落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

虎の尾どうでしょう

2006年05月29日 | book
『9条どうでしょう』内田樹/小田嶋隆/平川克美/町山智浩著
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昨今にわかにかしましくなった改憲論議に「ちょっと待った」な4人の論客による個性豊かな「9条論」。
まず読ませます。笑えます。考えさせられます。すごくよく書けてます。とってもオススメ。
けどここでは細かい内容には触れません。例によって。めんどくさいから。だから今日のレビューにゃアナ満載ですがご容赦を。
でもとりあえず誰にでもオススメできる本です。「憲法?めんどくせーな」「関係ないしー」なヒトにはもちろん、改憲派/護憲派両者の主張に違和感を感じる人(ぐりはここに含まれます)、護憲派の平和第一主義が鬱陶しくてしょーがない人、要するに大抵の日本人にオススメできます(笑)。それくらい読みやすい。

4人は4人ともそれぞれまったく違ったアプローチで「9条」を論じてる訳だけど、ごくランボーに彼らの主張をまとめちゃうと「9条は改正しなくてもいい」ということになる。「改正しちゃイカン」のではなくて、「しなくたっていい。できればしないでほしい」なんである。
そこがぐりは気に入りました。なにしろぐりの座右の銘は「しなくてもいいことはやるべきでない」「継続は力なり」ですから。
しばしば改憲論議が不毛に聞こえてしまうのは、「改正せにゃいかん」改憲派と、「改正してはならん」護憲派の主張が決してかみあわないからだ。かみあわない議論は退屈です。前進しようがないから。なんでかっつーと「改正してはならん」という主張が改憲派にとってはありえないし、「改正せにゃいかん」という主張が護憲派にとってありえないからだ。
互いにありえない意見を交換しても議論にならない。少なくとも傍目にはそうとしかみえない。そういうとき有利なのはどっちか?外野(=自分のアタマでは考えない人々)にわかりやすい方ですね?カンヌ国際映画祭のレッドカーペットでパンツまる見えなスケスケドレスとか着てる正体不明のお嬢さんが注目されるのといっしょです(爆)。まあどっちがどーとかいいませんけど。

そういう点でいえばこの4人の「9条は改正しなくてもいい」という主張はとーーーってもわかりやすい。リアルだ。わかりやすいってすばらしー。
なんで改正しなくてもいいのか?仮に改正したらどうなるか?改正したいヒトの主張ってどーゆーの?大体なんで今9条なのか?てゆーか9条ってナニ?という、もうメチャクチャ親切なところから、9条と日本、9条と戦後、9条と世界というグローバルなところまで、キレイにすっぽりカバーされてて、かつまったくマニアックでも専門的でもない。
ホントにアタマよくてオトナでヒップでクールな本です。読んでハレバレとした気分になれます。
こんなリスキーな本をスカッと書いてくれた4人─虎の尾がそこにあると思わず踏みたくなる方々─に拍手。

個人的にはやっぱり町山氏の文章には思わずほろっと来ました。こういうことをいわないことを矜持といういいわけにして生きてきた人はごまんといます。それをあえて恐れずに書けるって、カッコイイと思うよ。

「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?
心ならずも「君が代」を歌わざるを得ない状況に置かれた人のための歌(歌詞・翻訳違い)

失敗続き

2006年05月28日 | movie
『ロスト・イン・トランスレーション』
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・・・なんかここんとこ「いい映画」に当たってない気がする。ちょっと重い映画に疲れて軽そうなのばっかり選んでるからかな?軽いなら軽いなりに楽しめるハズなんだけど、どーもイマイチしっくりこない。
まあでもこの映画が「しっくりこない」理由はハッキリしてますね。「どこへいっても英語が通じて当然」みたいな、アメリカ人の傲慢がどーしても鼻についてしょうがない。確かに日本ではなかなか英語は通じない。こんなにいっぱい外国人がいる東京ですらそうだ。けどそんなの当り前だ。英語を母国語としない人にとって、「異国」は=言葉が通じない、それがフツウだ。「英語が通じない=異常」という捉え方が歪んでいるのだ。
ぐりはなぜか知らない人に声をかけられることが多くて、外国人にもよく道を尋ねられたりお店でものの場所を訊かれたりいろいろするけど、英語が話せなくてもどーかこーかコミュニケーションはとろうとするし、相手もそのために努力する。それが歩み寄りというものだ。言葉が通じない国にいれば、そうするのが人としてあるべき姿勢だとぐりは思う。この映画のボブ(ビル・マーレイ)とシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)はそれをまったくいっさいしようとしない。なぜしないんだろう。思いつかないのか?

この映画、評判もよくて映画賞もいろいろ獲ったみたいだけど、ぶっちゃけぐりはそれほどいいとは思わない。
ビルとシャーロットがじわじわじわじわ近づいていく繊細な描写は文学的に美しくはあるけど、内容のわりに冗長で退屈な面が多々あることも否定できない。同じテーマでももっともっと完成度の高い映画をつくることは出来たはず、そんな気がしてしまう。
それはそれとして、ビル・マーレイとスカーレット・ヨハンソンの魅力は非常によく出ている。中年のくたびれた元スターと、夫にかまわれない若妻。人恋しそうな、よるべない寂しさがにじんだ、頼りない笑顔。ふたりともカラオケなんか歌ったりして大サービスっす。しかしスカーレットはカラダも顔もすっげーエッチっぽくていいですねー。おしりの透けたピンクのショーツなんかサイコー(爆)。全身の肌がつるつるしたベビーピンク色で、むちむちぷりぷりしてて、むしゃぶりつきたいくらいカワイイ(あたしはおやぢか)。
『ブロークバック・マウンテン』でお喋りな牧場主任の妻を演じていたアンナ・ファリスがアタマカラッポなアクション女優役で出てました。またずっとベラベラベラベラ喋ってたよ(笑)。

呉彦祖大出血

2006年05月27日 | movie
『潜入黒社会』
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うーーーーん。ゆるい。
これはえーと・・・やっぱ呉彦祖(ダニエル・ウー)の一種のアイドル映画っすね。もうひこありきでしか成り立たない作品っす。
てゆーか成立してんのか?この映画。展開になんのヒネリもないどころかアナだらけ。脚本に手を抜きすぎです。
潜入捜査官の話なのに潜入してからは警察と絡むパートがほとんどないし(潜入を描いて大ヒットした『インファナル・アフェア』シリーズはこの翌年の作品)、クライムアクションのハズなのにアクションシーンにすらまったく緊張感なし。
ひこの芝居もなんだかどーすればいーのか迷ってるみたいな、みてる方も困るよーな芝居だし、曾志偉(エリック・ツァン)はここ数年のタイプキャスト─一見寛容だがおそろしくアタマのキレる大ボス─に完全にハマりきってておもしろくもなんともない。ゲジゲジ眉毛はある意味新鮮だったけど(爆)。
ぬるいモノローグが妙に多くて、しょっちゅうBGMに流れる“Easy Come Easy Go”“Happy Times”“Queen Of The Dark”がしつこすぎて鬱陶しい。あるいは滑稽。

みどころといえばひこの肉体美くらいか?いやマジで。シャワーとかひとりHとかプールとかサウナとか、とにかく露出度高い。例によってヨダレも垂れまくりなすんばらしーカラダを惜し気もなくさらし放題。こういう映画って一体どーゆー観客をターゲットにつくられてんのかなー?アクションだから男性向け、としたらこのひこの出血大サービスはなんのためなのか?不可解なり。
カラダといえば、この映画香港の娯楽映画にしては珍しくセクシュアルなエピソードがナニゲに多いです。それもやはりひこ主演だからなのだろーか。まあとにかくひこのとびきり美味しそうなナイスバディはイヤっちゅーほど堪能できます。それだけは間違いない。けどひこはこんな映画ばっか出てちゃーイカンよなー。香港アクション界のお色気担当じゃないんだからさ。もう5年前の作品だから時効っちゃ時効ですけども。大体彼は殺し屋にはみえてもマフィアには見えないよ。ヤクザやるには小綺麗すぎる。そーいえば『ビヨンド・アワ・ケン』の日本公開はどーなったんかいなー?あれまた観たいんだけど。
ぐりの中での香港映画の最高傑作のひとつ『花火降る夏』の何華超(トニー・ホー)が印象的な役で出てました。この人雰囲気あってぐりはけっこー好きです。

さらば受験

2006年05月26日 | book
『国語教科書の思想』石原千秋著
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前にも書いたことがあるが、ぐりの学校時代の得意科目は国語。他には美術・歴史・生物も得意だったけど、成績では国語だけは誰にも負けなかった。小中を通して5段階評価で5以外はとったことがないし、高校の10段階評価でも9以下に落ちたことはない。試験でも常に学年で600人中20位以内、全国模試でも当時の偏差値は国語だけ70〜80台だった。センター試験は現役と一浪の2度とも満点。
といっても授業そのものをマジメに聞いていた覚えはない。授業で何を勉強したかもほとんど記憶にない。覚えているのは、中学時代に産休代理で来た非常勤講師の男の子を古典漢文の授業で挙げ足をとってはいじめていたことや、芥川龍之介の『羅生門』を読書感想レポートでボロクソ書いて職員室でバカウケしたことくらいだろうか。
だからぐりの国語の成績がよかったのは、ひとえに年間100冊以上の本を読み、小学3年生から新聞3紙と父が購読していた週刊誌を読みあさっていた活字中毒によるものだと思う。
勉強そのものはハッキリいって大の苦手だったので、国語力があっただけで他の科目も助けられていたようなものだ。ビバ活字。活字さまさまである。

この石原氏という著者は大学教授であり高校の国語教科書の編集委員でもある。この本では小学校・中学校・高校の教科書をこてんぱんに“批評”しているが、自ら書いている通りまさに「天に唾する」行為だ。というか当事者だからこそここまで書けるのだろう。第三者にはなかなかこれほどボロカスいえません(笑)。
もうホントにボロカスですから。ほぼ極論っす。ところどころそんなんほとんどいいがかりでは?と思われるフシもなくもない。それくらい手厳しい。石原氏自身の政治思想もやや偏ってるようである。
じゃあここに書かれていることがウソか?間違っているか?というとそうではない。ひとつの視点として、非常に鋭く、的確な意見だろうと思う。極論だからこそ、そう思える。うまい主張だ。
ただ、ぐりの学校時代は遥か昔のことだし学校にいくような子どもも身近にはいないので、正直な話、石原氏のいう授業の現状がいまひとつぴんとこないところもある。彼のいうような学校/教師には子どもたちに対する愛情や、教育に対する情熱が完全に干涸びてしまっているようにしか思えない。果たして現実はどうなのだろう。

とはいえ、この本は教育に携わる人・学校に通う子どもをもつ人には必読の一冊には違いない。
教科書は教育現場における地図であって、船ではない。地図を使ってどこへいくのか、何のために旅するのかを決めるのは教師であり、子どもたちだ。国語なら国語の楽しさ、その美学を互いに共有し国語力という感覚を養うのが教育であって、国語という教科の理屈や試験の方法論を一方的に教え込むのはただの調教でしかない。
地図が不完全でも、行き先と目的がわかっていればどうにか旅はできる。逆に、行き先も目的もわからなければ、地図があっても旅にはならない。船だって乗っただけではどこにも行けない。
そのことをハッキリと指し示す本でもある。おもしろかったです。

中学教科書に誤記208か所

いつも何度でも

2006年05月25日 | movie
『ネバーランド』
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幼稚園の発表会で『ピーター・パン』を上演したことがある。
ぐりの役はタイガー・リリー。インディアンの酋長の娘で、海賊に誘拐されて岩に縛りつけられワニに食べられそうになっているところをピーター・パンに助けられる。確かピーター・パン役は幼馴染みのむーちゃんという男の子だった。むーちゃんはぐりにザリガニ釣りや縄跳びや逆上がりを教えてくれた子だ。海賊の船長役は大柄ないじめっ子でセイイチくん。この子とぐりはしょっちゅう喧嘩ばかりしていた。
映画『ネバーランド』は19世紀末から20世紀初めのイギリスで活躍した劇作家ジェームズ・バリ(ジョニー・デップ)が、デイヴィズという不運な一家との友情を通して傑作『ピーター・パン』を生み出す過程を、夢と幻想と苛酷な現実とを織りまぜて描いた物語だ。

バリは空想好きな少年のまま大人になってしまったような男だが、人は誰もが彼のような部分をもっている。だが大人になればそうした子どもの部分は胸の奥に隠して、現実と戦わなければならない。大人として社会に対して果たすべき義務をもつうえで、「子ども」は未熟なだけの厄介な要素でしかない。
大人になること/大人であることを少年時代に否定してしまったバリにとって、自分の中の「子ども」を封じ、大人として大人の社会を生きるのは孤独だったかもしれない。しかし人はみな、「大人」の仮面をかぶり「子ども」を胸の奥に秘めて孤独でないふりをして暮している。彼だけではない。
バリは「子ども」でいることを否定しようとするデイヴィズ兄弟に出会って、そのことに気づいたのだ。
「大人」でいることを受け入れられないバリと、「子ども」でいられない子どもたち、という対比。

物語としてはとてもよくできていると思う。実はこの映画は史実にアレンジを加えてコンパクトにまとめてあるらしい。そのあたりは公式HPとBlog jazz lifeさんのレビューに詳しいです。
そこまではよかったのだが、主人公が子どもたちとの交流によって成功を導きだす心あたたまる物語のはずが、どうにもこうにも映画全体のトーンが暗すぎてみていてしんどい。デイヴィズ家の背負った不幸が重過ぎるのだろうか。父親を失ったとはいえ、あんな幼い子ども全員が「死」がどういうものなのか、彼らのようにしっかりと理解しているものだろうか。理解していたとしても、もう少し展開の明暗にメリハリがあってもよかったような気がする。シルヴィア(ケイト・ウィンスレット)とバリとの関係もやや堅苦しすぎる。人物の相関関係が硬直していて窮屈なのだ。
豊かな想像力によって誰の心も自由であれるはず、というストーリーのコンセプトと、映画の世界観が微妙にズレている。バリとデイヴィズ家の友情が悲劇的であったことは事実のようだが、それにしてももう少しバランスのとれたアプローチはなかったものか。上品な文芸映画にしたかった気持ちはわかるんだけどねえ。
ときどき挿入される幻想シーンが非常に美しい。緑豊かな公園や山荘も綺麗。子役もみんなかわいい。とくにピーター役のフレディ・ハイモアとジョージ役のニック・ラウドの演技は素晴しかったです。