落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

誰も知らない

2011年03月29日 | diary
震災孤児への支援体制、一刻も早く!=あしなが育英会
ロート製薬が震災孤児支援の新規部署開設

毎日毎日震災のニュースで世の中あふれてますが。
この記事とは別に、「震災孤児を里子としてひきとりたい」と考えている人も現われ始めていると聞いた。

16年前の阪神淡路大震災のとき、約570人の子どもが親を亡くした。今回の震災での死者・行方不明者は既に阪神淡路の3倍を超えているので、単純計算でも千人単位で孤児がうまれることになる。発生時刻が昼間だったため家族がバラバラに被災し、一家が同じ家屋にいた明け方に発生した阪神淡路とは条件が異なるため、あるいはもっと増える可能性もある。
悼ましいことだと思う。
悲しいことだと思う。

孤児になった子どもたちはどうなるか。
両親ともに亡くし、親類や知人など保護者として生活の責任をみてくれる家庭もない場合、児童相談所を経て児童養護施設に送られる。
ここから学校に通い、集団生活をしながら、里子としてひきとってくれる里親が現われるのを待ちつつ、18歳までを過ごす、というのが従来の行政の対応になる。

ところがである。
今回はこれまでにない規模で、同時に大量の孤児がうまれることが予想されている。
ただでさえ日本の児童養護施設は常に満床状態で、職員のキャパもパンク寸前という危機的状況が何年も続いている。震災があってもなくても、施設に入りたくても入れない、入れてあげたくても入れられない子どもがたくさんいるのだ。
そこへ降ってわいたこの大震災である。
まったくお先真っ暗である。

TVでは毎日朝から晩まで震災のニュースが流れている。孤児のニュースもそこには含まれている。
かわいそうだ、なんとかしてあげたい、という気持ちはとてもよくわかる。すばらしいことだと思う。
だけど、温かい家庭を求めている子どもは、震災がなくても、いつもたくさんいる。
震災がなくても、地獄のようなつらい経験をして、ひとりぼっちで苦しんでいる子どもはいくらでもいる。
ただ単に、彼らはメディアに紹介されていないだけである。
誰にも顧みられていないだけだ。

TVで見たから、かわいそうだからひきとりたいなんて、ワイドショーで紹介されるような崖っぷちで立ち往生している野良犬をひきとりたいというのと発想は同じじゃないの?
それってどうなのかなあ?
みんなが知らないだけで、助けを必要としている子どもは、いつもいつも、いっぱいいるのにな。
どうしてその子たちのことを、誰も気にとめてくれないのかな。
なんで?


福島原発20~30キロ圏内に2万人

夢ならいいのに

2011年03月28日 | 復興支援レポート
今日も午前中は都庁。
某高校の吹奏楽部の皆さんが、先生も含めて全員で仕分けボランティアに参加していた。なんだか楽しそう。
支援物資の受付は27日で一時中止なので、駆け込みで相当な量が送られたみたいで結構大変でした。ぐりは今日も生理用品担当。
都庁のボランティアは今日でおしまいなので、次はまた別なところでできることを探そうと思う。

朝は早くからボランティアで、その後は夜遅くまで仕事だったのでニュースは一日全然見ていなかったのだが、家に帰って来てお風呂を用意していたら、福島第一原発でプルトニウムが漏洩したという報道があった。
なんかもう、驚くというより悲しかった。涙が出た。

原発の周辺半径20km圏の住民の方々は、今、避難先でこのニュースをどう聞いているだろうか。30km圏で自主避難を勧告されている人たちはどう感じているだろうか。
この地域には救援物資も来なければ一般の流通物資も来ない。それどころか行方不明者の捜索も救助活動もまったく行われていない。もちろん道路や電話、電気、ガス、水道の復旧作業も行われていない。
地震が来て、津波が来て、原発が壊れて、2週間まるまるそのまま放ったらかされている。
宮城県では20日に地震以来9日ぶりに生存者が発見されたが、ここではそんな奇跡は起きない。自力で逃げ出せない人は全員死ぬのを待つだけだし、死んでも埋葬してくれる人もいない。
家族すら二度と戻って来れないかもしれないからだ。

東京の水に何が混ざってるとかどうとか、そういうことはぐりはもうどうでもいいです。
東京電力の人たちは、原発事故が地元の人たちをどんなに悲しませているか、そのことをこそもっと深刻に受け止めてほしい。
どんなにひどいことが起きているか、福島の人たちに、どんなにひどいことをしてしまったか、よく考えてほしい。
わけのわからないごたくはもういいです。
いいかげんにしろ。



ナプキンの手紙

2011年03月25日 | 復興支援レポート
都庁に行って来ました。

つーても救援物資の寄付ではなくて(お金がないからです)、仕分けのボランティアで。
ちょうど今日仕事も休みだったし、都庁ならすぐ行けるし、仕分けくらいならできるし。こんなことが被災者の方々の役に立つなんて思わないけど、今日すぐできることがあるならしたいなと思って。
Twitterで希望者が殺到してるみたいな情報もあったので早めに出て、着いたのは8時半くらいだったかな?既にけっこうな行列になってて、最終的に今日のボランティアはなんと250人。すげえ。なんでも福島県双葉町からの避難民を受け入れているさいたまスーパーアリーナにもボランティア希望者が殺到していて、そこで登録を打ちきられた人が都庁に流れてるそーな。

無事受付を済ませて、案内された荷物置き場に荷物を置いて戻って来たら、なんか勝手にオリエンが始まっちゃってまして。
これがまたさっぱり聞こえない。拡声器が手のひらサイズのオモチャだから。周りの騒音もひどいし、あれじゃ一列目の人くらいしか聞こえないです。何いってるのか一言も聞き取れなかった。
オマケに配布されたマニュアルも人によっててんでバラバラ。意味がわかりません。仕切る気ゼロでしょう東京都福祉保健局よ・・・。
んで結局そばにいた「今日で三日目」の先輩ボランティアさんの指示に従って、生理用品の仕分けをすることに。

手順としては、赤ちゃん用品・高齢者用品・生活用品・飲料水と、物資の種類別にボランティアがグループになって空箱を用意しておいて、宅配便や持ち込みで届いた物資を開梱したボランティアが各グループのところへ中身を配って歩く。グループでは配られた物資をさらに細かく仕分けして、品目ごとに箱に詰め直して数量をカウント、品目名と数量と日付をラベルに書いて貼付。
ぐりは生活用品の中の生理用品のグループにいて、ひたすら生理用品を分けては詰めまくってました。偶然だったけど、たぶんこれがいちばんラクチンな品目だったと思う。軽くて柔らかくて壊れる危険がない。ただただガンガン詰めればいい。楽勝。
しかしあんなに大量の生理用品を目にするのは後にも先にもこれきりだろう。見たことないブランドの生理用品もいっぱい見たし、生理用品と尿もれパッドの違いもなんとなく見分けられるようになった。中にはぐりが初潮のころに使ったような年季ものもあったりして、ちょっとどうなの?とか思ったり。アレ、たぶん使えないよねえ。さすがにさ。

とにかく送られてくる物資の量はハンパなく大量だったけど、250人もいたらアッという間に片付いてしまう。
9時に始まった作業も昼過ぎには終わってしまった。なんかあまりにもあっさり終わって拍子抜けしました。人海戦術とはまさにこのことです。
そこで福祉保健局の人からあいさつがあって。
またまるっきり聞こえないので同じグループの女子学生が「聞こえません!」と発言してやっと、聞こえるように喋ってくれた。そしてまたがっかり。
物資の受付は今日まで。都のサイトやボランティアセンターの HPには27日〆切と書いてあるけど、土日は受付しません。だからボランティアは来なくてよろしい。週明けに受付もれのぶんがいくらか届くけど、それでボランティアが必要ならまた募集します。

東京都は被災地の自治体からの要請で物資を募集したけど、岩手県と福島県から受け入れを中止したいという要請があった。だから都でも寄付の受付を中止するらしい。
けどさ、どんなに膨大な量でもぜんぜん足りないんだよ。だって30万人以上いるんだよ。なのに中止するのにはわけがある。足がないからだ。
運搬する車両も人員も燃料も足りないから、いくらたくさん物資があっても被災者の手元にはなかなか行き渡らない。自治体には各地から集まった物資がどんどんたまってパンク状態になる。だから受け入れを中止せざるを得ない。けど絶対にすぐに足りなくなるのは目に見えている。
なのにハイそうですか、と中止してしまうのはすごく危険だと思う。そんなの災害支援なんかじゃない。災害支援は頼まれたことだけやるだけじゃ済まない。もっと計画的に物資を募集するとか、被災地で手が回らないところをフォローすることはできないのだろうか。被災者にほんとうに求められていることに応えるのが支援なのに、都はそんなもの自分たちの仕事じゃないと思っているのだろうか。

福祉保健局の皆さんは通常業務でさぞお忙しいのだろう。よその土地の災害支援なんかとてもやってられないくらいてんてこまいだから、頼まれたことだけやって済ませておきたいのかもしれない。
でもさ、この温度差はさみしすぎるよ。支援物資を寄付した人たちや、朝もはよから(一番乗りの人は7時?に来たといっていた)並んでボランティアに参加した人たちの、せめて少しでも被災者の役に立ちたいという気持ちなんて、都にとってはどうでもいいことみたいに思えてしまった。
確かに、こんな程度の支援行為はただの自己満足かもしれない。何を犠牲にするわけでもない、安全なところからできる範囲での、誰にでもできる簡単な、ごくごくささやかな行為だ。ぐりだってこんなことがほんとうに被災地の誰かの役に立っているなんてさらさら思ってない。自己満足といいたい人がいるならそういってもらって全然かまわない。ぐり自身そう思ってるし。

だけどやっぱり、都にはもっと主体的に支援する方法がいくらでもあるはず。
この非常時にそれをなんでやらないのかが、ぐりはよくわからない。
ただなんとなくせつないだけ。


都庁に集められた支援物資の山。ごく一部。
ときどきパッケージに「東北頑張れ」なんてメッセージが小さく書き込まれていたり、かわいらしいオリジナルシールが貼ってあったり、寄付した人たちの心が伝わるものもあった。
そういうものに触れられただけでも、今日参加してよかったなと思う。

地震の後で

2011年03月24日 | diary
相変わらず毎日毎日地震でけっこう疲れてるぐりですが。
未だに地震酔いも治りません。すいませんヘタレで。

震災から10日以上経って、メディアにも震災関連以外の報道もチラホラ混ざるようにはなったけど、TVのCMは相変わらずACばっかりだし、コンビニやスーパーは空っぽの棚が目立つし、電車はぜんぜん来ないし、繁華街はネオンが減ってまるで違った風景だし、やっぱり世間は震災一色のまま。
16年前の阪神淡路大震災のときもそうだったけど、たぶん、こうした変化が消えていくのには時間がかかるのだろうと思う。そしてその変化が消えたとしても、おそらく、何もかもが元通りというわけにはいかないのだろう。
16年前のあの震災の時も、一度壊れてしまったものは決して元には戻らなかった。
目に見えるものも、見えないものも、壊れたもの、失われたもの、変わってしまったものは永遠にそのままで、残されたものがその欠落に馴染んでいって、その間隙になんとなく埋没していく、そういう風にして変化は消えていく。

とりあえず関東の東京電力管内では計画停電が大問題なワケで。
ぐりのうちは今のところ対象区域に入っていないし(これから入るかも)常日頃から使用している電化製品が少ないので、ぶっちゃけあんまり影響はない。
ふだんから部屋の照明はあんまり点けてなくて、たとえば本を読んだり書き物をしたり、お化粧したり料理をしたり、何か目的がなければ夜でも暗いまま、窓から入る街灯の明かりで生活してます。PCでネットもTVも見るし音楽もPCで聴くし、掃除機を使うのは週2回、洗濯機も週2回、アイロンは週1回、ドライヤーは2日に1回。節電せよといわれてもこれ以上減らせません。刺さったままのコンセントを抜くくらいです。
買い占め問題にしても、普段から消耗品はあまり使わないようにしているのでさほど困ることはない。たとえばぐりのうちでは箱ティッシュは買わない。町で無料で配っているポケットティッシュで用は足りるし、大抵のものはタオルや雑巾で拭いて洗濯すれば済むからだ。ペットボトルの水や飲料も買わない。水道水を浄水して飲んでいる。電池は充電式のものを使用している。食事を温め直すときは、洗ってくり返し使えるシリコンラップで器をカバーしている。

だから毎日毎日わいわいと、やれ節電しろだの買い占めするなだのいわれまくると若干イラッとこないこともない。いわれなくてもやっとるっちゅうの。前から。
けど、今はこれをみんながやんなきゃいけないわけだから、ある意味ではいい機会かもしれない。べつにこんな天災がこなくても、無駄をなくしたり節電したりするのはいいことだ。今回はやむを得ずみんなそうしなきゃいけないけど、これが習慣化すればみんなの生活がスリムになる。
そうすれば、スリムになって余ったぶんを、ほんとに困ってる誰かのために使ったり、世の中を豊かにしたりするために使えるようになるかもしれない。
阪神淡路大震災のとき、市民ボランティアの存在が一気に認知されるようになったり、防災意識が急激に高まったりしたみたいに。

世界中で、震災が毎日トップニュースとして報道されている。
現在、130の国と地域、33の国際機関から支援の申し入れがあり、18ヶ国から災害救援隊が派遣されている。
経済的に豊かとはいえない国からも支援が届いている。人口2000万人の台湾では4時間のチャリティ番組で21億円、人口30万人のモルディブでは3日間で5億円の寄付が集まった。アフガニスタン・カンダハル州のハミディ市長は5万ドルの義援金を送ると表明している。アフガニスタンは国民の3分の2が一日2ドルで生活している国である。
今まで国際社会で存在感がないとかリスペクトされてないんじゃないかとか、どっちかといえば自虐的だった日本の国際評価だけど、こんな非常時にほんとうの評価がわかる。日本は世界中から愛されている。尊敬されている。感謝されている。決して派手な話題はなかったかもしれないけど、長い年月の積み重ねの上に成り立った評価が、こんなときに形になって表われてくる。
海外に目を向けなくても、国内でもたくさんの人が募金をし、援助物資を寄付している。誰もが被災地のことを毎日考え、できることを模索している。
世界は意外にあたたかくて優しい。そういうことは、こんなときにしかわからない。震災は悲劇だけど、震災が起こらなかったらわからなかったこともある。
わかってよかった、と思うことも、確実にある。



みなさん大丈夫ですか?

2011年03月19日 | diary
ぐりは大丈夫です。

この1週間で、すっかり世の中が変わってしまったように感じる。
世界中の人がビックリするくらい日本人は冷静にこの大惨事に対処しているようにみえるけど、一方で妙に疑心暗鬼になってもいるようにも感じる。
東電や政府の発表はいかにも胡散臭くて、常識的な人間なら誰でも「嘘つけよ」とツッコミたくなるようなあやふや発言まみれなのに、真剣に怒るマスコミはまったくいない。というかいても記事にはなってない。なのに心が寒くなるようなデマはうんざりするくらい飛び交いまくっている。
関東では計画停電が始まり、電車など公共交通機関の運行が大幅に減り、コンサートやイベントなどの催事にも中止が相次いでいて、はっきりいってかなり混乱している。さすがに今のところ大きな声で文句をいう人間はいないが、既に死亡事故も起きているし、1週間、2週間後もこのままみんなおとなしく黙っているとはちょっと思えない。
その一方で、食べられもしないくらい食料品を買い占めたり、使いきれないくらい消耗品を買い貯めたりする人もいる。地方はどうかわからないけど、とりあえず都内の、ぐりの生活圏では、お米や飲料水・インスタント食品・缶詰・レトルト・パンの類いからなぜか卵・牛乳は店頭にほとんど残されていない。乾電池・トイレットペーパー・箱ティッシュ・紙オムツ・粉ミルクは地震の翌日から見かけない。原発が爆発した翌朝にはとろろ昆布が消えた。

情けないことだ。悲しいことだと思う。
この同じ国に、雪が降るほど冷えるというのにろくな暖房もなく、あたたかい食事もなく、お風呂にも入れず、家族や親しい人と引き離され、住み慣れた故郷は泥まみれの瓦礫の山、まだ亡くなられた人たちのご遺体もそのままになっている、どこかに行きたくても移動手段すらない、そういう人たちが30万人以上いる。おまけに放射能まで降っている。
被災者の方々に日本中、世界中から支援の手は差し伸べられている。だがこの方々に選り好みする自由はない。ただそこに住んでただけなのに、こんなにひどいめにあわなくてはならない理由はなにひとつないのに、家も仕事も家族も何もかもを奪われて、明日どうなるかもわからない境遇に置かれている、そういう人が30万人以上もいるのだ。
なのになんでそんなみっともない真似ができるのだろう。

こういうときでもどんなときでも、人には自分の利益を守る権利がある。
だから、政府のいうことは信用できない、東電は嘘ばっかりついている、絶対東京は危ない、といって疎開していく人を責めたいとは思わない。とくに小さいお子さんやお年寄り、病気療養中のご家族がいるというご家庭などは致し方ないと思う。いざという時に身軽に動けない場合は大事をとって余裕を持って動くのが当然だし、弱いものは守られるべきだからだ。
外国政府が在日の自国民に日本政府よりも大幅な退避や国外退去を勧告するのも当然だと思う。彼らにだって政府として自国民を守る義務がある。日本人は気づかないかもしれないけど、外国人というのはどこにいても異物・少数者=社会的弱者なのだ。平常時は日本人社会の中でもなんとなくバランスをとって共存できていても、非常時には何が起こるかわかったものではない。多くの朝鮮人がデマの末に市民の暴力の犠牲になった関東大震災からまだ90年も経っていない。現に今回も既に「外国人のせいで避難所が混乱している」(東北地方には多くの外国人が留学生・研修生として滞在している)などといったデマが飛び交い始めている。誰も何も学習していないではないか。恥ずかしいことだ。
だから、君子危うきに近寄らず、安全な場所で自分の身は自分で守りたい、という人には是非そうしてもらいたいと思う。

だけど、ヒステリックに自分の考えをあたかも警告のように無責任に主張するのはいかがなものかと思う。疎開したい人は静かに穏やかに去ればよいだけのことではありませんか?何も他人に強制しなくてもよろしいではありませんか(Uさん、あなたのことではありません。念のため)?
親切心でいってくれているのかもしれない。心配してくれているのかもしれない。それはとてもありがたい。
とはいえ、ほんとうに、マジでガチでヤバくなったとして、まさかそれを政府が国民に黙っているとはさすがにぐりも思っていない。
ぐりはどこの国の政府もあんまし信用してない根性の曲がった人間だけど、今はインターネットとゆー便利なものもあるし、東京電力さんからありがたい広告費をいただいてないマイナーメディアの公平な報道だってちゃんと伝わっているし、自分の考えで自分のとるべき行動は決めたいと思っている。
ただ、これだけははっきりいっておきたいのだが、今、原発事故でいちばん苦しんでいる・これからも苦しまなくてはならないのは福島の人たちだ。そしてこの福島県は今回事故を起こした福島第一原発を所管する東京電力のサービスエリアではない。
つまり、福島の人たちは、自分たちのために電気をつくっているわけでもない、都会に電気を送るためにわざわざ建てられた原発がまき散らしている放射能にさらされているのだ。こんな理不尽な話はない。
そういう人たちがどこへも逃げられずにいるのに、自分はちゃっちゃとどっかに行っちゃおう、というふうにはぐり(@東電サービスエリア在住)はちょっと考えられないです。少なくとも今のところは。
本気で福島原発が爆発したとして、そこから放射性物質が東京に到達するまでに18~24時間はかかるらしいし、そのときになってから考えます。

とかなんとかエラソーなことをいってるぐりですが、実をいうと怖くてしょうがなくて、この1週間ほとんど眠れていない。
TVを観ないぐりにしては珍しく常にTVはつけっぱなし、24時間いつでも出かけられる服装をして、寝る時もそのままの格好でラジオにヘッドホンをつっこんでリビングの床に寝ていた。寝室は窓が多くて危険だからである。そんなの眠れるわけがない。
都内でも余震が多く、毎日のように震度3以上の地震が続いているので、なんだか体がずっと揺れているように感じる。完全に地震酔いである。
ひとり住まいで心細く、地震のあとは仕事も自宅待機になっていたので、昼間はSkypeをつないで友人といつでも話せるようにしていてもらった。ほんとうに長い時間、精神的にそばにいてくれた友人には深く感謝している。

原発の状況はいつ落ち着くのかもわからない。余震もいつまで続くのかもわからない。
いつになれば安心して眠れる日が来るのかもわからない。
なので今日の日記にはオチはないです。
とにかくとっとと、原発とやらいうガラクタをどうにかしてほしい。ちなみにぐりは生涯一度だけ仕事を断ったことがあって、それは原発関係の啓発事業だった。要するにぐりは原発はキライです。最初からキライだったし、これからも好きにはなれそうにない。
あと首相官邸はアホな鎖国はヤメて、ちゃんと全部のメディアを記者会見に入れて下さい。毎日朝から晩までこんな茶番につきあってるのもいい加減飽きました。


ぐりのうちの防災セット。毛布と水とヘルメット、軍手にラジオに懐中電灯。リュックには着替えと洗面用具、非常食が入ってます。ヘルメットは今回買いました。

デマまとめサイト。
地震のどさくさに差別をたれ流す人々
地震のデマ・チェーンメールその1
ず's WiLiKi デマの検証サイト一覧
ホントにヒマってゆーか無責任ってゆーか・・・。
ここにさらされてるアカウントの中に皆様のご友人やご家族がいらっしゃらないことを願います。