のコメントを引いてる番組もあったけど、少なくとも、会見そのものは「被害そのものを中心にした組織改革」のスタートにはなってなかったんではないかと思う。
それでは、この問題の本質に対峙していくことにはならないのではないだろうか。

この問題はジャニー氏個人の犯罪というだけでなく、子どもの人権の問題だと思う。

1994年に日本が批准した「児童の権利に関する条約(通称:子どもの権利条約)」第19条にはこう書かれている。

1 締約国は、児童が父母、法定保護者又は児童を監護する他の者による監護を受けている間において、あらゆる形態の身体的若しくは精神的な暴力、傷害若しくは虐待、放置若しくは怠慢な取扱い、不当な取扱い又は搾取(性的虐待を含む)からその児童を保護するためすべての適当な立法上、行政上、社会上及び教育上の措置をとる。

2 1の保護措置には、適当な場合には、児童及び児童を監護する者のために必要な援助を与える社会的計画の作成その他の形態による防止のための効果的な手続並びに1に定める児童の不当な取扱いの事件の発見、報告、付託、調査、処置及び事後措置並びに適当な場合には司法の関与に関する効果的な手続を含むものとする。

この条文に則って今回の問題に対応するとなれば、ジャニーズ事務所は専門家の法的な援助のもとで、過去現在すべての所属タレントの「子どもの人権」をまもるためのプロセスに着手するべき、ということになる。

ジャニー氏の性加害とそれに連なる出来事はすべて、人が生まれながらにもっている基本的人権に関わる問題で、基本的人権は世界中どこでもまもられなくてはならないグローバルスタンダードだ。このグローバルスタンダードがまもれなければジャニーズ事務所は新たな再出発なんかできないし、取引企業もろとも投資家の信用を失うことになるだろう。海外にも多くのファンをもつ所属タレントたちの今後の活動にも大きく影響するかもしれない。

これまでのエンターテインメント業界では、しばしば人権は疎かにされてきた。
だけど、2016年に発覚したジミー・サヴィル事件や、ハーヴェイ・ワインスタイン事件(2017年)などを端緒に始まった業界の改革によって、性暴力や性差別や人種差別、セクハラ、パワハラなどの人権侵害は断じて許されないものとされるように変化しつつある。
ジャニーズ事務所は、長きにわたって続いた被害そのものを軸に据えて、こうした改革の流れに続くべきで、それは今回発表された計画(といっていいのだろうか)では達成される見込みは極めて低いと考えられる。

ジャニーズ事務所は長い年月をかけて、若い男の子で構成される特異なアイドルグループ産業を確立し、海外にまで及ぶエンターテインメント業界の発展に大きく寄与してきた企業だ。
その功績の偉大さに間違いはない。
だからこそ、過去に犯した誤りを矮小化することなく、正々堂々と向きあい、完全に決別するために実効的かつ透明性の高い計画をたてて、弛まぬ努力でそれを完遂してほしいと思う。

ま、どーせそんなの無理っしょ、って思ってる人もいっぱいいると思う。ていうかそれが大多数だと思う。
でもさ、そんなの寂しいじゃん。
私は寂しいと思うな。
曲がりなりにも、悶々と人権問題を考えてきたひとりの人間として。


児童の権利に関する条約(外務省)
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ジミー・サヴィル事件(BBC)
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鏡の向こうの悪魔の素顔

2023年09月04日 | diary

ジャニーズ事務所元社長・ジャニー喜多川氏によるタレントへの性加害がBBCのドキュメンタリーによって国際社会に暴露されて、元ジャニーズJr.たちの告発が相次いだころ、ある人に意見を求められた。
そのとき私は、「専門家の正式な調査の結果がはっきりするまでは何もいえない」と答えた。
ほんとうにそう思ったし、ごく個人的なやり取りの中でも無責任に勝手な意見を述べられるような問題ではないと思ったからだ。

ジャニー氏の性加害についてはかれこれ何十年も前から元所属タレントの暴露本が何冊も刊行されてたし、裁判にもなっている。いわば周知の事実だった。
にもかかわらず、長い間、ジャニーズ事務所に対しても、ジャニー氏個人に対しても、ほとんど事態の解明も法的責任も追及されないどころか、日本中のメディアがジャニーズ事務所に平伏し、依存し、彼らの提供するエンターテインメントに集まる莫大な利益を、何ら臆することなく堂々と貪り続けてきた。

私も、ジャニーズ事務所所属のタレントが出演している映画やテレビ番組を観ていたし、そのときには、彼らが晒されていたかもしれない暴力についてはちらとも考えていなかった。
それはそれ、これはこれ、である。

でも、被害を告白した人々に攻撃が向かうような事態になって(攻撃の内容にはここでは言及しない。気分が悪すぎるから)、果たしてそれでいいのかという疑問が湧いてきた。
8月29日に発表された外部専門家による再発防止特別チームの調査報告書によれば、ジャニー氏の性的虐待・不同意性交は1950年代から始まり、被害者は数百人にのぼるという。ある被害者は200回以上被害に遭ったと発言しているから、大雑把にいえば、ジャニー氏はごく日常的に未成年者にやりたい放題の性的暴行を続けていたということになる。
したがって、被害者の中には、いまもジャニーズ事務所に所属しているタレントや、退社したとしてもまだ一線で活動しているタレントが含まれている可能性がなくはないといえなくもない。

6月5日放送の報道番組で所属タレントが「憶測で傷つく人がいる」「あらぬ憶測を呼ぶことは何よりも避けなくてはいけない」と発言してたけど、結局はそういうことになる。
となると、憶測は脇においたとしても、「それはそれ、これはこれ」では済まされないと思う。でなければ、すでに明るみにでたとんでもない性犯罪を、これまで通り、無視し続けるのと同じになってしまうのではないだろうか。

多くのエンターテインメントには、性的付加価値が欠くべからざるパーツとして含まれている。中には性的付加価値なくしては成り立たないエンターテインメントもある。
とくにジャニーズ事務所は、年端もいかない子どもに露出過多な衣装を着せて(あるいは何も着せず)オーディエンスの視覚や性的刺激に訴えるコンテンツを湯水の如く量産し続けてきた。それこそ伝統的ともいえるぐらい大昔から。
これについてはかねがね「何でこんな小さい子の裸を見せられなきゃいけないんだろう」と個人的に思ってたけど、何十年も同じようなものがもりもりと提供されるからには、相応の需要があるのだろう。たぶん。

つまり極論をいえば、ジャニーズ事務所のクライアントとオーディエンスは、ローティーンの子どもたちを性的に消費することで、この会社がタレントに強制してきた性的な犠牲に加担してきたことになるのではないだろうか。
私自身も含めて。

こういうことをいうとすごく怒る人が少なからずいると思う(間違いなくいるだろう)。
だけど、この件で私自身の意見を述べるとするなら、そこに言及せざるを得ない。

そして、私はこれはジャニーズ事務所だけの問題にしてはならないと思っている。
未成年のタレントの肌を露出するコンテンツなら、他のタレント事務所もじゃんじゃんとつくり続けている。

性的付加価値が成果に強く影響するビジネスは、エンターテインメントだけに限らない。
たとえばスポーツ。昨今、アスリートを性的にとらえた画像や動画が問題になっているが、競技によってはコスチュームやユニフォームがすでに性的刺激に触れる場合がある。特定の競技を具体的に挙げるとどこかから爆弾が飛んできそうなので挙げないけど、露出度が高かったりボディラインが強調されるコスチュームや、アスリート本人の容貌なり体型なり性的アピール力が競技そのものの注目度や人気と結びついているケースは枚挙に遑がない。
競技によっては、運営組織があえて所属選手の性的付加価値をマーケティングに利用していることもある。

私は何も、エンタメやらスポーツから性的付加価値を切り離すべしなどというつもりはない。
そんなこと不可能だから。ていうかこの世の中、性的付加価値のないビジネスなんかほぼほぼ存在しないし(とジェンダー問題の専門家に聞きました)。
問題は、そこに、そのコンテンツを提供する本人―タレントなりアスリートなり―が成年であることと、彼ら自身の自発的かつ主体的な合意があるかないか、というところにある。

ここをはっきりさせないと、この問題は未来永劫解決なんかしないと思う。

ジャニー氏は芸能界デビューをエサに、十代の男の子たちを性的に虐待し続けた。
そういうことをして来たのは、決してジャニー氏だけではないと思う。同じようなことが、おそらくエンターテインメント業界の他の場所でも起こっていたはずだし、スポーツ界でも教育界でも起きていた。コーチやトレーナーや監督にセクハラを受けた、性的暴行をうけたというアスリートやアスリートの卵たちはいったい何人いるだろう。学校教師や部活や学習塾や習い事の教師に性的に虐待されたという子どもは数えきれないだろう。先月発覚した四谷大塚の事件がろくに報道されていないのは、ジャニーズ事務所の問題とどこかでつながっているはずだ。

それらの現場では必ず、加害者と被害者のパワーバランスに偏りがある。加害者はそれを利用して、被害者を弄び続けて来たのだ。
しかもそれは、一部の小児性愛者(ペドファイル)やジャニー氏が指摘された性嗜好異常(パラフィリア)だけの責任でさえない。
私は、こうした事件の責任を加害者の性的嗜好だけに求めるのは、完全な思考停止だと思う。
なぜなら、性犯罪にはそれを許容する環境が必要不可欠だからだ。弱い者を食いものにすることが可能なのは、それを問題としない社会があるからだ。

もうこういうことは絶対にやめなくてはならない。
立場を利用して誰かを性的に弄ぶなどということが決して許されない社会を築いていかない限り、子どもたちに健全で安全な未来を用意してあげることなんか、できない。
そのために何をしたらいいのか、どこを目指したらいいのか、みんなが真面目に向きあっていく必要があると思う。

そんなことがほんとにできるかどうかはさておいて、とにかく、スタートラインにつこうよ。つきたいよと、私は思う。

 

ジャニーズ事務所ウェブサイト:外部専門家による再発防止特別チームの調査報告書

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悲しかったこと

2023年07月09日 | diary

今年は1923年9月1日に起きた関東大震災からちょうど100年にあたる。

この未曾有の災害で10万人以上が犠牲になり、また、直後に広まった流言蜚語が原因となって殺害された朝鮮人は6,000人以上にも上る。この他、中国人や沖縄出身者など朝鮮人に間違えられて暴行を受け命を落とした人、社会主義者狩りによって殺された人々もいる。
今年9月1日には、現在の千葉県野田市で発生した福田村事件を題材にした劇映画が公開される。

このブログで何度か書いている通り、私は在日コリアン3世だ。
祖父母が渡日したのは関東大震災から数年後の1920年代後半〜1930年代と聞いているから、私自身と一連の虐殺事件には直接的な関わりはない。
でも、2011年の東日本大震災をきっかけに各地で災害復興支援ボランティアとして活動したとき、被災地で100年前とほとんど同じデマを何度も耳にした経験は、トラウマのような傷となって、心の底にこびりついて離れなくなった。

足掛け8年ほどになった活動で出会った人々の多くは、余所者のボランティアを快く迎え、心を開いて信頼してくれた。何も知らない私に漁業を教え、農業を教え、自然とともに暮らす生き様の輝きを見せてくれた。皆さんが私にしてくださったことには感謝しているし、信じられないほど素晴らしい出来事に遭遇した幸運の数々は、間違いなく一生の宝物だと思っている。

だけど、大災害の混乱の中で起きた犯罪やそれらしき現象をすべて朝鮮人や韓国人や中国人の仕業だと決めつけたり、自らきちんと確かめたわけでもない伝聞を無責任にふれまわる行為にはショックを受けたし、とても悲しかった。
不自由な被災生活で精神的に不安定になっていて、どこかの誰かを悪人に仕立てたくなる気分になってしまう、正常な判断力が働かないといった心理は理解したいと思う。とはいえ、そういう言葉を聞いた瞬間に背筋を走る、冷たく乾いたなんともいえない感触の恐ろしさと、反射的に「もう誰も信じられない」という孤独感に突き落とされる絶望感は、私自身の手ではどうしようもない胸の奥底にずっしりと座り込んでしまった。

その一方で、過ちを二度と繰り返すまいと遺骨を探して供養したり、記録を集めて研究を続けている人々もいる。
『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(加藤直樹著)はとてもよくまとまっていて読みやすい本だったし、加藤さんご自身が催したフィールドワークには非常に感銘を受けた。別の方々が定期的に実施している横浜でのフィールドワークにも参加して、この事件に心を寄せてくれる人たちに出会えたことが純粋に嬉しかった。もうこういうことは絶対繰り返してはいけないと心に決めて、一生懸命とりくんでいる人たちがいるという事実が、嬉しかった。

今年は100年後にあたることもあってか各地でいろいろな行事が催されていて、先日、某所で行われた大規模なフィールドワークに参加してきた。
某所とぼかすのは、私がいまからこのフィールドワークをくさすからである。ぼかしてもわかる人にはわかると思うけど。

私はずっと、この地域のフィールドワークに参加したかった。都市部と違って現場と現場の間の距離が開いているエリアを一人で足でまわるのは難しいし、土地勘もなかった。なのでこの機会に参加できてラッキーだったのかもしれないけど、結果としては、とても残念な気持ちになってしまった。

このフィールドワークでは、殺された朝鮮人を弔った慰霊の場を中心にまわったのだが、どういうわけか、スピーカーは、その場その場で起きた虐殺事件の経緯の詳細にはほとんど触れず、遺体を埋めた場所で続いてきた慰霊祭や、朝鮮人の遺骨を掘り起こして慰霊碑を建てたいきさつや、そのために続けてきた調査活動など、被害の実相よりもその後の「私たち日本人が努めてきた成果」ばかり熱心に微に入り細にわたって説明を繰り返した。

いや、いいですよ。
それはそれで立派な活動です。
素晴らしいことです。

でもね。
「軍の指示には逆らえなかった」「朝鮮人を殺すよう指示された人たちも被害者」って、それはちょっと聞き捨てならなかった。

主催に在日コリアン系の組織が関わっているから、何を話してもわかってくれると思ったのかもしれない。
参加者に事件の被害者の関係者がいるかもしれないなんてことは、想定しなくてもいいと思ったのかもしれない。
ホントにそういう人がいたかどうかは知りませんが。

確かに私は、かつて日本人が朝鮮人にしてしまったことを忘れまいと、二度と繰り返すまいと真摯に活動している人たちのことを心から尊敬している。事件当時だってデマを信じることなく、朝鮮人をかばった人、匿った人がいたことの方が、殺害に加わった人たちよりももっと注目されてほしいとも思っている。
そのことを話したら、加藤直樹さんは「だからって日本人が犯した罪は相殺されない」といっていたけれど。

けど、今回のフィールドワークではどうしても、スピーカーや参加者の「他人事感」が異常に鼻についてしまった。

朝鮮人を殺したのは私じゃない。大昔の無知蒙昧な人たちや、横暴な帝国陸軍がやってしまったことと私たちは関係ない。
私たちはこんなに一生懸命、どこに朝鮮人が埋められたのか調べて、掘りあてて、立派な慰霊碑を建てた、慰霊祭も続けてきた。

・・・・・・で?
だから?
それで?

私は、皆さんがどんなに高邁な志をもってして活動していても、そこに当事者意識がなければなんの意味もないと思う。
災害が起きたとき、社会が混乱しているとき、人間がどれほど無知で愚かでどんなに非道なことも顧みない、恐ろしい生きものに変わってしまうのか、誰もがその当事者になり得るというリスクを我がこととしてしっかりと捉えていなければ、必死の調査活動も慰霊祭もなんの役にも立たない、ただの「悲惨で残虐な歴史エンターテインメント」で終わってしまう。

ひどいことがあったね、残酷だね、悲しいことだね。
事実を知って、忘れないように、次の世代に語り継ごうとしてる私たちって素敵。
それでは単なる「不幸ポルノ」の消費となんら変わりないのではないだろうか。

フィールドワークの途中で気分が悪くなった。吐き気がした。
途中で帰った人が他にもいたから、もしかすると、同じように感じた人がいたのかもしれない。

手間暇かけて準備したであろうせっかくのイベントが、なぜこんなことになってしまったのか、私は知らないし、正直にいって全然知りたくもない。
もっとはっきりいえば、今回参加したことはもう忘れてしまいたい。
ただただ寂しくなった。

歴史に学ぶことの目的は、過去の人々が犯した誤りと同じ轍を踏まないということではないのだろうか。
それは、「自分も同じ轍を踏むかもしれない」という当事者意識なくして達成できるものなのだろうか。

私にはわからない。
わかる人がいたら、教えてほしい。
わりと真面目に。

 

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