落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

Come to Me

2014年08月13日 | movie
『チョコレートドーナツ』
1979年、カリフォルニアのゲイバーでショーダンサーとして働くルディ(アラン・カミング)は、薬物所持で逮捕された隣人(ジェイミー・アン・オールマン)の長男マルコ(アイザック・レイヴァ)を引き取りたいと願い、恋人ポール(ギャレット・ディラハント)のアドバイスで暫定監護権の承諾を得る。三人は愛情深くあたたかい絆で結ばれたが、その幸せは長くは続かなかった。
脚本家ジョージ・アーサー・ブルームと同じアパートに住んでいたというカップルをモデルにした、実話に基づく物語。

4月に公開されてずっと観たかったんだけど、やっと。やっと観れました。
いろいろいう前にひとつ断っておかなくてはならないことがある。
ぐりは最近あんまり映画館で映画を観ていないのだが、もともと観たい映画についてはなるべく前情報なしで観る習慣なので、この映画に関してもほとんど何も知らなかった。知らないで映画館に行った。
ところがどういうわけか、「ハリウッド映画でこれだけ感動作だ泣ける映画だなんて騒がれてるんだから、きっとハッピーエンドに違いない」と勝手に思いこんでいた。なんでかはわからないけど。
ハッピーエンド。マルコが大好きなハッピーエンド。
友だちは人形のアシュリー、ディスコダンスが得意でチョコレートドーナツに目がないマルコが好きだった、ハッピーエンドのおとぎ話。

しかし現実はおとぎ話じゃない。
ベースになった実話がどの程度物語に反映されているのか詳しいことはわからない。だが長くはないこの映画が突然終わるとき、観る者は残酷な現実に否応なく直面させられることになる。差別と偏見と心ない悪意と暴力に満ちた、厳しい現実世界。
映画が終わって映画館を出て歩きながら、涙が止まらなくて困ってしまった。悲しくて涙が出るのではない。怒りと悔しさで涙が流れた。
これは個人的な見解かもしれないけど、この映画はそもそも観客を感動させたり涙を流させたりするためではなく、怒りに火をつけ、すぐさま行動させるためにつくられたのではないかという気がした。
もしこんなことがほんとうにあるとしたら(実話なんだからだいたいほんとうなんだろう)、絶対に許されるべきではない。守られるべき存在を守るためにできること、やるべきことはなんだろうと、観客それぞれの胸に問いかけてもらいたかったのではないだろうか。

法廷ドラマでもあるこの作品で唯一残念に思ったのは、ルディ側の主張の背景は丁寧に描かれるのに対して、行政側の主張が非論理的な差別と偏見の側面でしか語られなかったことだ。これでは公平ではないだけでなく、現実の差別や偏見がどれだけ誤った論理に裏づけられていて、差別や偏見と戦うには何が求められているかという具体性が完全に抜け落ちてしまっている。
ルディとポールとマルコはただただいっしょに暮らしたいと願い、決して贅沢とはいえない望みのために必死で戦うが、行政側が彼らを引き離そうとする目的が不明確なために、物語が必要以上に感情論に傾いて見えてしまうのがもったいなかった。
ポールは法廷で「背が低くて太った障害児なんて誰も欲しがらない。とるに足らない子ども」でも、本気で彼の幸せを願う親のもとで暮らす権利があるはずと訴える。病気にかかりやすく、大学進学も就職もひとりで外出することもままならないマルコのためを思えば、ポールの主張は受け入れられて当り前のように聞こえるし、法廷もそれを認める。なのに結果的に彼らが引き裂かれてしまう合理的な理由が、行政側がいったい何のためにあれほど卑劣な手段まで行使しなくてはならないのか、なにひとつ語られないのだ。

マルコを演じたアイザック・レイヴァが素晴らしい。泣いたり笑ったりする表情がとにかく愛くるしくて、守ってあげたい、幸せになってほしいと思わず願いたくなるキャラクターを生き生きと表現している。子どものような声もとてもかわいらしい。
ルディ役のアラン・カミングは歌がスゴイです。劇中でも彼の歌がまわりを感動させるシーンが何度か出てくるけど、スクリーンを通しても軽く鳥肌がたつくらい、熱くせつなく訴えかけてくる歌声。サントラ欲しくなってしまった。
たぶんコレ、ハリウッド映画としてはどっちかといえば低予算の小規模作品ではあるんだろうけど、それにしてもどのキャストもものすごくよかったし、ひとりひとりの演技から、こういう物語を演じることで許されざる差別問題を世に伝えたいという気概が画面からひしひしと感じられて、観ていて勇気づけられる映画でもありました。
しかしモデルになったというカップルはその後どうしているだろう。せめて今は幸せでいてほしいと、心から願わずにいられない。



But no one knows that. They only say mean things.

2014年08月10日 | movie
『The Depths』
韓国の一流フォトグラファー・ペファン(キム・ミンジュン)は日本に住む写真仲間ギルス(パク・ソヒ)の結婚式に招かれて訪日。式の最中に会場を抜け出した花嫁を追って出たペファンは、式場の近くで撮れたスナップに写っていたリュウ(石田法嗣)に被写体として激しく惹かれ、偶然再会した彼を韓国に連れて帰りモデルにしたいと本気で考え始めるのだが・・・。
2010年東京芸術大学・韓国国立映画アカデミー共同製作作品 。

東京フィルメックスで上映してたらしいですが初見です(英語字幕版)。
なんでこれちゃんと一般公開されてないんでしょーね?もったいなー。完成度高いのに。
登場人物は限られていて、世界観はペファン側とリュウ側にくっきりと分割されている。そのふたつの輪がリンクし絡み合っていくことで物語が進行していく。とても単純だ。細かいディテールも説明もない。リアリティすらない。
でもこの映画を観てると、シナリオがちゃんとしていて演出が的確であれば、そういう枝葉末子はどうでもいいんだなあと改めて感じる。映像によって観る者を別世界に連れて行く、それだけの装置として最低限の機能さえあれば映画は成り立つのだと。

ペファンはたまたまギルスのスタジオに連れてこられたリュウに執着し、強引にモデルを依頼する。ギルスは地下組織に飼われた男娼というリュウの素性を知っていてペファンを思いとどまらせようとするが、アーティストである彼はまったく意に介さない。表現者にとってインスピレーションは何よりも大切なものだからだ。おそらくその動機そのものは最初から最後まで変わらないつもりだったのだろう。
だがある瞬間に、彼はもっとも大切にしていたものがあっさりと消えてしまっていることにふと気づく。もしかしたらどこかで自ら手放してしまったのかもしれない。知らず知らずのうちに別なものにすり替わってしまったのかもしれない。いずれにせよ、夢中で握りしめていたはずのそれは既に彼の手の中にはなかった。
その一瞬の描写がもうなんともいえない。リアルだ。

全編ほぼ自然光のロケ撮影なのだが、光や水や風や空気の捉え方が非常に美しい。カメラワークも編集もものすごくオシャレ。それもさりげないの。ほれオシャレやろ、イケとるやろ、って感じじゃないの。なのにムチャクチャ完成されてる。綺麗です。音楽の使い方も無駄がない。なんか日本映画じゃないみたい。全体に画面が暗めでブルーがかっていて乾いて静かで閉鎖的で、雰囲気的には北野武作品に非常に似てる。監督の濱口竜介は芸大の教え子にあたるから、もしかしたら似てて当り前かもしれない(授業は一回だけだったらしいけど)。
劇中のペファンの写真も全部いい。映像作品に出てくるアート作品ってだいたいがインチキくさいけど、そこはさすが芸大、ばっちり外さない。

ぐりはこの主役のキム・ミンジュンは全然知らなかったんだけど、スターなんだよね。スラリとした長身で手脚が長くて背中が広くて胸板が厚くて、くしゃっとした笑顔が優しげで、見るからに頼りがいがありそうなナイスガイ。アーティストらしくワガママで何でも思い通りに出来ると思いこんでいる尊大さは若干鼻につくけど、嫌味がなくて爽やかで、どう見ても男娼になんかよろめきそうにないタイプ。ギルスがいうように、社会的地位にも才能にも家庭にも恵まれた「勝ち組」でもある一方で、なぜかそこはかとなく寄る辺ない寂しげな表情がかわいらしい。
もうひとりの主人公であるリュウを演じた石田法嗣も初めて見た。いわゆる美形でも中性的でもなくとくに目立つような容貌でもなく、一見どこにでもいそうでありつつ、小柄で華奢で野性的な少年っぽさが魅力的。これが手当り次第に男を誘惑しては残らず夢中にさせてしまうという、かなりタチの悪い魔性の男を力いっぱいのびのびと演じている。見ていてちょっと困ってしまう。彼の外見に性的な生々しさはないのに、誰もがころっと虜にされる手管にはやけに説得力があるからだ。これと見定めたターゲットに向ける彼の表情や仕草や声音の醸し出す、得もいわれぬ繊細で無防備なフェロモンがあまりにも何気なさすぎるのが恐ろしい。こういうのを演技力といっていいのだろうか。
場末の風俗街で写真スタジオを経営するギルス役のパク・ソヒは舞台やらテレビやら映画やらでちょくちょく見かける人ですね。この人もマッチョ。良い声してます。彼はペファンとは逆に、リュウに対して端から無駄に高圧的というか攻撃的なのがむしろあやうく見えるキャラクター。そして見たまんまの展開がもう清々しい(笑)。

ラストシーンを観て感じたのだが、究極な話、恋愛なんてそれと気づくまでがいちばん楽しくて、そのあとは多少の波こそあれただ醒めていくだけなのかもしれない。
怖い怖いと思いながら、経験したことのない誘惑を心のどこかでじっと待っている。強烈に引き寄せられていく恋の魔力に翻弄されているうちはそれを感覚のままに楽しめばいい。
だが直接的にせよ間接的にせよ、相手の実在に触れ、その先を考え始めたとき、恋は終わるのだろう。その先は、愛というまた別の動力によって人は関わりあい、つながりあっていく。
その刹那のひらめきを丁寧に切りとった映画として、この物語はとてもよくできているし、好きだと思いました。
見終わってしまえばセレブという勝者とセックスワーカーという社会の底辺にいる弱者の恋というフォーマット通りの陳腐なモチーフではあるのだが、弱者側が女性ではなく少年であるというギミックと日韓という微妙な関係を持つ国の境と言語の壁を挟むことで、よりストレートな人の心の底の欲求の物語として表現することに成功している。だいたい、映画が始まってもなかなか恋愛は始まらない。始まるや否や速攻で映画は終わってしまう。
こんな恋の描き方もアリなのかと、新鮮に感じました。



恥ずかしい社会

2014年08月05日 | diary
理研の笹井芳樹氏は、なぜ自死を選んだか

毎日毎日焼けつくような暑さが続くこの季節、仕事が終わって帰宅して、バルコニーで生ぬるい夜風に吹かれながら音楽を聴きつつ夜景を眺めるのが、ささやかなリラックスの時間になっている。
今夜、つるんと晴れた夜空をゆっくり横切っていく飛行機の小さな灯りを静かに見送りながら、亡くなった笹井氏のご家族や、残された小保方氏やその他の同僚たちはどんな夜を過ごしているだろうかと、ふと思った。
少なくとも、空を見上げて平和を感じるような余裕などないだろうなと思った。

ぐりは科学にはとんと疎い人間だし、1月に記者発表があったときも「なんだかすごい研究みたいだな」とぼんやり思ったことしか記憶にない。研究グループのリーダーとして注目を集めた小保方氏が、若くて美しい女性でどうのこうのという騒動もあとになって知った。2月になって不正疑惑が持ち上がり、メディアがSTAP一色になってしまったときは残念だったけど、それはこの報道のせいで本来国民全体で議論すべき集団的自衛権の問題がきれいに忘れ去られてしまったからだ。
世間では猫も杓子も突然科学評論家(そんな職業があるのかは知らないけど)になったかのように、どこがあやしいだのおかしいだの訳知り顔になってアラ探しに盛り上がり、果ては小保方氏の人格や過去の経歴までつつきまわし始めた。
ぐりは何が何だかわからなかった。論文に不正があったこと、発表の過程に間違いがあったことは疑いようがない。あれだけ多くの専門家が再現実験をして成功できなかったのだから、研究そのものにどんな正しさがあろうと、まだ世に出すべき段階ではなかったことだけはさすがのぐりにもわかる。
だがそのことで、研究者個人を魔女狩り裁判よろしく寄ってたかって攻撃することになんの意味があるのか。それよりも、発表されるべきでない論文が発表されてしまった構造的な不正をこそ糾すべきではないのかと思った。

こんなことをいまになってガタガタいうのはフェアじゃないかもしれない。
笹井氏がこんなことにならなければ、いう機会は決してなかっただろうと思う。いえるほどの何を知っていたわけでもなかったから。ぐりがどれだけ身の程知らずでも、少なくともその程度の自覚はある。
自分たちは安全な場所にいて、彼らを嘘つきだと誹謗し、日本の信頼を傷つけたなどと怒りをぶつけるのはさぞ気持ちがよかっただろう。逃げも隠れもできない無抵抗な存在をただいたぶるのは心地いいものだ。醜悪で何の生産性もない暴力。誰も得しないし、どこにも行けない。なのにどうして人は、そんな暴力の魅惑から逃れられないのだろう。
笹井氏がこんなことになって、日本の再生医療ははっきりと後退することになるだろう。ノーベル賞に近いともいわれた優秀な研究者を失って、サンドバッグ代わりに彼らを袋叩きにした人々はいま、何を感じているだろう。たぶん、何も感じてはいないだろう。寂しいことだがそれが世の中だ。
だが、彼らのあとに続く若い研究者たちには、こんなことに萎縮しないで、是が非でもSTAP細胞を完成させ、より高度な再生科学の発展を目指してもらいたいと、心から願っている。
それこそが、亡くなられた笹井氏の無念を晴らす唯一の道ではないかと思う。

遺書を書いたとき、階段の手すりに紐をかけたとき、笹井氏は何を考えていただろう。
どんな気持ちでいただろう。
海の向こうでは恐ろしい感染症が流行し、卑劣な軍事攻撃によって罪もない市民が生命の危機に瀕している。彼らに選択の余地はない。ただなすがままに死んでいくだけだ。
きっとそんなことは思いもよらなかったんだろうな。もっと生きて、もっとたくさんの人たちを救えたかもしれないのに。
そんな可能性をもった人をこんなふうに死なせる社会って、なんかものすごく恥ずかしいと思うんですけど。


我が家から見える朝焼け。遠くに細く飛び出して見えるのはスカイツリー。