ひごどこさ くまもとさ
くまもとどこさ せんばさ
せんばやまには たぬきがおってさ
それをりょうしが てっぽでうってさ
にてさ やいてさ くってさ
それをこのはで ちょいとかぶせ
5月29日(日)〜6月5日(日)の日程で熊本の地震災害支援ボランティアにいってきた。
冒頭のわらべ歌は誰もが子どものころにボールをついて歌ったごくポピュラーな歌だけど、まさか自分が熊本に行くことになるとは今回の地震があるまで想像もしたことがなかった。
地震があってひどい被害が出たにもかかわらず、毎日現状を伝えていたメディアの報道は見る間に減っていく。報道されても具体的な復興計画などは伝わってこない。東北のときも行ってみなければわからないことだらけだった。今回もやっぱり、何はともあれ行ってみようと思った。
お世話になったのは2011年に初めて東北の支援活動に参加したときと同じ団体の拠点。
熊本市内中心部の近くに簡単な宿泊施設があって、ここから毎日割り当てられた活動場所に行く。入浴もトイレも共同だが真新しくて清潔できちんとした施設で、滞在環境としてはこんなに快適でいいのかと懐疑的になってしまうくらい快適。朝は早ければ6時半から、夜は遅ければ深夜2時ぐらいまで活動した。といってもギチギチに忙しかったわけではなく、早く終わったときは合間に市内観光もしたし、最終日は拠点を出て八代市の温泉にも泊りにいった。熊本城も外から見られたし、湧き水が戻りつつあるという水前寺成趣園も訪問した。大好きなラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の旧居は地震の影響で閉館中だったけど、彼が愛したという鼻かけ地蔵に巡りあうこともできた。なんだかんだでけっこう満喫しました。
実働6日間で参加できたのは、避難場所でのカフェ運営・瓦礫撤去・ボランティア受付広告のポスティング・避難所支援・ボランティアセンター運営支援など。
全体にそれほど体力的に過酷ということもなく、いろいろ見て、これまで東北で活動した経験から感じる意見を求められることが多かった。というのも、災害支援の経験者が熊本には意外に多くないかららしい。現に今回直接会ったボランティアで東北でも活動したという人物はほんの数人だった。
まあ実際、熊本は遠い。わかってたけどホントに遠かった。東北だって遠かったけど、その比ではない。東北で活動していたボランティアの多くが東日本在住者だったけど、熊本ではおそらくその比率は2〜3割もいないのではないだろうか。他は九州か西日本ということになるから、自ずと東北での経験を持つ人は少数派になる。
というわけで、熊本くんだりまでいってまさかのデスクワークでのボランティアもやりました。こんなことになるとわかってればPCもってくんだった。
行ってみてわかったことは、とにかく復旧がぜんぜん進んでいないこと。
空港は飛行機の発着そのものは通常に戻ってるけど、建物の半分が閉鎖中。中心街をちょっと見た感じでは都市機能は完全に復旧してるように見えるけど、一歩裏道に入れば半壊して閉鎖された建物が並んでいる。だから地震前と変わらないところと一変したところが、モザイクのように入り組んだ状態になっている。
ライフラインも多くの地域でほぼ復旧してはいるけど、壊れた建物を解体したり瓦礫を処理したり割れた道路を直したりするにも、人もお金も資材もまったく足りていない。
そして被災した人たちは、先行きの見えないまま、なかなか伝わってこない復興計画をひたすらじっと待っている。仮設住宅がいつできて、いつ希望者全員が移れるのか、復興住宅の計画目標もわからない。
なのに罹災証明の申請は始まっていて、到底足りない行政の支援額はもうわかってしまっている。こんなにストレスフルな避難生活なんて想像するだけでしんどすぎる。
その一方で、子どもや女性への人権侵害など、災害時に起こりがちな弱者の人権問題は既に始まりつつあって、この短期間で身近に見聞きもした。はっきりいってその部分は民間の災害復興支援団体の範疇を超えてるから、行政に頑張ってもらうしかないのだが、そこがもうまったく当てにならなくてアタマに来る。
具体的な詳細は避けるが、こういうときにもっと東北での教訓が行かせないものかと残念でならない。
私個人の印象でしかないけど、今回の災害復旧にあたっている行政の姿勢には、どうしても首を傾げざるを得ないことがあまりに多すぎる。災害復旧の主役は住民自身・被災者自身であって行政や支援者はあくまで脇役のはずなのに、なぜか熊本ではそうではないように思えて仕方がなかった。たとえば自治体の食糧支援ひとつとっても、効率や経費節減の方が被災者の現状より重視されている。どういうことやねん。発生からわずか1ヶ月半でこれでは先が思いやられます。
とりあえずムチャクチャもやもやしたまま帰京。次回どうするかは、ちょっと考え中です。
遠いしな・・・。
熊本城。長いこと復元工事をしてきたというのに、こんどの地震で史上最悪の被害に。
復興支援レポート
くまもとどこさ せんばさ
せんばやまには たぬきがおってさ
それをりょうしが てっぽでうってさ
にてさ やいてさ くってさ
それをこのはで ちょいとかぶせ
5月29日(日)〜6月5日(日)の日程で熊本の地震災害支援ボランティアにいってきた。
冒頭のわらべ歌は誰もが子どものころにボールをついて歌ったごくポピュラーな歌だけど、まさか自分が熊本に行くことになるとは今回の地震があるまで想像もしたことがなかった。
地震があってひどい被害が出たにもかかわらず、毎日現状を伝えていたメディアの報道は見る間に減っていく。報道されても具体的な復興計画などは伝わってこない。東北のときも行ってみなければわからないことだらけだった。今回もやっぱり、何はともあれ行ってみようと思った。
お世話になったのは2011年に初めて東北の支援活動に参加したときと同じ団体の拠点。
熊本市内中心部の近くに簡単な宿泊施設があって、ここから毎日割り当てられた活動場所に行く。入浴もトイレも共同だが真新しくて清潔できちんとした施設で、滞在環境としてはこんなに快適でいいのかと懐疑的になってしまうくらい快適。朝は早ければ6時半から、夜は遅ければ深夜2時ぐらいまで活動した。といってもギチギチに忙しかったわけではなく、早く終わったときは合間に市内観光もしたし、最終日は拠点を出て八代市の温泉にも泊りにいった。熊本城も外から見られたし、湧き水が戻りつつあるという水前寺成趣園も訪問した。大好きなラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の旧居は地震の影響で閉館中だったけど、彼が愛したという鼻かけ地蔵に巡りあうこともできた。なんだかんだでけっこう満喫しました。
実働6日間で参加できたのは、避難場所でのカフェ運営・瓦礫撤去・ボランティア受付広告のポスティング・避難所支援・ボランティアセンター運営支援など。
全体にそれほど体力的に過酷ということもなく、いろいろ見て、これまで東北で活動した経験から感じる意見を求められることが多かった。というのも、災害支援の経験者が熊本には意外に多くないかららしい。現に今回直接会ったボランティアで東北でも活動したという人物はほんの数人だった。
まあ実際、熊本は遠い。わかってたけどホントに遠かった。東北だって遠かったけど、その比ではない。東北で活動していたボランティアの多くが東日本在住者だったけど、熊本ではおそらくその比率は2〜3割もいないのではないだろうか。他は九州か西日本ということになるから、自ずと東北での経験を持つ人は少数派になる。
というわけで、熊本くんだりまでいってまさかのデスクワークでのボランティアもやりました。こんなことになるとわかってればPCもってくんだった。
行ってみてわかったことは、とにかく復旧がぜんぜん進んでいないこと。
空港は飛行機の発着そのものは通常に戻ってるけど、建物の半分が閉鎖中。中心街をちょっと見た感じでは都市機能は完全に復旧してるように見えるけど、一歩裏道に入れば半壊して閉鎖された建物が並んでいる。だから地震前と変わらないところと一変したところが、モザイクのように入り組んだ状態になっている。
ライフラインも多くの地域でほぼ復旧してはいるけど、壊れた建物を解体したり瓦礫を処理したり割れた道路を直したりするにも、人もお金も資材もまったく足りていない。
そして被災した人たちは、先行きの見えないまま、なかなか伝わってこない復興計画をひたすらじっと待っている。仮設住宅がいつできて、いつ希望者全員が移れるのか、復興住宅の計画目標もわからない。
なのに罹災証明の申請は始まっていて、到底足りない行政の支援額はもうわかってしまっている。こんなにストレスフルな避難生活なんて想像するだけでしんどすぎる。
その一方で、子どもや女性への人権侵害など、災害時に起こりがちな弱者の人権問題は既に始まりつつあって、この短期間で身近に見聞きもした。はっきりいってその部分は民間の災害復興支援団体の範疇を超えてるから、行政に頑張ってもらうしかないのだが、そこがもうまったく当てにならなくてアタマに来る。
具体的な詳細は避けるが、こういうときにもっと東北での教訓が行かせないものかと残念でならない。
私個人の印象でしかないけど、今回の災害復旧にあたっている行政の姿勢には、どうしても首を傾げざるを得ないことがあまりに多すぎる。災害復旧の主役は住民自身・被災者自身であって行政や支援者はあくまで脇役のはずなのに、なぜか熊本ではそうではないように思えて仕方がなかった。たとえば自治体の食糧支援ひとつとっても、効率や経費節減の方が被災者の現状より重視されている。どういうことやねん。発生からわずか1ヶ月半でこれでは先が思いやられます。
とりあえずムチャクチャもやもやしたまま帰京。次回どうするかは、ちょっと考え中です。
遠いしな・・・。
熊本城。長いこと復元工事をしてきたというのに、こんどの地震で史上最悪の被害に。
復興支援レポート