落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

オスカーナイト

2007年02月27日 | movie
『ディパーテッド』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000OYCKTQ&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

the departedとはdepart(出発する・去る)の名詞形で「故人/死者」の意。より日本語の意味に近い表現にいい換えるなら「逝った人」というようなニュアンスになるのだろうか。
ぐりはオリジナルの『インファナル・アフェア』が実はそれほど好きではな?「。ごく有り体にいって、世間でいうほど印象的な映画だとは思わなかった。東洋独自の倫理観をテーマにした重厚なシナリオ、香港という特?ルな地域性を象徴する世界観、スタイリッシュな演出と映像、巧みなストーリーテリング、とてもよくできた映画だと思う。どこをとってもこ?黷ニいった欠点はない。単に好みの問題だが、ぐりにとってはその「欠点のなさ」がいささか退屈に思えてしまった。つくり手が頑張れば頑張?驍ルど、劉徳華(アンディ・ラウ)と梁朝偉(トニー・レオン)のスター映画として小奇麗にまとまってしまい、リアリティが失われていくよ?、に見えて仕方がなかった。
なので『無間道』3部作ではぐりは次作の『インファナル・アフェア 無間序曲?xの方が、ストーリーにも人物描写にも広がりがあって好きです。胡軍(フー・ジュン)も出てるしね(爆)。

さてハリウッド版の『ディパーテッド』ですが。
まあ正直なところ、オスカーで作品賞・監督賞・編集賞を獲るほどの映画ではまったくない(断言)。だってそもそもリメイクだし、完全に娯楽映画であってそれ以上でもなければ以下でもない。
脚色賞はあげてもいいと思う。この脚色はホントに上手いから。
『インファ〜』のリメイク権をブラピが買ったと聞いたときは、あの香港独特の黒社会映画を一体どうやってアメリカで再構築するのかさっぱり想像がつかなかったけど、いやもう脱帽ですよ。『インファ〜』の骨組みだけを残して粉々に砕いてアメリカ映画として建てなおして、元のおいしい部分はしっかり拾い集めてちりばめる。だからストーリーはそっくりなのに、見た目は全然『インファ〜』とは似ても似つかない映画になっている。それでいてギプスとか携帯電話とか封筒のスペルミスとか屋上対決とか、『インファ〜』からもらってきたモチーフは違和感なくハマっている。お見事。
エリートの仮面を被りひたすらウソで塗り固めた人生を飄々と生きるコリンを演じたマット・デイモン、「警官」になりたいばかりに「マフィア」としての人生を孤独に暮らすビリーを演じたレオナルド・ディカプリオは、アンディやトニーを真似ることなくちゃんと自身の描写力でキャラクターをつくりあげてるんだけど、ストーリーにきっちり忠実に演じてるから自然とアンディとトニーの演技に似るんだよね。いい似方でした。とくにぐりはレオっちの演技に圧倒されました。今さらですけどこの人芝居ウマいわ。

けどジャック・ニコルソンはやっぱちょっと出すぎじゃないスかね(笑)?途中さすがに飽きました。彼の演技がしつこくて緊張感が逆にゆるくなる。最期も妙に呆気なかったし。『インファ〜』にあった時間経過の重みがないのはハリウッド映画だから致し方ないけど、それがこのゆるみの元になってるのかも。ハリウッド映画だから仕方がないといえば、あの中国マフィア?のシーンはかなり脱力だったよ。芝居ヘタすぎるし、あれじゃマフィアじゃなくてただのチンピラだよ。チープ。
暴力描写の激しさとセリフのお下劣さは気に入りましたが(爆)。暴力描写ったって見せ方がまた上手いのよ。ぐりはもともと暴力シーン苦手なんだけど、この映画は観てて思わず目を背けるってことはなかったです。カメラワークと編集がうまいからだと思う。それもいちばんイタいところを見せてないようで見せてる、見せてるようで見せてない、すっごく自然なトリックを使ってる。リアルさもちょうどいい感じ。ヘンに強調しすぎてもいないし、地味になりすぎてもいない。
セリフはもうもう凄まじい量のFワードのオンパレード。fuckとかdickとかshitとかassholeとかpussyとかcock suckerとかblow jobとかqueerとか、ソレ関係の罵り言葉が全編で何回出てきたか思わず勘定したくなるくらい。あまりにそういう単語ばっかで会話が進むから思わず笑っちゃったよー(笑っていんだよね?)。もちろんマットもレオたんもFF連発しまくってます。字幕にもけっこーちゃんと訳されてた気がする。つか『QaF』のせいで下品な言葉のヒアリングばっか達者になってるアタシって(呆)。

スコセッシお得意のバイオレンスサスペンス映画としてはすごく楽しめる、非常におもしろい映画にはなってます。観て決して損ではない。
とくにこれカップルにオススメですね。男性が好きなタイプの作品だけど、女性もいける。カップルで映画というとどうしても作品選びは女性主導になりがちだけど、気になる男性がいる女子は「『ディパーテッド』観ようよ」なんてデートに誘ってみると後で会話も盛り上がりそうです(余計なお世話)。
こんだけ絶賛しといてナンだけど、結論としてはやはりアカデミー賞ってほどの映画じゃなかったです。おもしろいけど「いい映画」ではないよ。ええ。
今年もまたアカデミー賞でいかに組織票がものをいうかってとこが実証されたような、そんな映画でした。
にしてもレイトショー空いてたなあ(ぐりも入れて客7人)。時間が遅すぎたからかな?

そういえばこれ3部作になるらしいけど、主役両方死んでんのにどーすんやろな?

ミゾケンまつり

2007年02月25日 | movie
『楊貴妃』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000H1RGK4&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

どんな巨匠でも全作品がもれなく大傑作というわけではない、とゆー一般論はわかってたけど、これはもう明らかに大失敗。全然ダメ。最悪。
てゆーかなんで日本人は大陸の歴史映画を撮りたがるんやろー(もーすぐ公開のアレとかさあ)。誰がどー考えてもムリあるのに。なんぼミゾケンでもやっぱムリでしたー。みたいな。
衣装とか美術とか音楽とかすんごい頑張ってるし、カラーだし、お金はすごくかかってるのもわかるんだけど、脚本がもうグダグダ。京マチ子のぷりぷりボディ以外に盛り上がるところもなし(爆)。よっぽど寝てやろうかと思ったけど、¥1600が惜しくて寝れませんでした。貧乏性。

ミゾケンまつり

2007年02月25日 | movie
『お遊さま』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000VRRD2K&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

谷崎潤一郎の『芦刈』の映画化作品。
谷崎ワールドでありつつしっかり溝口ワールド、お耽美なんだけど嫌味じゃない、それでいて谷崎独特のおバカキャラがっつり炸裂という、とっても楽しい映画でした。
谷崎作品の登場人物って基本的にアホじゃないですか。子どもっぽくって、ワガママで、自己中心的でガンコ。それを人は「ピュア」とかゆーのかもしらんけど、要はアホでしょ。読んでていっつも「コラァ〜!マジメにやれ〜」とか思いつつ共感しちゃう、人間性の極致をすっごくかわいく描いている。そのかわいさを、この映画ではめちゃめちゃ大真面目に忠実に再現している。上手いなあー。やるなあー。
もうねえ、どいつもコイツも見事なアホっぷり。ぜんぜん周りが見えてない。とくに乙羽信子(可憐!!)演じるお静なんか何考えてんのかサッパリわからない。観てていちいち「なんでやねん!!」とココロの中で叫びまくり。だって彼女いってることと態度が思いっきり真逆なんやもん。でもそんなとこがカワイイのよ。愛くるしいのよ。たとえばそんな感じ。

愛する人がいて、家族があって、お金もあって、若さもあって、それでも人生は思うようにはいかない。世間の噂やらしきたりやらプライドやら、そんななんでもないようなものに縛られて苦しみながら死んでいくのが人生というものなのか。
けど結局なんだかんだいって自分の思うように生きたお静は幸せな女だったような気がする。傍目には姉と夫の忍ぶ恋の犠牲になったかわいそうな妹のように見えるかもしれないけど、その立場を選んだのは彼女自身だし、彼女にそんな犠牲を強いたのも彼女自身だ。最後には夫に大切にされ子どもももうけた。したいことはやったのだから、彼女の死は不幸ではないと思う。
ぐりは谷崎も好きだし、この映画も好きです。おもしろかった。前半、暑さ負けでお遊(田中絹代)が倒れてるシーンに登場する馬が頭に麦わら帽子をかぶってたのがカワイかったです(爆)。

今日のテーマは人身売買

2007年02月24日 | movie
『赤線地帯』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000H1RGK4&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

売春防止法成立直前の浅草・吉原を舞台にした女性群像劇。
娼館「夢の里」にはそれぞれに事情を抱えた5人の娼婦が暮している。満州からの引揚者で未亡人のゆめ子(三益愛子)は田舎に預けた息子(入江洋吉)といっしょに住める日を夢みている。通いのハナエ(木暮実千代)は結核で失業中の夫(丸山修)と赤ん坊のために、より江(町田博子)はふつうの結婚に憧れながら売春をしている。ミッキー(京マチ子)は放蕩の挙げ句に家族を不幸にした父(小川虎之助)への当てつけに身体を売り、店でいちばん人気のやすみ(若尾文子)はひたすらあこぎに金を貯めまくる。
売春=下賤の商売という大方の単純な価値観を丹念に解きほぐすように、物語は5人の生活背景を丁寧に描いていく。彼女たちはしたくて売春をしているわけではないが、売春をやめてどうするというあてもない。戦前と違いやめたければいつでも合法的に売春を辞められる環境になってもやめる決断のつかない理由はいくらもある。娼婦という身分が世の中からどうみられているか、吉原の外の世界がどんなものか、彼女たちは彼女たちなりに知っているのだ。知的ではないし愚かな部分もあるが、そういう意味では彼女たちは聡明である。

しかし売春がイヤならどうするべきか、というビジョンのリアリティという点で5人には差が出てくる。結果的には夫も結婚もあてにはせず、自分ひとりで自立することだけを考えていたやすみが勝者となるのである。彼女は5人のうちでは最も娼婦らしく男を騙しまくり、商売仲間にさえいっさいの同情心もみせない冷たい女だが、彼女にとっては売春宿での自分のキャラなんかどうだってよかったのだ。一刻も早く自力でそこから出ていくことだけが大切だったのだから。それはそれで効率的な生き方かもしれないが、恋もせず愛を信じず、誰も頼らずにひとりで生きることを選ぶしたたかな女性を成功させた溝口の女性観もなかなかシビアである。
「夢の里」の主人(進藤英太郎)は売春防止法の報道に対して「我々は政治の手の届かないところを世話しているのだ、我々の商売は社会奉仕活動だ」というのだが、この演説が映画の前半と後半に2度繰り返される。それを聞いている娼婦たちの表情の変化がおもしろい。
確かに売春は有史以来人類最古のサービス業ともいわれる歴史ある職業でもあるし、おそらく人間社会に必要不可欠な商売ではある。だが女の身体を借金の担保にし、必要経費がすべて娼婦の借金に加算されていく当時の売春システムが、カンペキに人権を無視した残酷な人身売買だったことに間違いはないわけで、その現実を語る前と後では同じ台詞でも聞こえ方がまったく違ってくる。

すっごくおもしろかったです。ぐりはこの映画好きですね。若尾文子はめちゃめちゃケバいメイクしてたけど、それでも愛らしかったです。京マチ子はまたキョーレツ(笑)。独特の美術や衣装もよかった。
この映画、登場人物が多いわりに尺が短いのだが(86分)短さを感じさせず、セリフでの状況説明が多いのに概念的にもなっていない。女優たちの迫真の演技と巧みな演出力の賜物だろう。
娼館の話なのにまるでエロティシズムとは関係のない側面だけで物語が進行するという構成も割りきれてていい。こういうの今の日本映画じゃ絶対ムリだよなあ。

今日のテーマは人身売買

2007年02月24日 | movie
『山椒大夫』
<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=htsmknm-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000H1RGJU&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000FF&bc1=000000&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe>

森鷗外原作の同名小説の映画化。
小学校低学年のころ、TVでこの映画を観た妹が、田中絹代の台詞がいたく気に入ってなにかというと「あんじゅ〜、ずしお〜」と意味もなく真似ていたので、ぐりのうちでは「安寿と厨子王」は一種のギャグになってしまっていた。絵本もあってマジメな内容の物語だということは知ってたはずなのに、まだ小さかったぐりや妹には人身売買の恐ろしさがまったくわかっていなかったのだ。
でもあの「あんじゅ〜、ずしお〜」は真似したくなるよなあ(爆)。

閑話休題。
これは生別れになった親子の再会がモチーフになっているので一見家族の物語のようにみえるんだけど、実際には痛烈な社会批判のドラマなんだよね。とくに印象的なのは山椒大夫(進藤英太郎)の息子・太郎(河野秋武)の「世間の人間は、自分の身過ぎ世過ぎに関わりさえなければ、他人の幸せ不幸せにはひとかけらの同情心ももたないものだ」という台詞。このひとことに溝口の社会に対する視線の厳しさがよく表われているように感じた。
情景描写やストーリー構成はやはり見事だし2時間余りという長さとヴェネチア国際映画祭銀獅子賞という栄誉に値する濃さはあるのだが、どうも要素が多過ぎて散漫になっているというか、どのエピソードも尻切れトンボのようにも思える。貧しい農民のために尽くしたせいで左遷された厨子王たちの父の運命は儚過ぎたし、太郎が仏門に入るのもなんだか安直、山椒大夫のその後も描かれないし、厨子王が官職を棄てるのも安易なら、もっともわかりにくいのは安寿の入水である。なんで彼女があそこで自殺せにゃいかんのかがわからんということはないけど、なんとなくご都合主義的な気もする。
いいたいことはすごくわかるんだけど、観終わってよく考えてみるとどうも腑に落ちないところがちょこちょこある映画でした。大作映画だし製作者の力の入り方はひしひしと伝わってはくるのだが。
けど14歳の津川雅彦はカワイかったです(爆)。