落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ひとつ ひよこが かごのなか だいろくねんね

2017年02月25日 | movie
『彼らが本気で編むときは、』

母親のヒロミ(ミムラ)が恋人と家出し、ひとり取り残された11歳のトモ(柿原りんか)。
ヒロミの弟マキオ(桐谷健太)のもとに預けられるが、叔父の家にはリンコ(生田斗真)というトランスジェンダーの恋人が同居していた。
ふたりとの穏やかで愛情深い家庭生活のなかで心を開いていくトモだったが・・・。
第67回ベルリン国際映画祭テディ審査員特別賞受賞。

映画が終わってエンドロールが流れ、最後に荻上直子監督の名前が画面に出てきたとき、全身の肌がびりびりびりっと微かに震える感覚がした。
いま自分が観ていたものが映画で、引き戻された現実とは全然違う世界の話なのだということが、なんだかせつなかった。
リンコとマキオはいつか結婚するのだろうか。トモはどんな大人になるんだろう。いやそれより前、マキオはなんといってリンコを口説いたのだろう。トモの父とヒロミはどうして離れることになったんだろう。トモの父以外にも、物語全体から排除された何人もの「父親」たちのひとりひとりは、ほんとうはどんな人たちだったんだろう。
映画には直接描かれないそういう部分が、気になって気になって仕方がない。観たくて観たくて仕方がない。
それくらい、愛おしい物語だ。
優しくてあたたかくて、少し悲しくて、すがすがしい。

物語の主人公は小学生のトモ。
子どもといってももう11歳、しっかりしていて生意気で、無駄にクールに落ち着いた少女。幼児ではないがといって大人でもない。女の子ではあるが乳房も生理もない、いってみれば人間としてまだ“ニュートラル”な彼女の目線で、物語全体が綴られていく。
性的少数者への理解なんかあるわけがないし、家庭のあるべき理想像も持ちあわせてはいない彼女にとって、リンコとの生活は驚きの連続である。確かに性別適合手術を受けた元男性というリンコの特異なバックグラウンドは新鮮ではあるが、トモ自身にとってもっとも大きな成長につながったのは「差別や偏見にさらされる悔しさを堪えて生きているのは自分だけではない」という現実を理解/消化した体験ではないだろうか。
家庭環境の悩みを同級生と共有できない孤立感はあっても、「ホモ」などと陰口を叩かれる親友カイ(込江海翔)の心情を慮る余裕はなかったトモが、終盤でみせる思いやりがいじらしい。
きっとこのふたりにはこの後、大人になるまでにも、大人になったあとも、さまざまな苦労が待っているだろう。でも、たとえ親兄弟でも恋人でもなくても、こんなふうに自然に受け入れあえる存在がいたら、まあまあけっこうなことでも乗り越えていける気がする。このふたりがもっと大きくなったあとの物語も、とても観てみたい。

なのでどうしてもフォーカスされがちなリンコの“トランスジェンダー”というセクシュアリティは、実は物語の本筋ではない。
実際に本筋になっているのは、世間が求める性差や社会的役割の矛盾だ。たとえば劇中にはリンコやヨシオ(柏原収史)やマキオがかっちりと台所仕事をするシーンはあるが、その他の女性キャラクターにそれはほぼない。サユリ(りりィ)は娘のヒロミには必要以上に厳しい一方で息子のマキオを溺愛するが、マキオにとって母の愛情は重荷でしかない。ナオミ(小池栄子)はよその子のトモに「あなたの味方だから」と偽善者ぶっておいて、やはり溺愛する息子のカイを「罪深い」などという。ヒロミは娘にコンビニのおにぎりやカップ味噌汁ばかり与え、生さぬ仲のリンコは手作りの家庭料理やお弁当を毎日トモに食べさせる。どれもいわゆる普通の設定とは少し違うが、現実にはごくありきたりな生活の情景でしかない。
こんな些細なエピソードを何気なく丁寧に積み重ねていくことで、女だから、男だから、母だから、親子だからこうでなくてはならないといった固定概念の無意味さが、ストレートにそして強烈に伝わってくるのだ。
だからなんだよと。どんな生き方だろうが今日この瞬間をただ生きてるだけでじゅうぶん素晴らしいじゃないかと。ましてたいせつな人がそばにいるなら、いうことなんか何もないじゃないかと。

いくつもの対比のなかでいちばん胸に刺さったのは「どうしようもない」という台詞だ。
リンコはマキオの子どもを生めないことを「どうしようもない」といい、ヒロミは母であることに耐えられなくなる自分を「どうしようもない」という。
人間生きていればどう足掻いても自分の力ではいかんともしがたいことはいくらでもある。だがなぜ、母親という年中無休24時間営業の仕事を投げ出したくなる心情はまるごと自己責任でかたづけられ、自然な出産で親になることが叶わない人々の切実な願いはわがままととらえられてしまうのだろう。
誰もがすべてをゆるし受け入れることができないとしても、「まあそんなこともあるだろう」程度になまぬるくそっと見守ることの何がそんなに難しいのだろう。どっちにしろどんな親も子どもに対してエゴイスティックにならざるを得ないのは世の倣いなのに、親であってもなくても親たる“理想”という不寛容なファシズムに支配されたがるのはどうしてなのか。
リンコたちが観客にほんとうに問うているのは、誰もが差別や偏見だと気づいてすらいない、現代社会の刺々しさの本質ではないだろうか。

なんといっても驚異的なのはリンコを演じた生田斗真のなりきりぶり。
ヴィジュアル的には予告編で観られる以上でも以下でもなく、女性そのものでもなく男性っぽくもない。しかしそこに数々の恋愛映画でヒロインの恋人を演じ続けてきた虚構のセックスシンボル・生田斗真はいない。清楚で純粋で、燃えるように熱く深い母性にあふれたリンコさんが、画面のなかにキラキラと生きていた。優しいのに毅然として、強いのに可憐な彼女を、他の誰もこんな風に演じることはできないだろう。匂うように色っぽい表情から、静かな喋り方から挙措動作の隅々まで神経の行き届いた演技は、あの『覇王別姫』のレスリー・チャン(張國榮)を思い出させる。大袈裟でなく、生田くんの将来がちょっと心配になってしまった。まだ30代そこそこでこんな名演やっちゃって大丈夫ですか。この先これを超えるのは生半可じゃなく大変だろう。
その名演技をさらに上回るのが子役の柿原りんかである。主張し過ぎることもなく抑制がきいているのに、等身大の11歳らしいのびのびとした演技で、瑞々しい生命力を存分に発揮してました。彼女の生き生きとした表現力によって、観客はトモといっしょにリンコたちとの暮しに幸福を見出し、この時間が永遠に続けばいいと儚い思いを抱いてしまう。せめてトモが、リンコのように強く優しく毅然として可憐な女性になってくれたらと、心から願ってしまう。
実をいうと荻上直子作品は今回観るのが初めてだったけど(映画に“癒し”は求めていない)、これは次回作も期待せねばと思いました。

実をいうと、リンコに扮した生田斗真に顔がそっくりな友人がかつていた。
かなり昔、仕事現場で知りあったその人は男性しかなれない職種ゆえに(映画業界にはいまも一部そういうしきたりが残っている)男性であることは自明なのだが、外見上は男性にも女性にもみえない。だからとくにバックグラウンドを確認するまでもなく「そういう人」だと周囲の誰もが自然に認識していた。そもそも性的少数者が珍しくない業界でもあったし、仕事場でわざわざそんな話題が持ち出されることはないけど、だから差別や偏見が存在しないということではない。差別や偏見のほんとうに厄介なところはそこだ。やってる本人には自覚がない。悪意すらない。そんなもの存在しないと思っている。そういう話を、ふたりで何度かしたのを覚えている。
映像の仕事をしている間は自宅が近いこともあって個人的なつきあいもあったけど、やめてからは会っていない。元気にしてるかな。

関連記事:
『小川町セレナーデ』
『どこに行くの?』
『私が私であるために』
『リリーのすべて』
『チョコレートドーナツ』
『プルートで朝食を』
セクシュアリティ・ジェンダー関連作品レビュー



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Never surrender.

2017年02月19日 | movie
『未来を花束にして』

1912年、ロンドンの洗濯工場で働く24歳のモード(キャリー・マリガン)は、同僚のバイオレット(アンヌ=マリー・ダフ)の代理で公聴会で証言をしたことをきっかけに女性参政権運動に巻き込まれていくが、運動のリーダー・パンクハースト夫人(メリル・ストリープ)の演説現場で逮捕され夫(ベン・ウィショー)から家を追いだされてしまう。
100年前のイギリスで女性の人権を求めて戦った“サフラジェット”の活動を描いた伝記映画。

私はもともと参政権をもってなくて、25歳で日本国籍を取得して初めて参政権を得た。
21歳までは無国籍だったし、韓国籍を取得した後も、韓国国内に居住した事実がなければ参政権は得られない。だから日本国籍になってから、日本で得た参政権が最初の参政権だった。以降、選挙に行かなかったことは一度もない。
参政権だけじゃない。
自分で行きたいところに行く権利。仕事を選ぶ権利。教育を受ける権利。病気や怪我をしたら医療を受ける権利。綺麗な水にアクセスできる権利。読みたい本が読める権利。いいたいことを発言する権利。
こうした権利はすべて、決して当たり前のものではなく先人が努力して獲得し積み重ねてきたものだ。そこには長い時間と多くの血と汗と涙が流れてきた。
地域によってはまだ、こんな権利にさえ当たり前に手が届かない女性はまだまだたくさんいる。生まれた場所が違っていたというだけの理由で、選挙にいけないだけでなく人としての尊厳のすべてを蹂躙されるままに生まれ、搾取されるがままに人生を終えていく女性たちもいる。
過去と現在の多くの犠牲の上に成り立っているすべての権利は、その犠牲の上にあるからこそ責任をもって行使されるべきで、かつ行使する者によってまもられていくべきだと思うからだ。

でも多くの人が、その事実には気づかない。少なくとも、選挙に行かない人、行かないで平気でいられる人はおそらく気づいていない。
そんな人たちが、この国の半数以上を占めている。とても怖いことだと思う。
なんでそれで平気でいられるんだろうと、単純に不思議に思う。

この映画では50年もの平和的な運動の末に、イギリスの女性たちがテロ行為にはしるようになった後の過激な活動を描いている。
女性たちは商店の窓ガラスを割ったり、ポストを爆破したり電話線を切ったりして世間の注目を集めようとする。暴力的といっても直接人を傷つけたりはしないものの、彼女たちは何度も警察に拘留されたり刑務所に入れられたりしながらも、決して折れることなく勝利を信じて戦い続ける。それは当時すでにニュージーランドやオーストラリア、フィンランドやノルウェーなど他国で次々に女性参政権が認められていて、世界的な流れが出来上がっていたからだろう。あとはタイミングの問題だったといえる。
それでも彼女たちは実力行使に訴えざるを得なかった。それは、彼女たちが求めたのが単なる“参政権”ではなかったからではないだろうか。子どもの養育権。職業選択の自由。教育の権利。自分の身体をまもる権利。彼女たちにとって“参政権”はそうした女性の人権の象徴だった。人として男と対等でないことを否定するために、参政権が必要だった。
いま現在、参政権をもっていてそれを行使しない人は、おそらくはそのことを理解していないのではないかと思う。
参政権を行使しないということは、人として享受できるはずの人権の価値にも気づいていないのと同じではないだろうか。
そんなのめちゃくちゃ怖いと思うんだけど、気づいてなくてよく平気で生きてられるよね。不思議です。

主人公モードが何も知らない、ごく平凡な若い貧しい女性という設定で、それでいて素直に純粋に自分の目指すべき目標に気づいて立ち上がっていくという過程がとても自然に描かれていて、歴史ドラマとしてもヒューマンドラマとしてもよくまとまった秀作だと思います。
すごく大事な話だし、もっと大規模に公開してもっとたくさんの人に観てほしいと思います。



地獄のかけら

2017年02月19日 | movie
『愚行録』

1年前に起きた未解決の一家惨殺事件を取材する週刊誌記者の田中(妻夫木聡)は、ネグレクトで逮捕拘留中の妹・光子(満島ひかり)の担当弁護士(濱田マリ)から、責任能力を量る目的で精神鑑定を勧められる。光子は鑑定医(平田満)に促されるままに幼少期の虐待を詳細に語りだす一方で、兄は取材で被害者一家の関係者から過去の交流を聞き出し・・・。

ほんとうにつらいとき、つらい、苦しいといって泣いたり誰かに助けを求めたりできる人は、幸せな人だと思う。
人生、ほんとうにほんとうにつらいとき、困っているとき、必ずしもそれを他人に告白する機会や手段があるとは限らない。
ないときもある。どうしてもそれができないことだってある。どうすればできるのかわからないことだってある。
わからないとき、人は笑って誤摩化したり、何でもなかった風を装ってやり過ごそうとしたりもする。
だから外見上はとくにそれほど傷ついていないようにも見える。
といって、苦しみが軽減されるわけでは決してない。
その痛みは、腫瘍のように目に見えないところでじわじわと人間性を蝕む。自らそれを乗り越えない限り、その醜い傷はどこにもいかないで、ずっとそこにある。
そして、人間誰でも、生きている限りはどこかにそんな傷を負っている。あとは、本人がどれだけ意識するかしないかの差でしかない。

冒頭、バスの座席にひとり腰かけている妻夫木聡の横顔はひどく苦しそうで、それゆえに悲愴な美しさに満ちている。
エキストラ演じる満席の乗客の群れのなかで、異質にさえ映るような美貌。
彼の傷は目に見えてわかりやすい。父から受けた虐待。両親の離婚後、残された唯一の家族だった妹が犯した罪。
彼は一見それを他人事のように棚上げして、事件の被害者たちの友人たちを訪ね歩き、たわいもない昔話を聞いてまわるだけである。なので物語の後半まで、主人公であるはずの彼は画面のなかではほとんど何もしない。黙って他人の話を聞いているだけである。不気味なくらい表情も薄い。
その彫刻のように整った顔面が、ラストシーンでは驚くほど醜悪に変わるのが無茶苦茶怖い。怖過ぎて、台詞では説明されない結末に、アタマがちょっとついていかない。信じたくない、わかりたくないと思っている間に、エンドロールが画面を流れていく。

田中や光子を含めて、登場人物全員はみんな、平凡で一見どこにでもいそうな「普通」の人々だ。
大学時代から女を利用し手玉に取ることになんの罪悪感ももたず、それでいて親友(眞島秀和)には「いいやつ」と信頼されていたエリートサラリーマンの田向(小出恵介)。妻の友季恵(松本若菜)は名門私立大でマウンティングの名手だった美人なんちゃってお嬢様。そんな彼女にボーイフレンド(中村倫也)を寝取られ妬んでいた淳子(臼田あさ美)。
お金が欲しい、ちやほやされたい、ただそればかりに必死に知恵をしぼるのが幸せになる唯一の方法だと信じて疑わない人々。それぞれに身勝手で愚かではあるが、だからといって罪になるほどの悪人でもない。彼ら程度の身勝手さや愚かさは、若さゆえの未熟さでもあるし、無知ゆえの特権の範囲内だと思う。
ただ問題は、彼らがそれをまったく未消化のまま大人になってしまったことだろう。
学生という身分を抜け出し、20代が過ぎ去り、年齢を重ね社会的責任を負う過程で、若かりしころの狭いプライベートコミュニティの評価はいっさいの意味を失う。むしろそれは自ら捨て去るべきもので、でなければ致命的に人格を損なう重荷にすらなってしまう。
ところが彼らにはそれができなかった。できないまま30代も半ばまで引きずり続けたことが、彼らの不幸だった。
ひとりひとりが抱えたそれぞれは些細な不幸かもしれない。ところがそのなかに、物心ついたころからとんでもない不幸を地雷のようにかくしもっていた存在が混じっていたら、どうなるだろう。

最近『永い言い訳』やら『海よりもまだ深く』やらイヤな人がでてくる邦画ばっかり観てるような気がするけど、この作品は極めつけだったね。だって超リアルだもん。全員そこらへんにいるもん絶対。そのリアリティがマジきつかった。
まだまだいい人イメージの妻夫木くんはなかなかの新境地だと思うけど、満島ひかりは正直もう一歩だったかな。ぶっちゃけ長ゼリフ向きの女優さんではないかも。あと彼女に「美人」設定はちょっと無理あるね。かわいいけどいわゆる美人ではないからさ。
映像が「銀残し」風に暗部がぎゅっと締まった色調で、ふわーんと不安定にゆっくり滑るようなカメラワークが独特で、すごく色っぽかったです。音楽もよかった。
石川慶監督はこれが劇場用長編は初作品だそうですが、今後も楽しみですね。

ところで弁護士役の濱田マリさんには四半世紀以上前、大阪の予備校で絵の勉強をしていたころ、モデルさんとして何度かお世話になったことがある(彼女を描いた絵が実家のどこかにまだあるはずである)。モダンチョキチョキズがメジャーになるより前だったと思うけど、当時すでにかなり印象的なキャラクターで、他にもたくさんいた若くて綺麗なモデルさんたちのなかでも飛び抜けて目立っていた。
いままでもたまにテレビで観かけるたびにそのことを思い出してたんだけど、今回の弁護士役は意外性あり過ぎて驚きました。いや懐かしい。



白い正義

2017年02月12日 | movie
『スノーデン』

2013年、アメリカ国家安全保障局(NSA)が世界中の一般市民を含めた通話記録やメール、SNSなどのインターネット記録を不法に監視・情報収集していたことが内部告発によって暴露された。
告発者はエドワード・スノーデン(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)、弱冠29歳のNSA局員だったことが世界中を驚かせたが・・・。

正義ってなんだろう。
何がゆるせて何がゆるせないのか、人によってそのボーダーは違う。
じゃあそのボーダーは、人が生まれて人格を形成されていく過程の、どのあたりで何によって築かれるのだろうか。
それは倫理観や価値観と何が違うのだろうか。
スノーデンは沿岸警備隊隊員の父と裁判所職員の母をもつオタク少年だった。高校を中退し米軍に志願しイラクに派兵される訓練まで受けた。とくに確たるポリシーがあったわけではない、「とりあえずアメリカ万歳」的な愛国者の若者のひとりだったに過ぎない。
だが訓練中の大怪我と、彼の卓越したコンピューター技能が運命を変えた。そこまでは、彼は何が正義かなんてろくに考えたことなんかなかったはずだと思う。

NSA局員としてまたCIA職員として、インターネットを通じてあらゆる情報収集プログラムを使った安全保障管理を手がける“スパイ”になったスノーデンだが、その動機すら「機密情報を扱えるなんてクールだから」などという他愛のないものだった。
仕事なんだからだいたいその程度の認識で生きてる方が人間はラクだ。政府が正義だという、会社が正しいという、他人が決めたルールを受けいれていわれた通りやって自分の頭でめんどうなことは考えない。そうすればどこかでもっと偉い誰かが責任をとってくれる。
世の中のおおかたの人間はそうしてなんとかどうにかこうにか生きている。
でもひとり残らず全員がもしそうなったら。どうなるかはもう歴史が証明している。アイヒマンが無駄に大量生産されるだけである。そしてこの地上から自由と民主主義は絶滅するのだ。

この映画の怖いところは、スノーデンが政府の仕事に幻滅して退職しても、再就職先からまたNSAやらCIAに派遣させて「回転扉」式にがっちりつかまえて離さないというアメリカ政府のやり方である。まあそうだよね。辞めたい人間を辞めさせないのは違法なんだから、辞めさせないわけにはいかない。けど国家安全保障上は辞めさせられないから、いったん辞めさせておいて民間からの派遣という形で改めて政府機関内に引っ張り込む。相手はたかが20代の男の子なんだからそんな風にコロコロ転がすのはわけもない。
逆にいえば、そこまでやらなきゃいけないのが諜報戦なんだけど、やってる本人たちに諜報戦=戦争=大量殺人をやってる認識がまったくゼロという場面が何度か出てくるのがいちいち無茶苦茶何気ないんだよね。
だってしょうがないでしょ、政府がこうだっつんだから、仕事なんだから。証拠?しらない。わかならい。関係ない。以上終わり。怖すぎる。
けどそれが戦争なのだ。狂ってる。

自分のやってる仕事の不正義がじわじわとゆるせなくなっていくスノーデンだが、映画では、自分や恋人も監視対象になっていることに気づいたことが、内部告発の動機として描かれている。
あまりにもわかりやす過ぎてちょっと拍子抜けしてしまったし、これがどこまでほんとうなのかはちょっとわからないけど、人間て意外にそれくらい傲慢なものなのかもしれないとふと思う。
自分がつくったプログラムが遠隔爆撃作戦に使われていても、撃たれているのが自分と無関係な遠くの国の人である限り「しょうがない」でかたづけられてしまう。自分が構えた諸刃の刃がほんとうはどこに向かっているのか気づくのは、言葉でいうほど簡単ではないのかもしれない。

ジョセフ・ゴードン=レヴィットのなりきりぶりにも驚いたけど、最後の最後にご本人が登場したのにはホントに驚きました。
この事件そのものについてはかなり忘れてる部分があって、台詞が多いのに字幕が無茶苦茶読みづらくてまったく意味不明な部分も多かったので、こんどちゃんと本でも読もうと思います。



愛してるなんていえなくても

2017年02月05日 | movie
『永い言い訳』

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バス事故で妻(深津絵里)を喪った作家の幸夫(本木雅弘)は、妻の友人で同じ事故で亡くなったゆき(堀内敬子)の夫・陽一(竹原ピストル)と知りあい、ある出来事がきっかけで彼のふたりの子ども(藤田健心/白鳥玉季)の面倒をみるようになる。
自身に子はなく、友人もなく、作家としてのキャリアにさえ自信を失いかけていた幸夫にとって、多感な子どもたちとの生活は新鮮な体験だったが・・・。
『ゆれる』『ディア・ドクター』『夢売るふたり』の西川美和監督作品。

人の人生に、あって当たり前のものは何もない。
今日手にしていたものが、明日もそこにあるとは限らない。
明後日になったらなおさらだ。
でも人は、失くしてみなければそのたいせつさにはなかなか気づかない。愚かだけれどそれが人間だし、その愚かさを受けいれて初めて感じることができる幸せだってある。
幸夫は妻を亡くしてもうまく悲しむことができない。悲しみ方なんか忘れてしまったのか、もともとそんな感情すらもってなかったのか、おそらく自分でもよくわかっていない。ただ、自分が悲しめないことには戸惑っている。どうして涙が出てこないのか。どうして彼女との思い出すら心に浮かんでこないのか。単にひとでなしなのはしかたのない事実だとしても、では彼女との20年はいったい何だったのか。

世間では「突然の事故で妻を奪われた不幸なセレブ夫」をしらじらしく演じながら、そんな虚像ともっと醜悪な実像とのギャップを自嘲する以外にどうすればいいのかもわからない幸夫。
わからないのに、わかっているような顔をしてなくちゃいけない彼が偶然、陽一の家に癒しを見いだす。長距離トラックの運転手で理屈っぽいことが苦手でただただ素直な陽一や幼い子どもたちの前では、わかっているような顔はしなくていい。なぜなら彼らは、幸夫がどんな顔をしていても当然「わかってる人」として評価してくれるからだ。そういうのってすごくラクなんだろうと思う。人間関係としては不健全かもしれないけど、病的なええかっこしいの幸夫にとっては、かっこつけなくてもかっこいいことになってしまう環境はさぞかし心休まる空間だったのではないだろうか。
不健全でもなんでも、幸夫にも陽一にも子どもたちにも、そういうモラトリアムは必要だった。なにしろ彼らは家族を亡くしたのだ。どんな関係にあったにせよ、生活の一部分だった存在を失った人間には、その欠落から回復するだけの時間は必要で、その時間がどんな形であるべきかという決まりなんかどこにもない。

幸夫の人物造形がとにかくもうあり得ないぐらい最低で。
身勝手で、器が小さくて、下品で、傲慢で、低俗で、自意識過剰で、酒癖が悪くて、女癖も悪くて、短気で、一貫性がなくて、絶望的に底が浅い。男女問わず年代問わず、あらゆる人間のイヤな部分をぜんぶ引っかき集めてぎとぎとに煮出したみたいなキャラクターです。これがめちゃめちゃリアルです。何より悪人ですらないってところがリアル。生々しい。
そんなのが主人公でずっぱりなのに、観ていて楽しくてときどきほっと癒されてしまうのは、彼の欠点のいくつかには誰しも心当たりがあって、その彼が陽一一家と楽しそうに幸せそうにしているだけで、自分まで「いいよだいじょうぶだよ、そのままでいいよ」と受け入れられているような気持ちになれるからだろう。
人間誰だってイヤな部分はある。それでも、どんな人にだってそれぞれの幸せを追求する権利はある。悲しくても涙が出ないこともある。いちばん身近な存在にさえ誠実でいられないこともある。人生をともに過ごした家族でもわかりあえないこともある。すぐそばにいても互いの愛がみえないこともある。
それでもいいじゃないか。大丈夫だよ。そんなの一生続くわけじゃないよ。だって明日どうなってるかなんて誰にもわからないんだから。

撮影に9ヶ月かけたというだけあって、出演者のビジュアルの変化がスゴイです。
主演のモッくんは冒頭から中盤にかけてぷよぷよと太っていって、後半は反対にげっそりと痩せていくというスゴ技を見せつけてます。亡き妻が切っていたという設定の髪もボサボサに伸ばして、その髪の長さが彼が持て余している孤独感をよく表している。芝居もスゴいと思いました。こんな最悪な人をここまでチャーミングに演じられる人ってなかなかいないです。映画出演は多くないけど、この前に出た『天空の蜂』の芝居もよかったしもっと出てほしいですね。
この作品は主演以外のキャスティングも完璧です。出色はマネージャー役の池松壮亮。要所要所の数シーンしかでてこないんだけど、もう魅せる魅せる。まず無茶苦茶セクシーです。無駄にセクシー。ぜんぜんそんな役じゃないのに。台詞もどっちかといえば陳腐なのに、彼がいうとなんか深遠に聞こえちゃうという不思議キャラでした。
あとはやはりほとんど演技経験がなかったという陽一一家を演じた3人。感情過多で単細胞なおとうさんと、異常にしっかりして頭のいい長男と、まだ小さいけど末娘らしいお姫様気質の妹という絶妙なバランスの家族関係が非常にリアル。子どもがただ可愛いだけじゃない、厄介でめんどくさくてそれでも愛おしいという描写が、他の日本映画ではなかなかない表現かなと思いました。インテリセレブ男と非インテリ中流一家という対比は西川監督の師匠にあたる是枝裕和監督の『そして父になる』そっくりだけど、より写実的に描写されるディテールがよろしい。

公開されて4ヶ月も経ってるし春にはDVDもでるのに、映画館はがっちり補助席も出るほどぎっちぎちの満席。大人気です。
評価も悪くないみたいだけど、2016年度の賞レースではなんかもひとつ。なんでだろう。私は好きですけどね。
なにより安易に愛を語らないことで、愛の実像を再現してるのがオシャレです。夫婦だからとか親子だからとか兄妹だからといって単純にべたべた愛を語り倒せばいいってもんじゃない。語れない愛の欠落があるから、二度と手が届かない距離があるから、愛のややこしさやどうしようもなさがものすごく伝わる。
原作もそのうち読んでみようと思います。

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