落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

『日本のバラバラ殺人』龍田恵子

2004年02月25日 | book
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これからやる仕事の資料・・・みたいな感じで図書館で借りました。
戦前から1990年代までに国内で起きた有名なバラバラ殺人について書かれたノンフィクション。
と云っても分りやすくするためかなんとなく「再現小説」っぽい描写が多く、読みやすかったです。信憑性はさておき。

実はぐりはこういう犯罪モノの読み物が嫌いではありません。ただやたら読み漁ろうとは思わない。読み漁ると感覚が麻痺しそうでコワイから。
しかしこういう残虐な描写の文章、それもノンフィクションを読んでるとなんだかスッキリする、ストレスが解消されるような気がするのはなんででしょーな?
映像だと割りとダメなんですが。
なんとなくホラーとか怪談を読むのに似た感覚です(ぐりは『ほんとにあった怖い話』を毎週観てたりします)。

意外に思ったのですがこの本に取り上げられた事件の犯人の大半が、生い立ちや生育環境に問題を抱えていると云う点でした。少数の例外を除いてほぼ全ての犯人が、常軌を逸して貧しい家庭環境だったり、虐待に近いような育てられ方をしたりしている。
たぶん偶然なんだろうと思うけど、亡くなった人のカラダをバラバラにしちゃう←人をモノとして見ている←コミュニケーション能力が欠如している←精神発達に欠陥がある←生育状況に問題がある、と云う理屈がココに取り上げられた事件には該当するのかもしれない。乱暴な云い方をすれば。

ぐりは普段、犯罪を犯す人と犯さない人、人を殺す人とそうでない人には特に違いはないと考えています。
男であれ女であれ、若かろうが年寄りだろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが、どこの国に生まれてどんな育ち方をしようが、悪い人も良い人もどのカテゴリーの人間の中に同じ割合で存在している筈、と基本的には考えます。
ただ、そうした我々がごちゃ混ぜになって生きている世界の中に、「殺人世界」と云う目に見えない、なんの仕切りも無い領域が存在していて、うっかりそこに足を踏み入れた人間が「殺人者」になる。
その領域は我々の世界の内側にあって、ぼんやりしてるとつい知らないうちに紛れ込んでしまいそうなくらいだけど、そこに入ってしまわない限りは「殺意」の真実を知ることは出来ない。
と云う風に考えています。つまり、私もあなたも、ウッカリ「殺人世界」に迷いこむようなことがあったら殺人者になってしまう。

バラバラと云えば10年前井の頭公園のゴミ箱から建築士のバラバラ遺体が発見された事件はまだ解決してないですね。
アレは捜査進んでんのかなぁ。

『クラウディア 最後の手紙』蜂谷弥三郎

2004年02月24日 | book
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先日、テレビのチャンネルをパラパラとかえている時、画面に、駅のホームで走り寄って抱き締めあう年輩のカップルが映し出されました。
男性の名前は蜂谷弥三郎、女性は妻・久子。
終戦直後に平壌で別れて実に52年ぶりにふたりが再会した場面でした。
小さな子どものように大声を上げて泣きながら力一杯固く抱き合い、人目も憚らず熱いくちづけを交わす老いた夫婦の姿は、何の説明も無しに偶然目にしたぐりにとっても、充分に感動的な光景でした。

その後、すぐにインターネットで蜂谷氏自身の手記が出版されているのを知り、図書館で借りて読んでみました。
若いうちから苦労して働き、家族のために当時日本の統治下にあった朝鮮に渡ったこと、終戦直後の混乱の中でいわれのないスパイ容疑でソ連軍に逮捕され妻子と離ればなれになったこと、苛酷を極めた抑留生活の中で何度も死に瀕しながらも生きて故国に帰ることだけを希望に理髪師の技術を身につけたこと、釈放されてからもさんざんな差別と蔑視と当局の監視に耐えて来たこと・・・まさに「筆舌に尽くし難い」とはこのことかと思われるほどの苦労話の連続です。

なかでも可哀想なのは知りあいの女性に結婚を強要された上に、自身の行動を妻が当局に密告していたというエピソードです。
決して体が丈夫でない蜂谷氏が、大病にも負けず自殺未遂でも死に至ることなく生きて故郷に戻り家族に再会出来たのが本当に奇蹟だとしか思えません。
それもこれも、表題の「クラウディア」と云う女性の存在があったからこそ叶ったのかもしれません。「クラウディア」は蜂谷氏のロシアでの二度めの奥さんで、ペレストロイカ後にやっと故国の家族と連絡が取れた夫の背中を押して帰国させた人です。
彼女の手紙は涙無しには読めません。
『クラウディア 最後の手紙』蜂谷弥三郎

『東電OL殺人事件』佐野眞一

2004年02月15日 | book
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資料を捜しに行った図書館でたまたま目に留まって借りてみましたが、実は以前からある人に「読んでみれば」と薦められていた一冊。
著者は、両親とも高学歴で裕福な非のうちどころのない家庭に育った真面目で几帳面で働き者の被害者が、平日は毎日退勤後から終電までに4人の客を取り土日はホテトルクラブに勤める売春婦にまで“堕落”しなければならなかった、その「心の闇」をとらえたかった、と述べています。
しかし、ひとりの人間の「心の闇」が所詮たかだか一冊のノンフィクションにまとまるワケはなくて、結局は著者が求めた結論までは描ききれてはないけど、円山町のルーツから被害者の父の実家、被疑者の出身地であるネパールの僻地にまで取材したパワーと、結果を前提とした誘導的な描写を排除したニュートラルで地道なスタイルにはある程度信頼は持てるし、死んでしまった被害者の心情にある意味で確実に肉薄した部分もあるにはあります。

それにしても、読めば読む程、39歳で死ぬまで独身を通し亡父と同じ会社で役員を目指して精一杯つっぱらかって生きた彼女が、路上で客を漁り屋外でさえ行為に及ぶ一回¥5000の娼婦と云う顔を持つようになっていくまでの、えも云われぬ心情がどこかで分かるような気がして来るのがコワイ。そして、誰とも知れない客に絞め殺されお金を盗まれた挙げ句、掃除もされない古アパート空き部屋で10日間も誰にも気づかれずに放置されていたと云う哀れな死に方に、あながち同情しきれない、他人事ではないものを感じました。
人はみんなそれと知らずに刃の上を歩いて生きている、そんな印象の残る本です。
ただところどころに散見される、ムダに文学的・修叙的な情景描写はサムかったです。全然効果的じゃないエフェクトみたいな。

文中でぐりがいちばんショックを受けたのは、被疑者の同居人が取調中に暴行を受け嘘の自白を強要された後に就職や住居を警察に斡旋されていたと云うエピソードと、現場となったアパートの管理者で被疑者本人や被疑者の家族とも親交のある人物が公判中、事件捜査関係者に送迎されて証言を行っていたと云うくだりです。オイここはホントに法治国家・日本なのか?え?
この本は2000年の一審判決までを描いているので、冤罪の可能性が濃厚なネパール人被疑者が無罪を勝ち取るところで終わっていますが、現実にはその後の二審、去年の最高裁判決では有罪無期懲役が確定していて、彼は今も日本の刑務所で服役中です。支援者や弁護団が再審を求めて活動しています。
ぐりもこの本を始め各資料を見る限りでは冤罪だろうと思っています。一日も早く彼の無実が認められ、真犯人が明らかになることを心から祈っています。

ミスティック・リバー

2004年02月07日 | movie
『ミスティック・リバー』
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云わずと知れた今年の大本命ですね。主要5部門にノミネートされてて『指輪物語』との一騎討ちとか云われてますが、これから観られる方は以下お読みにならないことをオススメします。

さてイーストウッド監督の最高傑作との呼び声も高い『秘密の川』ですが・・・・・ぐりはまるで好きになれませんでした。
少なくとも傑作だとはどうしても思えません。凡作とまでは云わないけど、まぁ贔屓目に見ても秀作、佳作、と云うカンジ。なぜこれほど高く評価されてるのかは正直さっぱり分からないです。
確かに出演陣の演技は良いと思う。でもそれぞれの芸歴から考えればフツウにその延長線上の芝居でしかなくて、それ以上でも以下でもない。期待通りであって今さら「おおすげえな」と思わされる部分は特に見当たらない。演出にもとりたてて印象に残るところはない。

ぐりはもともとイーストウッド作品がそれほど好きではないので単に好みの問題かもしれません。ぐりが観たイーストウッド作品と云えばコレ以外は『真夜中のサバナ』と『パーフェクトワールド』で、『パーフェクト…』はぼちぼち好き、『真夜中…』は全くの期待外れでした。
『真夜中…』と『ミスティック…』の印象はちょっと似てますね。題材はかなり興味深いんだけど仕上がった映画は「・・・・・・・・・・それで?」と云う、乱暴な云い方をするとどっかに拭いきれない不完全燃焼感がハッキリと残る。
もっと簡単に云っちゃえばエンディングに大きな不満を感じる。「え?それで終わりかよ?そりゃねえぜ」みたいな。

何も全ての映画がスパッと割り切れたエンディングじゃなきゃいかんと云ってる訳ではないです。不条理な物語、矛盾を感じる映画の中にもぐりが大好きな作品はいっぱいあります。
ただ、不条理なり、矛盾なりの中に「結局この映画はこういうことが云いたいのだ」と云うことが分からないとやっぱりつまらない。
ぐりには、『ミスティック・リバー』が何を云いたかったのかは分かりませんでした。

きっと『ミスティック…』にもハッキリしたメッセージはどっかにあるんだろうとは思います。それは分かる。なんかどうもあることはあるらしい。そこまではなんとなく感じる。ただそれが何なのかまではぐりには理解出来ない。
この“分からなさ”は『アメリカンヒストリーX』の分からなさにかなり近いですね。なんか云いたいことはあるらしいが、ぐりのすごく個人的な部分がそれを本能的に拒否してる、みたいな感じ。『アメリカン…』も世間では大絶賛でしたよね確か。ぐりの目には『リトル・オデッサ』の別バージョンにしか見えなかったけど(『リトル…』は好きだ)。