福島県南相馬市の津波被災地(海岸部)に行くたびに、身の危険を感じます。公道で写真を撮っていただけで住民に言いがかりをつけられ、囲まれ、殴られ、つばをかけられる
これまでにも書いているけど、ぐりは震災の日から今まで、東北のことを忘れたことは一度もない。
毎日毎日、東北のことを考えて暮らしている。なにもできなくても、できる範囲で復興のためにできることを探したい、できるだけ、気持ちだけでも東北の人のそばにいたい、と思って日々を生きている。
それはたぶん、これからもずっと変わらない。すくなくとも、しばらくは変わらないと思う。いつまでかはわからないけど、東北の復興の道はまだまだ遠い。その道のゴールが見えるようになるまでは、できるだけこういうスタンスでいたいと思っている。
それはそれとして、ボランティアに通い始めてもう2年余り、いままでいろんなことがあったし、いろんな人に出会った。中にはもちろん他人にいえないことも数限りなくあった。
あの未曾有の大災害のあとの大混乱の中にいて、不用意に人にいうことでどんな影響がどこに波及するかわからなくて、どうしても必要以上に言葉を選んでしまう自分がいる。
誰が正しくて誰が悪くて、という単純にわりきれない事態に置かれたとき、社会への影響に責任をもてない個人として、その判断をただ先送りにするしかできない。それで納得してるわけじゃないし、内心忸怩たる思いもある。心底苦しんだこともある。悲しい思い、悔しい思いもした。いまも悩むことはたくさんある。
でもひとつだけいえることは、ぐりはいつでも逃げることができる立場にいるということだ。
気持ちの上ではどんなに東北の人たちのそばにいたくても、現実にはぐりは当事者じゃない。関係を断とうと思えば断てるし、責任なんか放り出して逃げたければいつでも逃げられる。他人のふりをするのもぐりの勝手だ。
どれだけ東北の人に寄り添っているつもりでも、あくまでも自分はよそ者、第三者であるという客観性は忘れるべきじゃない。つい知っているつもり、わかっているつもりで傲慢になりがちな自分を、戒めていたいと思う。
被災された地域にお住まいの方々、そこで働いている方々、そこでの出来事を日々の糧として関わっている方々はそうはいかない。逃げも隠れもできないし、いつまでも見て見ぬふりもできないし、あったことをなかったことにすることもできない。そこは当り前に弁えるべきだと思う。
今回の災害と事故では、日本のマスメディアは大きな痛手を被った。逆にインターネットメディアは大きな力を得た。ネットニュースや動画配信サイトなどのオルタナティブメディアが、多くの人に公平な真実(あるいはその一側面)を公にし、世間を驚かせ、勇気づけもした。あらゆる人が自由に発言できるメディアだから、広告業界や経済界の意図には無関係な共通認識をつくりだすこともできる、そういう力を多くの人が得ることができたのは良いことだと思う。
その一方で、個人的には、インターネットを始めて17年、意外に日本人のインターネットの使い方はあのころとほとんど変わりがないということに、ぐりは正直にいって少し残念な気持ちでもいる。
まだPCも携帯電話も普及してなくて、インターネットは一部の人が電話回線で使うものだったあのころ、ほんとうにこんなものが世の中の役に立つようになるのか疑心暗鬼でとりくんでいたあのころ、日本のネットに飛び交う言葉や情報は偏っていて不完全で深みがなくて、ぐりはしょっちゅう国会図書館や大宅文庫に通い、雑誌や新聞などの既存メディアを情報源にサイトをつくるしかなかった。どれだけ真剣につくっていても期待するほどの反応はなくて、結局ぐりの中で「ネットはオモチャ」「媒体に関係なくどの情報も話半分」という従来の認識に落ち着いてしまった。事情があってインターネットの仕事をしていた期間は長くはなかったから、これも偏見なのだろうと思うけど。
でも、この認識はいまもそれほど変わらない。
確かに、インターネットは情報を素早く幅広くキャッチするのにとても便利なツールだ。だが便利ゆえに困ることもある。
いったんネットにこぼれた情報は誰にも収拾はつかない。だから情報を発信するにしても、受取るにしても臆病にならざるを得ない。ただ誰もがそういう認識でいるわけではないから、「炎上」などという現象が簡単に起きてしまう。
ぐりは誰かの味方をしたいわけではないし、できるとも思わない。だけど、事実とはその当事者にすら完全にはわからないものなのに、ネットの限られた情報だけでどう判断することもできるものじゃない。何度東北に通おうと、ぐりが東北のこと、被災した地域のこと、地域の人たちについてわかっていること、語れることなんかそうそうない。
それでいったい誰の何を批判できるというのだろう。すくなくとも、ネット上では何もいえない。
ひとつたとえ話をしよう。
昔、地震が起きて、大火事になった街があった。
火災で全焼した家もあり、半焼した家もあった。
それから数日過ぎて、半焼・半壊した家が何軒か、また火事になった。そして今度は全焼してしまった。
まだ地震保険も普及していなかったころ、火災保険の支払額には全焼か半焼かでもちろん差がある。被災した地域全体が殺伐としていた中で、あれは放火だという噂があっという間に広まった。半焼・半壊だってもう住めない。どうせ壊して建て直すんなら、みんな燃えちゃった方がもらえるお金も増えるからと。保険会社の調査結果なんか絶対に公開されないから、多くの人がこの噂を信じた。報道されないことがあまりに多過ぎて、却って報道にない流言飛語が簡単に信じられてしまった。
その後、このあとで起きた火災が通電火災だったことが広く知られるようになった。地震などで断線した電力線に、電気の供給が復帰したときに発火が起こり、延焼して火災になる。誰が火をつけなくても、火事は起きていた。しかし放火したと後ろ指を指された人の名誉はもう回復されない。災害の直接の被害だけじゃない、一度壊された地域社会の信頼関係も二度ともとには戻らない。
この話を聞いたのは今回の震災の何年も前のことだ。
そしていま、こんな話はまったく特別じゃない、どこにでも転がっているありふれた話になってしまった。とても寂しいことだけど、事実だ。
ここから学べるのはひとつだけ、自分が見たり聞いたりしたことだけで、簡単に誰かの肩を持ったり、信じたり、判断したりすることがどれほど危険なことか。許せることは、許せるうちにできる限り許し、受け入れ、そのあとで考えてもいい。
ぐりの基本姿勢としては、できるだけ、少ない人の声に耳を澄ませていたい。声の大きい人、数が多い側ではなく、得るもののない人、すぐケンカになっちゃいがちな人の声は、あんまり無視したくないし、勝手に評価したりはしたくないと思っている。
無責任な第三者として、そう思っている。
これまでにも書いているけど、ぐりは震災の日から今まで、東北のことを忘れたことは一度もない。
毎日毎日、東北のことを考えて暮らしている。なにもできなくても、できる範囲で復興のためにできることを探したい、できるだけ、気持ちだけでも東北の人のそばにいたい、と思って日々を生きている。
それはたぶん、これからもずっと変わらない。すくなくとも、しばらくは変わらないと思う。いつまでかはわからないけど、東北の復興の道はまだまだ遠い。その道のゴールが見えるようになるまでは、できるだけこういうスタンスでいたいと思っている。
それはそれとして、ボランティアに通い始めてもう2年余り、いままでいろんなことがあったし、いろんな人に出会った。中にはもちろん他人にいえないことも数限りなくあった。
あの未曾有の大災害のあとの大混乱の中にいて、不用意に人にいうことでどんな影響がどこに波及するかわからなくて、どうしても必要以上に言葉を選んでしまう自分がいる。
誰が正しくて誰が悪くて、という単純にわりきれない事態に置かれたとき、社会への影響に責任をもてない個人として、その判断をただ先送りにするしかできない。それで納得してるわけじゃないし、内心忸怩たる思いもある。心底苦しんだこともある。悲しい思い、悔しい思いもした。いまも悩むことはたくさんある。
でもひとつだけいえることは、ぐりはいつでも逃げることができる立場にいるということだ。
気持ちの上ではどんなに東北の人たちのそばにいたくても、現実にはぐりは当事者じゃない。関係を断とうと思えば断てるし、責任なんか放り出して逃げたければいつでも逃げられる。他人のふりをするのもぐりの勝手だ。
どれだけ東北の人に寄り添っているつもりでも、あくまでも自分はよそ者、第三者であるという客観性は忘れるべきじゃない。つい知っているつもり、わかっているつもりで傲慢になりがちな自分を、戒めていたいと思う。
被災された地域にお住まいの方々、そこで働いている方々、そこでの出来事を日々の糧として関わっている方々はそうはいかない。逃げも隠れもできないし、いつまでも見て見ぬふりもできないし、あったことをなかったことにすることもできない。そこは当り前に弁えるべきだと思う。
今回の災害と事故では、日本のマスメディアは大きな痛手を被った。逆にインターネットメディアは大きな力を得た。ネットニュースや動画配信サイトなどのオルタナティブメディアが、多くの人に公平な真実(あるいはその一側面)を公にし、世間を驚かせ、勇気づけもした。あらゆる人が自由に発言できるメディアだから、広告業界や経済界の意図には無関係な共通認識をつくりだすこともできる、そういう力を多くの人が得ることができたのは良いことだと思う。
その一方で、個人的には、インターネットを始めて17年、意外に日本人のインターネットの使い方はあのころとほとんど変わりがないということに、ぐりは正直にいって少し残念な気持ちでもいる。
まだPCも携帯電話も普及してなくて、インターネットは一部の人が電話回線で使うものだったあのころ、ほんとうにこんなものが世の中の役に立つようになるのか疑心暗鬼でとりくんでいたあのころ、日本のネットに飛び交う言葉や情報は偏っていて不完全で深みがなくて、ぐりはしょっちゅう国会図書館や大宅文庫に通い、雑誌や新聞などの既存メディアを情報源にサイトをつくるしかなかった。どれだけ真剣につくっていても期待するほどの反応はなくて、結局ぐりの中で「ネットはオモチャ」「媒体に関係なくどの情報も話半分」という従来の認識に落ち着いてしまった。事情があってインターネットの仕事をしていた期間は長くはなかったから、これも偏見なのだろうと思うけど。
でも、この認識はいまもそれほど変わらない。
確かに、インターネットは情報を素早く幅広くキャッチするのにとても便利なツールだ。だが便利ゆえに困ることもある。
いったんネットにこぼれた情報は誰にも収拾はつかない。だから情報を発信するにしても、受取るにしても臆病にならざるを得ない。ただ誰もがそういう認識でいるわけではないから、「炎上」などという現象が簡単に起きてしまう。
ぐりは誰かの味方をしたいわけではないし、できるとも思わない。だけど、事実とはその当事者にすら完全にはわからないものなのに、ネットの限られた情報だけでどう判断することもできるものじゃない。何度東北に通おうと、ぐりが東北のこと、被災した地域のこと、地域の人たちについてわかっていること、語れることなんかそうそうない。
それでいったい誰の何を批判できるというのだろう。すくなくとも、ネット上では何もいえない。
ひとつたとえ話をしよう。
昔、地震が起きて、大火事になった街があった。
火災で全焼した家もあり、半焼した家もあった。
それから数日過ぎて、半焼・半壊した家が何軒か、また火事になった。そして今度は全焼してしまった。
まだ地震保険も普及していなかったころ、火災保険の支払額には全焼か半焼かでもちろん差がある。被災した地域全体が殺伐としていた中で、あれは放火だという噂があっという間に広まった。半焼・半壊だってもう住めない。どうせ壊して建て直すんなら、みんな燃えちゃった方がもらえるお金も増えるからと。保険会社の調査結果なんか絶対に公開されないから、多くの人がこの噂を信じた。報道されないことがあまりに多過ぎて、却って報道にない流言飛語が簡単に信じられてしまった。
その後、このあとで起きた火災が通電火災だったことが広く知られるようになった。地震などで断線した電力線に、電気の供給が復帰したときに発火が起こり、延焼して火災になる。誰が火をつけなくても、火事は起きていた。しかし放火したと後ろ指を指された人の名誉はもう回復されない。災害の直接の被害だけじゃない、一度壊された地域社会の信頼関係も二度ともとには戻らない。
この話を聞いたのは今回の震災の何年も前のことだ。
そしていま、こんな話はまったく特別じゃない、どこにでも転がっているありふれた話になってしまった。とても寂しいことだけど、事実だ。
ここから学べるのはひとつだけ、自分が見たり聞いたりしたことだけで、簡単に誰かの肩を持ったり、信じたり、判断したりすることがどれほど危険なことか。許せることは、許せるうちにできる限り許し、受け入れ、そのあとで考えてもいい。
ぐりの基本姿勢としては、できるだけ、少ない人の声に耳を澄ませていたい。声の大きい人、数が多い側ではなく、得るもののない人、すぐケンカになっちゃいがちな人の声は、あんまり無視したくないし、勝手に評価したりはしたくないと思っている。
無責任な第三者として、そう思っている。