『Mommy マミー』
注意欠如・多動性障害(ADHD)をもつスティーヴ(アントワーヌ・オリヴィエ・ピロン)が施設で問題を起こし、自宅に引き取らざるを得なくなったことを理由に職場を解雇されてしまった母親ダイアン(アンヌ・ドルヴァル)。素直で優しいが自制の利かないスティーヴは15歳、父親は3年前に他界し経済的余裕もなく、たったひとりで体力の有り余った息子に対峙しなくてはならない彼女に助け舟を出したのは、近所に住むカイラ(スザンヌ・クレマン)だった。
去年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した話題作。
記事の最後に貼った予告編を観ればわかるけど、この映画のアスペクト比(画面縦横比)は1:1。といっても全編ではない。作中何度かアスペクトが変わることがある。作中でアスペクトを変えるのは、日本では庵野秀明がやりますね。ぐりの記憶が正しければ『式日』がそうでしたね。『ラブ&ポップ』はどーだっけな。
とはいえ1:1はさすがにぐりも観たことない。劇場用長編で他にこういうアスペクトの作品つくってる人いるのかな?
なんで画面縦横比がこんなに重要かというとですね。もともと人間の視界はかなり横長で、これに従って近代映画の縦横比はおよそ2:1のスコープサイズか、1.85:1のビスタサイズが主流になっている。SF映画やアクション、スペクタクルものなど臨場感が重視されるジャンルのものはさらに横長なシネマスコープ。縦横比は2.35:1である。
つまり1:1ということは見えているはずの視界が半分ざっくり遮られていることになる。当然観ていてストレスを感じる。
そのストレスが妙なリアリティにうまく結びついているというところがおもしろい。
ダイアンは“障害をもつ子を抱えたかわいそうなシングルマザー”のステレオタイプとは真逆な破天荒かあさんだが、それでもコントロールがまったくきかないスティーヴとの生活の緊張感に常にさらされ続けている。当のスティーヴにしても障害はあっても知能に問題があるわけではないので、自分で自分の障害にプレッシャーを感じている。母親が好きで自分の手で幸せにしてあげたいのに、どうしてもできない。母子と友情を育むカイラも言語障害を患って教師の職を離れ、夫や子どもともうまく心が通わせられないでいる。
それぞれにのしかかる重荷によって、見えるはずのものもうまく見えない、見たいものがうまく見えないといった心理を、この狭苦しい画面縦横比がメタファーとして表現しているんではないかと思うのですがどうでしょう。
アスペクトだけじゃなくてデジタル編集のエフェクトが各所にふんだんに使われてて、全編通して今どきの若手監督らしい映像になっていて、障害をもつ子とその親という手垢にまみれ倒した普遍的な物語とうまい対比になっていたりもする。
おそらくは、この物語を従来のメソッド通りの映像でつくっても、ここまで話題にはならなかったんじゃないかと思う。誰もがスマホとSNSで映像を世界中に発信できるようになった現代、横幅が狭くて大半がステディカム撮影のこの作品の映像は、無意識に相当な親近感を感じさせる力を持っているのではないだろうか。
シナリオそのものもすごくよくできてるとは思いますけどね。親子とカイラの三者の緊迫しつつもあたたかな関係の有機的な心地よさなんか絶妙です。
ただ個人的には、そこまで話題になるほどの傑作かと訊かれるとそうでもないと答えてしまうだろう。役者の演技も素晴らしいし、新鮮なところはあるし力作ではあるけど、驚くほどではないです。観て損はないけど観なくても損ということもないです。はい。
注意欠如・多動性障害(ADHD)をもつスティーヴ(アントワーヌ・オリヴィエ・ピロン)が施設で問題を起こし、自宅に引き取らざるを得なくなったことを理由に職場を解雇されてしまった母親ダイアン(アンヌ・ドルヴァル)。素直で優しいが自制の利かないスティーヴは15歳、父親は3年前に他界し経済的余裕もなく、たったひとりで体力の有り余った息子に対峙しなくてはならない彼女に助け舟を出したのは、近所に住むカイラ(スザンヌ・クレマン)だった。
去年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した話題作。
記事の最後に貼った予告編を観ればわかるけど、この映画のアスペクト比(画面縦横比)は1:1。といっても全編ではない。作中何度かアスペクトが変わることがある。作中でアスペクトを変えるのは、日本では庵野秀明がやりますね。ぐりの記憶が正しければ『式日』がそうでしたね。『ラブ&ポップ』はどーだっけな。
とはいえ1:1はさすがにぐりも観たことない。劇場用長編で他にこういうアスペクトの作品つくってる人いるのかな?
なんで画面縦横比がこんなに重要かというとですね。もともと人間の視界はかなり横長で、これに従って近代映画の縦横比はおよそ2:1のスコープサイズか、1.85:1のビスタサイズが主流になっている。SF映画やアクション、スペクタクルものなど臨場感が重視されるジャンルのものはさらに横長なシネマスコープ。縦横比は2.35:1である。
つまり1:1ということは見えているはずの視界が半分ざっくり遮られていることになる。当然観ていてストレスを感じる。
そのストレスが妙なリアリティにうまく結びついているというところがおもしろい。
ダイアンは“障害をもつ子を抱えたかわいそうなシングルマザー”のステレオタイプとは真逆な破天荒かあさんだが、それでもコントロールがまったくきかないスティーヴとの生活の緊張感に常にさらされ続けている。当のスティーヴにしても障害はあっても知能に問題があるわけではないので、自分で自分の障害にプレッシャーを感じている。母親が好きで自分の手で幸せにしてあげたいのに、どうしてもできない。母子と友情を育むカイラも言語障害を患って教師の職を離れ、夫や子どもともうまく心が通わせられないでいる。
それぞれにのしかかる重荷によって、見えるはずのものもうまく見えない、見たいものがうまく見えないといった心理を、この狭苦しい画面縦横比がメタファーとして表現しているんではないかと思うのですがどうでしょう。
アスペクトだけじゃなくてデジタル編集のエフェクトが各所にふんだんに使われてて、全編通して今どきの若手監督らしい映像になっていて、障害をもつ子とその親という手垢にまみれ倒した普遍的な物語とうまい対比になっていたりもする。
おそらくは、この物語を従来のメソッド通りの映像でつくっても、ここまで話題にはならなかったんじゃないかと思う。誰もがスマホとSNSで映像を世界中に発信できるようになった現代、横幅が狭くて大半がステディカム撮影のこの作品の映像は、無意識に相当な親近感を感じさせる力を持っているのではないだろうか。
シナリオそのものもすごくよくできてるとは思いますけどね。親子とカイラの三者の緊迫しつつもあたたかな関係の有機的な心地よさなんか絶妙です。
ただ個人的には、そこまで話題になるほどの傑作かと訊かれるとそうでもないと答えてしまうだろう。役者の演技も素晴らしいし、新鮮なところはあるし力作ではあるけど、驚くほどではないです。観て損はないけど観なくても損ということもないです。はい。