『箱入り息子の恋』
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天雫健太郎(星野源)は35歳の市役所職員。無遅刻無欠勤で13年勤めて一度も昇進したことがない。酒もタバコものまず上司や同僚とのつきあいもなく、余暇は部屋に閉じこもってペットのカエルと遊ぶか格闘ゲームに明け暮れる息子の将来を危惧した両親(平泉成・森山良子)は親同士の代理見合いで結婚相手を探そうと考え、その席で出会った今井夫妻(大杉蓮・黒木瞳)の娘・奈穂子(夏帆)の美貌を見初めるのだが・・・。
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で注目を集めた星野源の映画初主演作品。
タイトル上はまるで息子が主人公みたいだけど、そうじゃないですねこれ。
実際には、ちょっと変わった息子をとりまく家族や社会の不条理をほのぼのと描いた社会派ホームコメディです。
息子は確かにかなり変わってます。35歳で童貞ってところはいまやもう現実としてそう変わってるとはいえないだろう。だって独身男女の6〜7割に交際相手がいない・4割以上に性交渉の経験がない世の中です(2016年 国立社会保障・人口問題研究所調べ)。ただそれでも大多数の人間はそれでもどうにかこうにか人と関わり、あるいは関わりたいと願い、その願いゆえに傷ついたりつまずいたりしつつも生きているわけで、健太郎のように家族以外の人との交流をほぼ完全に遮断した人生に完結できる人間はそうはいない。
健太郎のほんとうに変わっているところは、自分ではそう完結しているつもりでいながら、奈穂子の父・晃に何度罵倒され、暴力をふるわれようと決して折れることのない厚顔無恥なんじゃないかと思う。見合いの席で「今井さんは知りもしない相手に面と向かって笑われたことはありますか」と問うように、おそらく彼は幾度となくいわれのない嘲笑や陰口に傷ついて来たのだろう。その痛みを、おそらく彼は満足に消化しないまま35年間生きていたのではないかと思う。だから心を閉ざし人と関わることを避け、貝のように殻に閉じこもって暮す人生を選んだ。一方で健太郎はその痛みを知らない・あるいは我がこととして共感できない晃の非礼に、正面から反論する理性がある。そこが普通じゃない厚顔無恥ぶりだし、その一点だけがこの物語を前に進めていく動力になっている。
とはいえ、息子のために代わりに見合いをする天雫夫妻や今井夫妻も、いまどき変わった両親ともいえない。健太郎のプロフィールを見て“不合格”のレッテルを貼る晃にせよ、奈穂子の障害に驚きうろたえ、晃の剣幕に憤慨する寿男やフミにせよ、子どもの将来を案じる親としてはごく当たり前のキャラクターではある。
それなのに物語がどこか滑稽にみえるのは、人間誰もが我が子のこととなるとつい夢中になって周りが見えなくなって、冷静な判断がしにくくなってしまう、ごくふつうの親心がしばしば極端な行動に結びつきやすいからだろう。
ふた組の親はただ我が子の幸せだけを願っているだけなんだけど、本人たちの思惑は親の願い通りにはなかなかいかない。健太郎の性格や奈穂子の障害は、単に親子のディスコミュニケーションをひきたてるための道具でしかないのだが、その意味では非常に映画的にうまく機能している。
物語全体がものすごく淡々としていて、健太郎のキモいキャラにときどき辟易しそうになるのだが、奈穂子に接するときのあくまでも優しくあたたかく誠実な態度が爽やかなのが、さすが映画・さすがファンタジーと毎回しみじみと感じてしまいました。展開がいちいちマンガなんだよね。そんなワケあるかーな展開しかないの。
だから全体通して観ると完全にコメディなんだけど、パッケージとしてはコメディじゃないんだよね。
学齢期や年齢や職業や性的指向や障害の有る無しで人を“値踏み”することや、人の幸不幸を価値観で判断することの無意味さを訴えたかったってところはまあわかるんだけどね。
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天雫健太郎(星野源)は35歳の市役所職員。無遅刻無欠勤で13年勤めて一度も昇進したことがない。酒もタバコものまず上司や同僚とのつきあいもなく、余暇は部屋に閉じこもってペットのカエルと遊ぶか格闘ゲームに明け暮れる息子の将来を危惧した両親(平泉成・森山良子)は親同士の代理見合いで結婚相手を探そうと考え、その席で出会った今井夫妻(大杉蓮・黒木瞳)の娘・奈穂子(夏帆)の美貌を見初めるのだが・・・。
ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で注目を集めた星野源の映画初主演作品。
タイトル上はまるで息子が主人公みたいだけど、そうじゃないですねこれ。
実際には、ちょっと変わった息子をとりまく家族や社会の不条理をほのぼのと描いた社会派ホームコメディです。
息子は確かにかなり変わってます。35歳で童貞ってところはいまやもう現実としてそう変わってるとはいえないだろう。だって独身男女の6〜7割に交際相手がいない・4割以上に性交渉の経験がない世の中です(2016年 国立社会保障・人口問題研究所調べ)。ただそれでも大多数の人間はそれでもどうにかこうにか人と関わり、あるいは関わりたいと願い、その願いゆえに傷ついたりつまずいたりしつつも生きているわけで、健太郎のように家族以外の人との交流をほぼ完全に遮断した人生に完結できる人間はそうはいない。
健太郎のほんとうに変わっているところは、自分ではそう完結しているつもりでいながら、奈穂子の父・晃に何度罵倒され、暴力をふるわれようと決して折れることのない厚顔無恥なんじゃないかと思う。見合いの席で「今井さんは知りもしない相手に面と向かって笑われたことはありますか」と問うように、おそらく彼は幾度となくいわれのない嘲笑や陰口に傷ついて来たのだろう。その痛みを、おそらく彼は満足に消化しないまま35年間生きていたのではないかと思う。だから心を閉ざし人と関わることを避け、貝のように殻に閉じこもって暮す人生を選んだ。一方で健太郎はその痛みを知らない・あるいは我がこととして共感できない晃の非礼に、正面から反論する理性がある。そこが普通じゃない厚顔無恥ぶりだし、その一点だけがこの物語を前に進めていく動力になっている。
とはいえ、息子のために代わりに見合いをする天雫夫妻や今井夫妻も、いまどき変わった両親ともいえない。健太郎のプロフィールを見て“不合格”のレッテルを貼る晃にせよ、奈穂子の障害に驚きうろたえ、晃の剣幕に憤慨する寿男やフミにせよ、子どもの将来を案じる親としてはごく当たり前のキャラクターではある。
それなのに物語がどこか滑稽にみえるのは、人間誰もが我が子のこととなるとつい夢中になって周りが見えなくなって、冷静な判断がしにくくなってしまう、ごくふつうの親心がしばしば極端な行動に結びつきやすいからだろう。
ふた組の親はただ我が子の幸せだけを願っているだけなんだけど、本人たちの思惑は親の願い通りにはなかなかいかない。健太郎の性格や奈穂子の障害は、単に親子のディスコミュニケーションをひきたてるための道具でしかないのだが、その意味では非常に映画的にうまく機能している。
物語全体がものすごく淡々としていて、健太郎のキモいキャラにときどき辟易しそうになるのだが、奈穂子に接するときのあくまでも優しくあたたかく誠実な態度が爽やかなのが、さすが映画・さすがファンタジーと毎回しみじみと感じてしまいました。展開がいちいちマンガなんだよね。そんなワケあるかーな展開しかないの。
だから全体通して観ると完全にコメディなんだけど、パッケージとしてはコメディじゃないんだよね。
学齢期や年齢や職業や性的指向や障害の有る無しで人を“値踏み”することや、人の幸不幸を価値観で判断することの無意味さを訴えたかったってところはまあわかるんだけどね。