落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

醒めない夢

2008年01月31日 | book
『フロント・ランナー』 パトリシア・ネル・ウォーレン著 北丸雄二訳
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ときどき拝読しているブログ隔数日刊─Daily Bullshitの著者でコラムニストでありジャーナリストでもある北丸雄二氏の翻訳書。
以前から読んでみたかったんだけど、映画化の噂があったので映画を観てから読むつもりで長年放置していた。映画は原作を読まずに観る主義なので。ところが噂ばっかりで何年経っても実現しない。やはりスポーツ界における同性愛を描いた『二遊間の恋』と同じく、常にまことしやかに映画化が噂されるのにいっこうに撮影が始まらないベストセラー。

読んでみて、うん、これはちょっと現実的にムリあるな、と思った。
とりあえずオリンピックが舞台になっていることと、アメリカ国内だけでなくヨーロッパ各国の競技会のシーンがあること、おまけに舞台が70年代になっていること、この3点でこの映画は最低でも予算5000万ドル(ハリウッドスターが出演するとしてそのギャラを除く)はかかるだろう。ロケを全部北米で済ませてVFXでカバーしたとしてもそう節約できる映像ではない。これだけの投資をしてしまうと公開規模は全米700館クラスかそれ以上でなければ回収できない。まず予算的に相当リスキーな企画である。
けどそれよりもなによりもネックになるのは、1974年に発表されたこの小説の中味が、現在ではいささか古くなってしまっていることだ。
出版当時はかなり売れたというし、今ではアメリカのゲイ小説の古典とも呼ばれ多くの読者に愛され読み継がれた人気小説ではあるのだが、80年代にゲイピープルを襲ったエイズ禍やその後のアメリカ社会の急激な保守化は、この小説のもつ希望に溢れた健康的な世界観を色褪せたファンタジーにしてしまうのにじゅうぶんだった。70年代はヒッピーの時代で、ゲイライツ運動の時代で、エイズなんてまだ誰もしらなかったし、21世紀に至るアメリカ社会の変遷がここまで暴力的になろうとは誰も想像なんかしていなかったのだ。

だが個人的には、この小説が古くなってしまったいちばんの理由は、そうした時代の変化ではないと思う。
この物語があまりにもシンプルすぎる、構造が弱過ぎるところが、このベストセラーをしてアメリカ文学史に残る傑作となり得なかった最大の要因ではないだろうか。
主人公はハーランというクローゼット・ゲイ。彼は少年のころから同性に惹かれる性向をもっていたが、厳格な両親の教育のせいでその感情を自分でも理解できないまま大人になり、地方の私立大学で陸上競技のコーチをつとめるようになった。そこへ若く美しく才能溢れるビリーが現れた。ビリーもまたゲイだった。当然のようにふたりはひと目で惹かれあう。ハーランは懸命に自制するのだが、最終的にふたりは結ばれ、結婚する。ビリーはオリンピック代表選手になり、ハーランは身を呈して夫を支える。しかし幸せは長くは続かなかった。
かなり乱暴に省略するとこんな話だ。もちろん当時アメリカ各州のソドミー法に対し最高裁で違憲判決が出されたことや、今とは比べ物にならないほど厳しかったアマチュア規定などといった背景もストーリーに関わっては来る。けど分量がぜんぜん足りない。ストーリーの主軸に対して、物語の世界観を支える要素が薄すぎる。
たとえば、LGBT専門の人権弁護士として活躍するビリーの父や、ゲイライツ運動に理解のある大学経営者プレスコット氏の人物造形はあまりにも平板で、なんだか都合のいいドラえもんみたいだ。ビリーの父は法律というポケット、プレスコット氏はお金と親切というポケットをそれぞれ持っている。
ハーランは大学のコーチなのに、ビリーたちトラック競技以外の選手を教えていないし、物語にもトラック競技以外の競技はまったく出てこない。陸上、それもトラック競技への愛情はすごく感じる小説なのだが、著者自身が長距離ランナーであるせいなのか、どうも視点が一面的で物語が直線的すぎるように感じられて仕方がない。主人公たちの目線とは別な、もっと客観的な要素も必要だったのではないかと思う。それがあれば、もっと物語に奥行きが出てリアリティもメッセージ性も増したはずだ。

まあそういう欠点はあるにせよ、ビリーの情熱的な誠実さ─アスリートとしての誠実さ、ゲイとしての誠実さ─の清々しさは単純に美しいと思うし、ハーランのクローゼットとしての葛藤は悲劇的で非常に心を動かされたし、ベストセラーだけあって「読ませる」本ではあると思います。
もし今後映画化できることになったら、21世紀的にこの話のどこをどんな風に膨らませるのかもすごく気になる。楽しみにしてる人はたくさんいるだろうし、ぐりも観てみたいとは思います。
この小説には20年後に書かれた続編もあって、今そっちも読んでます。

サモワール・トーク

2008年01月29日 | book
『刺繍―イラン女性が語る恋愛と結婚』 マルジャン・サトラピ著 山岸智子監訳 大野朗子訳
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映画『ペルセポリス』の原作/監督のマルジャン・サトラピによるグラフィック・エッセイ。
「刺繍」なんてガーリーなタイトルからしてもっとカワイイ内容を想像してたんだけど、いやあ〜ぜーんぜん、違かったよ〜。これはこれですっごいおもしろかったけど〜。
映画と違ってこの本には一貫したストーリーのようなものはなくて、食後のお茶の時間に女性たちが交わす四方山話─話題はすべて結婚と恋愛─がおもしろおかしくコミック風に綴られている。
登場する女性たちはみなマルジの親族や隣人たちで、年齢はマルジと同じくらい(20代?)から祖母の世代まで幅広く、全員が上流の都会人ばかりである。なのでイスラム圏といえどもそれぞれに考え方や価値観にもかなり幅がある。4人も娘を産んでおきながら男性器をみた経験が一度もない女性もいれば、よその若い女に目移りしはじめた夫の関心をひくために豊胸手術をした熟年女性もいるし、マルジの祖母のように恋愛上手で3度も結婚した女性もいる。他のアジアやアフリカの保守的な地域と同じくイランでも花嫁の処女性が尊ばれるが、マルジたちは現実にはそんなものに意味はないということを知っている。意味はないがさりとて重要視する人間─主に男─の考え方を無下にするのも現実的じゃない。だから「刺繍」などというイタイ隠語が生まれたりする。

しかしこの本を読んでいていちばん新鮮だったのは、親族も含めて年齢の離れた女性同士があからさまな下ネタトークに無邪気に盛り上がってるってこと。
少なくとも、ぐりのうちでは、母や姉妹はもちろん親戚や隣人とでも、女性同士でセクシュアルな話はまずしない。セクシュアルどころか、恋愛ネタもほとんど話題にならない。あるとしたら結婚&出産か離婚に直接関わる場合のみだ。つーか、Hな話ってキホン彼氏くらいとしかしないものだと思うんだけど(職場などでのセクハラは除く)。女の人って。あれ?違う?そーいえば周りの女の人とかに聞いたことないなー。どーですか?女性の皆様?
ところがマルジたちは実に天真爛漫と「白いモノって何?」とか「ちんちんはもともと見た目のいいものじゃない」とか「あそこにメーターなんかついてない(>それをいうならカウンターでは?)」とかいいあって大笑いしている。オープンだ。楽しそう。
てゆーかね、上品とか下品とか以前に、女性の心と体を守るためにも、異世代同士での下ネタトークってけっこう重要なんじゃないかな?という気がしてくる。この本読んでると。
処女性を尊ぶかどうかも女性自身に選択の自由があって当り前だし、選択の自由のためには多様な価値観の存在を知っておくことは不可欠だ。それが人権というものだろう。夫のためにというよりも、女性が自分で自分の生き方をちゃんととらえるうえで、先輩後輩との意見交換は大切なものだと思う。
なんでぐりのうちの女の人はやんないのかな?下ネタトーク?

下ネタといっても下品に感じるほどエグイとこまでは書いてないので、女性なら誰でも気楽に読める楽しい本です。雰囲気的には大田垣晴子のコミック・エッセイにかなり近いです。
画風は映画とよく似てるけど、線が筆で描かれててもっと情緒的な、絵本っぽい雰囲気。
この人の本、他にももっと読みたいんだけど、邦訳は映画の原作本2巻とこれと、合計3冊しか出てないんだよねー。フランスでは他にも何冊も出てるみたいなんだけど。

Shape of My Heart

2008年01月28日 | book
『夜に沈む道』 ジョン・バーナム・シュワルツ著 高瀬素子訳
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夏休みのある日曜日の夜、コネティカット州の人気のない田舎道で、10歳の少年が父親の目の前でクルマにはねられて死んだ。犯人はクルマを停めもせずに走り去った。
事故はローカル新聞の隅にかんたんに載せられ、轢き逃げ事故の常としてなかなか犯人はみつからなかった。
よくある話だ。ドラマでもなんでもない。
しかしどんな事故にも、被害者がいて、加害者がいて、遺族がいる。事故に遭った人々の人生は二度と元には戻らない。損なわれたものは永遠に損なわれたままで、何ものをもってしても、その欠落は埋まることがない。人が欠落に慣れるというだけのことだ。時間はかかるが、慣れることは生命あるものすべての生きるための重要な能力のひとつだ。

この物語は、被害者の父イーサンと母グレース、少年をはねたドワイトの3人それぞれの視点で、事故後の当事者たちの悲しみと孤独と絶望を描いている。
物語といっても、話そのものはろくろく前に進まない。親しい者を亡くしたとき、その喪失に慣れるまでまるで時間が止まったように感じた経験のある人は多いだろう。イーサンもグレースも、息子が死んだことに馴染めず、生活が、人生が、家族がとめどもなく崩壊していくのをなすすべもなく茫然とみていることしかできない。何をみても、何に触れても、息子の思い出ばかり浮かんでくる。
ヴァイオリンが得意で音楽好きな、両親の自慢だった聡明な男の子。おとなしいが無口で、何を考えているのか親でもつかみかねるような年ごろだった少年。生まれたばかりのころのこと、湖に飛び込むのに夢中だった6歳のころのこと。
愛しくて愛しくて、世界中の何よりも大切に思っていたのに、何の予告もなく、ある日突然、奪われてしまった。
どんなに怒ろうと、苛立とうと、死んだ子どもは帰ってはこない。

物語が進まなくても、決して戻ってはこない過去の愛の残骸の寄せては返すような哀しい波が、読み手の心をやさしく撫でる。
ドワイトにも10歳の息子がいたが、離婚後は週に一度しか面会できなくなっていた。離れて暮していても息子が恋しくてしかたがない、不器用な父。不器用すぎて、よその子を殺した罪悪感を自らとらえるのにも時間がかかる男。そんな男にとっても、息子はすべてだった。不器用すぎて、愛を表現する能力すらもっていなくても、愛は愛だった。
ドワイトの愛も、イーサン夫妻の愛も、親が子を愛する気持ちという点では同じだ。しかしイーサン夫妻の愛はもう報われることはない。ドワイトの愛も、あらかじめいくらかは予測がつくとしても、いずれは奪われていく。
この小説はジャンルとしてはスリラーだが、ほんとうのテーマは一方通行のまま放り出される愛だ。せつないけれど、愛はそれでも美しく、あたたかい。読んでいてとても癒される。読めば誰もが、親がどれほどありがたく、子どもがどんなにかわいいかを、まざまざと思いだすのではないだろうか。

この小説は去年映画化され、アメリカでは秋に公開されている。監督は『ホテル・ルワンダ』のテリー・ジョージ、出演はホアキン・フェニックス、マーク・ラファロ、ジェニファー・コネリー、ミラ・ソルヴィーノ。日本での公開は未定。

もしも

2008年01月26日 | play
『繭』

設定は10〜20年後、皇居がテロに遭って、女性ひとりを残して皇族が全員死んでしまう。さてどうなる、というお芝居。
題材はきわどいけど、内容はそれほどきわどくないです。ふつーにおもしろかった。
舞台のレイアウトがおもしろかった。真ん中にぽつんと椅子が一脚あって、そこに生き残った女性皇族が座って、他のキャストは後ろに横一列に着席している。女性皇族以外のキャストは全員黒縁メガネをかけて白いシャツに黒いボトムという制服のような衣装。一応それぞれに役はあるけど、演技をする時ほとんどのキャストはその場で立ち上がるだけで、歩きまわるのは4人くらいしかいない。要するに表現方法がかなり限定されたお芝居なんだよね。
だから見た目にはすっごいストイックだけど、意外に観ていてラクというか、スタイルの硬さがぜんぜん気にならなくて、かといって台詞やストーリー展開にもくどさもないし、全体にとってもアタマのよさそうなお芝居だなあという印象は受けました。
ただし、観終わってしまうとあまりにキレイにまとまり過ぎてて、そこはかとなーく、物足りなさを感じないこともなかったです。
できれば、再演でバージョンアップしたのも観てみたいなあ、そしたらもっとすっごくおもしろそうだな、という気はしました。


萌えていいのか

2008年01月26日 | movie
『日陽はしづかに発酵し…』

トルクメニスタンに住むロシア人医師の日常を描いた物語。
これねー・・・ダメでした。いや、たぶんいい映画なんだろうと思うのよ。ゲージュツ的でさ。
でも個人的にはスキじゃない。テーマとかストーリーはまだいい。けど表現方法がどーしてもいただけない。あの、画面の色がばたばたばたばたやたらせわしく変わるのはなんか意味あんのかな?あたしゃあるよーには思えんかったよ。あと、やけにやかましい背景音もしつこすぎ。BGMも必要以上にボリュームでかいし、大体音響設計自体ムダに凝り過ぎです。この音と映像で観てて気持ち悪くなってしまった。
主役のアレクセイ・アナニシノフが異様にエロいのもワケわからん。ちゅーか彼、医者にも学者にも見えへんし。パツキン・ガングロ・むちむちマッチョの美青年(ちょっちウマ面)てあーた、どっからみてもポルノ男優でんがなー。
やりたいこともわかる、いいたいこともよくわかるけど、ついてけませんでした。
ずびばぜん。