落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

夕焼け小焼けで日が暮れて

2009年08月30日 | movie
『花と兵隊』

1945年8月15日、日本は戦争に負けた。
当時、各地の前線にいた日本軍兵士はそれぞれ武装解除され、連合軍の捕虜収容所などを経て順次国内へ送られたが、中には帰国を拒み現地に留まり続けた日本兵もいた。
今もタイ国内に住む6人の元日本兵たちの戦争と戦後についてインタビューしたドキュメンタリー。

冒頭、2007年に亡くなった元日本兵の葬儀から映画は始まる。
遺影は70代で撮ったものだろうか、未帰還兵にしてはずいぶん若い。長い葬列を歩く参列者はみなタイ人の顔をしている。
故人は坂井勇、享年90歳。自動車部隊で培った技術をもとに独立戦争を戦うカレン族を支援し、タイ国境地域に地所を得た後は難民生活を送る少数民族に低額で家を提供した。

この映画に登場する帰還兵は全員が現地で結婚し、家庭をもっている。子や孫に恵まれた人もいるし、日本企業の現地駐在員として外から日本の高度経済成長を支えた人もいる。
戦後60年以上を経て90歳近い高齢になる彼らだが、外見的にはひとめで日本人だとすぐわかる。日本語もちゃんと話せる。お正月にはお餅をついたり、すき焼きをつくって食べたり、蕎麦をゆでたりもする。神棚にお守りを祀ったり昭和天皇の写真を壁にかけたり、曾孫に「サクラ」と名づけたりする。
何年経とうが故郷は故郷、懐かしくないわけがない。帰りたくないわけがない。
それでも彼らはタイに留まり、故郷日本へ帰ろうとは思わなかったらしい。
たぶん、理屈じゃないんだろうと思う。6人それぞれに違った思いがあり、事情があって、それは生半可な言葉なんかで簡単に説明できるものじゃなかったんだろうと思う。
そんなふうにまとめるとなんだかいい加減にみえるかもしれないけど、80年前に日本に来た朝鮮人を祖父母に持つぐりにとっては、わりとあっさり納得できる成りゆきのような気がする。

ぐり的にもっとも印象的だったのは、戦地での食人経験が語られるくだり。
日本国内ではタブーとされる南方戦線での悲劇のひとつだけど、たんたんと、しかし鋭いまなざしで、人の道を完全に離れたその経験を証言する元兵士の言葉には、戦争がどれだけ非人間的なものかという極限の恐ろしさを感じさせられる。
彼は戦友の肉を食べたこと、戦友同士が殺しあって貪り食いあったことに、とくになんの罪悪感も嫌悪感ももっているようには見えなかった。何の罪もない中国人たち─女性も子どもも含まれていた─を殺したことも、全部「命令だから」で済ませてしまう。それでいて亡くなった戦友たちの遺骨を集めて自費で慰霊塔を建てたりもする。
誤解のないようにいっておくが、ぐりは彼の経験をして彼を責めようとか責めたいとか、そんな感情はいっさいもたない。
そうではなく、ごく当り前の人間性を備えた小市民でさえ、そんなことが全部「命令だから」で済まされてしまう戦争の怖さをこそ、人はしっかりと語りつぐべきなのではないかと、強く思ったんだけど。

困ったひと

2009年08月25日 | diary
田母神元空幕長:広島平和式典「被爆者も2世もいない」

去年の論文騒ぎで退官した後、やたらメディアに出っ張ってきて楽しそーにしておられたたもやん。
世間には彼の主張に大喜びされてた方もおられたよーですが。
最近はどーなんでしょーね?ウケてます?この方?
もー忘れられてんのかしらん?あたしゃTV観ないんでよーわからんのですけどもー。
まーしかしなんでこんなアホなこといっちゃうんでしょーね?こんなウソでもいわないと誰も構ってくれないから?ひまなのかしらん?
あーほーらーしー。

世の青少年の教育によくないので、もーそろそろお笑い芸人にでも転職されてはいかがでしょ?
今なら鳥肌実の二番煎じくらいは狙えるかも?って鳥肌さんに失礼か。


壁補修中の地下鉄駅。

ここで会ったが百年目

2009年08月24日 | movie
『セントアンナの奇跡』

1944年、イタリア・トスカーナ地方で550人が殺害された「セントアンナの大虐殺」事件をモチーフに書かれた同名小説の映画化。
1983年、ニューヨークの郵便局で切手販売係(ラズ・アロンソ)が客(セルジョ・アルベッリ)を射殺するという事件が起きる。家宅捜索で第二次世界大戦中にフィレンツェで失われたといわれる彫像の頭部が発見され、犯人へクターが当時“バッファロー・ソルジャー”としてイタリア戦線に従軍していた過去が暴かれるのだが・・・。

さすが社会派スパイク・リーとゆーか。相変わらず濃ゆいっちゅーかクドいっちゅーか。
アメリカ軍が人種差別を戦争に実にうまく利用しているとゆーのは今も昔も変わらない。でもそれを正面きって表現できる映像作家はそう多くはない。常に人種差別(つーか黒人差別)をテーマに映画をつくってるリー監督ならではともいえる作品だけど、それにしてもなー。クドいっ。べつにクドいのは悪いことではありませんがー。

ただ毎度のことなんだけどもーちょっと簡潔にできんもんですかね?
ツカミはミステリーっぽく始まるのはいいんだけど、わりと最初の方で展開はあっさり読めてしまうので、どーしても途中でダレて来てしまう。なんかそれってもったいなくないかい?せっかくいい話なのにさあ。ぶっちゃけいらないシーン多過ぎるよーな気がしてしょーがなかったよ。
まあ映画そのものはいい作品だとは思うんだけど。アフリカ系アメリカ人/イタリア人/ドイツ人の気質やそれぞれのキリスト教文化の表現はものすごく緻密で丁寧だし、人種や言語が違っても人間らしさという基本は皆同じというスタンスはとってもわかりやすい。
ただそういうディテールにこだわるあまりに全体に説明っぽくなりすぎていて、途中から映画っちゅーより2時間ドラマみたいになってきちゃうんだよね。

人物造形も極端で類型的にはまっちゃってるし。
トレイン上等兵役のオマー・ベンソン・ミラーは『悲しみが乾くまで』、パルチザンのリーダー“ファルファッラ”役のピエルフランチェスコ・ファヴィーノは『題名のない子守唄』で観た顔。現代のパートに登場するヘタレなジャーナリストを演じたジョセフ・ゴードン=レヴィットは『恋のからさわぎ』で故ヒース・レジャーと共演してた人ですね。
彼らは彼らなりに一生懸命演じてるのはわかるんだけどね。にしてもしつこすぎるこの演出、もちっとどーにかなりませんでしたでしょーかねー?

無知の罪

2009年08月23日 | movie
『愛を読むひと』

1958年、市電の車掌ハンナ(ケイト・ウィンスレット)に恋をした15歳のマイケル(デヴィッド・クロス)。ふとしたきっかけで21歳も年上の彼女の部屋に通い、本を読み聞かせてはセックスをする関係になるのだが、たったひと夏で彼女は忽然と姿を消す。
8年後、偶然再会した彼女は、ナチス戦犯として裁判の被告席に座っていた・・・。
ベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説『朗読者』の映画化作品。

ひじょーに微妙な、深い映画でした。
観る前はもっと単純なロマンスものか、反戦映画を想像してたんだけど、全然違いました。いや、ロマンス映画としても反戦映画としてもちゃんとした作品なんだけど、なんちゅーか、観方によっていろんな受けとめ方ができるとゆーか、ものすごくいろんな面があって。けっこうフクザツとゆーか、思ったより深かった。
物語そのものは戦争から何年も後の時代が舞台だけど(主人公は戦後生まれ)、戦争に引き裂かれる恋人同士という定番のストーリーにもそれなりにおさまってるし、戦争の犯罪を裁く意義を問うという部分ではちゃんと反戦映画にもなっている。

劇中、マイケルの学友が戦犯裁判への疑問を吐露しながらも同時に戦犯への憎悪も告白するというシーンがあるけど、彼の台詞はそのまま戦争の空虚さを表現している。戦争はすべてを正当化してしまう。だがそこで行われる行為は決して正当化できるようなことではない。なのに戦犯裁判では、必ず何かが正当化され、一方で別の何かを不当と判断しなくてはならない。そのような裁判のどこに真実があるといえるのだろう。
ハンナは裁判から20年以上も経って、己の犯した罪のほんとうの重さを知る。
彼女にとっては、死なせてしまった犠牲者の命を顧みることなど端からまったく意味のないことだった。何をどうしようと、あの時、一介のSSだった彼女には何の選択肢も与えられてはいなかった。それが戦争だった。何が起ったにせよ、どう後悔しても失われた命は戻ってはこない。その事実を諾として受け入れることだけが、与えられた唯一の“選択肢”だと、彼女は考えた。
しかし最後の最後で、たった数ヶ月関係した少年の人生を自分が完全に壊してしまったことに、彼女はようやく気づく。彼女の秘密、それを守るために強いられてきた犠牲の先に、自らの未来などあってはならないということに。
そして懺悔とは何か、罪を購うとはいったいどういうことなのか、彼女なりの答えを導きだす。

ハンナの秘密は一見この物語の悲劇の小道具のように機能しているようにみえるが、全体を見通すと、実はそうではないことがわかってくる。
彼女はその秘密を恥じながらもあえて克服しようとせず、ただただ隠すことだけに腐心しつづけた。それはナチスの罪をうすうす知りながら告発せず、みすみす数百万人の犠牲者を死なせたドイツ国民全体の罪の象徴なのだろう。
当時のドイツの戦争犯罪を全てヒトラーとナチス政権だけにおしつけるのは簡単なことだ。だがそれではほんとうの意味での平和な社会を築く基礎など育たない。原作者はそれを告発したかったのではないだろうか。
何もドイツだけの話じゃない。
金や刑罰や誰かの血などでは、到底戦争の罪は赦されはしない。そもそも戦争のもととなるのは、ハンナのような─もっといえば、愛という名の愚かな感傷ゆえにその秘密に目をつむった戦後生まれのマイケルのような─名もなき一般庶民の無知と無関心ではないかと、不幸な男の初恋物語を通して表現しているのではないかなと、ぐりは思いましたが。

引き続き心亡し

2009年08月22日 | diary
最近仕事しかしていない。
常にアタマの中が仕事でいっぱい。他の事を考える余裕がない。
仕事の資料以外の本も読まないし、映画も観ない。観たいとも思わない。ネットも仕事の資料探ししかしてない。たまに時間があってもお酒を飲むか寝る以外にやりたいことが思いつかない。
転職して間がなくて、心に余裕がないからかもしれない。
ホントはこーゆーの荒んでてヤだなと思う。だからせめて身なりだけは荒まないようには気をつけている。とくにオシャレするわけじゃないけど、ちゃんと女性らしい身なりにしておこうとは思っている。誰に見せるとゆーワケでもないけど、そーゆーことまでどーでもよくなるのだけはイヤだから。

今日はひさびさに遊ぶ予定です。楽しみ。
ちょっとでも人心地,取り戻したいナー。


ムッチムチ。