『花と兵隊』
1945年8月15日、日本は戦争に負けた。
当時、各地の前線にいた日本軍兵士はそれぞれ武装解除され、連合軍の捕虜収容所などを経て順次国内へ送られたが、中には帰国を拒み現地に留まり続けた日本兵もいた。
今もタイ国内に住む6人の元日本兵たちの戦争と戦後についてインタビューしたドキュメンタリー。
冒頭、2007年に亡くなった元日本兵の葬儀から映画は始まる。
遺影は70代で撮ったものだろうか、未帰還兵にしてはずいぶん若い。長い葬列を歩く参列者はみなタイ人の顔をしている。
故人は坂井勇、享年90歳。自動車部隊で培った技術をもとに独立戦争を戦うカレン族を支援し、タイ国境地域に地所を得た後は難民生活を送る少数民族に低額で家を提供した。
この映画に登場する帰還兵は全員が現地で結婚し、家庭をもっている。子や孫に恵まれた人もいるし、日本企業の現地駐在員として外から日本の高度経済成長を支えた人もいる。
戦後60年以上を経て90歳近い高齢になる彼らだが、外見的にはひとめで日本人だとすぐわかる。日本語もちゃんと話せる。お正月にはお餅をついたり、すき焼きをつくって食べたり、蕎麦をゆでたりもする。神棚にお守りを祀ったり昭和天皇の写真を壁にかけたり、曾孫に「サクラ」と名づけたりする。
何年経とうが故郷は故郷、懐かしくないわけがない。帰りたくないわけがない。
それでも彼らはタイに留まり、故郷日本へ帰ろうとは思わなかったらしい。
たぶん、理屈じゃないんだろうと思う。6人それぞれに違った思いがあり、事情があって、それは生半可な言葉なんかで簡単に説明できるものじゃなかったんだろうと思う。
そんなふうにまとめるとなんだかいい加減にみえるかもしれないけど、80年前に日本に来た朝鮮人を祖父母に持つぐりにとっては、わりとあっさり納得できる成りゆきのような気がする。
ぐり的にもっとも印象的だったのは、戦地での食人経験が語られるくだり。
日本国内ではタブーとされる南方戦線での悲劇のひとつだけど、たんたんと、しかし鋭いまなざしで、人の道を完全に離れたその経験を証言する元兵士の言葉には、戦争がどれだけ非人間的なものかという極限の恐ろしさを感じさせられる。
彼は戦友の肉を食べたこと、戦友同士が殺しあって貪り食いあったことに、とくになんの罪悪感も嫌悪感ももっているようには見えなかった。何の罪もない中国人たち─女性も子どもも含まれていた─を殺したことも、全部「命令だから」で済ませてしまう。それでいて亡くなった戦友たちの遺骨を集めて自費で慰霊塔を建てたりもする。
誤解のないようにいっておくが、ぐりは彼の経験をして彼を責めようとか責めたいとか、そんな感情はいっさいもたない。
そうではなく、ごく当り前の人間性を備えた小市民でさえ、そんなことが全部「命令だから」で済まされてしまう戦争の怖さをこそ、人はしっかりと語りつぐべきなのではないかと、強く思ったんだけど。
1945年8月15日、日本は戦争に負けた。
当時、各地の前線にいた日本軍兵士はそれぞれ武装解除され、連合軍の捕虜収容所などを経て順次国内へ送られたが、中には帰国を拒み現地に留まり続けた日本兵もいた。
今もタイ国内に住む6人の元日本兵たちの戦争と戦後についてインタビューしたドキュメンタリー。
冒頭、2007年に亡くなった元日本兵の葬儀から映画は始まる。
遺影は70代で撮ったものだろうか、未帰還兵にしてはずいぶん若い。長い葬列を歩く参列者はみなタイ人の顔をしている。
故人は坂井勇、享年90歳。自動車部隊で培った技術をもとに独立戦争を戦うカレン族を支援し、タイ国境地域に地所を得た後は難民生活を送る少数民族に低額で家を提供した。
この映画に登場する帰還兵は全員が現地で結婚し、家庭をもっている。子や孫に恵まれた人もいるし、日本企業の現地駐在員として外から日本の高度経済成長を支えた人もいる。
戦後60年以上を経て90歳近い高齢になる彼らだが、外見的にはひとめで日本人だとすぐわかる。日本語もちゃんと話せる。お正月にはお餅をついたり、すき焼きをつくって食べたり、蕎麦をゆでたりもする。神棚にお守りを祀ったり昭和天皇の写真を壁にかけたり、曾孫に「サクラ」と名づけたりする。
何年経とうが故郷は故郷、懐かしくないわけがない。帰りたくないわけがない。
それでも彼らはタイに留まり、故郷日本へ帰ろうとは思わなかったらしい。
たぶん、理屈じゃないんだろうと思う。6人それぞれに違った思いがあり、事情があって、それは生半可な言葉なんかで簡単に説明できるものじゃなかったんだろうと思う。
そんなふうにまとめるとなんだかいい加減にみえるかもしれないけど、80年前に日本に来た朝鮮人を祖父母に持つぐりにとっては、わりとあっさり納得できる成りゆきのような気がする。
ぐり的にもっとも印象的だったのは、戦地での食人経験が語られるくだり。
日本国内ではタブーとされる南方戦線での悲劇のひとつだけど、たんたんと、しかし鋭いまなざしで、人の道を完全に離れたその経験を証言する元兵士の言葉には、戦争がどれだけ非人間的なものかという極限の恐ろしさを感じさせられる。
彼は戦友の肉を食べたこと、戦友同士が殺しあって貪り食いあったことに、とくになんの罪悪感も嫌悪感ももっているようには見えなかった。何の罪もない中国人たち─女性も子どもも含まれていた─を殺したことも、全部「命令だから」で済ませてしまう。それでいて亡くなった戦友たちの遺骨を集めて自費で慰霊塔を建てたりもする。
誤解のないようにいっておくが、ぐりは彼の経験をして彼を責めようとか責めたいとか、そんな感情はいっさいもたない。
そうではなく、ごく当り前の人間性を備えた小市民でさえ、そんなことが全部「命令だから」で済まされてしまう戦争の怖さをこそ、人はしっかりと語りつぐべきなのではないかと、強く思ったんだけど。