落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ライオンとキリン

2012年02月29日 | movie
『人生はビギナーズ』

3ヶ月前に末期ガンで父(クリストファー・プラマー)を喪った38歳のオリヴァー(ユアン・マクレガー)は、友人たちに誘われて出たパーティーで女優のアナ(メラニー・ロラン)に出会い、恋に堕ちる。
亡父は44年連れ添った妻(メアリー・ペイジ・ケラー)の死後にカミングアウトし、晩年はゲイライフを謳歌して過ごした。一人っ子だった少年時代、両親の間には会話らしい会話はなく、父親らしい愛情にも満たされた記憶がなかったオリヴァーは、若いボーイフレンドたちに囲まれ賑やかに残された時間を楽しむ父の姿に戸惑うばかりだった。
『サムサッカー』のマイク・ミルズ監督が自身の経験を基に映画化。

冒頭、主人公がひとりで家の中を片付けている。
書類、服、薬、小物、なんでもない小さなものをこまごまと集めてゴミ袋につめ、ゴミ捨て場に運ぶ彼の後ろを、犬のアーサーがちょこちょことついてまわる。
せりふはない。ひとりのシーンだから。
でも、何の説明もなくても、彼が大切な身近な人を亡くしたことがすぐにわかる。悲しそうな、寂しそうな横顔と、犬にむける視線が、ほんとうはそこにいるべき人の不在を指し示している。
長く患った父親の死の喪失感から立ち直れずにいる彼を励まそうとして、周囲の友人たちはパーティーに連れ出したり、真夜中の落書きドライブにひっぱりまわしたりする。
心配しているというよりは、暗い人間がいるのに我慢ができないからそうしているという空気がリアルだ。

父親が亡くなったあとから映画が始まるので、時制がしょっちゅう前後する。
オリヴァーはなにかにつけて父を思い出し、母を思い出す。一人っ子の彼には両親の思い出を共有する人間がいない。いないからなかなか思い出が消化されないまま、孤独感だけが募っていく。
38歳になってできた若い恋人といっしょにいてもなかなかのめりこめない。優しくて寛容な大人の男を装っていても、彼の孤独に入り込めないことで女は苦悩する。
ふたりで楽しく過ごしたところでどうしても心から笑うことができないオリヴァー。どうすれば自分を解放できるのか想像もつかない。
肖像画を注文されたCDジャケットの仕事で悲しみの歴史を描いてしまうオリヴァー。ほんとうの自分の気持ちを表現する場所を完全に間違えていることに気づいていない。

傷つきたくなくて何もかもから少しずつ距離を置こうとする、ひとりぼっちでちょっとオタクっぽいアラフォー男性といえば思い出すのが村上春樹作品の主人公。
どのシーンもどのシーンもキョーレツにデジャヴュ感満載なワケです。オリヴァーがすることもいうこともなんかもっそいハルキっぽいの。監督が本職アートディレクターだから途中でイラストとかイメージ写真なんかがちょいちょい反復的に挿入されるんだけど、登場人物がすれ違ったり行き違ったり、ナレーションが異常に多用されるなんて構成なんかはやけに王家衛(ウォン・カーウァイ)っぽかったり。王家衛も昔は村上春樹を意識してたのは有名だよね。
こういう作風ってハリウッドじゃ珍しいんだろうけど、こっちじゃそーでもないんだな実は。気のせいかもしれませんがー。
しかし王家衛作品と違ってこの映画の登場人物は超ミニマムだし、物語は超淡々としてるし、正直途中で微妙に眠くなっちゃったりして・・・スマン。

ユアン・マクレガーっていい役者だよね。ゲイ役ばっかやってたせいで、そのうち彼も「実は・・・」なんていいだすんじゃないかなんてドキドキしちゃったりはしなかったけど、寂しいのにどうしていいのかわからないクヨクヨ男子役、むちゃくちゃハマってました。キュートだった。
クリストファー・プラマーはべつにふつー。とくにオスカーがどーとかいう演技じゃない。オスカーは年寄り男優がノミネートされると当確らしーですね。なぜならアカデミー会員が年寄り俳優ばっかしだから。ははははは。
メラニー・ロランは『イングロリアス・バスターズ』の彼女ね。あのときもキレイだなーカワイイなーと思ってたけど、やっぱしすごい雰囲気があって素敵。

『サムサッカー』同様プロダクションデザインが秀逸。この映像美を見るだけでも一見の価値はある。
自分で自分の経験をうまく映像化するのは相当難しかったはず。妥協もなくひたすら細かなディテールをきちんきちんと積み上げた真剣さが伝わる佳作にはなってます。
娯楽映画としてはちょっと退屈かもしれないけど、犬がとにかくかわいく活躍してるので、そこもご愛嬌として許せなくもない・・・か?

被災者と被災地の隙間

2012年02月21日 | 復興支援レポート
2012年2月9日(木)~2月15日(水)震災ボランティアレポートIndex

今回は地元の人のいろんなお話を聞くことができたんですが。
初めて、被災地に住んでいてまったく被災してない人に出会った。

理屈から考えたらそういう方もいて当り前なんだけど、基本的にボランティアは被災してる人のところにいって活動するので、どうしても現場で出会う地元の人は被災してる人に限られる。
けど一口に被災者といってもやはりいろんな人がいる。大切な人を亡くされた人、家を失くされた人、職場が被災した人、その全部を失った人もいる。
ぐりが最近よく参加しているのは宮城県気仙沼市での活動だけど、ここで出会う人たちにもいろいろな状況の方がいる。ご自宅も仕事場も何もかも失って仮設住宅住まいからゼロから再スタートされた方、再スタートできていない方、仕事場は壊滅的な被害に遭ったがご自宅はどうにか住める状態まで復旧できた方、ご自宅も仕事場も深刻な被害は免れたが震災の影響で収入が激減した方もいる。
彼らの間には微妙な温度差は勿論あるが、悲しいつらい目にあって深く傷ついてはいても災害の被害に負けたくないという思いは共通している。

そして彼らの輪の隙間に、被災地に住んでいても家も家族も無事で職場もなんともなかったという方がいる。
震災直後はライフラインが遮断され、物資不足の中みんなで避難生活を送っていても、インフラが復旧してしまえば生活はほぼ元通り。復興のために七転八倒しているヘヴィーな状況がすぐ傍に見えているが、自身の生活が手一杯で支援活動に積極的に出て行くのはちょっと難しい。
地域全体が復興一色に染まっている中で、自身の立ち位置の捉え方に戸惑っている人もいるだろう。

地域の復興は地域全体が一丸となってとりくむべきものだ。もちろん。
そこにはあらゆる人々のあらゆる立場からの参加が望まれる。被災してようがしてなかろうが、誰にだってそこに参加する義務と権利がある。東北の人たちはシャイで優しいからついつい消極的になっちゃうのかもしれないけど、状況が状況なんだから誰だってできることをやればいいだけのことじゃないかと勝手に部外者は思ってしまう。
ぐりがものすごく気になるのは、そういうところのフォローも含めて、地域の復興のイニシアチブをとるべき自治体がその役割をほとんど果たしていないことだ。実際にイニシアチブをとっているのは地元の被災者の皆さんご自身や、民間の支援団体ばっかりで、そこに国や行政の姿がほとんど見えてこない。
見えないどころかいつの間にか妙な溝や壁をつくってるようにも見えることがある。被災者の方をぜんぜん見ていないように感じることさえある。
たとえばボランティアの活動環境に身銭をきって気を配って下さるのは被災者の皆さん・地域の皆さんばかりで、国や自治体の予算を莫大に消費しているいわゆるハコモノはまったくそこに関わろうともしていなかったりする。
来月の一周忌も、某市の慰霊祭に招待されているのはご遺族のみである。他の人は別の場所で献花。なんでそういう分け方をするのかがぐりにはわからない。部外者なもんですいません。

復興にはたくさんたくさん、きりがないほど山積みの課題が無数にある。
しかし一番の問題は、復興のためのスタイル、ポリシーすら、国民の上にたち国民生活を保障するべき行政からまったく示されていない、示そうという姿勢すら伺えないことではないだろうか。
深く傷ついた当事者の方々の根性や民間の有志をいつまでもあてにするのはやめていただきたい。既に心折れてる人たちだってたくさんいるし、これから折れる心だってある。
その前にちゃんとなんとかしてほしい。なんのためにみんなが税金を払ってるのか、ちゃんと考えてほしい。


唐桑大漁唄込みというだしもの。
当地の伝統芸能?みたいなの。お祭りにて。

2012年1月18日(水)震災ボランティアレポート
2011年11月1日(火)~6日(日)震災ボランティアレポートIndex
2011年10月21日(金)~24日(月)震災ボランティアレポート
2011年10月6日(木)~10日(日)震災ボランティアレポート
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いろいろボランティア

2012年02月20日 | 復興支援レポート
2012年2月9日(木)~2月15日(水)震災ボランティアレポートIndex

去年のGWに初めて震災復興ボランティアに参加してから今まで、いろんなボランティアに出会った。
下は高校生から上は60代後半の超アダルト世代まで、学生もいれば社会的地位のある人もいたし、無職の人もいた。公務員もいればアーティストもいたし、専門職の人もいれば専業主婦の方もいた。独身者もいれば孫がいるという所帯持ちもいた。
遠路はるばる地球の裏側から来た人もいたし、県内のすぐ近くから参加している人もいた。単純にアウトドアライフを楽しみに来た人もいれば、真剣に被災者の役に立ちたいと願っている人もいた。
ふつうに生活していればまず出会わないくらい、いろんな人たちがいた。

でもなんとなくの傾向はある。
まず真面目な人が多いこと。まあ真面目じゃなきゃこんな面倒くさいとこまで来ないよねフツーさあ。
おもしろいのは、その多様性。真面目さにもこんなにいろんな種類があるんだなあってことに心底感心しちゃいます。オタク的に真面目なタイプもいれば、神経質に真面目なタイプもいる。官僚的に真面目な人もいれば暑苦しいくらい熱く真面目な人もいたし、優しくて真面目な人もいれば厳しくて真面目という人もいる。テキトーそーに見えて実は超真面目な人もいれば、真面目そうだけど意外にチャラい人とか、キャピキャピしてるけど根は真面目な人もいたり、真面目さのバリエーションの見本のようにいろんな真面目な人がボランティアには揃っている。

あとは、いろんな経験をした人が多いこと。
実は何度も現場で顔を合わせているボランティア同士でも、個人的な細かい話はあまりしないことが多い。なんとなく聞けないのだ。とくに話すようなネタがなくて話さない人もいるだろうけど、なんとなく、そこはかとなく、「ここのこの人たちは一筋縄ではいかなそうなバックグラウンドを持ってそうだな」とゆーニオイが漂っているのだ。気分的に。
で、実際にちょっと仲良くなってチラッとプライベートの話になると、出るわ出るわドラマのようなビックリするようなライフヒストリーがぼろぼろと出てくる。詳細は割愛しますが、中には「ほんとかよ」と聞き返したくなるような人もいなくもない。
ただひとついえることは、悲しみや無念さや、何かしらの心の傷を知っているということも、彼らを被災地に向かわせている要因のひとつかもしれない。テキトーにいっちゃえばね。
あるいはもしかしたら、他人を助けるつもりでほんとうは自分が助かりたかったりするのかもしれない。

ぐりはボランティアそのものを始めて4年余りになるが、この傾向はこの震災復興ボランティアだけでなく、人道支援ボランティア全般に共通している。全員が全員ではないが、結構な割合が「真面目で過去にホニャララあった人」タイプに当てはまるんではないかと思う。
ただし、これだけの個性あふれるおもしろメンバーが揃えば、そこにはおもしろすぎてうまくハマらない人もときどき出現する。ややこしいお方もめんどくさいお方も存在する。
しかしそんなときにも決して慌てたり振り回されたりはしてはいけない。角度を変えてみれば、自分だってややこしくてめんどくさい人に間違いはないのだから。お互いさまです。
ボランティアなんてみんな同じ穴の狢、気楽にライトに根性ぶっとくやってくにこしたことはございません。それぞれに甘えられるところは甘えて、利用できるところは利用して、返せる義理は返せる機会を逃さず返す。どーしてもやりたくないことや気に入らないことは最初からそういう。
だってやりたくてやってるんであって、やんなきゃいけなくてやってるんじゃないんだもん。
ボランティアなんだからさ。


牡蠣ラーメン。
ぷりぷりの牡蠣が4つ入ってます。¥600。気仙沼市のレストラン海岸亭がお祭りに出展した屋台のメニュー。超うまかった・・・。

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震災1年後のボランティアと被災地の距離

2012年02月17日 | 復興支援レポート
2012年2月9日(木)~2月15日(水)震災ボランティアレポートIndex

にも書いたことがあるけど、ぐりは実は貝類が食べられない。
味は嫌いではないのだが、あたる可能性が非常に高い。生ならまず8割以上の確率でおなかがおかしくなる。火が通っていてもあたるときはあたる。体質的に受けつけない。
さんざっぱら牡蛎やら帆立の養殖をお手伝いしておきながら今さらナニですけれども。

養殖のお手伝いをしていると業者さんちの奥さんがおやつやお昼をごちそうしてくれることがしばしばあるのだが、メニューはやっぱり当地でとれたモノがメインになる。
ちなみに今回いただいた主なメニューは
・生わかめのしゃぶしゃぶ
・牡蛎汁
・ヒラメのお刺身
・帆立のお刺身
・焼き帆立
・焼き牡蛎
・鱒の塩焼き
この他に、お祭りで牡蛎ラーメンやら鱈汁も食べたし、ご近所のお宅でも手作りの晩ご飯を食べさせてもらった日もあった。どれもとれたてのピッチピチである。
被災者を訪問してまわった日は連続してお茶やコーヒーを飲みまくりお茶請けばっかり食べまくった。こちらもできたての手作りばかりである。
ボランティアのタスクはなかなかハードだけど、運が良ければこういう役得もたまにある。まあ40のヘタレな胃袋には役得とまでいえないかもしれませんけどね正直・・・。

しかしぐりは体質的に貝がダメなので、本当のところは役得どころではない。
心中では「大丈夫かなあ」と思いながら毎日貝を食べていた。食べないわけにはいかなかった。
地元の人たちは津波で全財産を失っている。あれから11ヶ月、人に食べさせられる貝を手に入れたことが彼らにとっては至福なのだ。それを客人に食べさせたいという気持ちにはやっぱり応えたい。
だって今目の前でとれたモノが食卓に出てくるんだよ。「帆立とってくるね」といって出かけて戻って来て5分後にそれがお昼ご飯のお皿にのっかって出てくるんだよ。「今そこでとってきたの」なんてって差し出されたら食べるでしょ普通。後のことなんか知らん。
案の定具合悪くなってますけどね。でも鮮度が良かったせいかそれほどの一大事ではない・・・と思う。

唐桑はほんとうにいいところだと思う。景色もきれいだし、食べ物はおいしいし、人はみんなあたたかい。初めて訪問したときから大好きになったし、今もその気持ちは変わらない。
今回は前にもお手伝いした被災者の皆さんと再会してたくさんいろんなお話ができたけど、皆さん口を揃えて「ここに住んでほしい」という。お嫁に来てほしい、この土地で暮らしてほしいという。
理由はひとつ、この唐桑という地域が、津波より前から極端な過疎に苦しんでいるからだ。かつてはマグロ漁で栄えた賑やかな漁師町だったのに、今は小学校の存続すら危うい。誰もが街の将来を心配しているところへ津波が来た。
すべてを失った人たちの中には、唐桑を去ってよそへ移っていった人も少なくない。亡くなられた方もいる。皆さんそんな現状を寂しく、不安に感じている。
そこへ日本全国からボランティアがやってきた。中には震災後ずっとこの土地に滞在し続け、ボランティア活動を続けている人もいる。漁師になった学生ボランティアもいるし、地元の人と結婚して家庭を持った人も既にいる。
それが果たしてボランティアにとって正解なのかどうかはぐりにはわからない。それは彼らひとりひとりの中でジャッジするべき答えなのだろうとは思うけれど。

実際、地元で若い人に出会うことは非常に少ない。
とくに20代の人にはめったに出会わない。今回はお邪魔したお宅の改修をしていた大工さんたちの中にひとり20代と思しき若者がいたけど、外で見かける20代の人は大抵よそから来たボランティアである。
子どもも少ない。幼児・乳児はまず見かけない。市内に出かけて女子高生が道を歩いているのを見て「あ、女子高生いるんだ」なんて失礼なことを思ったりもする。唐桑の子どもたちは親のクルマで通学する(バスの定期代が異様に高額なため)ので、学校帰りの小中学生が路上を歩いているという風景自体が存在しない。
若い人・子どもの存在は人々の心を明るく華やかにしてくれる。それが少ないことで皆さん寂しがっている。だから若いボランティアの姿に希望を見いだしているのだろうと思う。
しかし、ボランティアが地元に住むことが本当の問題解決になるかどうかという点にはかなり疑問もある。それよりは、もっと大規模で本格的な支援の態勢づくりが必要な気がする。ひとりやふたり新参者が来たくらいで何かが大きく変わるなんて虫のいい話を信じるほどぐりはピュアではないのだ。残念ながら。

ぐりが東北にボランティアに通うのは、これほどひどいことが起こった場所が、本当にあるべき姿を取り戻していく過程になるべく近く寄り添っていきたいからだ。
今回の被災地はとてつもなく広範囲で、ぐりが訪問しているのはその一部に過ぎない。
もっと他の地域にも行ってみたい気もするし、唐桑の将来も気になる。
震災後1年を過ぎてからどんな活動をしていこうか、暖かくなる前にもっとちゃんと考えたいけどね。


焼き牡蛎。
コレは小粒の方ですね。身がぷりっとしてておいしかったです。

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冬のボランティア

2012年02月16日 | 復興支援レポート
2012年2月9日(木)~2月15日(水)震災ボランティアレポートIndex

今回の活動5日間のうち、1日目は訪問活動、それ以降は漁業支援。
1日目は被災者の心のケアを中心に活動しているボランティアといっしょに、仮設住宅でのイベントの打合せに参加したり、入居者のおうちを訪問してお茶したりして、皆さんのお話を聞いてまわってました。

2日目は牡蛎の養殖のお手伝い。寒くなってボランティアの数は減ったが、週末はボランティアバスや学生ボランティア団体が入って賑やかになる。そのみんなで分担して、地元の養殖業者さんを手分けしてお手伝いする。ぐりは前にもお手伝いしたおうちで例によって種牡蛎の挟み込みと、耳吊り(もう少し大きくなった牡蛎をひとつずつテグスでロープに吊るして大きく育てる)をやりました。

3日目は午前中は地元のお祭りにお邪魔して、午後からは被災家屋の清掃作業。瓦礫はもう片付いて泥かきも終わったけど、いったん泥水に浸かった家は相当本気で掃除しないと人が住めるようにならない。というわけで半日ひたすら壁やら柱についた泥汚れをかき落としたり拭いたりこすったりしてました。被災家屋は隙間が多くて室内も屋外と気温が変わらないので、雑巾を絞ってこぼれた水滴が床にしみないで凍るのにビックリしました。

4日目は浜の整地。
津波ではなく台風で、敷き詰められた丸石が吹き寄せられて急勾配の山になっているのだが、その勾配では海から漁船を引き上げることができないので、ボランティアの手でなだらかな形に直す。土方です。ええ。学生ボランティアもいたけど、これはかなりきつかったです。
作業自体は午後早めに終わって、その後は薪割りのお手伝いをして、夕方はお茶をいただきながら地元の人のお話を聞いた。

5日目も牡蛎の養殖のお手伝い。夏にお手伝いしたおうちで、種牡蛎を挟むロープをつくる。決まった長さにロープを切断し、端を結んで1本ずつ丸くまとめて10本ずつのセットにする。この日は津波で流された船外機(ボート)の代替品が完成したとかで、お父さんが市内の造船所に船で出かけてしまい、海での作業はできなかった。

今回はこれまでもお手伝いしてた牡蛎の養殖でもやったことがない工程をお手伝いさせてもらえて、養殖業の復興により深く関われた気がする。
前にもお手伝いした地元の人たちとも再会できて、それぞれにいろいろなお話を伺うこともできた。
細かい話の内容は割愛するが、“被災地”“被災者”と一口にいってもそれぞれに事情があり思惑があり感情があり、そのなかには言葉で簡単に他人事として片付けられないものも多い。長い時間をかけて築かれて来たコミュニティが津波によって破壊され、避難所に集められ、今は仮設住宅と自宅とで暮らしている人たちの間の距離感はまだまだいびつで、その距離感によって生じるストレスもある。軋轢もある。一見仲良さげに親しげに見える平和でのどかな田舎の人たちの間にも、いろんな複雑な問題がある。

ぐりはよそから来たボランティアだけど、何度か通っていて人間関係もなんとなくわかって来て、それぞれに気心も何となく知れているから完全なよそ者ではない。そういう微妙な立場の人間だから聞ける話もあるし、そういう人間にしかいえない話もある。というわけで、今回はこれまでになくたくさんの人のいろいろなお話を聞けた。
ぐり個人としては、話の内容・情報よりも、そうして皆さんが心を開いてくれて信頼してくれているのが単純に嬉しかったけどね。
ただ、あんまりにも集中して皆さんのお話を浴びるように聞いていたせいで、今でもなんだか身体の半分は唐桑にいるような気がする。ほんとのぐりはまだ唐桑にいて、どっかのおうちのおこたでお父さんお母さんのお話をうんうんと聞いていて、今東京にいるぐりはその抜け殻?みたいな、なんだか変な感じ。

しかし誰と喋っても最終的には必ず「嫁にこい」とゆー話になるのはどーにかなりませんか。
しかも今回は特定の相手の名前まで出て来たのには参りました。いっしょにいた男性ボランティア(20代)は写真まで見せられてたよ。
切実だよねえ。


焼き牡蛎。
津波で生き残ったわずかな牡蛎が収穫期を迎えているが、食品衛生法上必要な加工をする設備が被害に遭ったために一般の市場には出せない。
お祭りで焼いてみんなで食べました。おいしかった。

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