死刑になりたい:なぜ?凶悪事件、犯行動機で供述
こういう記事を読むとつい最近観た
『接吻』を連想しちゃうんですけど。
「死刑になりたい」と発言した凶悪犯といえば大教大付属池田小殺傷事件の宅間守元死刑囚、奈良小1女児殺害事件の小林薫被告が有名だが、今年に入ってからはJR荒川沖駅8人殺傷事件の金川真大容疑者、鹿児島のタクシー運転手殺害事件の容疑者、新宿の公衆トイレの暴行魔と3件続いている。
死にたくて他人まで巻き込むなんて迷惑千万の極致もいいところだが、これがたぶん銃社会アメリカなんかだと学校やらショッピングモールで銃を乱射して犯人も自殺、なんて大惨事になっちゃうんだろう。
でも妙な話だけど、ぐりは警察で「死刑になりたかった」なんていう犯罪者の気持ちはなんとなくわからないことはない。
ぐりは小中学校時代に相当にキツイいじめに遭っていて、そのころはそれこそ毎日毎晩、自分が死ぬことやいじめっ子を殺すことばっかりじくじくと黙って考えていた。死んだらみんな後悔して泣いてくれるんじゃないかとか、自殺するなら学校の窓からとびおりるに限るなとか、下の地面がコンクリートになってる窓を選ぶべきだなとか、いやただ自分ひとりで死ぬのは悔しいからその前に仕返しをしてやりたいとか、あの子の家に火をつけようか、それとも学校を燃やしてやろうかとか、給食に毒を盛るのはどうだろうとか、それこそ微にいり細にわたって犯罪計画をひとり黙って想像しては悦に入っていた。自分でも暗い子どもどころの騒ぎじゃないと思うけど、その当時は真剣だったし、そういうことを考えないわけにはいかなかったのだ。あまりにも学校生活がつらすぎて。そうでもしないと誰も私の気持ちなんかわかってくれない、というところが一番つらかった。
幸いなことにそれらの計画はひとつも実行に移されなかったし(当り前)、そんな妄想を楽しんでいた過去も20年以上経ってブログで初めて言葉にしたくらいだけど、あのころの真っ黒な感情は今でもはっきりと記憶に残っている。
だから、人を殺すことで、「死刑になりたい」ということでしか社会的リアクションを実感できない犯罪者の心情は理解できないことはない。
こういう犯罪が続いてることと格差問題は、ぐりは個人的にはあまり関係ないような気がする。単に安易に時事ネタに結びつけようとしてるだけなんじゃないかねー?
それよりも、結果的にほんとうに犯罪を犯した人の心の貧しさ、感覚の鈍さの方がもっときちんと追求するべきところなんじゃないのかな。だって先述の5人は報道されている限りでは生立ちや生活環境にほとんど共通点がない。もしあるとするなら報道されていない、ニュースにならない「隙間」的な部分にあるんじゃないかと思う。
自殺したくて他人まで巻き込むのが歪んだ自己愛の結果だとするなら、人でもモノでも現象でも、とにかく自分以外の何かを精一杯愛する能力が欠如しているということになる。そういう能力は人は自分で育てられない。家族や周囲の身近な人に愛情を注がれてかつ自らそれを実感しつづけることでしか、まともに他者を愛する感覚は育たないんじゃないかと思う。
もしも彼らに自分以外の何かを愛でることができさえすればこんなことにはならなかったかもしれない、なんて決めつけも安易だけどね。
迫る待ち犬。
「地震は報い」発言のSストーンが米中合作映画降板
シャロン姐さん、やっちゃいましたね〜。ウッカリ発言でもいって良いことと悪いことがあるっちゃねー。しかも場所が悪かった。よりにもよって世界中のメディアが大集合中のカンヌのレッドカーペット。誰もスルーしてくれるワケがない。あららん。
問題の『人魚帝国』の英題がわからないので記事の真偽はちょっとわからないけどね(ピトフ監督の最新作はプリプロダクション中の『Only in New York』とポストプロダクション中の『Fire and Ice: The Dragon Chronicles』で両方とも純粋なアメリカ映画。シャロン・ストーンの次作は『Dirty Tricks』でこちらの監督はライアン・マーフィー)。