いまはもうそれほど映画館に行かなくなったけど、一時期は年間に100本以上の映画を劇場で観ていた。
土日祝日に2本3本ハシゴするのはもちろん、映画祭の期間にあわせて有休をとって朝から晩まで会場に入り浸って、世界中の映画を片っ端から観ていた。
まあだからこのブログに映画のレビューが800本以上あるわけだけど、これは実際に観た映画の一部に過ぎない。さほどまめにレビューを書く性分ではないから、観ても書かないことの方が多かった。
わけても最も多くの映画を観ていた時期は、アジア映画、それも中国語圏の映画にどっぷりハマっていた。
中華圏映画はだいたい中国、香港、台湾を中心に製作された作品で、ちょうどその当時は日本でも香港映画がブームだった。香港映画以外にもたくさんの中華圏映画が公開されてたけど、一度ハマると一般公開作だけじゃ物足りなくて、最終的には中国人向け書店で日本未公開作のビデオを借り、中国の通販サイトで現地盤のソフトを買い漁るようになっていた。
香港映画ブームの火付け役といわれたのが、ウォン・カーウァイ(王家衛)監督の作品にポップな邦題をつけて大ヒットさせたプレノン・アッシュという配給会社。
私もごたぶんに漏れずプレノン・アッシュの配給作品を全部観てたけど、やがてブームは去り、リーマン・ショックや日中関係の悪化といった社会情勢の影響をうけて、日本で公開される中華圏映画は激減してしまった。プレノン・アッシュは10年ほど前に倒産した。
そしてそのころには、私自身のライフスタイルも大きく変わり、以前のように熱心に映画を観なくなっていった。
今日観た2本は王家衛の旧作5本のBlu-rayが発売されたのにあわせて4Kリマスター版が再映されている。
どちらも2004年の公開時に劇場で観たはずなのに、あまり記憶に残ってない。なんでかはわからん。
『花様年華』
1960年代の香港。
同じアパートの隣同士に同じ日に越してきたチャウ(トニー・レオン/梁朝偉)とスー(マギー・チャン/張曼玉)。やがてふたりはチャウの妻とスーの夫が不倫関係にあることに気づき、傷ついた者同士、静かに心を通わせるようになっていく。
『欲望の翼』から『2046』までの三部作のうちの1本。世界各国の映画祭でなんかいっぱい賞獲ってました。
最近あんまり恋愛映画を観なくなってるけど、久しぶりに観るといいもんですね。恋愛。ドキドキ。ときめき。
といっても、この作品はどちらかといえば、人に恋をする、誰かを愛することの苦しみや葛藤に重きを置いて描かれている。チャウもスーも既婚者だけど、ふとした瞬間に通じあう何かを感じとり、自然に引き寄せられていく。その力には争いがたく、どうしようもなく相手を必要としているのに、己のプライドを前に感情に流されることができない。夫に浮気された人妻の悲しみと恋心の狭間で煩悶するスーと、自身も既婚者であることを棚に上げて隣の奥さんにぐいぐい迫ろうとするチャウの対比が、男女間の埋めがたい距離を如実に再現している。
なので、ふたりとも初めから終わりまでめちゃくちゃくよくよしている。ひたすらくよくよ。いろんなくよくよが、ありとあらゆる角度で微に入り細にわたって緻密に繊細に描写される。それを象徴しているのが、この作品独特の映像美と音楽です。
王家衛作品といえば、鏡やカーテンや窓など複合的なレイヤーと反射を使った画面構成が毎度の特色だけど、この作品ではそこに狭い廊下や階段や坂道という、視界を縦に遮るロケーションが多用されている。
チャウとスーはこの狭い空間で何度も何度も繰り返しすれ違う。身体が触れあうほどの近距離にいるのに、自ら手を伸ばして触れることは叶わない。
観ててもだもだすることこの上ない。そこが味なんだよね。恋ってもどかしければもどかしいほど味わい深いもんだよなあなんて、大した経験もないのに妙に共感してしまう。
王家衛組の美術監督、ウィリアム・チョン(張叔平)のミッドセンチュリーモダンてんこ盛りの美術と衣装が眩しいほど美しい。とくにマギーをはじめ女性陣が着用している超オシャレなチャイナドレスがピタピタにボディラインくっきりです。マギーがとっかえひっかえいろんなドレスを着て画面を行ったり来たりするだけで、すらりとしなやかな神プロポーションに釘づけになってしまう。この映画のテーマの半分はマギーのボディラインへのフェチズムなんではないかと思う。間違いない。
とにかくマギーが綺麗。そしてトニーがセクシー。ふたりとも大好きな役者さんです。しばらく観てなかったけど、やっぱサイコーですわ。ええわあ。
画面上の視界がとことん遮られまくってるせいもあって、登場人物の一部はなかなか顔が映らない。そんなギミックも、やっぱお洒落です。
『若き仕立屋の恋 Long version』
1960年代の香港(再び)。
高級娼婦とテーラーの見習いという関係で出会ったホア(コン・リー/鞏俐)とシャオチェン(チャン・チェン/張震)。初対面の際に起きたある出来事から、シャオチェンはホアの虜に、ホアはシャオチェンの得意先となり、年を経て、別れと再会を繰り返していく。
もともとは『愛の神、エロス』というオムニバス映画の王家衛パート『エロスの純愛〜若き仕立屋の恋』のロングバージョンだけど、スティーヴン・ソダーバーグとミケランジェロ・アントニオーニのパートは完全に忘れてまーす…。
これは原題が『愛神 手』で英題が『The Hand』なので、ばっちりがっつり手フェチの映画です。といっても手フェチの話ではない。
ホアは高級アパートで暮らしつつ、パトロンに与えられた金銭でファッショナブルなチャイナドレスを次から次へと仕立てさせる。シャオチェンはホアの身体を採寸し、丹精こめて一針一針、華麗な衣裳を縫い上げていく。
ホアの手は男性を悦ばせるための、シャオチェンの手は愛と情熱をドレスに形づくるためのツールで、この映画の中では、二人が向いあう「顔」のような役割を果たしている。
鞏俐の手がまるで白魚のように美しい。シャオチェンは彼女の手と、採寸で触れた彼女の肉体とその香りの記憶に縛られている。でも縛られているシャオチェンは寂しそうなようでなんだか満たされて、幸せそうにも見える。きっと彼にとって、記憶の中に大事にしまった彼女のパーツこそが、誰にも奪えず触れさえもできない、彼だけの宝物だったのではないだろうか。
シャオチェンはどこかで、初めから、自分がホアのそばにいてもいっしょに幸せにはなれないことを知っていたようにも思える。それでも彼は彼女を心底愛した。女神のように崇めた。独りよがりといえばそれまでだが、そんな愛の形もあってもいい。悲しい愛だといって憐むのは何か違う。孤独なようで、切ないようで、そこまで人を愛することができたシャオチェンは、彼女の記憶をよすがにあたたかい人生を過ごせたのかもしれない。
張震もすごい大好きな役者さんですがこの人はホントに全然変わらないね。梁朝偉もそうなんだけど、なんとなく少年っぽくて、大人の色気もあって、雰囲気満点で、ミステリアス。
この映画にも美麗で豪華なチャイナドレスがしこたま登場します。ホアの生業柄、どのドレスもラインストーンやビーズや刺繍やシアー素材がふんだんに使われたセクシーなデザインばかり。そもそもがチャイナドレスのテンプレート自体がボディコンシャスなんだけど。
チャイナドレス=旗袍はもともとは清朝の満州族が用いた騎馬用の装束で、袖幅がゆったりしてシルエットもストンと直線的な長い丈の上衣の下にパンツ的なものをあわせてたのが、西欧化に伴ってだんだんタイトに露出度も高くなっていって、1960年代以降は流行らなくなっていったという。
ということは、『花様年華』や『若き仕立屋の恋』の裏テーマは、チャイナドレスブームの最後のピークをスクリーンに映しとることだったのかもしれない。
ホアとシャオチェンの手と手が触れるシーンがほんの少しだけある。
苦しい哀しいシーンなのに、手のひらと肌のぬくもりや感触がじんわりと伝わってきて、この、人と人とが共有する触覚の間に流れるものこそが、至上の愛だということに気づかされる場面。
そんなシンプルな愛の真髄が、心の深いところにしんしんと伝わる作品でした。