落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

10年ぶりにCDを買った話

2021年08月21日 | diary
人間誰しももっているコンプレックス。もちろん私にもある。いっぱいある。
そのうちでも、これはほんとにどうしようもないな、というのが音楽センスです。あ、音痴とかそういうことではない。

どれぐらいセンスがないかというと、5歳ぐらいからピアノを習ってて普通にバイエルとかソナチネとかやってたんだけど、練習も一応いわれた通りやってたにも関わらず、さっぱり上達しなかった。だいたい「うまくなりたい」というモチベーション自体が低すぎた。
これはピアノだけじゃなくて他の習い事もそうで、水泳なんかわかりやすくタイムという数字が出る。親もコーチも数字が出ないことにはレッスンの成果にならないから当然イライラする。怒る。私自身はそもそもピアノも水泳も算盤も習字も塾もお絵描き教室も、自らやりたいといって始めたわけではないから「なんで怒られるんだろう」としか思ってなかった。要は「競争心」「向上心」という感覚が著しく欠けてたわけです。いまもないけど。
ピアノなんかその最たるもので、同年代の他の子が発表会でどんどんハイレベルな曲に挑戦していて全然そこに追いつけてないのに、自分を誰かと比べて「わたしももっと上手にならなくちゃ」なんてことはまるっきり考えてなかった。純然たる月謝の無駄ですね。ごめんなさい。

ピアノは中学に入って誰になんの相談もなくバスケットボール部に入部したという理由で辞めさせられた。親もピアノの先生も中学教師も全員、私が水泳部に入るもんだと勝手に思いこんでたらしく無茶苦茶ビックリされて、バスケは手を怪我するからそういう子はもう指導できないと即クビになりました(卒業して数年後、水泳部の顧問は部員への性虐待で逮捕された。着任当初から「アイツ怪しい」という噂は校内中に満ち満ちてたから、このときほど己の直感に感謝したことはない。ちなみに2学年下の妹は水泳部部長だったけど小学校時代から喧嘩が強くて有名で、顧問にとっては「対象外」だったらしい)。
バスケは1年の終わりに成長痛がしんどすぎてリタイアした。新入部員の中でいちばん背が低かったので、朝晩牛乳1リットル飲んで自主トレしまくって、制服のポッケに煮干しを詰めた缶を入れてしょっちゅうもりもり食べてたら1年で9センチくらい伸びた。成長痛、結構痛いです。これぞまさに本末転倒というやつです。代わりに走るのは飛躍的に速くなって、短距離も長距離も陸上部の子とだいたい同じぐらいのタイムで走れるようになりました。

高校生のころ世間はバンドブーム真っ盛りで、私も気づいたら軽音部に入部して女の子ばっかり同級生5人のバンドを組んでました。担当はベース。
当時人気だったガールズバンドをコピーしたり先輩のライブを手伝ったり活動そのものは楽しかったけど、入部して1年経たないうちに先輩が部室で喫煙したのがバレて(普通バレるよね)部そのものが無期限活動停止になってしまった。校内で練習はもうできない。後から思えば、学校側は軽音部のように学校の実績につながりにくい部はどうかして潰してしまいたかったんだろうなんて魂胆が簡単にわかる。
それから、バイトも禁止の田舎の高校生同士なけなしのお小遣いをはたいてスタジオを借りて練習してバンドは続けてたけど、メンバーの誰かが「同じ学費払ってるのにうちらだけ部活できないのはおかしい(部活動には学校から予算が出る)」といって部員ゼロだった家庭科部を乗っ取り、放課後はお菓子をつくったりウエディングドレスを仕立てたり、冬は図書館のストーブにあたりつつ(顧問が図書館司書だった)編み物したりするようになった。バンド活動はどこいったんだ。
そのうち受験に本気でとりくみ始める時期が迫ってきて、バンドは自然消滅していた。お年玉貯金で買ったベースやアンプは大学でバンド活動を始めた彼氏にあげた。

私の人生の「音楽経験」はたったそれだけだ。
大学でとってた音楽の授業はすごくおもしろくて、バロック音楽や民族音楽、宗教音楽、現代音楽の良さを教わって、音楽はやるより聴く方が楽しいことに気づいた(遅い)。美術大学なのに音楽系のサークルが数えきれないぐらいあって、彼らの演奏を聴くのも大好きだった。ただ、世の中の音楽の流行には疎くて、何が流行ってて何が新しいとかそういうアンテナは残念ながらまったく機能しなかった。アンテナなんか初めからなかったのかもしれない(なかったんだろう)。映画オタクになってからはサントラCDばっかりやたら買った。
4年生で就職が内定したTV番組制作会社でバイトしてて、撮影・編集した映像に音楽担当のスタッフが既存の音楽をホイホイとハメてくのが、はたで見てて魔法みたいだと思ったもんです。

卒業後は映像制作の仕事を長くやってたので、PV制作は何本も参加した。アーティスト名は挙げないけど世の中の人ならだいたい知ってるアーティストが多かった。中には制作後にライブに招んでくれたアーティストさんもいたし、逆にこっちからライブにお邪魔したアーティストさんもいた。安室奈美恵さんなんか何回か撮影にいって完全にハマってしまい(初めてライブに行ったときの感想)、引退公演まで友だちみんなで参戦した。
過去記事にも書いたけど、伝手でマイケル・ジャクソンの最後のツアーをとんでもない神席で観たことを友だちに話したら「じゃあ大物が来日したらとりあえず観にいってみよう。いついなくなって観れなくなるかわかんないから」ということになり、ビヨンセとかレディ・ガガの来日公演もいった。安室奈美恵のときと同じメンバーで。結果「ビヨンセよりガガさんより安室ちゃんが最高」という結論で一同一致したのには爆笑した。でもマジで安室ちゃんは神です。
ビヨンセのライブでは、友だちのひとりが本番中に「あたしがつくって別作品に納品した映像が勝手に使われてる」ということに気づいてしまい(映像制作者はそういうのすぐわかるからね)超微妙な空気になったのを覚えてます。世界のビヨンセの公演で無断使用ですか・・・。

そんな感じで、ごくたまにクラシックコンサートに行くか、仕事つながりの知人数名のライブに行く以外、仕事のBGMに映画音楽・民族音楽・宗教音楽・現代音楽を聴いて暮らした音楽生活を変えたのがYouTubeだった。
ここ10年はこのツールを使って有象無象玉石混交、あらゆるアーティストのコンテンツが世界中から発信されまくるようになって、それまでの音楽産業のあり方が完全に変わってしまった。何しろアーティストは誰に頼らなくても己のやりたいことを直でオーディエンスに届けられる。しかもお互いタダで。そこから新しいスターが生まれていく。インターネットってすごいよね。25年前、1ページ44キロバイト以下でウェブページつくらされてた時代があった(当時のインターネットには電話回線しかなかったからである)ことすらもう信じられない。

YouTubeは動物系や物づくり系を中心になんでも観るけど、無名のアーティストのカバー動画や民族音楽系もよく観る。そういうのを観てると画面の右側にオススメ動画のサムネイルが出てくる。同じようなジャンルの動画だったり、サムネイルが気になったりしたらそれを選んでまた聴く。
いまのところいちばん再生しまくってるのはこちら。100回は観た。スゴいから。


自分で作曲してひとりで全部演奏して踊ってる。チャンネルをみる限り相当自由な人だけど、Twitterによれば十代でポーランド国立交響楽団のピアニストになってたりなかなかな経歴の持ち主で、小さいころから凄まじい努力をされてきたらしいです。まあそうだろうね。どの楽器でも踊りでもなんでも自分の好きにできる自由って、相応の対価(オカネのことではない)が必要だもんね。

脈絡もなくいろんな動画をみていて、小林私というアーティストの動画にふと出会ったのは今年に入ってからだと思う。
もうどの曲だったかは忘れてしまったがサムネイルの画像が坂井和泉(ZARD)に似ていて「カワイイな」と思って何気なしにクリックしたら・・・たぶん、同じような驚愕を感じたリスナーは結構いると思う。

これは1年前の曲のPV。おわかりいただけただろうか。


えーと、控えめにいって最高なんですけど。いろんな意味で。いやとくに声が。
度肝、抜かれました。

彼はいまはインディーズレーベルに所属してて↑の動画はその公式チャンネルで配信してるけど、それとは別に何年か前から個人チャンネルで活動を始めてて登録者数はいま13万人以上。1年くらい前は3,000人だったみたいですけど、この短期間で何をどうしたらそんなことになるんだろう。


↑の曲なんかはちょっと昔懐かしいメロディーラインの歌謡曲だけど、↓みたいなのもつくっている。もろにボカロの影響を受けてるなという作品もあるしバリバリのロックもあるし、守備範囲はかなり広いみたいです。


うーんこれも最高です。えもいわれぬセクシーボイス。声音そのものも凄い好みなんですが、とくに“ら行”の発声が色っぽい。
なんだけどオリジナルよりカバーの方が再生されてたりします。↓なんか200万回再生超え。


↓は個人的にいちばん好きな2曲が続けて聴けるライブ動画。2年前の時点でこの完成度。なのにチャンネル登録者は1,000人いってなかった。


というわけで最近は音楽系の動画はほぼ小林私しか再生してません。
彼の動画を観て(聴いて)るとときどき不安になる。
どうかすると、ある日突然ふいっといなくなってしまうような気もするし、逆にいきなり超メジャーアーティストになってスタイルがガラッと変わってしまうようなこともあり得る気もする。


なんでかというと、2年前にはこんなツイートをしておきながら、レーベルに所属したあたりから投稿する自撮りが悉く変顔に変わっているからである。
念のために書いときますが、ここ笑うところではありません。わりとまじめな話です。
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小林私 watashi kobayashi(@iambeautifulface)がシェアした投稿


↑は1年前で更新が止まったインスタの最後の投稿。アカウント名が最高におかしい。本人アカウントです(現在更新されてるのはストーリーだけのようです。最近のちゃんとプロが撮ってるらしいアカウントはこちら)。
これは勝手に思ってることだけど、彼は自分の才能や容貌には相当自信があるんだと思う。
それだけに「外見だけで消費されたくない。自分の好きな音楽だけやりたい」というこだわりを強烈に感じる。自分のチャンネルでしょっちゅうやってる生配信の自室は無茶苦茶汚いし(本人曰く「ものが多いだけ」)服装はもっそいラフだし、喋りながら耳をほじって耳カスをそのへんに飛ばしまくり、フツーにゲップはするし、発言だってどこまでほんとうなのかわからないぐらい低俗だったり無軌道だったりやりたい放題かと思えば、ちょいちょいしっかり常識的なこともいう。美大出身らしいシビアな美学も相応にもってるらしい。その辺にはいくら時代が変わっても美大の普遍性を感じて懐かしくなったりもする。中身はわりと堅気な人なんではないかとも思う。
だからYouTubeの画面越しに彼の音楽だけを心から愛してくれる聴衆が実在することを信じられるんだろうけど、聞けば聞くほど、彼がほんとうは何をめざしていて、どこに行こうとしているのかわからなくなる。ミステリアス。

↓はミステリアス通り越して「そういやこんな感じの子、中学にいたな」的にいたたまれないインタビュー動画。ちょっとみてられないぐらいサブいけど絶妙に笑える。しかし平然とこんだけスベり倒せるってもしや鉄のメンタルなのか。


かと思えばこんなこともしている。

三菱地所のウェブサイトのコメントなんか完全に別人としか思えない。

というわけで「いつ観れなくなるかわかんないから観にいこう」とライブに行ってみた。ひとりで。流石にこのご時世にインディーズのライブに他人を誘うほど神経太くないから。
会場は入場者全員にちゃんと手指消毒と検温、マスク着用とCOCOAのインストールが義務づけられてて声援は禁止、場内もテープで区切ってそれなりのソーシャルディスタンスが保たれるようになってました。

ライブのタイトルは「一つの例を挙げるなら、貝の剥き身の展示かな」。聞いたときは正直なんのこっちゃと思ったけど、始まったら「なるほど」と納得してしまった。
足元は裸足。服装はいつもの生配信で着てる普段着。オシャレのことをどうこういえた義理ではないことは百も承知でいわせてもらいますけど、ダサいです。髪は伸ばしっぱなしのロングヘアを無造作にまとめただけ(後からヘアメイクさんがいたと聞いて腰を抜かした。本番中にしょっちゅうタオルで顔面全体ゴシゴシ拭きまくってたけど・・・もしかして嘘?)。演出は照明だけで映像なんかはない。舞台装飾もいっさいない。
それでいつものアコースティックギター一本で、2曲歌ってはごくカジュアルに喋り、また2曲歌って喋る。内容は覚えてられないぐらい他愛もない話ばかりで、やっぱりどこまで本気でどこからがジョークなのかとらえどころがない。一度は演奏中に歌詞を忘れてスマホで確認したのに、結局また途中で忘れてやめたりする。
観客を煽るようなことはまったくせず逆に「手拍子しないで」「手をふりあげたりしなくていい」「オレのライブのお客さん、やることなくてヒマじゃないですか」などという。自由過ぎる。
つまり飾りがない。ここでは小林私が届けたい音楽だけを文字通り「剥き身」で受けとってほしい。ってことなんだろうと思う。

でもその剥き身の中にはきっと、音楽に対する強い情熱があつあつに燃えているのもちゃんと感じられました。
すごくいいライブだった。
楽しかった。

実をいうと、健康上の理由で、いまの私は大音響や過度な人混みや喧騒が原因で体調が極端に悪くなることがある(のでそういう状況を極力避けて暮らしている)。
ふつうライブといえば大音響と過度な人混みと喧騒そのものなのに、コロナ禍での小林私のライブには、そういうものがいっさいなかった。
ほんとに「剥き身」の音楽だけを、淡々と心ゆくまで楽しむことができた。大満足。ありがたい。
かつさすが22歳、真っ白な陶器のような肌と元気な髪が照明でつやつやキラキラしてて、綺麗な手やすらっと長い手脚の動きがしなやかに優雅で、たいへん眼福でした。飾りなんか初めから何にもいらない。

殻も飾りも何もなくても、小林私は見逃してはいけないアーティストだと思う。
コロナ禍であらゆる経済活動が停滞するなかで「就職しようと思ってた」にもかかわらずインディーズレーベルからデビューしてアルバムを出し、イベントというイベントが自粛を強いられている間に何本もワンマンライブまでして、しかもチケットはきっちり売りきっている。
度胸というのすら全然追いつかないぐらいの勢いというか圧が凄い。

この先、彼がどんな表現者になっていくかなんてわからない。
でもいつか誰かに、「小林私のライブ、いったよ。最高だったよ」とドヤ顔でいえる日が来るのが、ちょっと楽しみだったりします。
機会があれば、絶対また行きたい。


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心の中の荷物

2021年08月13日 | diary
少し前のある朝、数年前に亡くなった友人の夢を見て、自分の泣き声で目が覚めた。

「友人」という呼び方はもしかしたら適当ではないかもしれない。
彼女はいつも私を信頼し、どんなときも優しく寄り添い、たまには厳しく叱咤激励してくれたり、くだらないようなどうでもいいような話で笑いあったり、おそらくは、親しい友だちのひとりとして、私に心を許してくれていたのだと思う。
なのに私は、彼女に一度たりとも心を許すことができなかった。

彼女は何も悪くない。私が全部悪いのだと思う。

彼女と出会ったのは、ちょうど10年前のことだ。
当時、何の経験もないNGOの仕事を探していて、パートタイマーで採用になった某NGO関連会社の先輩として私を指導してくれたのが彼女だった。
彼女はそのときすでに退職が決まっていて、その交代要員として採用されたのが私だった。
震災を挟んで数ヶ月間、彼女の指導を受け、引き継ぎを済ませ、彼女は予定通り会社を去っていった。

退職後も彼女はいろいろとまめに連絡をくれて、仕事の相談にのってくれたり、食事をしたり、映画を観たり、買物にでかけたりもした。
彼女の完璧な指導が功を奏したのか仕事は順調で、トントン拍子に成果が出るようになった。もちろん会社は評価してくれたし、彼女はそれを我がことのように喜んでくれた。
彼女自身は仕事を辞めた後、通信教育で勉強をしたりお稽古事をしたり、無職生活をのんびりと過ごしているようだった。

数ヶ月経って、彼女はとある別の団体の職員に誘われて正職員になった。そしてその直後に、私に連絡してきて「うちでいっしょに働こう」と誘ってくれた。
誘ってくれたことはもちろん嬉しかったけれど、私はそのときとりくんでいた分野でキャリアアップをめざしていて、相応に長期的なプランを意識していた。だから始めて間もない仕事を1年も経たないうちに放り出すわけにはいかなかった。申し訳ないけど、彼女のお誘いは丁重にお断りした。

ところが彼女は諦めなかった。
何度も何度も、私の仕事が終わるのが遅かったために、日によっては深夜ともいえる時間でも構わず連絡してきて、「絶対あなたのためになるから」と移籍を迫った。
いくら何をいわれても私の意志は堅かったので、そのたびに私は言を弄してのらりくらりと断り続けた。たとえば「いまの働き方をずっと続けるつもりはない」「職場を移ってもキャリアアップにならないのでは意味がない」「いまとりくんでいる分野をもっとしっかり追求したい」などなど。

それを聞いた彼女は、「後悔はさせない」「必ずキャリアアップになる」「なんなら将来のための踏み台にでも使えばいい」とまでいって正職員のポストを用意してきた。何の気なしに「給料がなぁ」といったら、当時私が受けとっていたアルバイト代の5割増以上の給与まで上長にとりつけてきた。
そのころ毎月のように通っていた震災復興ボランティアの活動さえ、入職後も続けていいと約束してくれた。
ここまできたら、人として、もう断れないなと思った。元の職場を離れるにあたってはそれなりに揉めたが、最終的には労基法に準じて円満に退職し、再び彼女の同僚として働くことになった。
最初に誘われてから半年以上経っていた。

彼女は自分で私を引っ張ってきたという責任意識もあってか、直属の上司でもないのにいつも私の仕事ぶりを気にしてくれて、退勤後はそれこそ毎晩のように夕食をいっしょに食べて帰った。
食べながら仕事の愚痴をいいあったり、恋バナもした気がする。
そんなときの彼女はとてもオープンで、びっくりするぐらい素直で、ある意味、非常に人間らしい人でもあった。
そういう彼女を私は嫌いではなかった。それでいて、この先も彼女を好きになることはないだろうということは確信していた。

なぜなら、彼女には驚くような二面性があったからだ。

二面性どころか、人間なら誰でも多面的であって当たり前だと思う。多面的であっても全然構わないと思う。
ただ彼女は、理想の自分自身を演出することに異常に長けていて、その技が完璧過ぎた。
職場での彼女は誰に対しても大らかで穏やかでスマートでポジティブで、それでいてどんなに厳しい努力も怠らなかった。ITにはやや疎かったが仕事ぶりは優秀で、発言は常にど真ん中のど正論、あくまで物腰柔らかだがしたたかにはっきりものをいう方だったが、それだけに議論にはいっさい無駄がなかった。
身なりは趣味がよく、質の良いものを手入れして長く大事に着ていて、それがまたよく似合っていた。綺麗な人でほとんど化粧はせず、定期的に身体を鍛えているせいか常に明るく溌剌として元気で、フルタイムで働きながら学位を取るべく通信で勉強を続け、論文を執筆し、いくつか習い事までしていた。いま思えば、よく私と遊ぶ時間なんかあったなと思う。
要は、職場で知られていた彼女は、完全無欠の素敵なパーフェクトヒューマンだった。

一方で、私とふたりでいるときの彼女は、全然パーフェクトヒューマンではなかった。
私も他人のことは言えた義理ではないが、彼女の口の悪さは筋金入りだった。誰だって他人の悪口をいいたいときぐらいある。それでも、職場で完全無欠の素敵なパーフェクトヒューマンを演じている彼女のネガティブな悪口雑言を聞いていると、つい「きっと私のことも陰ではいろいろいってるんだろうな」と思わず背中が寒くなるような気分がした。

口が悪いだけではない。
彼女は、普通、それは他人に話してはいけないことではないのか?という体験談もしばしばした。有り体にいえば違法行為に類することだ。それも、おそらく私だけに。
彼女がいなくなってもう何年も経つけれど、私は彼女の打ち明け話のすべてを、このまま墓まで持っていくしかないと思っている。死ぬまで、口が裂けても誰にもいえない話ばかりだった。
いまでも、彼女がなぜあんな話を私にしていたのか、理由はまったくわからない。私を信用してくれていたのかもしれないけど、彼女のいくつもの打ち明け話は、赤の他人の私が背負うにはあまりにも重過ぎた。

そんな彼女の二面性に、いつしか私はほとほと疲れ果てていた。距離を置きたいと真剣に思ったこともあるし、実際に距離を置いたこともある。
それなのに、気づけば関係性は自然と元に戻っていた。戻るように彼女が努力してくれていたのだろうと思う。
私たちは同じ職場の先輩後輩として、仲良くいっしょに働いて、夜はいっしょに食事をして、休みの日にはときどき待ち合わせてどこかに出かけたりした。
彼女は将来パートナーと海外に移住する計画をたてていて、移住先で起業するつもりでいた。学位や習い事は全部そのためだった。あなたもいっしょにきてビジネスしようよ、大丈夫、絶対うまくいくからと、彼女は笑って話していた。
私は顔では笑いながら、心の中では「とんでもない」と思っていた。そんなことしたら本気で逃げ場がなくなる。

そんなふうにして何年か経った。
やがて移住の話が具体化して、彼女は準備のために退職することになった。
退職が決まったとき、心の底から力一杯安堵したことを、いまでもはっきり憶えている。
自分でも人でなしだと思う。これだけお世話になっておきながら何の恩返しをするでもなく、ただ離れられると知って胸の内では小躍りする人間なんか最低だ。
ほんとうに申し訳ないとは思うが、私は彼女との関係にとことんうんざりしていた。逃げ出したくてたまらなかった。彼女の方からいなくなってくれるなんて、これほどありがたいことはない。書いていて自分の腹黒さに気持ち悪くなるけど、そのときは正直にそう思った。

退職後も、例によって彼女はまめに連絡をくれて、食事したり映画を観たりしたことが何度かあったけれど、彼女の方でも流石に私の心情に思い当たるところがあったのか、そのうち連絡は途絶え、疎遠になっていった。

そして1年経って、彼女は亡くなった。
突然の病死だった。

遺族の希望で私は葬儀に参列したが、それは葬儀と呼ぶにはあまりにも寂しいものだった。
参列したのは、生前ほとんどつきあいがないといっていた数人の親族(あとで20年以上あっていなかったと聞かされた)と、パートナーと、私と、退職前の直属の部下で、全部合わせても両手で数えられるほどの少人数で、場所も葬儀場ではなく火葬場だった。
パートナーはひどく冷静で、彼女が最期まで人生に満足して、幸せなまま、苦しむこともなく世を去ったことは幸運だと、にこやかに話してくれた。

時間になって、炉の前で彼女と最後のお別れをした。
いつもの普段着を着て棺の中に横たわった彼女は、ほんの少し顔色は悪かったけれど、ただ目を瞑って軽く唇を開いて、ぐっすり眠っているだけのように見えた。みんなで棺に花を詰めたが、参列者が少なくて、詰めても詰めても花がなくならなかった。
親族のひとりが「せっかく20年ぶりに会えたのに。生きている間に会いたかった」と泣いていた。

お別れの時間が終わり、彼女の棺は静かに炉の中に運ばれていった。
炉の扉が閉じられ、お坊さんがお経をあげている間、参列者一同は頭を垂れて手を合わせて拝んでいたが、私の目の前に立っていたパートナーの丸まった背中が激しく震え、両足を交互に細かく踏み換えながら、必死に嗚咽を堪えているのがわかった。
私はその背中を、手のひらでゆっくりゆっくり、長い間、撫でていた。
ただただ、撫でさする以外、何もできなかった。

彼女が焼かれている間、火葬場の喫茶室で参列者みんなでお茶を飲んだ。
近年の彼女を知らない親族は生前の彼女がどう過ごしていたかを知りたがり、パートナーは彼女が常に誇りにしていた私たちとの仕事のことを知りたがった。
問われるままにあれこれと答えているうちにあっという間に時間が過ぎ、みんなで彼女のお骨を拾った。
参列者が少な過ぎて、真っ白になったお骨は拾っても拾ってもなかなか骨壺いっぱいにならなかった。
私は、たくさんいたはずの彼女の友人が誰ひとり葬儀に招ばれなかったことで、やはり、彼女はほんとうの自分の姿を誰にも見せたくなかったのではないかと思った。
火葬場の外の立派な桜の並木が満開で、風に吹かれた花びらがひらひらと大量に舞っていた。

その夜、私はやめていたお酒を飲むために数年ぶりにバーに入り、ひとりでワインを2本空けた。
飲んでも飲んでも酔いが回らず、葬儀では一滴も出なかった涙ばかり流れた。

葬儀の後、彼女のパートナーが何度か連絡をくれて、お茶を飲んだり食事をしたりした。
彼がいうには、彼女は生前、私のことを頻りに心配してくれていたらしい。彼の中でも、私は彼女の友人ということになっていた。彼は彼女のスマホを開いて、亡くなったその晩に、彼女が自室のベッドで自撮りした写真を見せてくれた。自撮りが好きだった彼女の柔和な表情は確かに、満ち足りて幸せそうに見えた。
それから私は彼のメールにろくに返信しなくなり、まもなく、彼は予定通り日本を離れた。
彼女と私との関係は、そうして消えた。

もう地上には存在しない彼女のことを、私はいつも忘れたかった。
完全に忘れてしまいたかった。
でもどんなにそう願っても、彼女が私の心の中に残していった歪で仄暗く気味の悪い「何か」はどこにもいってくれなかった。
わかりやすくいえば、トラウマのようなものだ。
ときどき彼女は心の中から勝手に這い出てきて、私がずっとずっと彼女を騙していたことを思い出させた。
二度と取り返しのつかないことを、私はした。
好きでもない、信頼もしていない彼女の前で、何年も、まるで友人であるかのようなふりを続けていた。
私に、それ以外に何ができただろう。
職場の同僚である以上、穏当な人間関係を維持するのは社会人としての常識だ。
それでもどこかに「私はあなたの友人じゃない」と告白するチャンスはきっとあったはずなのに、鈍臭い私はそれをいつも見逃してしまっていた。

そしてその機会は永遠に失われた。

最近、ある人に「心の中に抱えているものを、一度外に出してみよう。どんな形でもいいから、それがあなたに必要だから」といわれた。
私の心の中に抱えているものは、彼女のことだけではない。
ただ、いま外に出せるとしたら、彼女のことぐらいしか思いつかなかった。

外に出したところで、何も変わらないだろうと思う。

あの朝、夢に出てきた彼女は、眉を下げて困ったような顔で笑いながら、「もういいよ」といっていた。
何が「もういい」のかはわからないけれど。

さらば青春の光

2021年08月08日 | movie
『太陽の子』



1944年、建物疎開で自宅を解体された世津(有村架純)は祖父(山本晋也)とともに幼馴染の修(柳楽優弥)の家に居候することになる。
海軍の密命により、修は京大の物理学研究室で原子爆弾の開発に従事していた。釉薬として流通していた硝酸ウランを入手した彼らは、その中にわずかに含まれるウラン235を分離する方法を見つけるだけで四苦八苦。
そんな1945年6月、出征していた修の弟・裕之(三浦春馬)が一時帰宅。母フミ(田中裕子)、世津ともども束の間の団欒を過ごすのだが…。
日米合作で製作されたNHKドラマの劇場版。

去年ドラマとして放送されたときも視聴していた。
三浦春馬くんが亡くなってまだ1ヶ月も経たないうちのオンエアで、死ぬとわかっている出撃命令に赴く裕之の爽やかな笑顔が、凛とした背中が、観ていてとても苦しかったのを憶えている。

とくにファンだった訳ではなく、生前に観た出演作は5年前のドラマ『わたしを離さないで』ぐらいしか記憶にない。大好きな原作のドラマ版は、英米合作の映画版よりずっと小説の世界観を丁寧に緻密に再現していて、わけても、原作に登場するトミーにあたる友彦役の春馬くんの演技は、不器用だけど純粋で繊細で大人になることを知らないトミーのキャラクターそのものに、驚くほど忠実だった。
物語の後半、役柄上、衰弱して透き通ってしまいそうなほど儚い風貌に変わっていく彼の、演技に懸ける情熱に、何か畏れのような感覚を感じたものだ。

亡くなってから『わたしを離さないで』を再度観て、それからいくつか別の作品も観た。学園ものや青春ものやキラキラしたラブストーリーが多かったから、華やかに王子様然とした春馬くんは、テレビをあまり観ない私にとって少々眩し過ぎた。
それでも、一本一本、どの役も、どのシーンも、どのカットも、一片の妥協も許すことなく、常にあらん限りの全力を尽くして演じきろうとした彼の強い意志が、はっきりと伝わってきた。

努力の人でもあっただろう、天賦の才にも恵まれて、たくさんの人から愛され、求められ、一定の評価も得ていたこんな人が、どうしてあんなことをしてしまったのか、ほんとうのことは誰にもわからない。
わかっているのは、この映画をもってこの先、彼の新作はもう観られないということだけだ。

『太陽の子』で、修は師と研究室の仲間たちとウラン235を取り出す技術を見つける研究に日々明け暮れる。
でも実験は失敗続きで、いつ実際に爆弾がつくれるかという目処すらたたない。海軍の命令は絶対であっても、現実に研究を続ける彼らには葛藤がある。同級生たちは学徒出陣で前線に送られ命を賭して戦っているいま、成果が出るかどうかもわからない兵器開発に時間を費やしていてもいいのか、あるいは、研究者が史上最大の殺傷能力をもつ兵器をつくるのは正しい行為なのか、誰も正解など知りはしない。どこにも逃げ場がない。
だからこそ修は、毎日実験と計算漬けの研究生活に没入するしかなかった。

振り返れば自分だって青春なんかそんなものだったような気がする。
自分がしていることが正解かどうかなんてわからないまま、毎日毎日、己にできることをすべてやり尽くす、いつ振り返っても決して後悔しないと断言できるように、一日一日、朝から晩まで、目の前にあるものに武者ぶりついて、ひたすら必死に踠いていた。
そんな無茶が許されるのが青春で、そういう純粋さを利用するのが国家の大罪たる戦争なのだ。
国のため家族をまもるために死ぬことは尊い、そんな戯言を信じた裕之のような若者たち4,000人以上の命が、「特攻」で奪われた。
彼らにもまた、死にたくない、死ぬのが怖い、死なないわけにはいかない、肉親に、愛する人たちにもう一度会いたい、そんな葛藤に苦しんだ夜があっただろう。“英霊”なんて祭り上げられたって、所詮は人の子なんだから。

いまから思えばこれほど理不尽なことはない。断じて美化することなんかできない。
なぜならこんな愚策を計画し出撃を命令して生き残った当事者たちは、戦後も犯した罪を正当化し、亡くなった隊員たちを情緒的な感動物語の登場人物であるかのようなテンプレートに嵌めこもうとした。
しかし誰が何をしようと、若く将来も夢もあったであろう若者たちを、死ぬしかない作戦で殺しまくったという事実は覆しようがない。
そんな犯罪を美談にすることは絶対に正しくないと、私は思う。
これが美談と定義づけられてしまったら、人の命の重さが変わってしまうからだ。
人の命より重いものなんか、あってはいけないのだ。

8月6日、アメリカ軍によって広島に原子爆弾が投下され、修は研究室一同とともに現地調査に赴く。
都市がまるごとすべて燃えつき、足の踏み場もないほど破壊しつくされた街角のいたるところに、真っ黒に炭化した遺体が横たわっている。
そこで初めて、修は自分たちが青春を懸けて夢中で追い求めてきたもののほんとうの姿を知る。
原爆投下直後の広島の無残な光景を目にした修の主観を捉えたシーンでは、26年前、初めて阪神淡路大震災の現場を見た瞬間の感情が、反射的に蘇ってきた。
なんで、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
何を見ても、どっちを向いても、それ以外に何も、頭に浮かんでこない。
自分自身が完全に空っぽになってしまったような、奇妙な非現実感。

終盤、修が心の中でアインシュタインと会話するシーン(アインシュタインはアメリカの核兵器開発のきっかけとなった人物のひとり)で、「科学は人をこえていく」という一言がある。
この物語で描かれたのは核兵器開発だったが、あれから76年を経たいまでさえ、人間は原子力をコントロールすることができていない。
逆にいえば、人はコントロールできもしないものをつくるだけつくって、その後始末にすらお手上げのままでいる。
確かに科学は人をこえた。
そしてあのとき、イデオロギーは人をこえていた。

そうして生まれた有形無形の化け物たちの破壊は、いまもこの世界のどこかでずっと続いている。
引き返す道は、あるのだろうか。


『わたしを離さないで』原作レビュー
『わたしを離さないで』映画版レビュー

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もう一度、たったひと目でいいから、きみに会いたい

2021年08月01日 | movie
『親愛なる君へ』



9歳になるヨウユー(白潤音)は、病気の祖母シウユー(陳淑芳)とジエンイー(莫子儀)と三人暮らし。
生さぬ仲でありながらジエンイーはピアノ教師として働いて家計を支え、家事に育児に介護にと孤軍奮闘していたが、ある朝シウユーが急逝してしまう。上海から急遽帰国したシウユーの次男リーガン(是元介)は母の死に不審を抱き、司法解剖の結果、遺体から違法薬物の代謝物が検出される。
15年前に東京国際映画祭で観た『一年の初め』の鄭有傑(チェン・ヨウチェ)監督の最新作。第57回台湾アカデミー賞(金馬奨)で主演男優賞を含む3冠を獲得。

冒頭、美しい山の風景の空撮から映画は始まる。
だがこの物語の主な舞台は山ではない。血のつながらない奇妙な三人の家庭はあたたかくはあるが、口には出せない何らかの秘密が影のように見え隠れ、微妙な緊迫感を漂わせている。

何しろジエンイーの献身ぶりは半端ではない。食事を食べさせて子どもを学校に送り届け、仕事の合間に老女を病院に連れていき、夜は痛みを訴えるごとに傍についてなにくれと世話を焼く。どう見てもただの同居人の域をこえている。
そんな彼にシウユーは訊ねる。「私に尽くしたら、息子が生き返るとでも?」と。ジエンイーは彼女の亡き長男リーウェイ(姚淳耀)の同性パートナーだった。

あくまで静かで穏やかでありつつも目には見えない何かに抑圧されているようなホームドラマは、病んだ老母の死から思いもよらぬ方向へ展開していく。だから一見するとサスペンス映画のようにも感じる。
ジエンイーはなぜ何もかもを一家のために捧げ、身を挺して彼らをまもろうとするのか。シウユーはなぜジエンイーに孫を養子にするよう勧めたのか。ヨウユーはなぜジエンイーを「パパ」と呼ぶのか。
実家から離れて暮らすリーガンには何もかもが理不尽に感じられて当たり前だろう。そこで彼は司直の介入を求める。

だが一方で、観客にはジエンイーの無償の愛が画面から常に溢れ、自然に胸に沁みこんでいくように感じられる。その感覚は限りなく優しく、心地良い。
いつも何だか悲しそうにどこかうら寂しげな孤独感を纏った彼にとって、最愛の亡きリーウェイの家族こそが生きるよすがであることは自明なのだが、なんとなく、「でも、そこまでやるか普通?」という不信感も拭えない。
物語のクライマックス、その不信感の由縁が、ジエンイーからヨウユーに宛てた手紙の形で伝えられる。
もうこれはダメです。誰がどう観ても涙腺決壊不可避です。

エンドロールを眺めていると、時制が前後を行ったり来たりを繰り返すなかで、結果的には、この物語は山で始まって山で終わったのだということに気づく。
描かれるエピソードの一つひとつは何気なく、誰の身にも起こり得るような些細なことばかりなのに、ほんの少し何かがすれ違い、微妙に狂ってしまったせいで、外見的には取れていたはずの調和が乱れ、取り返しのつかない悪夢に転がり落ちていってしまう。
ジエンイーはリーウェイへの愛ゆえにすべてを擲ってまで一家に尽くそうとした。そこに何も見返りなど求めてはいなかったことはわかる。でも老母がいうように、いくら尽くしても、彼女の愛する息子を、幼子の父親を取り戻すことなどできはしない。観ていてジエンイーの必死さが痛々しくて、苦しくなる。

15年前に観た『一年の初め』のレビューにはロクなことを書いていないので内容も何も覚えていないが、「映像が凝っててミュージッククリップ風」と時制が前後するのは共通しているので、あるいはこれは鄭有傑の作風なのかもしれない。
もうひとりの主人公でもあるヨウユーを演じた白潤音になんか見覚えがあるな?と思ったら『MR.LONG/ミスター・ロン』の男の子だった。あのときも大人顔負けの存在感で作品の世界観を圧倒してたけど、アレ?もう4年も経ってますけど・・・2009年生まれってことは当時7〜8歳、今回は11歳ってことか。それにしてもこれからどんな大物になってくのか、先が楽しみですね。

映画は少しほろ苦いハッピーエンドで終わる。
何もかもがまるっと平和解決したわけではないけど、ジエンイーには、これからは自分のために幸せになってほしい。そう願わずにはいられなかった。
とにかく泣けた。めちゃめちゃ泣いた。いま泣きたかったらこれ観とけば間違いないです。『火垂るの墓』も顔負けです。何しろ子どもネタは鉄板ですから。

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