『15時17分、パリ行き』
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スペンサー(スペンサー・ストーン)、アンソニー(アンソニー・サドラー)、アレク(アレク・スカラトス)はカリフォルニア州サクラメントの小学校時代からの友人同士。学校では問題児だったが「誰かを助けたい。役に立ちたい」という願いから軍に入隊。空軍所属のスペンサーと州兵のアレクは、夏休みにドイツに滞在していた大学在学中のアンソニーとヨーロッパ旅行で合流しようと計画する。
2015年にアムステルダム発パリ行きの高速鉄道の車内で起きたテロ事件をクリント・イーストウッドが映画化。
テロ事件の実録ものというとつい差別や偏見や無理解などといったカタめのメッセージこってりな社会派映画を想像しちゃうんですが(私はした)、あにはからんやすっごい淡々とした作品でした。
冒頭の内容紹介の通り、主人公3人をはじめ列車の乗客の一部も事件の当事者が演じている。事件から2年後というスピード映画化だからできたんだよね。でも実は私は本人が演じてるのを全然しらないで観ちゃいました。途中で気づいてビックリしてしまった。だって芝居がめちゃめちゃ自然だもん。役者さんだと思うでしょう。
物語は学校で厄介者扱いされてばかりだった彼らの幼少期から始まる。
勉強はできないし学校のルールにも馴染めない。両親は離婚していて、学校に呼び出された母親はそのことで教師に当てこすりまでいわれてしまう。頭のまわるアレクが思いつくとんでもないイタズラも、バレてしまえばただただ素直に落ち込む。
要は、とくにいい子でもなければ悪い子でもない、どこにでもいる普通の男の子たちである。ふくよかな体型をネタに嘲られる自分を変えようと一念発起したスペンサーは空軍を志すけど、入隊後の訓練だってあくまでも訓練。ぜんぜんエキサイティングなんかではない。だから空軍兵士になってもスペンサーはやっぱり「普通の」スペンサーのままである。
旅行の話になって大きくなったアレクやアンソニーが再び画面に登場しても、穏やかな物語進行に変化はない。ローマからヴェネツィア、ベルリンからアムステルダムと初めてのヨーロッパを満喫する20代初めのアメリカの田舎の男の子たちのバカンスはそのものズバリのおのぼりさんである。楽しそうですごくヨーロッパに行きたくはなったけどね。ベルリン以外は行ったので、なんだか懐かしくもあったけど、彼らのはしゃぎようが、アメリカの田舎の男の子にとってヨーロッパってアジアよりも遠いのかもしれないという気持ちにもなった。
問題のテロ事件は映画の全体の3分の1程度で、そのパートが始まるまではほんとうに静かな作品だし、事件が始まっても無駄にやかましい音楽などは使用せず、あくまでもリアリズムにこだわった実録映画になっている。
特別でもなんでもないどこにでもいる普通の男の子だった彼らが、車内で発砲しはじめたテロリストに対し、訓練で身につけた柔術と冷静な機転と団結力で暴力に立ち向かい、結果的に制圧に成功してヒーローになった。
この作品の核はたったひとつ、その一点に絞られている。
ヒーローは特別な誰かなんかじゃない。
心から平和を願って、何かひとつでも行動することができたら、その時点でその人はヒーローなのだ。
そのことを、この逸話はこれ以上なく能弁に語っている。
劇場公開時に観たかったんだけど行きそびれてしまい、今回観れて良かったです。100分と最近のハリウッド映画にしては破格の短さ(笑)で気軽に観れたのもよかったです。
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スペンサー(スペンサー・ストーン)、アンソニー(アンソニー・サドラー)、アレク(アレク・スカラトス)はカリフォルニア州サクラメントの小学校時代からの友人同士。学校では問題児だったが「誰かを助けたい。役に立ちたい」という願いから軍に入隊。空軍所属のスペンサーと州兵のアレクは、夏休みにドイツに滞在していた大学在学中のアンソニーとヨーロッパ旅行で合流しようと計画する。
2015年にアムステルダム発パリ行きの高速鉄道の車内で起きたテロ事件をクリント・イーストウッドが映画化。
テロ事件の実録ものというとつい差別や偏見や無理解などといったカタめのメッセージこってりな社会派映画を想像しちゃうんですが(私はした)、あにはからんやすっごい淡々とした作品でした。
冒頭の内容紹介の通り、主人公3人をはじめ列車の乗客の一部も事件の当事者が演じている。事件から2年後というスピード映画化だからできたんだよね。でも実は私は本人が演じてるのを全然しらないで観ちゃいました。途中で気づいてビックリしてしまった。だって芝居がめちゃめちゃ自然だもん。役者さんだと思うでしょう。
物語は学校で厄介者扱いされてばかりだった彼らの幼少期から始まる。
勉強はできないし学校のルールにも馴染めない。両親は離婚していて、学校に呼び出された母親はそのことで教師に当てこすりまでいわれてしまう。頭のまわるアレクが思いつくとんでもないイタズラも、バレてしまえばただただ素直に落ち込む。
要は、とくにいい子でもなければ悪い子でもない、どこにでもいる普通の男の子たちである。ふくよかな体型をネタに嘲られる自分を変えようと一念発起したスペンサーは空軍を志すけど、入隊後の訓練だってあくまでも訓練。ぜんぜんエキサイティングなんかではない。だから空軍兵士になってもスペンサーはやっぱり「普通の」スペンサーのままである。
旅行の話になって大きくなったアレクやアンソニーが再び画面に登場しても、穏やかな物語進行に変化はない。ローマからヴェネツィア、ベルリンからアムステルダムと初めてのヨーロッパを満喫する20代初めのアメリカの田舎の男の子たちのバカンスはそのものズバリのおのぼりさんである。楽しそうですごくヨーロッパに行きたくはなったけどね。ベルリン以外は行ったので、なんだか懐かしくもあったけど、彼らのはしゃぎようが、アメリカの田舎の男の子にとってヨーロッパってアジアよりも遠いのかもしれないという気持ちにもなった。
問題のテロ事件は映画の全体の3分の1程度で、そのパートが始まるまではほんとうに静かな作品だし、事件が始まっても無駄にやかましい音楽などは使用せず、あくまでもリアリズムにこだわった実録映画になっている。
特別でもなんでもないどこにでもいる普通の男の子だった彼らが、車内で発砲しはじめたテロリストに対し、訓練で身につけた柔術と冷静な機転と団結力で暴力に立ち向かい、結果的に制圧に成功してヒーローになった。
この作品の核はたったひとつ、その一点に絞られている。
ヒーローは特別な誰かなんかじゃない。
心から平和を願って、何かひとつでも行動することができたら、その時点でその人はヒーローなのだ。
そのことを、この逸話はこれ以上なく能弁に語っている。
劇場公開時に観たかったんだけど行きそびれてしまい、今回観れて良かったです。100分と最近のハリウッド映画にしては破格の短さ(笑)で気軽に観れたのもよかったです。