落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ろくでなし休み終了

2009年05月31日 | diary
先日、海外から一時帰国した友だちと1年ぶりに会いまして。
彼女とは大学時代からのつきあいですからもう長いです。卒業後は直接会うのは年に1回とかそれくらいですが、つきあいが長いので会ってもいっつもしょーもない話ばっかりしてる。後でどんな話したか思い出そうとしてもだいたい全部忘れてる。それくらいしょーもないことしか喋ってない。
と思ったら彼女の方はわりと覚えてたりします。自分では忘れてるよーなことなのに彼女の方がちゃんと記憶してたり。やっぱあたしのノーミソやばい?
いやでもホントにバカバカしいことばっかし喋ってるからー。こないだもTVの話してた。彼女が今住んでるところでは日本のTVは観れなくて、親戚からネットでデータを送ってもらって観てるらしーのです。その親戚が地方在住なのでローカル番組が多いそーですが。もともとぐりがTV観ないせいもあるけど、観てたとしても東京じゃ観れない番組だったり。だから会話の意味もスッカスカ。けどおもろい。
しかし友だちとのしょーもない意味のない会話ってなぜにこれほど楽しいのか。笑ったー。

明日からまた会社員になるぐりですけれども。
1ヶ月くらいのらくらしましたけど、なんだかんだでロクなことやりませんでした。遊んでー、寝てー、本読んでー、久しぶりにマンガ読んでー、映画観てー、散歩してー・・・また腰痛くなるまで寝てー。終わり。こんなに実のない1ヶ月が生涯にかつてあったか?っちゅーくらい、なーんもしませんでした。
こんなんで社会復帰できんのかなー?ワタシ。
本来ならこの時間を利用して自主制作とかやるべきなんでしょーが、実はちょっと前から自宅のマシンが根本的にイカレてしまい、制作作業がほとんどできなくなってしまった。やろーと思ったらかなりの設備投資も必要だし・・・まー結局めんどくさいから。またでいーや。つか「また」っていつやねん?でもいーや。

とりあえず、また「ちょっとはまともな社会人」目指して頑張りまーす。テキトーに。


実家の庭のバラ。
うちの母は植物画をやっとりまして、モチーフになる植物のほとんどを自前で栽培してるんだけど、ここ数年はバラに凝っている。
世話は自分でもするけど父も手伝っていて、今はバラの鉢ばっかし70個以上あるんだと。そんなにあっても全部描けへんやろがー。
でもふたりともおかげですっかり園芸オタク。どこへ行っても植物の話ばーっかりやってる。オタクなのは血筋なのだね。

それはよかった

2009年05月30日 | book
『1Q84』 村上春樹著
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昨日の発売以前に増刷がかかるとゆー異常な勢いで売れまくっている村上春樹の5年ぶりの書き下ろし長篇小説。
この前の長篇といえば『アフターダーク』ですけれど。正直なところこれはあんましぐり好みではなかったっす。読んでてうまく内容に入っていけないとゆーか。その前の長篇で世界的にもベストセラーになった『海辺のカフカ』もぶっちゃけ1回しか読んでない。今回『1Q84』を読んで、もっかい読みなおさにゃーと思いましたん・・・。

発売前に読者に予断を持たせたくないという作者の意向もあって、事前にまったく内容を明らかにされなかった『1Q84』。
なのでぐりもここではストーリーそのものには触れずに置こうと思います。そーゆーのがお知りになられたい方は他でお調べくださいませー。
ストーリーに触れなくてもこの小説には語れることがいくつもあるし、だいたい、現時点で発売されている2巻では物語は終わってないんだからまとめようがない(まとめてもいいけど正確さに疑問が残る)。
そう、この話は2巻で終わらないのだ。2巻の最終ページに「つづく」なんて書いてあるわけじゃないけど、明らかに物語は途中で切られているし、著者は発売前のインタビューでこれが「今までで最も長い作品になる」と発言していたが、今の長さでは『ねじまき鳥クロニクル』より全然短い。たぶんこの後、時間を置いて3巻以降が発表されるはずだと思う。それが年内なのか、来年になるのかはわからないけど。

昨日書店で買って、コーヒーショップや定食屋をはしごしながら家に帰る途中で1巻を読み終わり、ひと晩挟んで2巻まで一気に読んだ。
ほんとは全部一気読みしたかったけど、2巻の半分くらいで眠くなって一旦寝た。すると夢の中に、タイトルのわからない村上春樹の旧作のストーリーが浮かんで来て、眠りながら「これってなんてタイトルだっけ?」と一生懸命記憶を手繰っていた。目が覚めてからもしばらくは「あれは何だっけ?」と考え続けてたけど、よくよく考えれば夢の通りの小説は現実の村上作品にはない(少なくともぐりの知るかぎりでは)。
ぐりは単細胞なのでこういう夢をみるのにはごく当り前な理由があって、昨日寝る直前まで読みふけっていた『1Q84』が、まさに「あれ?これ前にどっかで読んだ・・・?」的な既視感にみちみちていたからである。
それもハンパない既視感。読んだはずのない架空の“旧作”を夢の中ででっちあげちゃうくらいだから相当です。世間のアンチ村上派なら、あるいは「こんなのセルフパロディだ」とかいいだしかねない。
まず文体がかなり逆行している。ぱっと見た印象では、最近の村上作品よりは80年代の村上作品の方に近いくらいである。良い意味で深刻さがなくて軽妙洒脱、80年代の作品に比較すると若干ユーモアの要素が後退しているが、べつにそれで重くなるというわけではない。
それから物語の構成がやはりそのころの村上作品に似ている。『1Q84』はふたつの物語が交互に並行して語られる。これは『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と同じ構成だが、一方の結末がもう一方の始まりに繋がっていた『世界の終り〜』と、ぴったり同じ時系列で進行する『1Q84』とでは、ふたつの物語の関わり方は微妙に違う。違うけど読んでいるときの“感触”は近いものがある。『1Q84』のふたつの物語は同じ時系列で主人公が同世代という以外、あまり共通点がない。少なくとも初めはない。読み進んでいくうちに、ふたつは実はひとつの物語を別々の側面から描いていることがだんだんわかっては来るものの、物語の性質としてジャンルとして両者はかなりかけ離れている。たとえばひとつはハードボイルドなピカレスク・ロマン、もうひとつはファンタジー・サスペンスとでもゆーのか?その点で『世界の終り〜』によく似ている。あれもふたつがまったく別ジャンルの話だったから。
構成だけではなくそこに登場する要素も、80〜90年代の村上作品にお馴染みだったものが多い。文体もそれっぽいから、そのころの村上読者にしてみると「なんだかどっかで読んだような」懐かしさは強烈に感じる。物語の舞台も1984年(1Q84年)だし。

それでもこの本はあらゆる意味で「今日的」ともいえる。地下鉄サリン事件を取材した『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』の経験がなければこの小説は書かれることはなかっただろうと思うし、一貫して政治とは距離を置いて執筆活動をしてきた村上氏が左翼思想について触れるには相応の準備が必要だったはずだ。作中に重要な要素として登場するある社会問題にしても、一般的な認知度が高まっている今だからこそ題材として取り上げることが可能となったともいえる。
80年代を舞台にした物語を現代の視点から、自身の過去のスタイルをアレンジして再現するのは、人によってはある意味ちょっとズルいやり方だと感じられるかもしれない。実をいうとぐりもちょっとそう思う。
けど語りたい物語があればスタイルなんてなんだっていいじゃんか、とも思う。
村上氏は90年代からときどき期間限定で公式HPを開設しているのだが、以前、確か『カフカ』のころだったか、閉鎖直前に自ら「『ノルウェイの森』以前と以後とにわければ、どちらの村上作品が好きか」とゆー、ムチャクチャ残酷なアンケートをとっていたことがあった。ぐりは回答しなかったけど、結果としては「以前」と回答した人が圧倒的に多かった。
この結果が今回のスタイルにどの程度関わりがあるのかはわからない。
ぐりとしては、次の巻がいつ出ていつ物語が完結するのか、それだけが気がかりですけれど。だって1・2巻は超おもろかったもん。完結したらまた改めてレビューします。いつになるかわかんないけどね。

ところで今回のレビューを書くにあたってAmazonで村上春樹を検索しましたらば。スゴイですねこの人。毎月毎月、翻訳だかエッセイだか文庫だかなんだかが発売されてます。毎月て。そんなに働いてどーすんだー。
あと村上春樹といえば。もーじきクランクインする映画版『ノルウェイの森』。主役のマツケンはカタイと思うんだけど(他に思いつかない)、菊地凛子はトシ食い過ぎとちゃいまっか・・・?まあトラン・アン・ユンだからどんな出来でもとりあえず観ると思うけどー。

LA JOLLA

2009年05月27日 | movie
『レイチェルの結婚』

2日後に迫った姉レイチェル(ローズマリー・デウィット)の結婚式に出席するため、9ヶ月ぶりに更生施設を出て実家へ向かうキム(アン・ハサウェイ)。家には親族や友人たちが集まり準備に大わらわ、久々に帰宅したキムに居場所はなかった。
長女の結婚を背景に、崩壊した家庭に脈々と息づく家族の絆を描く。

タイトルだけ見るとマリッジ・コメディ?みたいな雰囲気の映画ですが。主演はコメディ女優の印象が強いアン・ハサウェイだけど、彼女この映画でオスカーにノミネートされている。パーフェクトなシナリオは巨匠シドニー・ルメットの娘ジェニー・ルメット。
舞台はコネチカット州の郊外住宅地。アッパーミドルに属するクラスの住人が多い、いわゆるサバービア。昨今ハリウッドでサバービアものといえばコネチカットが舞台になっている作品が目立つ。『レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで』しかり、『帰らない日々(原作『夜に沈む道』)』しかり、『シェイクスピアと僕の夢』しかり、ちょっと古いところでは『アイス・ストーム』しかり。
それらの題材はたいてい、経済的に充実した平和なコミュニティの中に隠された人間関係の不条理ということになる。まあね、人間誰でも完璧な生き物じゃないから、どんだけ満たされてても不都合はどっかしらから生まれてくる。

この映画のバックマン家は初めから破壊されている。次女のキムは元麻薬中毒者で入退院を延々とくりかえす問題児、両親は離婚している。その離婚にはどうも過去に家庭内で起きたある事件が関わっている。ボロボロである。
結婚して家を去ろうとしている長女レイチェルは、そんな家を最後に必死に修復しようとする。友だちや親族たちをかき集め業者を入れずに自分たちだけで結婚式を催すことで、バラバラになった自分の家を、せめてその日だけでも「完璧に幸せな家」に仕立てあげようとする。いじらしすぎて涙が出る。
だがキムにはそんな姉の乙女心はわからない。彼女は彼女自身のことで頭がいっぱいなのだ。しかし彼女の気持ちもまた、誰にも理解はされない。
そんなこんなで家族の再会は初めから波乱含みで幕を開ける。登場人物たちもいつキムが爆発するかハラハラしっぱなしだが、観ている方だってハラハラする。

映画の中で、家族は寄ると触ると些細なことで口論ばかりしている。結局彼らにとって理由なんかなんだっていいのだ。愛してるんだから愛されたい、家族なんだから自分をわかってほしい、受け入れてほしい、お互いに甘えたくて甘えたくて仕方がないからけんかになる。でも愛すればこそ、家族を信じるからこそけんかもできる。
それと同時に、家族には絶対に受け入れられない、理解できない不幸もある。どんな人間だって、自分の身内が落伍者である事実を受け入れるのは難しい。それを家族に求めるのははなから奇跡を無理に祈るようなものだ。これはぐりが現実に経験したことでもあったので、キムが家族とぶつかるシーンはいちいち泣けてしょうがなかったです。彼女の気持ちはわかる。けど無理なものは無理だ。いつか彼女にも、自分なりに折合いのつく日が来ればいいと思う。

そんな一家と、結婚式に集う人々の高揚した言葉が、えもいわれぬ対比を成している。
結婚式だから当然みんなめでたい言葉を口にする。素敵な思い出話を披露する友だちもいれば、賛辞を並べて新郎新婦を自慢する親族もいる。確かに彼らの言葉は感動的で胸に響く。それらももちろん、紛れもない愛の言葉だろう。
けど、泣きわめきながら思いをぶつけあう乱暴な応酬もまた、間違いなく愛の言葉なのだ。どんなに不完全でも、どんなに激しく傷つけあっていても、どんなに思い通りにいかなくても、彼らが家族であればこそ、それらの言葉には確固たる愛が流れている。
たとえそれが永遠でなくても、愛は愛なのだ。

ズタボロで常にぱっつぱっつにつっぱらかったバックマン家に対して、なんだかのんびりしている新郎シドニー(トゥンデ・アデビンペ)一家がうまい具合にクッションになっているのがよかったです。ちょっと存在感薄かった気がしないでもないけどね。
登場人物の人種がものすごいバラエティで(主人公一家はユダヤ系、新郎一家はアフリカ系、招待客やパーティスタッフにはヨーロッパ系はもちろんアジア系やラテン系、サモア系、中東系もいる)、劇中で演奏される音楽も世界各国オールジャンルにわたっていて非常におもしろかったです。サントラほしいなあ。婚礼衣裳や会場の装飾はなぜかインド風、宣誓は無宗教の人前結婚。
しかしここまで凝りに凝った結婚式を自力で催そうなんて信じられないよ。想像しただけで脳味噌爆発しちゃいそうですー。

時効暴露

2009年05月26日 | diary
ぐりは実は子どもがキライである。
と書くと、リアル友だちの中には驚く人も何人かいるだろう。ぐりはどっちかといえば「子ども好き」と思われている方らしいので。
でも正確にいえば、ぐりは「子ども好き」ではなくて単に「子守りが得意」なだけである。実家は自営業で共働きで、ぐりには妹がふたりいた。年子の上の子は世話するまでもないが、6つ下の末っ子の子守りはぐりの仕事だった。幼稚園のころから赤ん坊の世話をしていれば誰でもイヤでも子守りが得意になる。なので小中学生時代、親戚の集まりの場では常に何人もの赤ん坊や幼児を抱えて子守りをしていた。
だから子守りそのものはキライではない。小さな子どものあたたかくて柔らかい身体の質感を楽しんだり、まわらない口で一生懸命わけのわからない話をするのを聞くのもおもしろい。子どもを、大人とはまったく別な感覚を持った生き物・鑑賞物としてとらえる限りでは、キライじゃない。

それはそれとして、もっと大きい意味での「子ども」は、ぐりにとっては「我慢のならない存在」になる。
頭は悪いしやかましいし自己中心的だし強情だし、すぐに群れるし生意気だしワガママだし言葉遣いは汚いし、今どきどこへ行ってもどうしようもない子どもばっかりが目につく。神経に障る行動をしない子どもの方が少ないくらいである。ときどき電車とか図書館とか病院とか公共の場所で野獣のよーなのに遭遇したりすると、機関銃で全員皆殺しにしてやりたい衝動に駆られる。
とはいえぐりにも子どもを育てている友だちはいるし、子どもに厳しい昨今の社会環境を思えば、子育ての大変さは赤の他人になど推し量れないくらいのことはわかるし、子どもにだっていろいろしんどいことはあるだろうと思う。

ぐりがはっきりさせておきたいのは、「女性は子ども好きであるべき」「世の中の誰もが子ども・子連れに親切であるべき」という画一的なものの見方を誰にでも押しつけないでほしい、ということである。
少子化で子どもを生まない女性に対する風当たりがきつくなってしばらくだけど、子どもが好きだろうがキライだろうがそんなものは個人の好みの問題であって、子どもを生む生まないを社会的責任と同化して強制されるのはただの迷惑である。世間には子どもを生んで育てるのが向いてる人だっているんだから、そういう人を優遇してたくさん生んでもらった方が効率的だ。生まない女・子ども嫌いの女のことはほっといてほしい。
それと同時に、しょっちゅう見かける「こっちとら子連れでござい」な親子には心底辟易する。何も子連れは全員縮こまっておとなしく目立たないようにしておれといいたいわけではない。そうではなくて、子連れにも常識的なマナーくらい守ってほしいというだけのことである。子連れ同士大人数でぎゃいぎゃい騒いだり、子どもが周りに迷惑をかけていても「子どもなんだからしょうがないじゃん」といわんばかりに開き直ってたり、そーゆーのもぶっちゃけ皆殺しにしたくなる。そしてますます「子どもなんて大嫌い」な気分になる。

ところで。
電車の優先席には「小さなお子様連れのお客様にお席をお譲り下さい」と書いてあるけど、ぐりが子連れに席を譲っても座ってくれる人はほとんどいない。お年寄りや妊婦、身体障害者の方は大体座ってくれるけど、子連れには大抵遠慮される。
あれはなにゆえ?譲った方も恥ずかしいんですけど。まあいいけど。
ちなみにぐりは昔、某有名児童教育番組の制作会社に勤務していたことがあるんだけど、ここのスタッフはひとり残らず子なし・子ども嫌いでした。世の中そんなもんよね。あははははは。


先日の記事に書いた市場跡の廃屋。

6月リスタート

2009年05月23日 | diary
私事で恐縮ですが、転職することになり。

前の仕事は先月で退職した。
退職の事情については、ぐりにとっても世間の誰にとってもどうでもいいことなのでここでは述べない。どのくらいどうでもいいかとゆーと、路上に置き去りにされた3日前の犬の糞みたいなものである。つまり見苦しいが臭いというほどではなく、ほっとけばそのうち勝手に消えてなくなる。

退職した時点では次の仕事は決まってなくて、しばらくはのんびりのらくらしてやろーと思っていたのだが、あにはからんや意外に早く再就職先が決定。来月からはまた宮仕えの身分になる。
決まる前はなんだか落ち着かなくて不安だったけど、決まってみるともっとうだうだしてたかったなとも思う。人間勝手なもんである。
ちなみに仕事は前のとちょっと違う。似たような職種だけど、ぐりにとってはかなり昔のキャリアをほじくりかえすようなもの。なんで採用されたのかはぶっちゃけまったくわからない。大丈夫か。

ぐりはこれまでに何度か職場を替わっているけど、正直今回がいちばん疲れた。
最初の転職はまだ20代前半のときで、最初の職場を辞めてぶらぶらしてるときに友だちの紹介で入った。正規の試験は受けたけど、半分コネみたいなもんである。何にも苦労なんかなかった。
30を過ぎてそこを辞めてしばらくフリーランスで働いていて、また別の知りあいに「ウチに来ない?」と誘われて入社したのが前の職場である。場所が自宅から近くて便利だったし、給料も言い値だった。断る理由がなかった。
だから就職活動そのものは現役大学生のとき以来やってなかった。当時は若くて夢があって理想があったから、それこそ死に物狂いで仕事を探した。バブル崩壊直後の就職氷河期で、一般の大学の学生ならまだしも美大生を採用する企業なんかどこにもないような時代だった。それでも意外に早く内定が出て(4年の5月か6月だった)、その後は本命の会社にもあっさり採用されて拍子抜けしたのを覚えている。他の学生に比べたら大して苦労はしなかった。

けどもう時代も違うし、ぐりも20代の若者じゃない。就職活動ったって同じようにはできない。正直な話、どーゆーテンションで臨めばいいのか皆目見当がつかなかった。なのでほんとーに、どーして採用されたのかちんぷんかんぷん。マジな話。まあどんな会社も働いてみなきゃわかりませんから、とりあえずいっか、なんて気楽に考えてますけどね(爆)。
ところで今回の転職活動、去年初めからだいたい1年余りで何社か応募して「フーン」と思ったネタがいくつかあったので、ここに紹介します。

面接で絶対に訊かれる質問。「結婚はしないの?」。
面接官は毎回男性なんだけど、どーしても訊かずにはおれないって感じなんだよね。今どきアラフォーで独身の女性なんて珍しくもないと思うんだけど。しかしこーゆーのはどーゆー回答が望ましいんですかねー?ぐりは正直に「考えたことありません」てゆってたけど。

某社の一次試験は筆記試験と面接。応募要項には試験内容は「一般常識」と書かれていた。
ところが問題用紙3枚のうち2枚は映像技術の専門知識についての問題(滝汗)。どーゆーことやねん。そりゃぐりは映像の仕事10+α年選手ですけどね、技術職じゃないんでねえ。中にはまったく聞いたことない用語も2〜3あって焦りました。
その会社ではこの程度は「一般常識」なんでしょーかね?結果はもちろん不採用。

今回、前の職場と同じ職種にはほとんど応募しなかった。
当然のよーにどこに面接に行っても「なんでそれ辞めちゃうの?こんなに長くやってるのにもったいない」といわれた。一応ひととおりは説明するんだけど、納得してくれる人はまずいなかった。説明がマズかったのかもしれないけど、ぐりがやってた職種に対する理解度が同じ映像業界でも非常に低いことを再認識。
ちなみに採用された会社の面接ではこのことは訊かれなかった。

営業職以外はスーツを着ることがほとんどないこの業界。
転職活動も最初のころはスーツではなくてジャケットを着ていた。そんなんどーでもえーやろ、とタカをくくっていたので。
それでも何社か落ちて、これはやっぱしセオリー通りにすべきかと思い直してスーツで面接に行くようになったらあっさり採用。服装が直接関係あったかどーかはわからないけどね。
ちなみにスーツは家にあった7〜8年前のもので、そんなに良い品ではないです。色は暗めのメタリックグレーのパンツスーツ。靴はこれも家にあった茶色のアンクルブーツ。シャツはGAPのセールで買ったシルクのブラウス。再就職用に投資したのはカラーコンタクトとつけまつげくらい(特殊メイク>笑)。あ、美容院とクリーニングにはちょっとお金かかったかも。

とゆーワケで来月から新生活。
それまではまだもーちょっとのらくらするぜい。


実家近くの廃屋。
火災現場のように見えるが、廃屋になってから誰かが火をつけたらしい。そして何年もこのまま放置されている。落書きもひどい。
こんなのが住宅街にほったらかされてるなんて迷惑以外の何ものでもない。地権者(地上げ屋である)はとっとと解体すべきだと思うんだけど。