落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

マレーシアでブエノスアイレス

2006年11月26日 | movie
『黒眼圏』

蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)の映画ってホンットに説明がないんだよね。セリフなし、役名なし(少なくとも字幕には出てこない)、登場人物の相関関係も不明のまま、どんどん話だけ転がっていく。だから映画が始まって最初のうちはちょっと不安になるんだけど、大丈夫、ちゃんとおもしろいんだよね。これが。奇妙なことに(爆)。
ぐりは個人的には強烈に『ブエノスアイレス』を思い出しました。『ブエノスアイレス』はタラシの張國榮(レスリー・チャン)にネクラな梁朝偉(トニー・レオン)がつくしまくりつつ、互いに相手に執着したり利用しあったりしてひたすらじとじと依存しあってるとゆー不毛な関係を描いてたんだけど、この『黒眼圏』も大体そういう感じ。李康生(リー・カンション)つくされまくり。しかも二役。植物状態で家族に介護されてる男と、ケンカで怪我をして行き倒れてるところを出稼ぎ労働者に拾われて看病される流れ者。病人の方はとにかく自分じゃなーんもできないし、流れ者の方も不可解なくらい親切にされる。しかもナゼかモテている。
町並みがラテンっぽいとこもナニゲに『ブエノスアイレス』に似てる。マレーシアももとはポルトガル領だっけ?

『ブエノスアイレス』では主人公は依存しあう関係を清算することで前進を見出すという物語になってたけど、『黒眼圏』には明確な答えはない。そういうタイプの映画じゃないんだよね。
人と人との間に流れる感情のこまやかさ、愛情の不思議さのある側面を、やさしくあたたかくメランコリックに描いた、静物画のような映画。人の心にはどうしてもどこへももっていきようのない気持ちはままあるし、それはそれで人の心が生きて脈打っているという証ではある。
ぐりはこの映画好きだし、楽しかったです。公開されたら(来年春公開予定)また観たい。
セリフの代わりにマレーシアの歌謡曲とか広東オペラとか北京語のクラシックとかいろんな歌が劇中に流れてて、音楽もなかなかよかったです。歌詞にあれこれと意味がこめられてて、登場人物は歌ったり踊ったりしないけどこれもある種のミュージカルともいえるかもしれない。映像もさほど凝ってる風ではないのにときどき「おおっ!」とゆー劇的な映像もあったりしてオシャレでした。

上映後のティーチインには陳湘[王其](チェン・シアンチー)が登壇・・・したけどレポは今日はパス。ずびばぜん。
ところで蔡明亮作品ていっつもタイトルにヤル気がない。ある意味詩的なのかもしんないし、日本で公開されるときは配給によっては雰囲気のある邦題をつけられてることもあるけど、この『黒眼圏』はこのままのタイトルで公開されるらしい。なんじゃらほい。日本で公開するなら日本で意味通じるタイトルにしなよ・・・と思って突っ込んでみたけど、大体会場に配給関係者がいたかどーかもわかんないしな。
ちなみに「黒眼圏」とは目のまわりの青タンのこと。邦題は「くろめけん」と読むらしーです。はあ。

炭坑エレジー

2006年11月25日 | movie
『ワイルドサイドを歩け』

そこまでして観る価値のある映画だったか?とゆーとちょっと考えちゃうけど、ウン、ふつーにおもしろかった。
山西省の炭鉱のある田舎町を舞台に、不良少年たちの無軌道な青春群像を描いたインディーズ映画。インディーズとはいえ脚本はよく描けてるし、映像や音楽にも独特の味があって、内容も中国映画としてはなかなかチャレンジングな作品に仕上がっている。とくに登場人物の刻々と変化していく表情を淡々と自然にとらえた演出は白眉。
ただしこの手のアウトサイダーものとしてはややインパクトが足りない。ストーリー展開にメリハリが欠けており、後半にいくほど描写が冗長になってきて、90分弱という上映時間がやたらに長く感じた。映画としてのスタミナ、コシ、という面ではやはり新人だなという弱さを感じる。新人監督にありがちだけど、「この映画をつくりたい」という意欲が、「この映画に?謔チて何を語るか」という意思に先走っている。
コンセプトもありきたりだし、コミカルなシーンを挟むなりセクシュアルなシーンをきちんとみせるなり、何かもうひとひねりはっきりとアクセントになるパートがあってもよかったのでは。

上映後のティーチインには韓杰(ハン・ジエ)監督が登壇。
個人経営の炭鉱を描いている点と、校内暴力のシーンがあるため台本の段階で電影局の審査に通らなかったこと、当初主役に予定されていた少年がクランクイン直前に強盗罪で収監されてしまい(!!)、撮入3日前にインターネットカフェで出会った白培将をキャスティング、撮影中はリラックスさせるためにいろいろお喋りをして、リハーサルもゲーム感覚で楽しんでもらった、など。

他人のそら似なんですが

2006年11月20日 | movie
『エレクション2』

えーと正直今日ぶっちしちゃおっかな?とか思ってたですよ。昨日観た『エレクション』は予想したほどには楽しめなかったし。大好きなハズの「東洋人のおっさん」(爆)がこーんなにいっぱいこっぱいぞろぞろ出て?ュるのになぜもうひとつ楽しめないのか、自分でも解せんかったくらいです。仕事が忙しかったってのもあったし。ってか結局観たけど。
でもねー。『2』はおもしろかったです。ちゃんと。てゆーかパート2とゆーより、この話は前後編にした方が妥当なよーな気がします。それぞれ単体でも物語は成立しなくはないけど、要素として互いの内容のもう一方への依存度が高いから。
『2』を観ててなんで『1』がイマイチだったのかがつくづく気になってきたので、一般公開されたらまた観たろーと思ってます。

『1』ではマフィアのボスの座をめぐって実力者ふたりが選挙で争う話だったんだけど、『2』はその2年後の改選の話。『1』で会長になったロク(任達華サイモン・ヤム)は再選したいんだけど、部下の若手にはもちろん台頭を望む者がいる。なかでも大陸でのビジネスで実力を伸ばしているジミー(古天樂ルイス・クー)に期待を寄せる支持者もいるのだが、本人には選挙に出馬する意思がない。ところがジミーに会長になってもらいたいと考える“勢力”もいて・・・という、杜[王其]峰(ジョニー・トー)いわく「中国返還後の香港マフィアの転換」をモチーフにした物語。
つまりこれはただのマフィア映画じゃないってとこが魅力になってるんですね。厳密にいえば「ただのマフィア映画」なんだけど、マフィア以外の要素が明確に描かれず、いわゆる「ブラックボックス」状態のまま提示されている。描かれてないところに観客の妄想が働くことで、物語の世界観に奥行きや広がりが生まれる。香港マフィアにも怖いものがある、ってことで。
カンヌに出品された時に話題になってた暴力描写は確かにえげつなかったよー。『1』もちょっとそれはどーか?ってくらいえげつなかったけど、『2』はさらに凄まじかったッス。あの「足ぐいぐい」カットでつい『ファーゴ』を思い出しちゃいました(ところでこの『ファーゴ』って映画、日本じゃ実話だと思われてるってホントですか?)

例によって映像や音楽の完成度はいうことなし。オシャレ。うぉとこの世界です。すてきです。
どーでもいい話だけど、古天樂とゆー人はぐりの知人の役者に顔が似てて、この知人がまたヤクザとかチンピラの役ばっかし以前やってたもんだから、古天樂がオールバックでびしっとキメてシブがってるとどーしても反射的に知人を思い出してしまい、何度か意味もなく失笑しそうになりました(汗)。古天樂はなにもわるくないのに。ごめんなさい。

涙の数だけ

2006年11月19日 | movie
『麦の穂をゆらす風』
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カンヌ国際映画祭授賞式のときのケン・ローチ監督のスピーチから一文を引用する。
「過去について真実を語れたならば、私たちは現在についても真実を語ることができる」
また監督はインタビューでこう語っている。
「この映画は英国とアイルランドの間の歴史を語るだけでなく、占領軍に支配された植民地が独立を求める、世界中で起きている戦いの物語であり、独立への戦いと同時に、その後にどのような社会を築くのかがいかに重要かを語っている」
(ともに劇場用パンフレットより)

この映画について語るとき、これ以上の言葉は必要ないような気がする。
舞台は1920年代、イギリス占領下での弾圧と搾取にあえぐアイルランド南部コーク。19世紀末から繰り返されてきた独立運動が戦争に発展しやがて内戦になっていく過程を、デミアン(キリアン・マーフィー)とテディ(ボードリック・ディレーニー)という兄弟の絆を軸に描いたのが映画『麦の穂をゆらす風』である。
こう書くと中には不愉快に感じられる方もおられるかもしれないが、ぐりは正直な話、他国の本土侵略を受けたことのない日本の観客の心に、この物語がどのくらい有効に届くものなのかがよくわからなかった。
ぐりは最初から最後まで涙がとまらなかった。言語を奪われ、自由を奪われ、虫けらのように殺される名もない庶民たち。武力に踏みにじられた民衆が武力によって抵抗を始め、武力によって互いに決裂していくさまを、映画は容赦なく克明に描写していく。画面で語られている物語は、別の場所で起きたものとしてぐりがずっと前からよく知っていた物語だ。それを、あらためてここまで丁寧に緻密に再現されたのではたまったものではない。悲しくて悲しくて、つらくてつらくて仕方がなかった。
でも、この映画を観た日本人はどう思うのだろう。
この映画が、アイルランドを占領していたイギリスの国民的監督によってつくられ、出演者たちの多くが実際にコーク周辺出身か、あるいは今もそこに住んでいる“当事者”であることを、日本の観客はどう感じるのだろう。

感動という言葉ではこの映画を観た感情を語ることはできない。
この映画には善も悪も描かれない。迎合と独立、和平と闘争、裏切りと報復、信仰と思想、アイルランド人は何度もあらゆる選択を迫られる。大抵は到底選びようのない厳しい選択である。しかし選ばないわけにはいかない。直視に堪え難い残酷な選択がある。悲惨な選択がある。壮絶な選択もある。その選択が正しいのかどうかも映画には描かれない。どう足掻いたところで戦争は戦争だし、殺しあいは殺しあいでしかない。だがそれだけでは済まされない部分までもがなんの弁解もなく率直に描かれた映画だ。
歴史の惨さに対して語り手はどこまでもニュートラルだ。侵略のおぞましさ、独立戦争の苦しさ、独立自治の難しさ、理想の違いによる葛藤、内戦の悲しさ、一度他民族の侵略を受けてズタズタにされた国の人たちが一体どんな風にどれだけ苦しむものなのか、それを実にわかりやすく、しっかりはっきり表現することに徹している。わからないとこがないってスゴイです。
語るべき言葉をちゃんと語ろうという意気込みもスゴイんだけど、ちゃんと全部いえてるってとこはもっとスゴイ。カンヌでは審査員全員一致でパルムドールに決まったというけど、それも納得。

観ていてしんどいシーンもあるにはあるけど、是非ひとりでも多くの人に観てほしい傑作です。
観たらひとりでも多くの人に薦めてほしい。
そして誰かとこの映画について語りあってほしい。
そんな映画でした。

涙の数だけ

2006年11月19日 | movie
『エレクション』
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うーむ。
もしかして期待しすぎましたかね?わたくし・・・。消化不良です。
月曜日に2を観ればこのもやもやは晴れるのかしらん?
先日の『三峡好人』同様、モチーフに対する思い入れは非常に強く感じる。?オかし強すぎて感情論に流されすぎちゃーいませんかい?杜[王其]峰(ジョニー・トー)先生よ。それともぐりの香港黒社会に対する基礎知識?ェ足りんのでしょーか?
しかし一般常識を超えた知識を要する劇映画っちゅーのもどーか?

映画としての完成度は毎度のよーにすごく高い。今回もライティング凝ってます。カメラワークかっこよすぎ。音楽がちょークール。キャスティングもぐり大好物(爆)のアジアンアダルトの魅力炸裂なメンツ勢揃い。美しい・・・!カンペキ!
なんだけどねー。
イヤ、わるくないのよ。ぜんぜんわるくない。でもなー。もっとなんかあってもいいんじゃない?とゆー気がどーしてもしてしまうのだった。話がこじんまりまとまり過ぎてるっちゅーかねえ・・・。
むむむむむ。
とりあえず2に期待・・・しちゃダメですか?