落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

おいしい牛肉麺の秘密

2017年12月27日 | movie
『MR.LONG/ミスター・ロン』

台湾から東京・六本木に派遣されたナイフの名手で殺し屋のロン(張震チャン・チェン)だが、ミッションに失敗し逃亡。
流れ着いた田舎町で出会った少年(白潤音バイ・ルンイン)に助けられ、世話好きな近隣住民に料理の腕を買われて牛肉麺の屋台を出すことになるのだが・・・。

張震がもう四十路って信じられないですね。あいかわらずめっちゃかっこいいです。
若いころ(『カップルズ』のころ)から好きだけど、どういう役やっててもものすごく自然なんだよね。不良少年だろうとヤクザだろうと棋士だろうと皇帝だろうと、完全にばっちりキャラクターそのものに見えて常にまったく隙がない。
なんだけどいつもなんかこう、「これでいいのかな?」「もうちょいいけるんちゃうかな?」という、微妙な消化不良を感じさせる変な役者さんです。その絶妙な隙間感が、人間誰もがどこかで感じるであろう“己のアイデンティティに対する居心地の悪さ”に通じるのがあって却って生々しかったりもします。

この作品でいえば、ロンの設定は“ナイフの名手で殺し屋”でありつつ、同時に“料理の達人”でもある。その設定の背景には何も説明がない。母親が薬物中毒だったことを示唆する回想シーンが登場するものの、それ以外に彼をアイデンティファイする要素がないから、殺し屋と料理人のどちらが本来の彼の顔なのかが、観客にはよくわからないまま物語が進行していく。
一方でロン本人の態度には、どちらも彼自身が受け容れたアイデンティティというわけではなさそうな、はっきりとした距離感がある。殺し屋であれ料理人であれ、それはたまたまその瞬間瞬間で彼に求められた役割をただ精一杯に演じているだけ、という風に見える。いささか精一杯すぎて、その振りきりっぷりに観てる方はひいてしまうぐらいである。
あまりにも一生懸命だから、ラストシーンで彼が彼自身の手でその「役割の仮面」を脱ぎ捨てる場面では不覚にも感動してしまいました。感動していいのかどうかわかんないんだけど、思わず「よかったねえ」と思ってしまった。

作品そのものは若干冗長だったかなあ。
全体に時間を贅沢に余裕をもって描写したかった気持ちはわからないではないけど、この内容だったら129分は長すぎるよね。少年の母親リリー(姚以緹イレブン・ヤオ)のパートに頑張りすぎたんではないでしょうか。彼女のシチュエーション─日本の地方都市で売春しながらひとりで子育てをする薬物中毒の台湾人女性─がシリアスすぎて作品中でのバランスに苦労したんだろうなとは思うし、そういう誠実さには好感はもてたけど、果たしてそれだけの作り手側の誠意が観客にどれくらい伝わったかは不明です。
姚以緹の演技が終始一本調子だったのも敗因のひとつでは。超綺麗なんだけど、芝居はまあアウトでんな。

あとちょっと困ったのが、ロンのキャラクター設定や物語の展開はファンタジーなのにリリーのパートがやたらにリアルだったところ。見ててどっちをどう受け止めればいいのかよくわかんなくて、なかなかストーリーにはいりこめませんでした。
ひさびさに張震をおなかいっぱい観れたのはよかったけど、ファン以外の人には観る意味のある作品かどうかは謎です。
牛肉麺はむちゃくちゃおいしそうだったけどね。



檻と鍵

2017年12月08日 | lecture
明治学院大学国際学部付属研究所公開セミナー「憲法が変わる(かもしれない)社会」

3回目のスピーカーは憲法学者で東京大学法学部大学院教授の石川憲治さん。
不勉強で私は著書も読んだことがなかったのだが、どうも世間では天才と呼ばれているお方らしい。最近は日本統治時代の京城帝国大学法学部を研究しておられたという。正直そんなこといわれてもさっぱりわからないのですが。
わからないなりに受講後すぐノートにまとめようと思ったんだけど、ぜんぜん時間がなくて時間が経ってしまったので、理解できて記憶に残った範囲内の備忘録を残しておく。聞き手は高橋源一郎氏。

石川さんは立憲デモクラシーの会という研究者のグループの呼びかけ人にもなっておられるそうだが、ご自身では政治的センスにぜんぜん自信がないとくりかえし口にしておられたが、それでも96条(憲法改正の条件)改正が取り沙汰ときは「このままでは憲法が壊されてしまう」と危機感を持たれ行動されたそうである。先人のように、あとから振り返って「あのときのあれがそうだったんだ」などと後悔はしたくない。まあいま何かしらしなくてはとじたばたしている人の多くがそういう気持ちなんだろうと思う。私も含めて。

Q.安倍政権がやろうとしている改憲が実際にどう生活に影響するのか。

A.まず現憲法は国民主権とうたわれているが、主権者とは至高の存在、いってみれば神のようなもののこと。神は何にも縛られない。そもそもそんなものを決めていいのか、というところを疑うべき。
国民主権=民主主義という認識になっているが、その何にも縛られないはずの主権者を縛るのが立憲主義で、96条で縛ることで既存の権利を守っている。
安倍政権は「憲法を国民に取り戻す」といったような主張をしながら、憲法を壊そうとしている。たとえば集団的自衛権を合憲と閣議決定したのは改正手続きの破壊である。

Q.立憲主義とは、国を縛っているがほんとうは国民も縛っている?
国民主権だから自分でつくった憲法は自分で壊していい?
一回決めたら変えられないのが憲法では。それを変えたら違う国になるのでは?

A.難しい議論だし、時代によって変わっていくし、実際いまも変わっている。
むしろわかりやすく説明する先生はいんちき。
たとえば絶対民主主義と先制主義は何が違うのか、立憲主義とどう違うのか。

Q.詳しく喋り出すと「まあいいや」、わからないもの=いらないもの、という風潮で専門家はきらわれる。

A.難しいから一生かけてるんだけど。

Q.みえないしさわれないのにコントロールされていて、どうしても難しくて説明しづらいのに、生活にダイレクトに結びついている。問いたやさないことが大事。

A.果たして主権者は必要なのか、ひとりひとりが考えるべき。
たとえば自分でつくったものはいつでも自分で変えていいのか。契約は自分で契約したからといって自分で変えていいものではない。
そのもやもやを、おかしいなという疑問を形にするのが法理論。

Q.去年8月8日の今上天皇のおことばについての評価を。
天皇は憲法に書いていない象徴的行為ができなくなってきたからという理由で退位に言及された。
石川さんはこのおことばを高く評価されておられる。その理由を。

A.象徴的行為で論理が一貫している。憲法には書いていないけどなんとなく共通認識としてあったものを、先行して理屈をみつけて形にされた。
退位のシステムだってもたないわけにはいかないのに、制度として存在していなかったことを指摘された。
戦後の天皇は国事行為だけを行う国家機関になったが、それ以前に象徴であることをもとめた。戦前の考え方の代替物でもあるから危険な面もあるのだが、政治的には中道路線をめざし象徴的行為で中道天皇論を確立させることで宮内庁をかためてきた。
象徴とは、この国が目指しているものをわからせるための装置。ふつうの国なら国旗や国歌にあたるもの。
国事行為や宮中祭祀は外からはみえないからそれだけで象徴にはなりえない。
今上天皇にとっての象徴的行為とは努力義務だった。代替の効かない、やりつづけなくてはならない、動けなくなったらできない、寝ていてはできない行為。だから限界があって、退位システムが必要。平和主義の象徴のための努力が、天皇にとっての答えだったのでは。
すなわち、あのおことばで、中道天皇論の形を示した。

Q.すばらしいことだと思うんだけど、説明がつきにくい。
きっと今上天皇は誰よりも憲法をよく読んでる。そして憲法を破壊しようとする人々からまもろうとしたのでは。
法律は明快な完成形ではなく隙間だらけの道具。

A.憲法にはもともと暴走装置があった。
書いてあることだけが法律じゃない。9条には書かれていないことも含めて天皇制はパフォーマンスとして成功してきた。
だからいまの改憲論議は安易すぎる。

ノートに書いたことを拾いだしてみたけど、やっぱり難しい。
石川さんの本読んでもっと勉強しなくては。


関連記事:
明治学院大学国際学部付属研究所公開セミナー「憲法が変わる(かもしれない)社会」第二回

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嘘の楼閣

2017年12月07日 | book
『アベノミクスによろしく』  明石順平著

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うちは新聞をとっていない。テレビも置いてないので、基本的にみる習慣がない。
ニュースは全部インターネットで読んでいる。より深い情報が必要なときは、店頭で新聞か雑誌か本を買って読むなり、セミナーや講演会にいって専門家の意見をきく。でも正直なところ、経済学の分野にはこの歳になってもさっぱり疎い。
とはいえアベノミクスがだいたい何をやらかしたかくらいはうっすらわかる。確かに株価は上がったし、どこでも人手不足で仕事も増えている。だがそれだけで「景気が良くなった」といってしまうのは絶対に違うということだけははっきりわかっている。
物価も税金も社会保険も健康保険も上がったのに、平均所得はぜんぜん上がってない。というか下がってる。失業率は下がったかもしれないけど非正規雇用がふえてるだけ。エンゲル係数は上昇しっぱなし、大学の授業料は値上がり、奨学金を借りる学生の数はうなぎのぼり、子どもの貧困はどんどん進行している。
こんな状況のどこをどうすれば「景気が良くなっている」などといえるのか。

この本では、経済にくわしいモノシリンが太郎にアベノミクスの実態を話して聞かせるという対話形式になっている。大幅な金融緩和で安倍政権が何をしようとしてどう失敗し、その失策をいかに誤魔化したかを、てんこもりのグラフを用いて説明してくれる。章ごとに冒頭にコミック「ブラックジャックによろしく」のページのセリフを差し替えたグラフィックで要点を示し、章末には簡潔なまとめもついている。とてもわかりやすい。

たとえば、よくいわれるアベノミクスの三本の矢は「金融緩和=お金を増やす」「財政政策=公共投資」「規制緩和=企業の経済活動を活性化」だが、ここまではフツーに考えれば理解できても、問題はなぜそれがこうも見事に大失敗し出口なしのインフィニティ状態にまでハマったという理屈が、新聞もロクに読まない輩にはイマイチすかっとはわからない。
まあ乱暴にいえば三本の矢そのものの考え方は間違ってなかったんだろうけど、その具体策が全部裏目に出た、やり方が間違ってたということに尽きる。
お金をじゃんじゃん刷れば市場にお金がまわるだろうと思ったのにさっぱりまわらなかった。投資をしても利益は全部企業が懐に入れただけで所得に反映されなかった。規制緩和をしたら一般消費者・労働者ばっかりわりをくう仕組みになってしまった。
つうか、なんでそうなるかはわかるよね。いまのこの状況みればさ。日本の企業の体質がそもそもそういう政策向きになってなかったんだよね。確かに企業収益は増えて有効求人倍率もあがった(これはアベノミクスの成果じゃない。団塊世代が定年退職にさしかかった=労働人口の大幅下落がスタートした民主党政権時代からあがり始めている)。けどみんな生活は苦しくなってる。子どもや高齢者や少数者といった弱い人にばかりしわよせがいっている。
なのに、その事実に目を背けてる人がこんなにいっぱいいるのはどうしてなんだろう。クサいモノにふたでもしてるつもりなんだろうけど、己れもじゅうぶんクサいってことにどうしてここまで気持ちよく目がつぶれるんだろう。
そこは本を読んだって、専門家の話を聞いたって、やっぱりちょっとわからない。
なぜなんだろう。

もっとハラたつのは、これだけ見事にやらかしてんのに、それをまた信じられないような方法で誤魔化して平気で国民を騙してるってことだよね。
顕著なのは2016年に内閣府がGDP(国内総生産)の算出方法を変えただけでなく、それに伴って1994年以降のGDPを全部改定したこと。これによって、2015年のGDPが旧基準では過去20年間のピーク時の1997年より20兆円下がった計算になるのに対し、新基準では1兆円しか下がってないことになっている。そんなわけあるか。
新基準では研究開発費など新たな分野から算出された費用がGDPに算入されることになったというのだが、いったい何をどうやってこんなに派手に金額が変わるのかがはっきりしない。そんな数字がいったいどんな事実を表せるというのか。政権がやりたい放題やってうまくいかなかった大失敗を粉飾するためだけの数字ではないのか。

読んでてアタマにくる話ばかりではあるけど、章ごとに挟まれる「ブラックジャックによろしく」のページがおもしろくて、つい笑いながら読めてしまう本でもあります。
読みつけない単語が多くて読むのに時間がかかって、途中で他の本に浮気しながら読んでしまったので、あとでもう一度通しでおさらいしようと思います。