『ピンクとグレー』
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ともに役者を目指しながら先にブレイクした親友のバーター仕事に嫌気がさした主人公。3年後、同窓会で再会した彼に誘われて自宅を訪問、そこで変わり果てた旧友の姿を発見する。自分宛の遺書に書かれた通り亡き友の伝記小説を書いて自ら主演、時の人となるが・・・。
タレント・加藤シゲアキの処女小説を行定勳が大胆な翻案で映像化。
(じゃっかんネタバレなので読みたくない方はページを閉じてください)
最近あまり映画のレビューを書かなくなった。
このブログはもともと無限に映画を観まくっていたときに、備忘録として・あるいは観た映画の内容を自分なりに整理するために始めたんだけど、書くからには多少の労力もかかるし、さすがにハズレの作品のレビューは書こうというモチベーションももうひとつあがらない。
最近はとくにハズレが続いて、更新も1ヶ月以上滞ってましたね。ハイすみません。
そういう中で観た邦画として、これはちょっとひさしぶりの当りでした。
原作を読んでないのでやたら宣伝されてた「仕掛け」が何なのかはわからないし、正直にいってどうでもいい。なんとなく推測はつくけど、個人的には、この物語の主軸はそういうギミックの大胆さとは無関係な気がする。視覚的には確かに大胆ではあるけどね。だってキャストの役柄が中盤で全員入れ替わるんだもん。いわゆるアートムービーや舞台劇では見なくもない手法だと思うけど、一般的な娯楽映画ではあんまり観たことない。少なくとも私はないかな。
で、この物語のいちばんの核の部分はその「役が入れ替わる」部分じゃないかと。
主人公たちは役者を目指す若者だけど、そもそも役者は「自分」ではない「誰か」を演じる職業だ。だがその表現のベースになるのは「自分」というアイデンティティをいかに無防備にさらけ出せるかという、究極の自己主張の体力でもある。本気で役になりきるということは自ら役を生きることでもあるわけだから、もともとの自分のパーソナリティはどこか別の場所に捨てなくてはならない。捨てておいて、役として自分に正直に表現することで「他人」を演じるのが役者だ。いったん自分を捨てても仕事が終わればとりもどせるとはいえ、スターになれば年がら年中、オーディエンスの求めるスターという虚像を演じ続けなくてはならなくなる。これほど窮屈な仕事もないが、若者たちにとってはそれが夢だ。
自分が何者なのか、どこにいこうとしているのか迷いながら、「スター・白木蓮吾の無二の親友」を演じ続ける大貴の苦悩はそのまま、若くして命を絶った蓮吾や、菅田将暉や夏帆演じる役者仲間たちの苦悩でもある。
有名になりたいのか、役者になりたいのか。
そして無二の親友と信じた蓮吾が、何のために死んだ後も自分を操ろうとするのか、彼をいったいどこまで理解していたのかという迷いも、世に出ていこうという若者独特の悩みだと思う。
狭い団地で親しく幼少時代を過ごし、大人になってもいっしょに暮していた蓮吾と大貴。無条件に互いを受け入れあい、わかりあっていると信じられたのは、幼かった彼らの世界が小さく完結した閉じられた世界だったからだ。
でも、そんな平和は子どもたちのおとぎの世界でしか通用しない。ほんとうは世の中はもっと残酷だし、嘘も欺瞞も満ちあふれている。そのなかで何を信じて生きていくかを、自分自身の心の目で選び勝ちとってはじめて、人間は自立の道を歩き始める。
それを蓮吾は大貴に伝えたかったのではないかと思う。
それも友情だし、愛だ。
タレント小説の映画化で主演はアイドルという青春映画だけど、すごく楽しめたし、ちゃんとしたいい映画だと思います。途中ちょっとダルかったけど、全体としてよくできてます。このジャンルの映像作品としては、ちょっとないくらいの完成度ではないかと思います。
出演者も笑っちゃうくらいハマってました。主演の中島裕翔は映画は初めてだと思うんだけど(違かったらごめん)堂々としてるし、前半と後半でまったく別のキャラクターを器用に演じ分けてました。立派。菅田将暉や夏帆がうまいのは当たり前としても、“世間で話題の実力派若手俳優”という曖昧なパブリックイメージをスパイシーに再現していておもしろかった。出色は柳楽優弥かな。ほんの少ししか登場しないけど、それだけの登場回数でこれだけのインパクトと説得力を観客に与えられるのはさすがです。さすがとしかいいようがない。見事でした。
芸能人でなくても、SNSなどネットの世界を通じて誰もが一夜にして有名人になれる現代。
自分は誰でどうありたいのか、周りにどうとらえられたいのか、周りの評価は自分にとっていったい何なのか、有名であることを自ら浪費しながらもそれにふりまわされる世相をうまく皮肉った、結構ブラックな映画でもあるように感じました。
そういう点ではこれは青春映画というだけでなく、ある程度大人向けのエンターテインメント作品でもあるかなと思います。
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ともに役者を目指しながら先にブレイクした親友のバーター仕事に嫌気がさした主人公。3年後、同窓会で再会した彼に誘われて自宅を訪問、そこで変わり果てた旧友の姿を発見する。自分宛の遺書に書かれた通り亡き友の伝記小説を書いて自ら主演、時の人となるが・・・。
タレント・加藤シゲアキの処女小説を行定勳が大胆な翻案で映像化。
(じゃっかんネタバレなので読みたくない方はページを閉じてください)
最近あまり映画のレビューを書かなくなった。
このブログはもともと無限に映画を観まくっていたときに、備忘録として・あるいは観た映画の内容を自分なりに整理するために始めたんだけど、書くからには多少の労力もかかるし、さすがにハズレの作品のレビューは書こうというモチベーションももうひとつあがらない。
最近はとくにハズレが続いて、更新も1ヶ月以上滞ってましたね。ハイすみません。
そういう中で観た邦画として、これはちょっとひさしぶりの当りでした。
原作を読んでないのでやたら宣伝されてた「仕掛け」が何なのかはわからないし、正直にいってどうでもいい。なんとなく推測はつくけど、個人的には、この物語の主軸はそういうギミックの大胆さとは無関係な気がする。視覚的には確かに大胆ではあるけどね。だってキャストの役柄が中盤で全員入れ替わるんだもん。いわゆるアートムービーや舞台劇では見なくもない手法だと思うけど、一般的な娯楽映画ではあんまり観たことない。少なくとも私はないかな。
で、この物語のいちばんの核の部分はその「役が入れ替わる」部分じゃないかと。
主人公たちは役者を目指す若者だけど、そもそも役者は「自分」ではない「誰か」を演じる職業だ。だがその表現のベースになるのは「自分」というアイデンティティをいかに無防備にさらけ出せるかという、究極の自己主張の体力でもある。本気で役になりきるということは自ら役を生きることでもあるわけだから、もともとの自分のパーソナリティはどこか別の場所に捨てなくてはならない。捨てておいて、役として自分に正直に表現することで「他人」を演じるのが役者だ。いったん自分を捨てても仕事が終わればとりもどせるとはいえ、スターになれば年がら年中、オーディエンスの求めるスターという虚像を演じ続けなくてはならなくなる。これほど窮屈な仕事もないが、若者たちにとってはそれが夢だ。
自分が何者なのか、どこにいこうとしているのか迷いながら、「スター・白木蓮吾の無二の親友」を演じ続ける大貴の苦悩はそのまま、若くして命を絶った蓮吾や、菅田将暉や夏帆演じる役者仲間たちの苦悩でもある。
有名になりたいのか、役者になりたいのか。
そして無二の親友と信じた蓮吾が、何のために死んだ後も自分を操ろうとするのか、彼をいったいどこまで理解していたのかという迷いも、世に出ていこうという若者独特の悩みだと思う。
狭い団地で親しく幼少時代を過ごし、大人になってもいっしょに暮していた蓮吾と大貴。無条件に互いを受け入れあい、わかりあっていると信じられたのは、幼かった彼らの世界が小さく完結した閉じられた世界だったからだ。
でも、そんな平和は子どもたちのおとぎの世界でしか通用しない。ほんとうは世の中はもっと残酷だし、嘘も欺瞞も満ちあふれている。そのなかで何を信じて生きていくかを、自分自身の心の目で選び勝ちとってはじめて、人間は自立の道を歩き始める。
それを蓮吾は大貴に伝えたかったのではないかと思う。
それも友情だし、愛だ。
タレント小説の映画化で主演はアイドルという青春映画だけど、すごく楽しめたし、ちゃんとしたいい映画だと思います。途中ちょっとダルかったけど、全体としてよくできてます。このジャンルの映像作品としては、ちょっとないくらいの完成度ではないかと思います。
出演者も笑っちゃうくらいハマってました。主演の中島裕翔は映画は初めてだと思うんだけど(違かったらごめん)堂々としてるし、前半と後半でまったく別のキャラクターを器用に演じ分けてました。立派。菅田将暉や夏帆がうまいのは当たり前としても、“世間で話題の実力派若手俳優”という曖昧なパブリックイメージをスパイシーに再現していておもしろかった。出色は柳楽優弥かな。ほんの少ししか登場しないけど、それだけの登場回数でこれだけのインパクトと説得力を観客に与えられるのはさすがです。さすがとしかいいようがない。見事でした。
芸能人でなくても、SNSなどネットの世界を通じて誰もが一夜にして有名人になれる現代。
自分は誰でどうありたいのか、周りにどうとらえられたいのか、周りの評価は自分にとっていったい何なのか、有名であることを自ら浪費しながらもそれにふりまわされる世相をうまく皮肉った、結構ブラックな映画でもあるように感じました。
そういう点ではこれは青春映画というだけでなく、ある程度大人向けのエンターテインメント作品でもあるかなと思います。